1-11.手詰まりの突破口
それから一時間と少しかけて深霧市さくら公園を一周し、僕たちは元の場所に戻ってきた。
「さて、一通り回ってきたけど何か見えたかな」
先輩の問いかけに僕は黙って首を横に振る。
これだけ桜が生えていのだから、もしかしたら……と思っていたのだが、それらしいものは何も目に入らなかった。
「そうか……まあ、仕方ないさ。次に賭けるとしよう」
「次はどこでしたっけ」
「また電車に乗って宵浜海岸に行く予定だ。潮風に強い桜が植えられていて昔から観光地として有名だったらしいんだが、ここの桜にはある恋人の悲恋の物語が残っていてね――」
先輩の説明を聞いている間、息の詰まるような感覚が次第に大きくなってきていた。
次で何も見つからなければ、市内の桜スポットを虱潰しすることになるだろう。
果たして、それまで彼女の胸に刺さった桜は待ってくれるのだろうか。
「……なにやら難しい顔をしているね」
僕の焦りを見抜いたのか、先輩は伝承の解説を中止して柔らかい口調で声をかけてくる。
「休憩を兼ねて早めの昼食としようか。ちょうどキッチンカーが営業を始めたみたいだし」
「でも、早く調査を進めないと……」
「急ぐのと焦るのとは別だよ」
キッパリとたしなめるような言葉に、僕はそれ以上何も言えなくなった。
「しばらく歩いて疲労が溜まっているだろうから、体力を回復させないと。それに、一息ついて景色を眺めている時にふっとアイデアが降りてくることもあるものさ」
そう言ってキッチンカーの方へと歩いていく彼女の後を追いかける。
僕よりも二回りは小さいその背中を眺めている内に、いつしか息苦しさは消え去っていた。
◇
十数分後、僕たちはベーグルサンドを手にしてベンチに座っていた。
肩が触れるか触れないかくらいの距離に並んだ状況に固まっている僕をよそに、鶴喰七花はベーグルサンドを一口ついばむ。
「うん、なかなかいけるよ」
レタスとスモークサーモンを挟んだ色鮮やかなベーグルサンドを咀嚼した鶴喰七花は目を輝かせる。
僕もそれにならって、手元の温かい包み紙の中身に口をつけた。
パリッ。
香ばしい匂いを立ち昇らせる外皮を噛みちぎると、弾力のある生地のもちもちとした生地が顔を出す。
濃厚なクリームチーズと塩気の効いた生ハムの味が口いっぱいに広がる。
「……おいしいですね」
「だろう?」
なぜか嬉しそうに笑う彼女がやけに眩しく感じて、僕は食べることに夢中になっているフリをした。
ベーグルサンドを一口頬張るごとに体に染みわたっていく塩の味。
公園の木々を揺らし肌に滲んだ汗をさらっていく心地よい風。
それらが疲労を溶かすとともに、頭の中に散らかっていた焦燥感や不安を吹き飛ばしていく。
そうして僕の心の中には、一つの考えだけが残っていた。
「先輩、質問というか、相談したいんですけどいいですか」
「もちろん」
「なんというか……このまま調査を続けても、正解には辿り着かないと思うんです」
鶴喰七花の顔から笑顔が引っ込み、空気が張り詰める。
機嫌を損ねた、というわけではなさそうだった。ただ、僕の話を真剣に吟味しているように見えた。
「その心は?」
「すみません、よくわからないです……なんとなくそう思っただけで」
単なる勘というよりは、ほとんど確信に近い直感。
しかし、その根拠をうまく言葉にすることができなかった。
「そう申し訳なさそうな顔をする必要は無い。君の小さな違和感はきっと大事な手掛かりに繋がっているだろう」
「……どうしてそんなに自信が持てるんですか?」
「直感はその人の積み重ねてきた経験が反映されたものだからね。私が怪奇譚調査で染みついた癖から君の秘密を見抜いたように……君には君だけの視点から見えるものがあるはずだ」
弱気な僕を励ます意図もあるのだろうけど、それ以上に鶴喰七花という少女は直感というものを大事にしているようだった。
それがきっと、彼女が調査活動で得た教訓なのだろう。
「それに、今回の件は怪異が見えると言う君だから気付けたことだ。そんな君がこのままではダメだと言うのなら、きっとそれが正しいのだろう」
惑う僕の背中を鶴喰七花の言葉が押す。
その期待になんとしても応えるために……僕は一度記憶を辿る。
これまで訪れた場所に共通点はないだろうか。
龍神と番になった娘の伝説が残る、川沿いの枝垂れ桜。
死者が花見をしに寄って来ると噂された、霊園の一本桜。
慕っていた女性を失ったある男性が首をくくった、住宅地の古桜。
ある小説家の作品を彷彿とさせるような、見渡す限り桜が立ち並ぶ公園。
……場所も話の内容もバラバラである。共通するのは桜が生えていることくらいだが、そのような場所を選んで調べているのだから当然だろう。
あるいは、桜の怪異だから桜のある場所を調べればいい、という考えが安直過ぎたのだろうか。
しかし、鶴喰七花が訪れた場所を手当たり次第に調べるというのは、それこそ終わりが見えない。
この怪異がいつから彼女に憑いているか僕にはわからない以上、どこまで行動履歴を遡ればいいのか見通しが立たないからだ。
迷宮に入り込みそうになった僕の思考を遮るように、風がひと際強く吹き、ざわざわと枝の大きく揺れる音が鼓膜を震わせた。
花の散った葉桜たちが、風と一緒になってこちらを見ろと言わんばかりに騒いでいる。
わずかに残っていた白い花がはらはらと落ちる。
それはまるで、春の終わりを告げているようで。
同時に、僕の中に一つの仮説が浮かんだ。
「先輩、僕たちが調べてきた伝承の中の桜は、咲いている姿で描かれていることが多くありませんか?」
「それはまあ、そうだね。人は桜の花の美しさに惹かれ、あるいは散り行く姿に儚さを覚えるものだから」
桜の下に人が集まり、集まった人が物語を紡ぐ。
ひそやかに迫る死の予兆も胸の高鳴るような出会いも、それを運ぶのは桜の花びらの仕事だ。
物語における桜は、花を咲かせてようやく主役となれるのだ。
「でも、現実の桜はずっと咲いているわけではないです。春が終われば緑の葉をつけて他の木々に紛れてしまいますし……それを何十年、何百年と繰り返していずれは役割を終える時が来る」
「……なるほど」
鶴喰七花も僕の言いたいことに感づいたようだ。
僕たちは生きた桜に集まってくる人々の情念ばかりを追いかけて来た。怪奇譚というものは、結局のところ人が作るものだから。
もちろん、生きている桜にも人の血を吸って成長しているだとか恐ろしい噂はあるけれど。
でも、怪異というものは基本的にこの世ならざる存在だ。
「先輩、最近どこかで枯れた桜の樹を見たり、そういう話を聞いたりしてないですか?」
今度は彼女の方が記憶を辿る番だった。
しばらく思案に耽っていた彼女は、目を閉じたまま薄い唇をゆっくりと開く。
「……まず、枯れた桜そのものには見覚えはない。そもそも枯れ木を見てそれを桜だと判別できるほど樹木には詳しくないからな」
それから一息置いて、長い睫毛を持ち上げる。
開かれた彼女の瞳には――確信の光が満ちていた。
「だが、枯れた桜が出てくる話……それと所縁のある場所は一ヵ所だけ覚えがある」




