2.その日、少女の心は動き出した。
――それはまだ、梨花と才人が小学生だった頃。
我妻梨花は才能の原石ではあったが、その時はまだ自身の力を使いこなせないでいた。魔法を放とうとすれば、力が暴走しかねない。そのため格は劣るとしても、周囲の大人の方が体格差も相まって強いのは自明の理だった。
そして同時に、我妻家は有数の名家でもある。
「だ、誰ですか……? ……あなたたち」
それ故に身代金か、あるいは命を狙ってか。
梨花のことを誘拐しようとする輩が、彼女の身を狙う事件が発生した。魔法を満足に使えない以上、梨花といえども、どこにでもいる女の子と大差はない。簡単にその身を拘束され、車に担ぎ込まれてしまった。
誘拐犯も考えなしではなく、その光景を目撃した人物はいない。
幼い少女にとって、それは絶望的な恐怖に違いなかった。
「う、うぅ……!」
手足を縛られ身動きも取れず、猿轡のせいで呼吸も満足にいかない。
「(もう、お父様にもお母様にも会えなくなるの……かな……)」
朦朧とする意識でそう考え、胸が潰れるように感じて涙が頬を伝っていった。
だが、そんな最中に――。
「――あ、あぶねぇ!?」
運転をしていた誘拐犯が、そう叫びながら急ハンドルを切った。
梨花は車の中を転がり身体を強か打ちつけたが、それによって偶然にも猿轡が外れる。咳き込みながら周囲を確認すると、誘拐犯は全員が車の外に出ていた。
ドアも開いている。
だが手足の拘束のせいで、どうにか転がり出るのが精々だった。
「あ、うっ……!?」
落ちるように外へ出ると、そこは見覚えのない埠頭。
夕陽の差し込むそこでいったい、何が起きたというのだろう。梨花はそう思いながら、誘拐犯たちが声を上げる方へと視線を向けた。
すると、そこにあったのは――。
「…………え、才人……?」
彼女の幼馴染みである少年の姿、だった。
五人の誘拐犯を前に、一本の小型ナイフを手にした才人が仁王立ちしている。状況が理解できないまま、梨花はただ呆然とその光景を眺めるしかできなかった。
それでも、
「おい、殺されてぇのか……? そこのガキ」
一人がそう口にした瞬間、少女は危機を悟る。
子供一人が、この大人数を相手に勝機などあろうはずがない。だから、
「――才人、逃げてぇ!!」
梨花はとっさに、そう叫んだ。
だがしかし、それこそが合図だったかのように事態が動き始める。
「――――――!」
その直後に少女は、信じられないものを見た。
何故なら小型ナイフを手にした才人が、一息に誘拐犯との距離を詰めて――。
「が、く……!?」
「だ……が、は!?」
――まずは二人。
いとも容易く、その意識を刈り取ってみせた。
目にも止まらない俊敏性を前にして、にわかに動揺し始める誘拐犯たち。その隙に才人は再び、二人の誘拐犯のそれぞれ後頭部、側頭部に一撃。
気絶する男たちと、悠然と立つ少年。
その異様な光景に対して梨花は、息を呑む暇すらなかった。
「ふ、ふざけんな……! このガキがあああああああああああああ!?」
だが、次に動いたのは誘拐犯。
その中でもひときわ体格が良く、主犯格と思しき男性だった。彼は右手を前に突き出すと、確実に相手の命を奪う威力の炎魔法を放つ。
距離を見て、回避は不可能と分かる。
才人の命運もここに尽きた。そう思われた瞬間――。
「――――――――」
才人は手にしていたナイフを鋭く、横に薙いだ。
すると、
「う、そ……」
あり得ないことが起こる。
男の放った炎魔法はまるで、最初から存在しなかったように霧散した。少年の周囲に舞うのは、しかし在った証拠を示す微かな火の粉のみ。
事態を把握できないのは、梨花だけではない。
男も唖然とし、ただ立ち尽くしていた。それでも、
「お前、いったい……?」
「斬っただけだよ。魔法を、さ」
「…………な、に?」
あからさまな恐怖の滲む声でそう口にすると、才人はたいしたことではない、といった様子で応える。そして、
「が……!?」
困惑する男の顎に、思い切り掌底を打ち込んだ。
そうして、一つの戦いが終わる。
「才、人……?」
「大丈夫だったか、梨花?」
「え、あ……うん」
少女のもとに歩み寄った彼は、魔法を断ち切ったナイフで少女の拘束を解く。
怪我がないのを確認し、少年は安堵したように息をついた。
そんな才人に、梨花は訊ねる。
「あの、どうして……?」
いったい何故、彼がここにいるのか。
そして、いま起きたことは何だというのか。
訊きたいことは山ほどあったが、言葉にならなかった。だが、
「あー……まぁ、俺はただ梨花を守りたかっただけ、だよ。それと――」
少年はそのすべてを察したように頭を掻きながら、こう口にするのだ。
「さっきのは、その……俺と梨花だけの秘密、な?」――と。
どこか困ったように、微笑みながら。
夕陽に照らされた彼の表情は、少女にとってあまりに美しく見えたのだった。そして思うのは、この笑顔を他の誰にも知られたくない、ということ。
彼の隣にいるのはずっと、自分だけでありたい――と。
少女はいつの間にか、そう願っていた。
理屈ではなく、ただ胸がそう悲鳴を上げる。
「あ……」
梨花はそれに気付いて、思わず顔を背けた。
胸の高鳴りと共に、夕陽とは違った頬の赤らみを隠すようにして……。
◆
「――ホントに、お前は何度いえば真剣にやるんだ! 荒垣!?」
「いやー……真剣にやっても、俺には魔法は難しいっす」
――時間は戻って現在、職員室の前にて。
梨花が学内を歩いていると、教員から叱責を受けている才人を見かけた。どうやら今回の成績について、何かしらあったのだろう。
その仔細は分からないが、当たらずとも遠からずと思われた。
「いいか? お前は我が学園始まって以来、最低の生徒だ!!」
「……はぁ、さいですか」
その証拠に教員は、いよいよ感情昂ってそんなことを口走る。
もっとも才人には響いていないようで、彼は頭を掻きながら生返事だった。そんな光景を眺めつつ、梨花はまた不思議に思うのだ。
「(どうして、才人くん……本気にならないんだろ?)」
彼女だけは、彼が誰よりも強いことを知っている。
しかし少年はそれを誇ることもなく、漂うように暮らしていた。そこにはもしかしたら、深い意味があるのかもしれない。
梨花はそう考えるようになり、
「(……それなら――)」
あの時から、このように思うことになった。
「(才人くんのことを理解できるのは、私だけ! ……だよね?)」――と。
あの日、自分の命を救ってくれた少年への憧憬。
そして胸には、たしかな恋心。それを抱いて、彼女は――。
「――先生、少しよろしいですか? 才人くんの成績に不満があるのでしたら、私もお話に混ぜていただけると幸いです」
「な……あ、我妻?」
「おい、梨花……頼むから、余計なことしないでくれよ……」
堂々と胸を張りながら、二人の間に割って入るのだった。
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