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鶴喰七花の怪奇譚―怪異が見える僕と怪奇譚に魅せられた少女のオカルト調査青春劇―  作者: 水底まどろみ
2章 雲竜征蛙

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2-10.雨降って地固まる

 世界が白くぼやけている。

 何度か瞬《まばた》きを繰り返して、視界のピントを合わせる。

 最初に映ったのは、見覚えのない天井だった。


「ここは……」


 掠れた声が乾いた喉を震わせ、かすかな痛みが走る。

 上体を起こすためについた手がわずかに沈む。そこでようやく、僕がベッドの上で寝かされていることに気付いた。

 白い壁に白い床。向かい側の壁際には、誰かが寝ていたらしい空っぽのベッドが設置されている。

 どうやら僕は病院にいるようだった。


「亀戸くん……?」


 傍から弱々しい声がする。

 扉の横側に並べられた椅子。その内の一つに葦火エレナが座っていた。

 いつもの制服姿ではなく、白のブラウスにネイビーのジャンパースカートを合わせた、女性らしさと落ち着いた雰囲気を両立した私服を着ている。

 まぶたが腫れていて、かなり憔悴《しょうすい》していることが目に見えてわかった。


「良かった……! 目が覚めて……!」


 葦火エレナは僕の胸に顔をうずめるようにして抱き着いてきた。

 入院着に熱を帯びた水が染み込んでいく。

 僕はそのままの体勢で、エレナの気が済むまで彼女の涙を受け止めていた。


◇

 それから少ししてエレナの声を聞きつけた看護師がやって来て、僕は検査を受けることとなった。

 心電図の確認や採血を行った後、十数分ほどして名前を呼ばれ、僕は診察室に入った。


「検査結果を見る限りでは健康そのものですね」


 若い男性の医師は開口一番でそう告げた。


「神経調節性失神……迷走神経反射と呼んだりもしますけど。ストレスや疲労による自律神経の乱れに加えて、雨に打たれたことによる体温の低下で、一時的に脳への血流が落ちたのでしょう」

「えっと、つまり……?」

「もう退院しても大丈夫です。あとは月曜日までゆっくり自宅療養して、疲れを取ってください。ああ、それと、また同じような症状が出たら必ず受診しに来てくださいね」


 彼の常識の範囲内では、怪異が原因だとは知る由もないのだろう。

 医師は笑顔を浮かべたまま、退院に必要な手続きなどの説明をしてくれた。

 僕はひとまずお礼を言って、診察室を後にした。


「やあ、意識が戻ったようで何よりだ」


 荷物を取りに病室に戻ると、エレナと並んで鶴喰七花が待っていた。

 女子らしい格好をしているエレナとは対照的に、先輩の服装は4月の調査の時にも見たような動きやすさを重視したコーディネートだった。


「体はもう大丈夫なのかい?」

「はい……退院しても問題ないだろうと」

「それなら良かった」


 安堵の息をつく鶴喰七花に対して、僕は聞きたいことがあった。

 

「先輩こそ、大丈夫なんですか」

「ん? ああ……風邪なら昨日の夜にはほとんど治ったよ」


 風邪もそうだが、もっと心配なことがある。

 例のカエルに取り憑かれてはいないか。なにか変なことが起きた覚えはないか。

 見た目に異変はないが、不安は拭えなかった。


「あの――」

 

 それを聞こうと口を開いた直後だった。

 僕のお腹から空腹を主張する大きな音が鳴り、言葉を遮った。

 部屋の外にまで聞こえるのではないかと思うくらい、盛大な音だった。


「……とりあえず互いの快気祝いも兼ねて、何か食べに行こうか」


 熱くなった顔を伏せるようにして、僕は黙って先輩の言葉に頷いた。


◇

 病院近くにあるバス停に着くと、ちょうど深霧市の市街地へと向かうバスが来たところだった。

 僕たち以外に乗客はおらず、貸し切り状態だ。

 通学通勤の時間から外れた平日の昼間であることに加え、この雨が外出する意欲を損なわせているのだろう。


 ほどなくして扉が閉まり、バスが発車する。

 目的地であるショッピングモールまでは、2,30分ほどかかるようだ。

 それを待つ間に、僕はひとつ気になっていたことを口にした。


「葦火さんは、どうして昨日あそこにいたんですか?」


 僕が彼女を突き放してしまった後、めげずに追いかけて来たのだろう、という想像はできる。

 しかし、水島美奈の証言から僕が山の方へと向かったことまでは推測できても、具体的な場所までは分からなかったはずだ。


「私が頼んだんだよ。『まだ体調が万全じゃない私の代わりに探してくれないか』と」


 僕の質問に対して口を開いたのは、葦火エレナではなく鶴喰七花だった。


「昨日の夕方頃目を覚ましたら、あんなメッセージが届いていたからね……。行き先に心当たりがないかエレナ君に電話したんだ」

「もしかしたら山の方に行ったのかも、って伝えたら、七花先輩に『哮虎岳《たけとらだけ》へと向かった可能性がある』って言われて」

「この辺りでカエルにまつわる怪奇譚は色々あるけれど……山に住む3本足のカエルで思い当たったのが『哮虎岳の雨乞《あまごい》蛙』だったから、それに賭けたんだ」


 ……結局、昨日はオタマジャクシたちがどこへ向かっているのか調べる余裕が無かったが、あの先にあるのは哮虎岳だったのか。

 田舎で正直パッとしない籠目坂の、数少ない観光地のひとつだ。

 山の中腹辺りにある高原は籠目坂の田園風景を一望できる絶景スポットとして知られ、さらにパラグライダーなどのスカイスポーツの体験も行われている。

 また、山頂までの登山道も整備されており、険しく高い深霧山と比べて難易度が格段に低い初心者向けコースである……らしい。

 実際に登ったことはないが、そのように宣伝しているパンフレットを見た覚えがあった。


「それで、自転車で哮虎岳の方に向かったら、道端に傘が落ちてて……遠くの方で誰かが倒れるのがちょうど見えて……」


 葦火エレナの声が震える。

 それ以上彼女は何も言えなくなり……代わりに、鶴喰七花が言葉を継いだ。


「どうして一人で行ったりしたんだ?」


 その視線は刺すような鋭さを帯びていた。


「聞けばエレナ君の助力も断ったそうじゃないか。時には速さが大事なこともあるにはあるけれど……少しは周りを頼ってもいいんじゃないか」


 普段あまり怒ることのない鶴喰七花の、厳しくたしなめる言葉に喉が詰まる。

 神隠しの調査は一人で行かせてくれたのに、という反論が思い浮かびもした。

 だが、あの時は先輩から怪奇譚の詳細を知らされた状態だった。身体への危害は確認されていない、少し不思議なだけの話だと。

 危険を体感した上で情報が乏しいまま渦中へと飛び込もうとした今回はわけが違う。


「……早く解決しなければいけないと思ったんです。そうしないと……また、昔みたいに後悔すると思って……」


 二人に対して顔を合わせることができず、僕は俯いて焦りの原因を吐露する。


「……そうか。長い間抱えてきたものは、そう簡単に忘れられないか」


 ため息交じりの鶴喰七花の声がすぐ傍で聞こえた。

 ……呆れられてしまっただろうか。

 鶴喰七花が次にどんな言葉を紡ぐのか、戦々恐々とした気持ちで待つ。


「でも……あのとき保健室で言っただろう。『君を縛り付けている過去と私は関係ない』と」


 ハッとして顔を上げる。

 そこには、先日と同じように僕を真っ直ぐ見据えた鶴喰七花がいた。


「信じてくれ。私は君の前からそう簡単にいなくなったりはしない」


 根拠のない自信を当然のように口にする。いつもの彼女らしい振る舞いだ。

 ただ、いつもと違って……その表情は今にも崩れてしまいそうに見えた。


「だから、君も私を一人にしないでくれ」


 ふと、桜の花びらを身に纏っていた時の彼女のことを思い出す。

 孤独を糧に成長していた幽冥の桜。その怪異から鶴喰七花を解放するため、彼女を独りにしないために、僕は彼女と共に活動することを決めたのだ。

 孤独を埋め合う僕らの関係性は、どちらかがいなくなれば破綻してしまう。

 鶴喰七花に危機が迫っているのではないかと考えての無茶だったが……自己犠牲では彼女を救えないことに、今更ながら気付いた。


「……すみません。もう、勝手に突っ走ったりはしません」

「……分かってくれたならいいんだ」


 鶴喰七花の顔から不安の色が消える。

 その表情を見て、胸の中にわだかまっていた物が少しほどけたような気がした。


 でも、それで全部ではない。

 僕は謝るべきもう一人の人物に頭を下げた。


「葦火さんもすみませんでした。酷い態度を取って、色々と迷惑をかけてしまって」

「ううん、そんなこと……」


 しばらく会話の蚊帳の外に置かれていたエレナは、突然話を振られて驚いたようだ。

 少しの間、慌てて何かを言おうとしていたが……一度言葉を飲み込んで、それから落ち着いて話し始めた。


「……迷惑だとは思ってないけど、ただ、すごく怖かった。もう目を覚まさないかもしれないと思って」


 エレナの語った恐怖は、僕を暴走させた恐怖とよく似ていた。

 だから、彼女の気持ちは痛いほどよく分かった。


「だから、私とも約束して。勝手に私の前からいなくなったりしないって」

「はい。約束します」


 雨粒がバスの窓を一定のリズムで叩く。

 その音に紛れるようにして二人と交わした言葉は、きっと簡単には反故(ほご)にできないものだった。

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