1-13.天神様の桜(後)
「すみません」
先輩が声をかけると、境内の落ち葉を掃いていた宮司は手を止める。
彼はこちらを見て不思議そうな顔をしていた。
僕らくらいの年齢の子が話しかけてくるのが珍しかったのだろう。
「えっと、なにかな」
「ここの神社の裏に生えていた桜の木についてお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
その瞬間、宮司の眼鏡の奥で目が見開かれる。
数秒の思案を挟んでから、彼は言葉を発した。
「立ち話もなんだから、社務所の中で話そうか」
◇
社務所内の座敷に案内してもらった僕たちの前に、ほうじ茶の入った湯呑が置かれる。
香ばしい香りと共に立ち昇る湯気の向こう側では、宮司が柔和な笑顔を浮かべていた。
若い世代に興味を持ってもらえるのがよほど嬉しいのだろう。
「それにしても、あの桜のことを君たちみたいな若い子が知ってるなんて、驚いたなぁ。随分前に無くなったのに」
「祖母が話していたんです。昔ここに綺麗な桜があったって」
普段の口調を引っ込めて敬語を操る先輩は、容姿も相まって優等生そのものに見えた。
かつて神社の裏に桜が生えていたことは今日来るまで知らなかったはずだが……怪異のことを話すわけにもいかないので、機転を利かせてくれたのだろう。
そんな先輩とは対照的に、宮司の方はフレンドリーに話しかけてくる。
「そっか。世代を越えて語り継がれていると知ったら親父も喜ぶだろうな」
「お父様が世話をしていたのですか?」
「うん。親父が生まれた時に植えられたらしくて。表に植えてある梅や裏の榊なんかは業者さんに手入れを任せちゃうんだけど、この桜だけは俺がやるって言って聞かなかったんだ」
どうやらあの桜はとても大事にされていたようだ。
それがどうして無くなってしまったのか。その答えはすぐに告げられた。
「本当は僕がここの管理を受け継ぐ時、一緒に桜の世話も任されるはずだったんだけどね。十数年前に親父が死んだ後、桜も病気にかかって枯れちゃったんだ」
僕と先輩は思わず顔を見合わせる。
まるで飛梅伝説に出てくる桜のようだった。
「腐って倒れたりしたら危ないから伐採しちゃったんだけどね。物心ついた頃にはあの桜があるのが当たり前になってたから、切るのは心苦しかったよ」
しみじみと話して湯呑に入ったほうじ茶を一口すする宮司の表情は少し沈んでいた。
本当に愛されていた桜だったことが窺えて、こちらの胸も痛くなる。
「……ああごめん、一人で話し過ぎたね。それで、桜について聞きたいことがあるんだって?」
「はい、私たちは学校の活動で地域の伝承を調査していて、その一環でここを調べていたんです」
「なるほど」
「神社の由来等は大まかには調べ終えたんですが、昔は桜があったことを聞いて、それで何か伝わっている話があればと……」
「うーん……」
腕を組んで唸る宮司の次の言葉を、僕は息を押し殺して待つ。
先輩に刺さっている桜の正体を追ってここまで来たのだ。
それが何を求めて先輩に取り憑いているのか、有用そうな手掛かりは少しでも逃したくなかった。
「……言い伝えとかじゃないんだけど」
そして、宮司の口が開かれる。
「今思えば、親父も最初から桜に執着してたわけじゃなかったな」
「……では、いつから?」
「ちょうど僕が君たちくらいの年齢の頃だったかな。その時にお袋が病気で亡くなってね……いつも頑固だけどしっかりしていた親父がとても落ち込んでいて、神社のことも手につかないくらいだった」
宮司はそこで言葉を区切りお茶を飲む。
吐き出された長いため息には、様々な思いが混じり合っているようだった。
「だけど不思議なことに、ある日突然立ち直ってね」
「その時期から桜の世話を自分でし始めたと?」
先輩の問いかけに宮司は首を縦に振る。
「まあ、悲しみを紛らわす趣味を見つけただけの話だとは思うんだけどね」
確かにそう考えるのが普通なのだろうが、怪異が関わっているかもしれないと思うと無視はできない。
ただ……当時何があったのか、詳細がわからない。
手掛かりとしては心もとないように思えた。
「話せることはこれくらいかな。ごめんね、大した話ができなくて」
「いえ、十分参考になりました」
恭しくお辞儀をする先輩に続いて僕も頭を下げる。
そうして僕たちは社務所を後にすることにした。
◇
「今日はもう疲れただろう。明日は休んで、月曜日の放課後また集まることにしよう」
そんな先輩の言葉に従って、僕たちは駅に向かって堤防を歩いていた。
いつしか日は傾いていて、霧渡川が夕陽を反射してきらめいている。
そのノスタルジーな風景が、僕の心に冷たい風を吹き付ける。
進展は確かにあった。元凶らしい怪異を見つけ、それにまつわる情報も知ることができた。
ただ、ここからどうすればいいのか僕には見当がついていなかった。
「歩き通しで疲れた、というだけではなさそうだ」
何歩か先を歩いていた鶴喰七花が、いつの間にか足を止めてこちらを向いていた。
「君は本当に心配性だね。その優しさが君の美徳でもあるんだろうけど」
「心配して当然でしょう。ようやく手掛かりを見つけたと思ったのに、どうしたらいいのか分からずじまいなんですから」
八つ当たり気味に言葉を吐きながら、伸びる影に目を落とす。
結局僕たちは、怪異にまつわる物語をなぞってきただけだ。
もっと直接的な解決方法が提示されないことには、先輩の胸には桜が刺さったままだろう。
――そう考えていたのは、どうやら僕だけのようだった。
「そう焦らなくとも、案外答えは目の前かもしれないよ?」
反射的に俯いていた視線が持ち上がる。
鶴喰七花の瞳には、あの時のような――彼女に秘密を暴かれそうになって拒絶したあの日と似た鋭い眼光が宿っていた。
「ゆっくりできる環境で意見交換しようと思っていたが、仕方ない。今ここで怪奇譚を編纂するとしようか」
違うところがあるとするなら……今度の僕は調査の対象ではなく、彼女と共に怪奇譚を綴る立場であることだった。




