1-15.終わりと始まり
休みが明けた月曜日、放課後の旧校舎に足を運ぶと、目に見える変化があった。
空き教室の真ん中に机を置いて何かを書いている鶴喰七花。その胸に刺さっていた、無尽蔵に花びらを散らしていた桜は、花弁の大半が消えていて無骨な樹皮がむき出しになっている。
枝そのものも、よく目を凝らしてみれば少し透けていた。
僕の来訪に気づいた先輩は、シャープペンシルを置いて顔を上げる。
「やあ、後輩くん」
そして僕と視線が交差するやいなや、目を細めてにこりと笑った。
「その顔は、どうやら桜に変化があったようだね」
その笑顔にうまく言葉が出てこず、僕はただ首を縦に振る。
この調子なら近い内に彼女は解放される、そんな予感がした。
それから僕は先輩に促され、机を挟んで対面するように椅子に座る。
先週僕たちが行なってきた調査についてまとめるので、何かあれば指摘してほしいとのことだった。
「……少し気になっていることがあるんですけど」
ノートに字を書く音が途切れたタイミングを見計らって、僕は先輩に声をかける。
「あの桜が孤独な人を狙っていたのは、何か理由があったんですかね」
先日の調査の帰りに、先輩と別れてからふと考えたことだった。
単に孤独を餌としていただけなのかもしれないけれど、そんなドライな真相だと決めつけるには、世話をしてくれた人を追い掛けるように枯れたという話が引っ掛かっていた。
「正直なところ、なんとも言えないね」
僕の抱えていたモヤモヤを説明してみると、鶴喰七花からはそんな回答が返ってきた。
「あの宮司の語ったエピソードや人を選んで取り憑いていたという状況を鑑みて、何らかの思惑があった可能性は捨てきれない。だが、その詳細を突き詰めるには判断材料が足りない」
「そう、ですよね……」
僕は視線を床へと落とす。
この短い間に幾度も僕を導いてくれた彼女だから、答えが得られると思い込んでいた。
鶴喰七花は全知の神などではなく、ただのオカルト好きな少女に過ぎないのだ。
「……だから、これから話すことは私の憶測に過ぎないが」
密やかな声がして、僕は伏せていた顔を上げる。
鶴喰七花はどこか遠くを眺めるような、優しい表情をしていた。
「桜が孤独な人に憑りついていたのは、その孤独に寄り添いたかったからだと……そんな気がするんだ」
「寄り添う……ですか?」
一時危険な目にも遭ったというのに、鶴喰七花は見えないはずの桜の枝を慈しむような目で見下ろす。
「深霧天満宮の先代宮司は、長年連れ添った妻を亡くして意気消沈していた。それからしばらくして桜の世話を始めて、元気を取り戻した。そういう話だったよね」
「はい、そうですけど……」
「その時に、先代宮司と桜は心を通わせたんじゃないかな」
紡がれた言葉に呼応するように、桜の枝が小さく揺れる。
先代宮司が亡くなった時に後を追うように桜も枯れたというのだから、もしかしたら本当に心が通じ合っていたのかもしれない。
「桜は先代宮司と出会うことで、誰かに寄り添って孤独を癒すことを知った。また、喪失が底知れない孤独を生むことも知った。だから……怪異となり果てた後も、誰かの孤独を癒そうとしていたのかもしれない。今度は二度と離れることのないように」
先輩の孤独が大きくなるほど綺麗な花を咲かせていたのは、彼女を頑張って元気づけようとしていたのだろうか。
その花を咲かせる養分が先輩から吸い上げたものだということには、果たして気付いていたのかいなかったのか。
どちらにせよ……どこか不器用な優しさを感じた。
「……というストーリーを私なら想像するかな」
そう、あくまでこれは断片的な情報を撚り合わせて紡いだ、鶴喰七花の怪奇譚だ。
証拠など何もない。真実とかけ離れている可能性は十二分にある。
「伝承には想像するしか無い空白が残されていることも多い。それはつまり、聞き手の一人一人が自由に埋めることのできる余白なんだ。怪奇譚に限らず、物語や創作はそうやって人の想像力を刺激して発展するものだ、と私は思う」
彼女と出会った時に聞いた、『怪奇譚は生きている』という言葉を思い出す。
あの時彼女が熱弁を振るっていた内容が、ようやく理解できたような気がした。
「……僕にも、先輩のような怪奇譚を作れるでしょうか」
「そう難しくはないはずだよ。調査活動に真摯に向き合っていればね」
鶴喰七花が僕に微笑みかける。その胸から桜の花弁が1つ落ちる。
桜は終わりと始まりの象徴だ。
過去のトラウマに足を取られ孤独に浸ってきた僕との別れ。少し変わり者だけど芯の通った少女との出会い。
そんな転機を、この桜の怪異は運んできてくれたのかもしれない。




