1-2.語り部と傍観者
キタンシュウシュウヘンサンブ。
奇譚、蒐集、編纂……。
聞き慣れない文字列を頭の中で何度か反芻して、桜の枝に貫かれた謎の少女――鶴喰七花の発した言葉の意味を咀嚼する。
「不思議な話を集めてまとめる……要するにオカルト同好会ってことですか?」
「周囲の人間はそう呼んでいるな。私としては不本意だが」
鶴喰七花は身を翻し、教室の後方に積まれていた椅子の一脚を引っ張り出した。
そうして彼女が座っていた椅子の正面に置き、小さく手招きする。
……座れ、ということだろう。
促されるままに僕は椅子に腰掛け、鶴喰七花も自分の椅子に腰を下ろす。
「さて……オカルトというものは近年単なる娯楽として消費されがちだ。それも楽しみ方の1つだろう。でも、ただ受け取るだけではもったいないと私は思うんだ」
「……もったいない、と言うと?」
「古来より語り継がれるフォークロアから、ネット掲示板から生まれたネット怪談に都市伝説まで……怪奇譚というものは語り継がれてこそ日の目を浴びるものだ。そして伝承を重ねる内に、地域差や時代の変遷に伴うアレンジ、語り手独自の考察などが挟まって変容していく。不特定多数の人間の手によって新たな物語が生まれていく。それでこそ怪奇譚は生きていけるんだよ」
怪奇譚は生きている。
その言葉を聞き、空き教室に巣食っていた多様な怪異たちの姿が脳裏に浮かぶ。
人が語り継ぐことで怪奇譚が生きるのと同じように、怪異もまた人の感情や噂話を糧に成長する存在である……と僕は認識している。
だが、怪異は単なる御伽噺に過ぎない怪奇譚とは違う。
「だから私は、奇譚蒐集編纂部を立ち上げたんだ。怪奇譚を調査して内容を私なりに取りまとめる。そのアーカイブを後世に残し、新たな物語を育む土壌を作る。それこそが、怪奇譚を生み出した人に対して私ができる敬意の払い方だと思っている」
怪奇譚は人から人へと流れていくものだ、という前提が彼女の思考の根底にあるように聞こえる。
すなわち、怪異が実在するかどうかは怪奇譚には関係ない。
もし彼女が危険な怪異の存在を知った時、これまで通りに怪奇譚を追い続けられるのだろうか。
枝から離れくるくる回りながら落ちていく桜の花びらを目で追いつつ、そんなことを考える。
「……すまない、一人で喋りすぎたね。久々の客人だから舞い上がってしまって」
「いえ……面白い話が聞けました」
お世辞半分本気半分のつもりでそう口にした瞬間、鶴喰七花は小さく目を見開いた。
「そう言ってくれると嬉しいよ。なかなか理解してくれる人がいなくてね」
余程言われ慣れていない言葉だったのか、神秘性に覆われていた彼女の表情が和らぐ。
初対面から今まで大人びた印象が強かったため、年齢相応の表情も出来るのが意外だった。
「新入生ということは、部活動はまだ入っていないだろう? これも何かの縁だ、もしよければ体験入部してみないか?」
鶴喰七花の目に見えた期待の色に僕はたじろぐ。
話をここまで聞いておいてなんだが、オカルト部には入りたくない理由があった。
オカルト部として活動するのなら心霊スポットにも赴くことになるだろう。何かが出ると噂になるレベルの怪異は、つまるところ常人の感覚器官にも引っかかるほど存在がハッキリしているということだ。
必然的に、危険な怪異と出くわす可能性は高くなる。
関わりを持たないのが正解だ、と頭の中で冷たい声が囁く。それに従って辞退する意志を告げようとする。
だが、鶴喰七花の胸に突き刺さっている桜の枝が視界に入った途端、僕はそれ以上動けなくなる。
この妖しい優美さを纏う桜がどういった存在なのかは何もわからないが、十中八九、このまま放置すれば彼女にはろくな未来が待ち受けていないだろう。
特殊な趣味を持ち、旧校舎で一人本を読んでいた少女。佇まいこそ堂々としているが、周りと溶け込めていないのは明白だ。
その境遇が僕の抱えている孤独と重なる。
――だが、怪異が見えるだけで触れられもしない僕に一体何ができる?
出かかった声は喉に張り付いて剥がれない。
鶴喰七花はこちらをジッと見つめ、僕が言葉を紡ぐのを辛抱強く待っている。
古びた教室に流れる時間が静止する。
動いているのは時折花弁を落としている桜と……それから、遠くの方でかすかに聞こえる鐘の音くらいだった。
……鐘の音?
身体の硬直が解け、慌ててポケットの中のスマホを手に取る。
画面に映し出された時刻は12時55分。
昼休み終了5分前の予鈴が新校舎の方で鳴り響いている。のんびり歩いていては授業に間に合わないだろう。
「すみません! 授業が始まるのでこれで失礼します!」
鶴喰七花を一人残して、僕は全力でその場を走り去った。
去り際に横目で窺おうとした彼女の顔は、舞い散る桜の花びらに遮られてよく見えなかった。
◇
勢いよく教室の扉を開け席に着いたと同時に本鈴の音が鳴り響く。
ほどなくして教師が顔を出し、息を切らしている僕を一瞥してから授業を始める。
最前列の席に位置する僕の背中には、いくつもの鋭い視線が突き刺さっていた。
それを無視して教科書の内容に集中しようとするが、脳裏に昼休みの記憶が湧き上がり邪魔をする。
古い空気で満たされた旧校舎。桜の舞い散る空き教室。艶のある長い黒髪が特徴的な少女。本に目を落としている鶴喰七花の儚い横顔。
そんな情景を漫然と再生している内に、僕はあることを思い出した。
(……昼ご飯、旧校舎に置いてきたままだ)
慌てて置き忘れてしまった、昼食の入ったビニール袋。流石に放置するのは人として憚られる。
しかし、鶴喰七花と対面するのは避けたかった。これ以上彼女と関わるのは心苦しくなるだけだ。
顔を合わせることなく昼食を回収するのがベスト。出くわすことになったとしても、体験入部の話はキッパリ断るのがベター。
僕にできることが無い以上、彼女と桜のことは忘れてしまうのが賢明だ。
授業の内容など上の空で、空腹に耐えながら僕はそんなことを考えていた。




