城下に猫又といふものありて-1
僕が奇譚蒐集編纂部に入部してから約3週間が経過しようとしていた。
ゴールデンウィークを挟み訪れた新緑の季節。暦の上では初夏ということで、夏日と言えるほど気温が上がる日が増えつつある。
特に快晴の日は降り注ぐ日光を学ランが熱に変換していくので、来月の衣替えが待ち遠しかった。
「近頃は夏の到来が早くなってきて嫌になるね」
空き教室の窓を開けて風の通り道を作っていると、僕の背中に声がかかった。
机に向かって過去の調査レポートを眺めていた、鶴喰七花の声だった。
長い髪のせいでなおさら暑く感じるのだろう。彼女の額や白い首筋にはうっすらと汗が滲んでいる。
「今はまだ凌げますけど、これからもっと暑くなると思うと……今まではどうやって過ごして来たんですか?」
今でも物置として使われているからか、旧校舎の照明は最低限使えるようになっている。だから電気が通っていないわけではないと思うのだが、空調設備のようなものはそもそも見当たらなかった。
昔は今ほど気温が上がることはなく、扇風機や自然の風で我慢できたらしい。
「これまでは私一人だったから、夏と冬は図書室に行くなり家で作業するなりしていたんだけどね……せっかく人が増えたのだから落ち着いて話し合える場所がほしいな」
そう言って鶴喰七花は腕を組み、険しい顔で考え込む。
「……一応、心当たりがないわけではないけどね」
硬い表情を崩さないまま彼女は呟いた。
暑さ寒さを凌げるのに、その思い当たる場所を避けて不便な旧校舎を活動拠点としているのには、何か理由があるのだろうか?
そんな疑問を口に出すよりも一瞬早く、彼女の顔に微笑が戻る。
「まあ、本格的に暑くなるまでに何とか場所を見つけておくよ。……ところで、次の調査対象なんだけど」
僕が奇譚蒐集編纂部に入ってから、僕たちは昔先輩が調べてきた場所をもう一度洗い直していた。
彼女の説明するところによると、普段の調査活動では図書館やネット上の資料から調査対象の決定と下調べを行い、籠目坂地区付近に似たような話があればそこへ向かい、調査内容をまとめる……というサイクルで行なっているとのことだった。
ただ、今は僕が慣れるためのオリエンテーションとして、また鶴喰七花が見逃していた物があるかを確かめるために……下調べはある程度簡略化して、彼女がかつて調べたところを再訪することとなっていた。
「君たち1年生は来週金曜日に校外学習があるだろう。その時についでに調べてきてほしいことがあるんだ」
確かに、校外学習があるという連絡はされていた。目的地は隣の市で県庁所在地にあたる花海市だということまでは知らされている。
しかし……。
「僕一人で調査するんですか?」
これまでは、彼女の怪奇譚に対する知識を頼りに調査の目星をつけていた部分があった。
怪異を見ることができるからといって、先輩がいないのでは少々心細く思えた。
「そんな顔をしなくてもいい。別に何も見つからなくても責めたりはしないよ」
心配する僕を元気づけるように先輩は笑顔を見せる。
……実のところ、校外学習に関して不安に思っていることはもう1つあったのだが、そちらは僕自身の問題なので伏せておくことにした。
密かに不安を抱えている僕をよそに、鶴喰七花は調査対象を告げる。
「今回調べてもらいたいのは……『花海長屋の神隠し』についてだ」
◇
翌日のロングホームルームで、担任から校外学習についての説明があった。
かつて栄華を誇った花海城までバスで向かい、午前は歴史博物館と天守閣を見学する。もっとも、花海城付近は小学校や中学校の行事で訪れたという生徒が多く、こちらはあまり生徒たちに関心を持たれていない。
興味の矛先は、もっぱら午後からの自由行動だった。
数百年前の面影が色濃く残る城下町跡や、歴代の城主が改修を重ねて造り上げた広大な庭園、花海駅前の大型デパートなど。12時半から集合時間の16時までの間、花海市の観光スポットを自由に回って良いことになっていた。
「それじゃあ自由行動の班分けですが……自分たちで決められますか?」
生徒の自主性を尊重した……というよりは、仲の良いグループを分断することによる反発を避けたかったのだろう。担任はくじ引きや席順などで決めるのではなく、そのような提案をした。
クラスメイトの大半は喜んでいたが、僕には気が重かった。友人などこのクラスにはいなかったからだ。
鶴喰七花との邂逅で他人に対する忌避感は多少和らいだと思っている。だが、固定化された人間関係の中に飛び込むほどの勇気はなかった。
先輩に頼まれた調査のこともあるので、一人で行動できるのなら気楽だったが、そうもいかないようだ。
「1班6人前後が目安かな。多すぎたり少なすぎたりする班は最後に調整します。それじゃあ、決まったところから私の所に申告しに来てください」
担任が言い終わるやいなや、クラスメイト達は席を立ち思い思いの友人の元へ集まっていく。
人数の足りないところで合流したり、多いところで誰が抜けるか揉めたり、既にメンバーが決まったところでどこに行くか話し合ったり。教室は会話の洪水で氾濫する。そんな中で僕はあたりを見渡して、入れてくれそうなグループを探す。
あまり期待はしていなかった。それに、最後まで残ったとしても担任がどこか適当なところに割り振るのは分かっていたから、少し気まずいがそれでもいいと思っていた。
しかし、僕と目が合って立ち止まった生徒がいた。
グレーの髪に緑がかった虹彩を持つ女子生徒……葦火エレナだ。
先生に班員を報告して席に戻ろうとしていた彼女が立ち止まったことで、後ろについていた女子生徒も足止めを食らうこととなった。
「どしたん、エレナ」
よく通る声でエレナに声をかけた彼女は、視線を目で追って……その先にいる僕の存在に気づいた。
そして何度か瞬きしたかと思うと、なぜかにやりと笑った。
「せんせー! あたしらの班に亀っちも入れていいですかー?」
突然の大声にクラス中の注目が集まる。
彼女の傍にいたエレナも大きく目を見開いて狼狽えている。
もちろん、驚いたのは僕も同じだ。『亀っち』呼びされるほどの関係性じゃないはずなのだが。
「えっと、亀戸君がいいならいいですけど……」
そう言って担任はこちらに戸惑った顔を向ける。
きっと僕も似たような顔をしていただろう。
彼女が声をかけてきたことに対する疑問や、エレナたち女子4人のグループに男子が1人だけ入ることへの抵抗感が言葉を妨げる。
しかし、どこにも入れそうな班がなくて困っていたのも事実なので……。
「……はい、大丈夫です」
結局、僕は彼女らと行動を共にすることとなった。




