2-3.桜の樹の陰には
放課後、雨の振りしきる堤防を北の方に向かって歩く。左手に流れる霧渡川は濁った泥の色に染まり、普段とは違う激しい表情を見せている。
「悪いね、わざわざ部活を抜け出してきてもらって」
「いいんです、体力をつけるトレーニングと思えば」
僕の少し前を鶴喰七花と葦火エレナが傘を並べて歩いている。
先輩の真っ直ぐな性格とエレナの物腰の柔らかさが上手くマッチしたのか、二人はいくつか言葉を交わしただけでかなり打ち解けていた。
「確か吹奏楽部なんだよね。何の楽器をやっているのかな」
「あー、えっと……ユーフォニアムって聞いたことありますかね」
不思議な名前の響きだ、というのが第一印象だった。
僕にはなんとも想像がつかなかったが、先輩はピンと来たようだ。
「ああ、あのチューバを小さくしたような楽器だね」
「分かるんですか?」
「もちろん。柔らかくて調和性のある音を出す、良い楽器だと思うよ」
「そうなんです……! 周りを包み込む優しさがあるというか……!」
少し頬を紅潮させて熱弁するエレナを、先輩は微笑ましそうな顔で見ていた。
それにしても、怪奇譚にばかり興味を持っているものだと思っていたが、意外なことまで知っている。
これも調査活動で身につけた知識なのだろうか。鶴喰七花にどのくらいの引き出しがあるのか計り知れない。
「あっ、この辺りだったと思います」
学校を出てから三十分と少し経った頃、葦火エレナが足を止める。
その景色にはなぜだか見覚えがあった。
既視感というものだろうか……と思っていたが、鶴喰七花の言葉がそれを否定した。
「後輩君……あれ、この前の枝垂れ桜じゃないか?」
先輩が指さした先には、鬱蒼と葉を茂らせた大樹があった。樹の傍にはその由来が書かれているであろう看板が立っている。
そこでようやく、掃晴娘の話に耳を傾けていた時に感じた聞き覚えの正体を思い出す。
あそこに見えるのは4月に桜の怪異について調査していた時に立ち寄った、龍神と番になった女性の伝説が残る枝垂れ桜だ。
洪水を治めるための人柱となった娘の最期の願いで、川からも桜を見ることができるようにと河川敷に植えられたという話だった。
その伝説を葦火エレナに伝えると、彼女の顔から血の気が引いていった。
「じゃあ、私が見たのはその人の幽霊……ってことですか?」
「うーん、まだ確証はないけど……とりあえず、調べてみようか」
「うう……何か怒らせちゃったんでしょうか……」
率先して先頭に立った鶴喰七花とおそるおそる足を踏み出す葦火エレナの後ろをついていく形で、コンクリートで作られた階段を使って堤防の斜面を下りる。
河川敷は雨で少しぬかるんでいて、歩くたびに水が跳ね雑草が足首をくすぐる。それを我慢しながら僕たちは枝垂れ桜の下へとたどり着いた。
4月に見た時にはまだ若かった葉はすっかり成長して、しなやかに垂れ下がった枝が緑の帳を作っている。幾重にも重なった葉が桜の樹の下に濃い影を落としている。
その樹の周りを観察したり伸びた枝を見上げてみたりして、僕たちは何か手掛かりがないか探していた。
「……あれ? あそこに何かないですか?」
それに最初に気づいたのは葦火エレナだった。
彼女の指さす方向を見ると、枝葉に混じって何か白いものが垂れ下がっていた。それは白い布を丸めて紐でくくっているように見えた。
「本当ですね、てるてる坊主みたいな……」
しかし、誰があんな高い場所に吊るしたのだろうか?
少し考えながら、ふと沈黙したままの鶴喰七花に気付きそちらに目をやる。
てるてる坊主の方を見上げる彼女は、目を細めて険しい表情をしていた。その視線は左右に動いていて、なにかを探しているようだった。
僕に見られていることに気づいた彼女は、こちらと目を合わせて声を発さずに唇だけを動かした。
み・え・な・い。
鶴喰七花はそう訴えかけているように思えた。
雨風に揺れる枝垂れ桜が作る影の中で、顔の描かれていないてるてる坊主がジッとこちらを見下ろしている気がした。




