1-5.背を向けた先に
鶴喰七花との邂逅から一夜明け、重い足取りで学校の正門を通り抜ける。
起きた時から気分は最悪だった。
鉛を詰め込まれたような不快な感覚が胃の中をかき混ぜている。
そんな体をやっとの思いで動かして二階へと登り、教室へ辿り着く。
「あっ、来た!」
扉を開けるのとほぼ同時に、高い声が飛んでくる。
見ればクラスのカースト上位女子3人が僕の机の周りで待ち構えていた。
そこでようやく、昨日のSHR後の出来事――鶴喰七花の来訪により、クラス中から注目を浴びていたことを思い出した。
……今すぐ背を向けて帰りたくなってきたが、そういう訳にもいかない。
黙って自分の席に腰を下ろすと、3人は待ってましたと言わんばかりに一斉に口を開いた。
「ねえねえ、えっと……亀戸くん、だっけ? 昨日の先輩とはどんな関係?」
「幼馴染? それとも彼女とか」
「お兄から聞いたんだけど、あの人オカ研の人なんだって? 亀戸くんも怪談好きだったりするの?」
嵐のように飛んでくる質問攻め。矢継ぎ早に飛んでくるそれに口を差し挟む隙間はない。
もはや質問ではなく好き勝手喋ること自体が目的なのではないかと思うほどだ。
周りも話の内容が気になるのか、こちらを見ている生徒ばかりで誰も止めようとはしない。
「そんなんじゃないです。昨日偶然知り合ったばかりで」
やっとの思いでそれだけ答えるが。
「またまたー」
「まだ付き合ってないだけ、ってパターンでしょ」
一方的に決めつけてこちらの話を聞こうとしない。
彼女らは正確な情報を知りたいのではなく、聞きたい回答を求めているだけなのだ、という気がした。
――この教室から逃げた後どんな惨めなやり取りがあったかを聞いても、同じような軽口が言えるのか。
ふと去来した薄暗い感情をこらえて曖昧な返事を続けている内に予鈴が鳴り響き、彼女らは自分の席へ戻っていった。
ひとまず解放され安堵する。しかし、去り際の彼女らの表情を見るにまだ満足はしていなさそうだった。
とんだ誤解のせいでしばらくは逃げ回る日々が続きそうで、これからのことを思うと自然とため息が出る。
「お、お疲れさま」
消え入るようなか細い声がかかり、隣に目を向ける。
アッシュグレーの髪を持つハーフの少女。先ほどの騒がしい三人組に昨日まで取り囲まれていた女子生徒。
確か、名前は――。
「えっと、ちゃんと話すのは初めてかな。私、葦火エレナって言います。よろしくね」
「……よろしくお願いします」
ニコリと笑みを浮かべた彼女に対して僕は小さく会釈をする。
質問攻められ仲間として親近感を持たれたのだろうか。話しかけられた理由はそのくらいしか思いつかなかった。
「ごめんね。笹島さんたちがうるさくしちゃって」
「その、まあ……すごい圧力でした」
「ふふっ、そうだよね。三人ともパワフルで、時々困っちゃうくらい」
気を遣うほどの余裕がなくうっかり出た本音に、葦火エレナはクスクスと笑う。
その直後に担任の先生が朝礼にやって来て、会話はそこで打ち切られたが、担任が連絡事項を伝えている最中に隣から視線を何度か感じた。
すっかり興味を持たれてしまったみたいだ。
普段なら特に何とも思わないのだが、今日ばかりは少し鬱陶しさを感じてしまう。
彼女はきっと、善意から僕に声をかけてくれたのだろう。
けれど、その暖かさが昨日の放課後の出来事とのギャップを際立たせる。
今の僕はとにかく一人になりたかった。
◇
昼休みの始まりを告げるチャイムと同時に、僕は教室を出る。
今朝の女子たちに捕まらないようにするため、というのもあるが、座ったままでは気分が落ち着かなかった。
行く当ては特にない。ただ、人の声や足音を避けるようにして校舎内を歩く。
極力誰の目にもつかないように。何も考えずに済むように。
そうして雑音から距離を置き心が凪いできた頃、ふと顔を上げてみると、そこには旧校舎へ向かう渡り廊下があった。
人を避けて来たのだから人気のない旧校舎の方向に足が向かうのは当然のことだった。
しかし、ここにいては鶴喰七花と遭遇する可能性は高くなるだろう。
踵を返して一刻も早くこの場から離れようとする。
その時、向かおうとしていた曲がり角の先から桜の枝が飛び出して来た。
宿主と顔を合わせる前に、傍に置かれていた掃除用具が入ったロッカーの陰に身を隠す。
……そして、別に隠れなくとも堂々とすれ違えば良かったのではないか、と少し後悔する。
このまま鶴喰七花がこちらに歩いてきたらあえなく見つかってしまうだろう。挙動不審なだけで何の意味もない。
それでも可能な限り見つかる確率を下げるために、僕は息を殺した。
息をひそめている僕の方に、一歩、二歩と足音が近づく。
その間隔がやけに広い。
どこか荒い呼吸音も聞こえる。
「……先輩?」
異変に気付いて物陰から顔を出した時には――。
鶴喰七花の体がぐらりと揺れ、リノリウムの白い床へと崩れ落ちる場面だった。
「先輩!」
危うく頭を打ち付けそうになった彼女の体を間一髪で支える。
「ん……君か……」
焦点の定まらないぼんやりとした表情。
抱きかかえた鶴喰七花の体、その手から伝わる体温はいやに冷たい。
胸から咲いた桜の花は、昨日より濃い色彩で染められているように見えた。
「すまないが、ちょっと眠らせてくれ……」
「え、ちょっと……!」
呼び止める声も届かず、僕の腕の中で少女は力を抜いた。




