城下に猫又といふものありて-4
真っ暗だった視界に光が入り込む。眩しさに涙がにじむ目をなんとか慣らして辺りを観察する。
石畳の道に並んだ木造建築。そこは先ほどまでいた花海長屋通りの風景と何も変わらないように見えた。
それでも別の場所に来たと確信できたのは、人の気配が無かったからだ。
観光客の話し声も美味しそうな食べ物の匂いも無い。ただ、道に植えられた柳の木が風に揺れる音が聞こえるだけだ。
花海長屋の神隠しに遭った人間が話していたという、『気が付いたら周りから人が消えていた』という証言が、ここに迷い込んだことを指しているのは疑いようが無かった。
目下の問題は葦火エレナがどこにいるのか。そして、どうすれば元の場所に帰れるのか。
「にゃあん」
考えている僕の耳に、猫の鳴き声が届く。エレナが突然歩き出した時に聞こえた声と同じだ。
声がした方向へ小走りで向かい、角を曲がると――。
そこには制服を着たグレーの髪の少女と、尻尾が2つに分かれた真っ黒な猫がいた。
「葦火さん!」
大声で名前を呼ぶと、猫の後を追うように歩いていたエレナの足が止まる。
そしてこちらを振り向いて、目をパチパチと瞬かせた。
「亀戸くん? ちいちゃん達は?」
どうやら彼女はここに辿り着くまでのことをよく覚えていないようだった。
笹島千百合らの姿が見えないことに戸惑って辺りを見回していた彼女だったが、その顔が次第に青ざめていく。
「もしかして、神隠し?」
「……そうだと思います」
僕の返答を聞いたエレナの体がぐらりと揺れる。
「大丈夫ですか?」
「ごめん、ちょっと眩暈がして……」
小さく震えるエレナの体を支えながら、横目で道の先を窺う。
尻尾が2つに分かれた黒猫――いわゆる猫又と呼ばれるそれは、石畳の真ん中に座ってこちらをジッと見ていた。
まるで僕らのことを待っているようだった。
「……どうやったら戻れるのかな」
そう呟くエレナの目には涙が溜まっており、今にも零れ落ちそうだった。
少し深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
こういう時、鶴喰七花ならきっと……人々が語り継いできた怪奇譚に手掛かりが隠されていないか考えるだろう。
あの話では帰る手段については語られていなかったが、それでもいくつか分かることはある。
「『花海長屋の神隠し』の噂通りなら、必ず帰れるはずです」
「……うん」
「神隠しに遭った人は何かに呼ばれた気がしたという話ですが……葦火さんは何か感じましたか?」
エレナは口をぎゅっと閉じて考え込む。
再び訪れた静寂。それを破るように、黒い猫又がもう一度鳴く。
その瞬間、エレナの両目は猫又のいる方向へと吸い寄せられた。
「あっちの方で、誰かが呼んでるような気がする」
薄々感づいていたが、エレナには猫又のことが見えていないようだった。
だが、あの猫又が彼女を招いていることはほぼ間違いないだろう。
「じゃあ、そちらに向かいましょう。ここでジッとしているよりは良いはずです」
「あ、あの……」
一歩踏み出した僕の背中に弱々しい声がかけられる。
「えっと、手を繋いでもらっていいかな……? その、はぐれたりしたら怖いから……」
エレナは地面の方に視線を落とす。
不思議な出来事に興味津々な鶴喰七花と行動を共にするようになって少し感覚が狂っていたが、このような状況に放り込まれたら、エレナのように不安でいっぱいになるのが普通だろう。
それに、ここで何が起こるかなんて予想がつかない。
エレナの言う通りふとした瞬間に離ればなれになってしまう可能性は捨てきれない。
気恥ずかしさを押し殺して、僕はその手を取った。
エレナの方はというと、自分から言い出したのに驚いたように肩を跳ねさせてから、おずおずと手を握り返す。
その手は五月の陽気以上の熱を宿していた。
それからしばらくの間、僕たちは黙々と歩き続けていた。
店の看板や暖簾が出ていない長屋通りの風景は変化に乏しかった。何度も角を曲がっていると、同じところをぐるぐる回っているような気がしてくる。
黒い猫又の道案内が無ければ、きっと迷子になっていたことだろう。
「……亀戸くん」
歩きながらエレナが沈黙を破る。
「オカルト研究部っていつもこんな大変なことしてるの?」
「いえ、僕が奇譚……オカルト部に入ってから、こんなケースは初めてです」
「そっか……」
怪異に出くわした、という括りであれば先輩に刺さっていた桜を筆頭に色々遭遇しているが、ここまで派手に巻き込まれたのは今年度初と言っていいだろう。
「でも、亀戸くんがすごく落ち着いているから、ちょっと安心した。私一人だったらパニックになってたかも」
言葉の通り、恐怖で強張っていたエレナの表情はいくらか和らいでいるように見えた。
「その、亀戸くん……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「えっと……」
そこでエレナの言葉は途切れてしまった。何かを話そうとしてはやめるのを何度か繰り返す。
遅くなった彼女の歩くペースに合わせながら、黙って続きを待つ。
「……どうしてオカルト部に入ろうと思ったの?」
ようやく出てきたその質問が、本当に聞きたかったことなのかは分からないけれど、ひとまず僕は頭の中で言葉を吟味する。
「……正直、オカルトそのものは好きというわけではないんです」
「じゃあ、やっぱりあの先輩のことが――」
「いえ、決して水島さんたちが言うような目的でもないんですけど」
慌ててエレナの言葉を遮る。
……ただ、ある意味では鶴喰七花が目当てとも言えるのかもしれない。
「先輩には助けられたので、恩を返したい……みたいな感じです」
「……そうなんだ」
短く相槌を打った後、エレナはまた少し言葉を迷ってから口を開く。
「それで亀戸くん、最近雰囲気変わったんだ」
「……変わりました?」
「うん、入学式があってすぐの頃は『誰も近寄るな』って感じで目つきもちょっと怖かったけど、今は壁が無くなったというか」
確かに4月の初めは誰とも関わりたくないと思っていたが、周りからもそのように見られていたと思うと、今となっては少し恥ずかしかった。
「そっか。クラスメイトを助けてくれたんだから、私も先輩に感謝しないとだね」
そう話す葦火エレナは、どこか嬉しそうな笑顔を浮かべていた。




