1-14.桜の下の秘密
「まずは事の発端からだ。私に取り憑いているという怪異はどんなものだったかな」
それは今も彼女の胸で咲いている。
淡い色の美しい花びら。その見た目とは裏腹に、鶴喰七花を倒れるまで追い込んだ元凶。
「桜の枝です。それも、人に危害を加える可能性のある」
「そうだね。その危険から解放される手掛かりが無いか探してきたわけだ。では、調査を始める前に私がどんな方針を示したか覚えているかな?」
目を閉じて記憶の中に沈み込む。
調査開始の前日というと火曜日で……倒れた先輩を保健室まで連れて行き、怪異についての認識を共有した日だ。
あの日は先輩とたくさんの会話を重ねたが、調査の方針と言うと……。
……ああ、もしかしたら。
「先輩に取り憑いている桜が話の通じない性質なのか、僕たちが接し方を間違えているだけなのか、それをまずは知るべきだと」
「うん、その通りだ」
満足げに先輩は頷く。
しかし、現時点でそれを判断できる材料はあっただろうか。
「さて、一つ確認したい」
そんな僕の疑問を見抜いたかのように、鶴喰七花は人差し指を立てて問いかける。
「深霧天満宮の宮司や参拝客には私のような桜の枝は生えていなかったんじゃないか?」
「……確かに、その通りです」
もしかしたら参拝客の方は神社裏に近づいていないというだけの話かもしれないけれど、あの宮司が桜の跡を訪れていないというのは考えにくい。
少なくとも、学業成就を願ったついでに散策していたという先輩よりは、大元の桜に接近する機会は多かったはずだ。
それなのに桜が刺さっていなかったということは。
「ならば桜は見境なく人に取り憑いているわけではない。何らかの条件で相手を選んでいるというわけだ」
彼らと先輩は何が違ったのか。それさえわかれば事態の解決に繋がるかもしれない。
……それにしても。
「あそこにいた人たちに怪異が取り憑いていないって、よく気づきましたね」
「君から何も言われなかったし、表情を見ていても特に変化はなかったからね」
さも当然のように話しているが、僕と先輩が逆の立場だったら見逃していたはずだ。
見えている情報ではなく、僕から何も情報が出なかったことを手掛かりとした推理。きっとこれも、積み重ねてきた調査活動の賜物なのだろう。
「さて、肝心の条件についてだが……こうじゃないか、という予想はついている」
「本当ですか?」
「確証はないけどね」
それから先輩が次の言葉を発するまでには、少し間があった。
何か言いづらいことがあるのだろうか。
「……私が倒れたあの日。怪異が活性化した原因は、おそらく……私の心にあったんだ」
怪異が活性化した原因?
先輩が倒れる前に起きた、先輩の心を揺さぶるほどの出来事というと――。
「僕のせい……ですね」
秘密を見抜かれそうになって先輩に怒鳴りつけてしまったあの日のことを鮮明に思い出す。
過去のトラウマがあったとはいえ、許されることではない。
「ううん、あれは私が踏み込み過ぎたのが悪い」
先輩がどう慰めようと、僕が強い言葉で彼女を拒絶してしまったことは事実だ。
あの時先輩は気丈に振舞っていたが、傷ついた心は隠しきれていなかった。
「ともかく、不用意に君の心に踏み入ってしまった私はそれを後悔し、強い孤独感を覚えた」
孤独。その単語を耳にして、『桜の森の満開の下』の結末を思い出す。
断ち切ろうとすれば己の身も切り落とされる、絡み合った糸のような二人。
そんな縁で繋がれた伴侶を殺してしまった山賊は、孤独の中で桜の花びらとなって消えてしまった。
思えば、飛梅伝説における桜も孤独との関連はあるのかもしれない。
主と離れ離れになった悲しみのあまり花を散らしたのだから。
「孤独をトリガーとして取り憑いた、ということですか?」
「先ほども言った通り確証はない。ただ、桜が散る姿に人の孤独や寂しさを重ねた怪奇譚は一定数見受けられる」
なにより、元凶となった桜も世話をしてくれた人との離別をきっかけに、後を追うように枯れているのだ。
関連があると考えるのが自然なのかもしれない。
「加えて、君が語ってくれた怪異の特徴だ。怪異が人の心によって育つという君の仮説が正しいのなら、桜の怪異は孤独を土壌に花を咲かせるのがもっともらしいのではないか?」
不意に、彼女の胸に刺さった枝から風もないのに花びらが落ちる。
夕焼けの中、白い花がひらひらと舞う姿は物寂しさがあり、孤独を糧に咲いているというのも頷けるような気がした。
「それにこの仮説であれば……私に刺さった桜がここ数日間大人しくしていたことにも説明がつくと思う」
そこでいったん言葉を区切ると、鶴喰七花の瞳から鋭さが消え、代わりに柔らかい微笑みが浮かんだ。
「君のおかげだ」
「……え?」
「君は自分を卑下しているかもしれないけれど、君が隣にいてくれたこの調査活動は……今までで一番楽しかったんだ」
耳に入った言葉が胸に落ち、ほのかな熱を発する。
旧校舎で一人過ごしていた少女、鶴喰七花。
歳に似合わない堂々とした振る舞いで僕に前を向かせてくれた彼女だったが……気づかない内に僕も彼女の支えになれていたのだろうか。
「ねえ、亀戸くん」
彼女の口から僕の名前が紡がれる。
いつも真っ直ぐ前を見据えていた先輩の瞳は、わずかに揺れていた。
「この桜の調査が終わるまでの体験入部という話だったが……君がよければ、正式に入部してくれないか」
何事も自信ありげに話していた鶴喰七花の、初めて見せた表情だった。
桜が孤独に陥った人間を連れ去っていくのだとしたら、このまま二人で活動を続けていけば当面は安心できるだろう。
その一方で、彼女についていくということは、自分から怪異に近づく機会が増えるということだ。
「…………」
「ああ、もちろん他に入りたい部活があるのならそちらを優先してくれて構わない。掛け持ちでもなんでもいいから、時々顔を見せに来るだけでも――」
「何言ってるんですか」
長々と並べられた譲歩の言葉を叩き切る。
傷つく前に引き下がろうとするその姿は痛いほど身に覚えがあった。
僕よりもずっと達観していると思っていたが、彼女も僕と似たような傷を抱えていたのかもしれない。
「ちゃんと入部しますよ」
「え?」
「別に、入りたい部活とか無いですし……このまま放っておけるわけないですから」
出会った時とは反対に、僕の方から手を差し出す。
鶴喰七花は大きく目を見開いたかと思うと――夕陽にも負けない眩しい笑顔で僕の手を握り返した。
「……改めて奇譚蒐集編纂部にようこそ。君の入部を歓迎しよう」
「こちらこそ、これからよろしくお願いします」
怪異が見えるために周囲から距離を置かれていた僕。
怪奇譚を追うことに夢中になるあまり浮いてしまった彼女。
そんな僕たちの孤独が、今埋まろうとしていた。




