2-1.雨霧に潜む
雨粒がコンクリートの地面とぶつかる。水を跳ねる音を立てながら車が頭上を走っていき、空気の振動が肌に伝わる。その騒音に負けじと、カエルが空に向かって大合唱をしているのが聞こえる。
橋梁下の10mにも満たない短いトンネルの中から、僕は雨に煙る籠目坂の風景をぼんやりと眺めていた。
一言で籠目坂地区と言っても、大別して3つの地域に分けられる。
山林の占める面積が多く人が少ない南部。籠目坂駅を中心として住宅地が密集した、僕たちの通う籠目坂高校も位置する中央部。
そして今僕がいる北部は、霧渡川が山から運んできた栄養が育んだ肥沃な土壌が広がっており、米作りを中心とした農業に利用されている。
のどかな田園風景と言えば聞こえは良いが、似たような景色がどこまでも続くのは退屈を誘う。
僕の視界には若い稲の苗が植えられているのが映るばかりで、他には点在する住宅や水しぶきを立てて走る車が見えるくらいだ。
見るべき景色はとうに見尽くした。それでも僕がここから動かないのは、傘を持っておらず雨宿りしている……というだけでなく、待ち人がいたからだ。
「調子はどうだい」
背後から声がかかる。
振り向くと、トンネルの反対側に一人の少女が立っていた。
差しているビニール傘とは別に黒い雨傘を手に持ち、夏用の白いセーラー服と腰ほどの長さがある黒髪のコントラストが目立つ少女――鶴喰七花に向かって、僕は首を横に振る。
「何も出ませんね」
「そうか……。まあ、空振りはよくあることだ」
鶴喰七花はなんてことも無いように言うと、黒い雨傘を渡してくる。
一時的に彼女に預けていた、僕の持ち物だ。
傘を持たずにいることが今日の調査活動では重要だった。
今回調査を行っていたのは『傘の女』。雨の中傘を持たずにいる者の前に現れる、唐傘を差した着物姿の女性で、「家まで送りましょうか」と申し出る彼女の誘いに乗ってしまうと行方知れずになってしまうという都市伝説だ。
せっかくの梅雨時だから雨にまつわる話をということで、学校からそう離れていないトンネルにて僕一人で待ち伏せしていたのだが、成果は無かった。
「題材がシンプルなだけにバリエーションが多彩だからね……原典を参考にトンネルを探していたけど、もう少し行動範囲を広げてみようか」
「それもいいですけど、日が落ちてからの方が出やすいんじゃないですか?」
丑三つ時とまでは行かなくても、夜の方がこの世ならざる者は活発になる傾向にある。だからそう提案してみたのだが、先輩は渋い表情を見せた。
「もしかして門限が厳しかったりしますか?」
「いや、そこは問題ないが、今は時期が悪いと思って」
どういう意味か聞こうとして、すぐに今日のホームルームで担任が話していたことを思い出す。
「……女子高生の行方不明事件ですか」
僕の言葉に鶴喰七花は黙って頷く。
なんでも、深霧市内の高校に通っていた生徒が学校の帰りに行方をくらましたらしい。
高校からかなり離れた橋に彼女の荷物が残されていて、警察は事故と事件両方の線を追って捜索しているとのことだった。
山間部にあたる籠目坂地区とは反対方向の平野部での事件だが、念のため僕たちも早めに部活を切り上げて帰宅するように指示されていた。
「雨は視界を曇らせて音を遮り、人の気配を覆い隠す。こういった環境は怪奇譚が生まれやすいのと同時に、人に間違いを犯させることもあるんだ」
鶴喰七花の言葉に頷きながら、僕は雨に濡れそぼる籠目坂の景色を再び観察する。
霧がかかったようにぼやけた田園風景は境界が曖昧で、何かが紛れ込むにはうってつけのように思えた。
「……雨の中で活動するのも楽じゃないし、当面は室内での作業を中心にした方がいいかもしれないね」
「先輩がいいなら、そうしましょう」
「とりあえずは傘の女についての話をまとめることにして、それから――」
そんな会話をしながら、僕たちは籠目坂の中心部の方へと歩いて帰っていった。
しかし、結局僕たちはこの梅雨の間、外での調査活動に奔走することとなった。
◇
教室の窓を叩く雨粒のパラパラという音をBGM代わりに、クラスメイトたちは朝から談笑をしている。6月に入り中間テストも終えた教室には緩んだ空気が漂っていた。
「雨の日ってホント最悪」「美奈、髪長いもんね」
「昨日の夜カエルがうるさくて寝れなくてさ」「あー、最近雨ばかりだからか元気だよね」
「なあ、この動画見た?」「うわっ、ヤバ」
他愛ない会話が繰り広げられている教室。席替えによって最前列から最後列へと移動した僕は、そんな彼らの様子をよく眺めることができた。
僕は相変わらず蚊帳の外のポジションに甘んじている。だから怪奇譚の情報収集でもして時間を潰そうとスマホを開いた、その時だった。
「そういえば、エレナ遅くない?」
そんな言葉が聞こえてきて、声のした方へと目を向ける。先日の校外学習で行動を共にした、水島美奈・笹島千百合・橘咲楽が三人揃ってある席を見つめていることに気づいた。
僕の二つ左方向にあるその席の主であり、彼女らといつも一緒にいる印象がある少女――葦火エレナの姿は見えず、スクールバッグも置かれていなかった。
「そういやそうだね。いつもなら私たちより早く着いてるのに」
「千百合、吹部の朝練行ったとか聞いてない?」
「ううん。なんにも」
ふと、昨日先輩と話していたことを思い出す。
最近起きた高校生の行方不明事件。
それと同じように、彼女も何かに巻き込まれたのかと不安がよぎる。しかし、それは廊下の方から聞こえてきた騒々しい足音にかき消された。
予鈴が鳴ると同時に、教室前方の扉が勢いよく開く。
飛び込んできた人物の姿を見て、僕は小さく息を飲んだ。
他の生徒たちとは異なるグレーの髪。彼女のトレードマークとも言えるそれは、白い頭巾のようなもので覆われている。和風の結婚式で花嫁が身につける角隠しというものに見えなくもない。
夏用の制服の上には真っ白な羽織が肩からかけられていて、走ってきた余韻でひらひらとたなびいている。
呼吸を一瞬忘れるほどの美しさ。だが、葦火エレナがこのような奇抜な格好で学校に来るような性格だとは到底思えなかった。
「エレナおはよう!」
「お、おはよう」
「遅刻ギリギリなんて珍しいね」
「あはは……ちょっと色々あって」
水島美奈たちを始めとした他のクラスメイトには、大きく驚いたような様子はない。見るからにおかしな点があるのに、指摘するどころか反応を示す者は誰もいない。
ならば、例によって例のごとくあれは僕にしか見えていないのだろう。
「亀戸くん」
自身の席に移動する途中で、エレナは僕の席の近くを通りがかり小声で話しかけてきた。
その顔には、先ほどまで水島美奈たちに見せていた笑顔の残滓と、先日神隠しに巻き込まれた時と似た不安の色が混ざり合っていた。
「ちょっと相談したいことがあって……昼休みにオカルト部の部室に行ってもいい?」




