2-14.廃れても残るモノ
桜の怪異の調査で訪れた深霧天満宮。
そこの娘である橘咲楽であれば、龍神の番を祀った神社の所在について、何か知っているかもしれない。
僕はスマートフォンを取り出してメッセージアプリを起動し……そこで指が止まった。
橘咲楽とは校外学習のグループチャットで連絡を取り合った程度の関係性だ。
しかも、彼女は奇譚蒐集編纂部の活動をあまり好ましく思っていない節がある。
いきなり個人で連絡を取ってみても印象を悪くするだけではないだろうか。
しかし、今の差し迫った状況で僕への評価なんて気にしている場合では……。
「亀戸くん、どうしたの?」
そこで、同じ棚に返す本を持ってきた葦火エレナが声をかけてきた。
――そうだ。橘咲楽と友人である彼女ならば。
「葦火さん、橘さんに聞いてもらいたいことがあるんですけどいいですか?」
「えっ、咲楽ちゃんに?」
思いがけない頼みだったのか、エレナは戸惑いの表情を見せる。
けれどそれは一瞬だけで、「いいよ」と頷いた。
その言葉に、ほんの少し肩の力が抜けた気がした。
鶴喰七花にも事情を説明して、神社の所在を尋ねるメッセージを葦火エレナから橘咲楽に送ってもらう。
「咲楽ちゃん、お父さんに聞いてくれるみたい」
そう言ってエレナが見せてくれた画面には、『ちょっと待ってて』と簡素な返信が添えられていた。
それから数十分後、図書館を出て近くのハンバーガー店で昼食を取っていた時に、橘咲楽からのメッセージが返ってきた。
『ここがそうらしいんだけど、少子高齢化の影響で町内で管理しきれてなくて、行っても対応できる人はいないかもだって』
そんな一文と共に、ある場所の住所が送られてきた。
検索してみると、そこは調べていた霧渡川周辺ではなく、その支流にあたる川の近くに建っていた。
「危うく見逃すところだったね……。私の代わりに、お礼を伝えておいてほしい」
「わかりました」
先輩に言われてエレナが文字を打ち込もうとした、その時だった。
『これ、亀戸も絡んでたりする?』
そんなメッセージが画面上に追加された。
にわかに空気が張り詰める。
思えば今週頭に調査を始めてからエレナとは何度かコンタクトを取っていたし、昨日は2人揃ってクラスを休んでいたのだ。感づかれてもおかしくはない。
『まあ、エレナの頼みだからいいけど。エレナに何かあったら許さないって言っておいて』
葦火エレナの釈明を待たずに、橘咲楽は僕が関わっている前提で釘を刺して来た。
「……こう言われたからには、しっかり守らないとだね」
画面の前で狼狽えている僕とエレナをよそに、鶴喰七花は少し茶化すようにそう言った。
◇
橘咲楽が教えてくれた場所は田んぼに囲まれていた。それ以外には、幅数メートルほどの小さな川と点在する住宅があるくらいだ。
そんな田園風景の中に鬱蒼とした林が突然現れ、石造りの鳥居がひっそりと建っていた。
境内はその場から全容を見渡せるくらいの狭さで、龍神伝説どころか神社の歴史などを書いた看板も無い。膝のあたりまで伸びた雑草が所狭しと生えているだけだ。
社殿は雨風から中にある物を守れる造りにはなっているが、かなり小さい。教室にすっぽり収まるくらいの面積しかない。
軒先にはてるてる坊主がいくつか吊り下がっている。濡れている様子がないあたり、これもエレナに憑依している怪異が生み出したものなのだろう。
「完全に放棄されている、という草の育ち方ではないけれど……。祭りの前しか手入れされていない、といったところかな」
「そんな適当な管理の神社もあるんですね?」
「ああ。そもそも、深霧天満宮やもっと大きな神社のように宮司が在籍している神社はかなり少ないんだ」
橘咲楽が『行っても対応できる人がいないかも』とメッセージを送っていたけれど……まさか、神主がいないとは。
「宮司が在籍していない小さな神社は、例祭や新嘗祭など必要な時だけ他の神社の宮司に式典を執り行ってもらい、普段の管理は町内会で行うというケースがほとんどだが……」
「……それが、過疎化や高齢化で行き届かなくなっていると」
雨から御神体を守っている瓦屋根を見上げる。
神社や寺というものは大昔から存在していて、これからも変わらずそこにあり続けるものだと思っていたが……。
人の生活圏の端にある小さな神社から、少しずつ消えているのかもしれない。
「……ここって」
その時、葦火エレナが呟く声が雨音に混ざってかすかに聞こえた。
「何か知っているんですか?」
「えっと……あまり自信が無いんだけど……」
エレナはそこで一度言葉を切った。
その表情は、喩えるならば……変わってしまった旧友と再会したような、懐かしさと戸惑いが見えた。
「……ここ、昔お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのところに遊びに行った時、連れてきてもらった……かも」
途切れ途切れに話すエレナの瞳は、かすかに揺れていた。
◇
「うちのお父さん、お祖父ちゃんたちと離れて暮らしてたんです」
一度参拝をしてから社殿の屋根の下に入り、肩を寄せ合って立つようにして雨から身を隠すこと数分。
幼少期の記憶を辿って語るべきことを整理し終わったのか、エレナが口を開いた。
「お父さんとお母さんが結婚する時に、『ちゃんと考えて選んだのか』ってお祖父ちゃんが言っちゃったみたいで、それで喧嘩したらしくて」
「それは、なんというか……昭和な人ですね」
「あはは……一応、お祖父ちゃんも言い方が悪かっただけで、色々考えてたみたいなんだけど」
僕の感想に対してエレナはふにゃりと眉を下げた。
「私が生まれたのがキッカケでお母さんとお祖母ちゃんが仲良くなって、お父さんとお祖父ちゃんも私の前で仲の悪いところを見せるわけにはいかないと思ったのか、少しずつ会話するようになって……」
幼いエレナを中心として大人4人が集まる微笑ましい構図が目に浮かぶ。
子は鎹という言葉があるけれど、エレナはまさしく彼らの絆を繋ぎ止めてくれたのだろう。
「その過程で、お母さんが好奇の目で見られるのを心配してあんな発言が出たって分かった……らしいです。私は大きくなるまで、お父さんとお祖父ちゃんの仲が悪かったことすら知りませんでしたけど」
角隠しの隙間から見えた灰色がかった髪に目が吸い寄せられる。
彼女の髪色は母親譲りだと聞いている。
ここのような籠目坂の中でも特に自然の濃い地で、エレナやその母親の髪は良くも悪くも注目を集めてしまう。そう考えたのかもしれない。
「その御祖父様の家が、この辺りにあるということかな」
「はい、そうです。……今はリノベーションして別の人が住んでいるみたいですけど」
エレナはそう話しながら、点在する住居の内のひとつを見つめていた。
「……お祖父ちゃんの家に泊まった次の日の早朝は散歩に行くのが習慣になっていて、その時この神社にお参りしてたんです」
遠くを眺めていたエレナの視線が、草の伸びた境内の方に移る。
「小さい時はもう少し綺麗だった記憶があるんですけど……お祖父ちゃんや同じ年代の人が掃除していたんですかね」
「御祖父様からこの神社の由緒について聞いたことは?」
「いえ、詳しいことは何も……だから、龍神伝説に関係があるなんて聞いたこともなかったです」
そうしてエレナは軽く振り向き、社殿の中を覗き込む。
「ただ、ここの神様がいつも私たちを見守ってくれているって……だから、自分に恥ずかしくないような生き方をしなさいって、それがお祖父ちゃんの口癖でした」
葦火エレナと行動を共にした時間は短いけれど……僕の目に映る彼女は、普通の善良な女の子だった。
お祖父さんの言葉はきっと、彼女の行動指針として今も生きているのだろう。
「当時はよくわかっていませんでしたけど……もしかしたら、単なる説教というだけじゃなくて、お祖父ちゃん自身にも言い聞かせていたのかもって……。お父さんとお祖父ちゃんの関係について聞いてから、そう思うようになりました」
まつ毛を伏せたエレナの目尻に、小さく光る滴が見えた気がした。
「……神様、ずっと私やお祖父ちゃんのことを見守ってくれてたのかな」
ポツリと呟いたエレナの言葉に呼応するように、白い羽織と角隠しが淡い光を発していた。




