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鶴喰七花の怪奇譚―怪異が見える僕と怪奇譚に魅せられた少女のオカルト調査青春劇―  作者: 水底まどろみ
2章 雲竜征蛙

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2-5.セーフティゾーン

「駄目です、こっちにもいます」


 カエルの姿を見つけ、何度目になるか分からない方向転換を強いられる。

 本来ならとっくに籠目坂図書館に着いていたはずの僕たちは、住宅地の細い路地をぐるぐると彷徨《さまよ》い続けていた。

 どこから集まってきたのか、迂回して図書館へ向かう道はことごとく塞がれている。それどころか、駅へと戻る道にもいつの間にかカエルが居座っていた。


「いっそ、全力で走って通り抜けるというのは……」

「どうだろうね……。現実のカエルの目は動いている物の動きを捉えることに特化している分、逆に静止している物には反応を示さないと言うけれど」

「そうなんですか?」


 ならば、カエルがこちらに気付きそうだと思ったら止まってその場でやり過ごすという手もあるのだろうか。

 カエルの怪異がどのくらい現実のカエルの性質をなぞっているのかは知らないけれど。


「どうしようもない状況になったら試してみる価値はあるんじゃないかな」

「あんまり想像したくないですね……」


 そうは言いつつも、進展しない状況に焦れったさを感じていた。

 気を張った状態で雨の中を移動し続け、少し疲れ始めていたこともある。



 だから油断していたのかもしれない。

 視界の端で大きく跳躍したそいつの存在に気づくのが遅れた。

 家の塀を経由して飛び乗ったのか、先輩の持つビニール傘の上にそれは鎮座している。


「今、なにか……」

「先輩」


 短く放った僕の声を聞き鶴喰七花は静止する。

 

 これまで遠巻きでしか見ることがなかったが、近くに来るとその異様な特徴がよく分かった。

 色はアマガエルのような綺麗な緑色だが、大きさはヒキガエルのように拳ほどのサイズがある。

 前脚は普通のカエルと変わらないが、後ろ脚は1本しかない。欠けているというわけではなく、それが自然であるかのごとく臀部《でんぶ》の真ん中から脚が生えている。

 ちょうどオタマジャクシの尻尾がそのまま脚に変化したようだった。

 そして、眼球は角膜が白く瞳孔《どうこう》が円形で、人間のそれのようだった。せわしなく動くその瞳には仄暗《ほのぐら》い情念が宿っているように思えた。


 静止している物には反応を示さない。

 つい先ほど自身が語った言葉の通りに、鶴喰七花は首を少し回した状態で動きをピタリと止める。

 蛇に睨まれた蛙、というのにふさわしい状況だ。この場合睨みを利かせているのは蛙の方だが。


 そして、本物とは様相の異なるその目を誤魔化すことは出来なかったようだ。

 ビニール傘の上を少しの間歩いていた異形のカエルは、突如けたたましい鳴き声を上げた。


「逃げましょう!」


 鶴喰七花の手を強引に引く。その拍子に彼女は持っていたビニール傘から手を離す。

 傘に乗っていたカエルがひっくり返ってジタバタともがいている、その向こう側で緑色の跳ねる物体が複数見えた。

 迫りくる波から背を向けて、僕は鶴喰七花を自分の傘の中に入れて駆け出す。

 

「逃げ道に心当たりはあるのか?」

 

 身体を寄せ合うようにして走りながら、鶴喰七花は僕に質問をぶつけてくる。

 それに答えることは出来なかった。

 そもそも僕たちはカエルに進行方向を塞がれて立ち往生している状態だったのだ。

 逃げることなどできないのでは、という嫌な考えが頭をよぎる。だからといって、立ち止まることもしたくない。


「……とりあえず、なるべくカエルのいない方向を指してくれ。最悪、駅か図書館に近づいてきたら包囲が薄いところを突っ切ろう」


 有効な手立てがないのは先輩も同じだったようで、黙り込んでいた僕に対しその場しのぎの方針を示す。

 言い知れない不安が胸の内に去来する。それを押し殺して、僕は突破口が無いか目を凝らす。

 あてもなく惑う僕らを、激しい音を立てて降る雨とカエルの輪唱が包み込んでいた。

 

 不幸中の幸いと言うべきか、カエルたちの移動速度はさほど速くなかった。早足でも引き離せる程度のスピードだ。

 問題は数の多さだった。どこから集まってきたのか、十匹から二十匹単位の群れをいくつも作って、道路を閉鎖するようにしてにじり寄ってきている。

 無理やり突っ切るというのならもっと早い段階……こうしてカエルに位置を知られる前に実行するべきだったのかもしれない。

 今の状態では、群れを通り抜ける際に何匹かは飛びついてくるだろう。その上で、他の群れが回り込んでくる可能性も考えられる。

 カエルを撒くことが出来ないまま時間と体力を浪費し、ついに僕たちは一本道で挟み撃ちされる形となった。

 

「……あとは、大した影響がない怪異であることを祈って突っ込むくらいですかね」

「君の目には脅威でないように映っているのか?」

「……どうでしょう」

 

 最初に遠巻きから見かけた時ですら不吉な予感がした。先輩の傘に飛びついてきたカエルと目が合った時には、その不気味さに背筋が凍るような思いをした。

 なによりも、今こうして僕たちを執拗《しつよう》に追ってきていることが、それらの抱える害意を物語っていた。


「私も、嫌な気配はひしひしと感じているよ……桜の時とは違う、絡みつくような嫌な感じが……」


 しかし、今のところ立ち向かう他に道はない。

 腹を括って多少の被害は無視するしか……。

 

 そう考えて先輩に声をかけようとした時だった。


 唐突に、前方から迫ってきていたカエルの群れが足を止めた。

 透明な壁に遮られているように先頭のカエル達は一直線に並んで、どこか恨めし気な目でこちらを見つめている。


「止まった……?」

「なに?」


 僕が呟いたのを聞いて鶴喰七花は目を丸くする。

 そして数秒後、質問を一つ投げかけた。


「後輩君、あっちの方にてるてる坊主があるんじゃないか?」

「えっ?」


 一見脈絡のない問いに戸惑いながらも、僕は足を止めたカエルたちが見つめる先をよく観察してみる。

 すると、並んだ電柱の内の一本、その足場用の釘に白い物がぶら下がっているのが見えた。


「あそこの電柱のところにあります!」

「よし、そこまで走ろう!」

 

 カエルの気配はすぐ背後にまで迫っていて、先輩の言葉の意味を考える余裕はなかった。

 僕たちは電信柱の方へ全力で駆ける。

 そして、てるてる坊主の真下までたどり着いた時、後方から迫っていたカエルの鳴き声と急に距離が開いた。

 振り向くと、追って来ていたカエルたちも何かに阻まれるようにしてその場に座り込んでいた。


「助かった……んですか?」

「たぶん」


 流石の鶴喰七花も神経をすり減らしたのか、大きく息を吐く。


「このてるてる坊主のおかげってことでいいんですよね……」

「ああ……てるてる坊主は晴れを祈願して作られるものだ。だから、雨の象徴であるカエルを遠ざけてくれたのかもしれない」


 あからさまにに襲ってきたカエルたちから守ってくれたということは、各地に点在していたてるてる坊主も悪い物ではないのだろうか。

 葦火エレナに取り憑いている、龍神の番と推定される何かも、もしかすると味方してくれているのかもしれない。

 まだ龍神の番とてるてる坊主に関連があると決まったわけではないが……少なくとも敵ばかりではないことが分かって、いくらか気が楽になった。


 ただ、目の前の厄介事はまだ解決していなかった。


「……このままだとここから動けませんね」


 カエルたちは近寄っては来ないが、僕たちを取り囲んだ状態のまま動かない。

 品定めするような目でこちらをジッと見つめている。


「例のてるてる坊主を手に持って移動することは出来ないかな」

「たぶん無理です。高すぎて手が届きませんし……届いたところで触れられるかは分からないです」


 それを聞いて鶴喰七花は「少し考える」と言い、スマートフォンで何かを調べ始めた。

 僕は万が一カエルたちが襲い掛かってきたら彼女を庇えるように、周囲を警戒する。

 

 そうして睨み合ったまま、どのくらい時間が経っただろうか。

 カエルたちの様子がにわかに変化し、人に似た眼球が一斉に上方向へと向いた。

 そわそわと落ち着きなく体を動かし始めたその姿は、何かを畏《おそ》れているように見えた。


「……雨が」


 鶴喰七花が誰ともなく呟く。

 カエルにばかり意識を取られて気付いていなかったが、土砂降りだった雨はいつの間にか弱まり、しとしと降る小雨となっていた。

 僕はカエルたちが見つめている空を見上げ、目を細める。

 何も変わったものは見えない、雨雲に覆われた暗い空だ。しかし、注視し続けているとどこか違和感があることに気づく。


 僕の考えすぎかもしれないが……。

 雲というものは、あんな風に流れるものだっただろうか。


 そして、雨が細かい霧雨に変わった頃。

 カエルたちは身体を一度震わせると、排水溝の中や曲がり角の向こう側へと去っていった。

 潮が引くように姿を消したカエルたちを目にして、今度こそ危機を脱したと確信し安堵の息をつく。

 もう一度空を見上げてみるが、先ほど覚えた違和感は既に消えていた。


 カエルの声は未だに遠くの方から聞こえている。

 雨はまだ止みそうにない。

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