1-7.噂話
奇譚蒐集編纂部への体験入部を決めた直後、ガラリと扉が開く音がして慌てて手を離す。
ほどなくしてベッドのカーテンが静かに開き、養護教諭が顔を見せた。
「あら……七花ちゃん起きたのね。どこか痛むところはない?」
「大丈夫だよ、宮森先生」
「そう、なら良かった。でも、念のためもう少し休んでおきましょう。あと、あんまり無理しちゃ駄目よ。この子、ものすごく心配してたんだから」
「……善処しよう」
鶴喰七花はバツが悪そうに目を逸らす。
この反応を見るに、夜更かししがちなことは事実だったらしい。
そして、養護教諭が口を開こうとする前に鶴喰七花は僕の方に話を振ってくる。
「後輩君もありがとう。私はもう大丈夫だから、教室に戻ったらどうだ」
「そうですね。授業もあるので」
「あら、遠慮せず二人でお話していてもいいのに。介抱しているから授業には出られないかもしれない、って言ったら了承してくれたわよ」
そうは言うが、第三者がいる環境で落ち着いて話ができるとは思えなかった。
僕と鶴喰七花の関係性への興味を隠そうともしない彼女の前ではなおさらだ。
「お言葉はありがたいですが、学生の本分を全うしないといけないので」
「ふーん……今時の子は真面目ねぇ」
先生が緩いだけなのでは、とは口が裂けても言えなかった。
「じゃあ、放課後旧校舎でまた会おう」
「……はい、また旧校舎で」
去り際に声をかけてきた鶴喰七花に短い言葉を返す。
人と約束をするのがなんだか久しぶりに思えて、少し胸がくすぐったかった。
◇
「あの、亀戸くん」
5限目と6限目の合間の休み時間に、隣から声がかかる。
教室に戻ってきて授業が終わるまで方々から視線を感じていたので、誰かしらは話しかけてくると思っていたが、それが大人しそうな葦火エレナだったのは意外だった。
「保健室の先生が『倒れた生徒の介抱で遅れる』って言ってたけど……」
「はい」
「その生徒って、やっぱり『旧校舎の幽霊姫』なの?」
「……はい?」
予想だにしない単語が飛び出してきて面食らってしまう。
ただ、それが誰を指しているかはすぐに思い至ることができた。
旧校舎に入り浸っており、長い黒髪と透き通るような白い肌を持った幽霊然とした姿の少女。
鶴喰七花のことだろう。
「あの人そんな風に呼ばれているんですか?」
「そうみたい。ちいちゃん……笹島さんがお兄ちゃんから聞いたんだって」
笹島さんというのはおそらく、朝僕のことを取り囲んできた女子の内の一人だろう。
お兄がどうとか言っていたショートボブの女子がたぶんそうだ。
それにしても……。
「鶴喰先輩って、結構有名だったりします?」
「うーん、又聞きだからよくわからないけど……色々と噂があって、上級生で知らない人はいないとか」
「……噂というのは、具体的には?」
「ええっと」
中空を見て何かを思い出す仕草をしながら、葦火エレナは鶴喰七花の噂を指折り数えていく。
「興味本位で旧校舎に入った生徒が、謎の体調不良に見舞われたとか」
それは先輩のせいではない気がする。僕が見る限りでは先輩は普通の人間だ。
旧校舎が怪異の温床になっていたことを考慮すると、知らず知らずの内に怪異の怒りを買った可能性の方が高いだろう。
「見た目に釣られて言い寄ってきた男子を心霊スポット巡りに連れ回してノイローゼにしたとか」
……それはちょっと想像できるかもしれない。
「1年生だった時にオカルト部の先輩を追い出して部活を乗っ取ったって話も……」
それは……どうなのだろう。
この短い時間の間でも、鶴喰七花の人柄はある程度知ることができた。
確固たる信念のもとに、まっすぐ前を見据えて歩く。一方で他人を思いやれないわけではない。
部活を乗っ取るだなんて過激な行動とは無縁なように思える。
しかし、一人で本を読んでいた鶴喰七花の姿にはどこか陰りが見えた。
何か行き違いがあったのではないだろうか。
……かつて僕が疑いをかけられた時のように。
「あと、実は籠目坂高校七不思議の一つだとか幽霊だからあんなに肌が白いとか人生二周目だからあんなに頭がいいとか」
「ちょっと……流石に尾鰭が付きすぎじゃないですか?」
ここまで来ると信じる人がいるかも怪しいレベルになってきた。
それはともかく。
「昔の事は知りませんけど。僕が見た先輩は……ちょっとオカルトへの熱意がありすぎるだけで、いい人でしたよ」
周囲から誤解を受けるのは、ただ罪を追及されるよりもずっと辛いから。
僕は、見たままの鶴喰七花の姿を葦火エレナに伝えることにした。
「……そうだよね。昨日いきなり教室に来た時も、普通の美人な先輩って感じだったし」
どこか納得した表情で葦火エレナは頷く。
ちょうどそこで次の授業の先生が入ってきて、彼女との話は途切れた。
黒板に書かれた数式を書き写しながら、僕は噂の内容を思い返す。
たった2歳しか違わないのに、僕よりずっと達観していた鶴喰七花。
そうなるまでに何を経験したのか、どんな過去を背負っているのか、僕はまだ何も知らなかった。




