25.ちょっと嬉しい俺
八日目の夕方。訓練から戻り、宿の食堂で全員で夕食を取っていた。
フィーネの作ったシチューは今日も絶品で、カールは三杯目をおかわりしている。ゲオルクは丁寧にパンをちぎって汁に浸し、クルトは壁際の定位置で黙々とスプーンを口に運んでいた。
アルたんは──珍しく、食事の手が止まっていた。
スプーンを皿の縁に置いたまま、窓の外を見ている。夕焼けが窓ガラスを橙色に染めて、アルたんの横顔に影を落としていた。整った輪郭が夕日に縁取られて、精悍な顔立ちがいつもより大人びて見える。だがその表情には、勇者としての決然さではなく、もっと個人的な──思い悩むような翳りが浮かんでいた。
眉間にほんの少しだけ皺が寄り、視線が定まらない。何かを追いかけているような、あるいは追いかけることを迷っているような目だ。
「アル、どうしたの? ご飯、冷めちゃうよ」
俺が声をかけると、アルたんは一瞬我に返ったように瞬きをして、それから気まずそうに目を逸らした。
「……ん。いや、大したことじゃない」
そう言いながらスプーンを手に取ったが、また止まった。シチューの水面に映った自分の顔を見つめている。
「大したことじゃなさそうには見えないけど」
今度はリーゼが口を挟んだ。翡翠の瞳がアルたんを観察している。
「……最近追い出した奴が、どうしてるかなって、ちょっとだけ気になった」
アルたんがぼそりと言った。
追い出した奴。
それが誰のことか、この場の全員が──いや、俺以外の全員が知っている。エミール。村人。パーティーから追放された、かつての幼なじみ。
心臓が、跳ねた。
「エミール君のことですか」
ゲオルクが穏やかに問うた。糸目の奥の表情は読めないが、声色には珍しく真剣味がある。
「……まぁ、そうだ」
アルたんは窓の外に視線を戻した。茜色の空に、鳥が一羽、黒い点になって飛んでいく。
「あいつは戦えない。スキルもない。このまま連れて行けば、いつか死んでた。判断は正しかったと思ってる。──けど」
一拍置いて、アルたんは続けた。
「あいつ、飯だけは上手かったからな。……ちょっとだけ、な」
最後は照れ隠しのように言葉を濁した。
「まぁ田舎に帰ってるだろうけど」
アルたんが付け加えた言葉は、自分に言い聞かせるような響きだった。帰っているはずだ。帰ったに決まっている。そう信じなければ──追放した側の心が保たないのだろう。
俺はスプーンを握ったまま、何も言えなかった。ここで「大丈夫だよ、元気にやってるよ」なんて言ったら不自然だ。エミという新参者が、会ったこともないはずのエミールのことを保証するなんて、おかしい。
けれど、胸の奥が温かくなっている自分がいた。
追い出した。それは事実で、俺はまだ許してない。でも──気にしている。あの冷徹なアルたんが、夕食の手を止めるほどに。飯が上手かったなんて、在籍中には一度も言ってくれなかったくせに。いなくなって初めて、その価値に気付くなんて、ほんとにお前は不器用な奴だよ、アルたん。
──ざまぁ、してやりたいはずなのに。
なんでちょっと嬉しいんだ、俺は。
「いいんじゃね」
クルトがぼそりと呟いた。全員が振り向くと、クルトはスプーンで皿の底をつつきながら、
「気になるなら気になるでいいだろ。別に」
素っ気ない口調だったが、クルトなりの肯定だったのかもしれない。
アルたんは小さく「ああ」とだけ答えて、ようやくシチューを口に運んだ。一口めを飲み込んで、少しだけ表情が緩む。フィーネの料理の力は偉大だ。
「ははっ、エミールか。あいつもまた飯作りに来てくれねえかな。ははっ」
カールが場の空気を読まずに言って、アルたんが微妙な顔になった。リーゼは「誰よ、エミールって」と小声で俺に聞いてきたが、「前にパーティーにいた人」とだけ答えておいた。それ以上は、言えない。
──ギルドからの使者が来たのは、その直後のことだった。
赤い制服を着た若い男が、息を切らしながら食堂の扉を開け、緊張した面持ちで書類を差し出した。額に汗の粒が浮いていて、ここまで走ってきたのがわかる。
「勇者アルフレッド殿のパーティーに、ギルド直轄依頼が発行されました。至急のご確認をお願いいたします」
ギルド直轄依頼──通常の掲示板に貼り出されるものとは違い、ギルドが直接指名してくる特別な依頼だ。難度が高く、信頼のおけるパーティーにしか回されない。
さっきまでの感傷的な空気が一瞬で消えた。アルたんの目が勇者のそれに切り替わるのが、隣にいてもわかった。まるで刃を鞘から抜いたように、瞳に鋭さが宿る。
アルたんが書類を受け取り、目を通した。眉が寄る。
「……失踪事件、か」
書類を全員に見せた。
──依頼:行方不明者の捜索および救出
──難度:A
──内容:貴族マルクスフェルト家の令嬢クラウディア(十九歳)が三日前より行方不明。
城衛兵およびギルド調査員による捜索の結果、手がかりが得られなかったため、
上級パーティーへの依頼が決定された。
──報酬:金貨二百枚(成功報酬)+貴族家からの謝礼(応相談)
「A級……それに報酬が金貨二百枚。貴族が絡んでるから高額だな」
アルたんが呟く。
「拙僧としては、人命がかかっておりますれば、報酬はさておき早急に動くべきかと」
ゲオルクが真面目な顔で言った。こういう時だけは、この男の聖職者としての矜持が垣間見える。糸目が僅かに開いて、その奥に怒りとも哀しみともつかない感情が灯っていた。
「ははっ、殴れる敵がいるかはわからねえけど、人助けなら乗るぜ。ははっ」
カールは相変わらず単純だ。けれど、その単純さに嘘がないから頼もしい。
「情報が少なすぎる。まず聞き込みだな」
クルトが書類を一瞥して、冷静に言った。弓の弦を指先で弾く、あのいつもの仕草。
「受けよう。まずは現場の確認と聞き込みからだ」
アルたんの判断で、パーティーは依頼を受諾した。
「エミ」
解散した後、リーゼが小声で話しかけてきた。廊下の窓から差し込む月明かりが、リーゼの翡翠の瞳を暗い緑に変えている。
「なに?」
「失踪事件でしょ。女の子が攫われてるかもしれないってことでしょ」
「……たぶん、そうだね」
「あんた、気をつけてよ。あんたの顔は目立ちすぎるんだから」
心配されている。リーゼの翡翠の目が、真剣な色をしていた。両手で杖を握りしめていて、指先の力の入り方が尋常ではない。
「大丈夫だよ。みんながいるし」
「みんながいても、あんたは一人で突っ走るタイプでしょ。遺跡の封印の時だってそうだった」
図星だった。ぐうの音も出ない。
「……気をつけるよ」
「約束よ」
リーゼが小指を差し出した。指切り。こういうところは年相応に可愛い。小指を絡めると、リーゼの指先がほんの少しだけ震えていた。指が細くて、冷たくて、けれどしっかりと俺の小指を掴んでいた。




