23.嫌いじゃない俺
五日目。
この日の訓練は、全属性の順次切り替えだった。火、水、風、土を順番に制御して放出する練習。遺跡で五属性を同時展開したのは本能的な暴走だったから、今度は一つずつ意識的に切り替える方法を学ぶ。
「火から水に切り替えるとき、魔力の色を変えるイメージ。赤から青に。焦らないで。ゆっくりでいいから」
リーゼが背後から密着した状態で指示を出す。もう五日目ともなると、密着すること自体への抵抗はだいぶ薄れていた──体が慣れただけで、心臓が慣れたわけではないが。リーゼの体温が背中に溶け込むのが、冬の夜に暖炉の前に座るのと似た安堵を含み始めていた。それはそれで、別種の危うさがある。
「赤……青……うっ」
切り替えの瞬間に魔力が跳ねた。二つの属性が衝突して、不協和な振動が体を駆け抜ける。胸の奥を掻き回されるような不快感と、皮膚の下で火花が散るような痛み。
「暴走しかける! 繋ぐわ!」
リーゼの腕にぐっと力が入り、魔力パスが強化された。翡翠色が激しく流れ込んでくる。普段より太く、速い流れ。
「はっ……あ……」
思わず声が漏れた。リーゼの魔力が体内の暴走を鎮めていく過程で、今まで以上に強烈な感覚が走ったのだ。腹の底から胸を突き抜けて頭頂部に抜けるような、激しい波。目の前に光が散った。視界が一瞬白く弾けて、その白の中に翡翠と金色が混じり合う渦が見えた。
「エミ! 大丈夫!?」
リーゼが慌てて俺の顔を覗き込む。腕の中で俺の体がぐらっと傾いたから、反射的に抱きかかえる力が強まったのだろう。至近距離で翡翠色の瞳と目が合った。リーゼの睫毛は栗色で、長くて、下から覗き込まれると向こう側の空が透けて見える。
「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりしただけ……」
「……ごめん。パスの出力、強すぎたかも」
リーゼが気まずそうに目を逸らした。でも腕は離さない。離すと魔力がまた暴れるからだ。リーゼの指がわずかに震えている。出力を強くしすぎた自責と、それでも放すわけにはいかない使命感の狭間で揺れている。
「ねえ、リーゼ」
「なに」
「この密着状態の時、リーゼも感じてる? その……変な感覚」
聞いてから、なんて際どい質問をしたんだと後悔した。けどリーゼは、意外にも素直に頷いた。
「……感じてるわよ。当たり前でしょ。魔力パスは双方向だもの。あたしの魔力があんたに流れるのと同時に、あんたの魔力もあたしに流れ込んでくるの」
「え、そうなの?」
「そうよ。あんたの魔力、すごく──」
リーゼが言葉を切った。顔が赤い。耳の先まで紅潮が広がって、翡翠の瞳が泳いでいる。
「すごく、なに?」
「……熱いの。あんたの魔力。炉みたいに熱くて、量が多くて、流れ込んでくるとあたしの体の中が全部あんたの色に染まるみたいな感覚になる。金色が、あたしの魔力の通り道をぜんぶ塗り替えていくような……指先まで、あんたの温度になるの。正直、結構……きつい」
最後のほうは蚊の鳴くような声だった。リーゼもリーゼで、相当我慢していたらしい。指先であんたの温度になる、って──そこまではっきり言われると、こっちまで顔が火照る。
「ごめ──」
「謝ったら怒るって、何回言わせるの」
お決まりのリーゼの台詞に、俺は思わず噴き出した。リーゼも、つられて笑った。
二人で抱き合ったまま笑っている図は、端から見たらとんでもなく奇妙だっただろう。汗だくで息が荒くて、服は乱れているし、顔は紅潮している。けどそこには性的な意味合いよりも、同じ困難を共有して乗り越えようとしている仲間意識のほうが、ずっと大きかった。
リーゼの腕の中で、笑いながら、ふと気付いた。この体勢──背後から抱きしめられているのは俺のほうなのに、不思議と安心感がある。リーゼの方が身長が低くて、俺の背中に頬を押し当てるようにしているのだけれど、その小さな体温が妙に頼もしい。まるで嵐の夜に誰かが寄り添ってくれるような、そんな素朴なぬくもり。
「あんた、笑い方も男くさいわね」
リーゼが俺の背中に額を押し付けたまま、くぐもった声で言った。
「え?」
「ふふっ、って笑わないで、ぶはっ、って笑うでしょ。女の子はもうちょっと品よく笑うもんなの」
「品よくって言われても……」
「まぁ、嫌いじゃないけどね。あんたの笑い方」
リーゼの声が背中越しに振動して伝わってくる。密着しているから、声を出すたびにリーゼの胸が俺の背に押し付けられて、呼吸のリズムが伝わってくる。声帯が震える微細な揺れまでもが、背骨を通して脊髄に届く。
甘い匂いがした。汗と、リーゼが使っている石鹸の匂いと、それから魔力の残り香──翡翠色の魔力には微かにミントに似た清涼感がある。それらが汗の熱で温められて、独特の芳香になっている。嗅いだことのない匂いなのに、どこか懐かしいのは、この数日で俺の感覚がリーゼの匂いを記憶し始めているからだろうか。
「……ねえ、エミ」
「うん?」
「あんた、さ」
リーゼの声が少し変わった。笑いが引いて、静かな色を帯びる。背中に触れている額が、少し熱い。
「あんたって、なんかちょっと、男の人みたいなところがあるよね」
心臓が跳ねた。
「えっ」
「うまく言えないけど……考え方とか、物の見方とか。あたしのこと持ち上げる時の言い方とかも、女同士の褒め方じゃなくて、なんていうか──もっと率直で、不器用で、でもまっすぐで……学院の女の子たちは、もっと遠回しに褒めたり牽制したりするの。あんたにはそれがない。照れもなく『すごいね』って言うでしょ。あれ、男の人の褒め方なの」
やばい。核心を突かれている。想像以上に鋭い観察だった。
「そ、そうかな? あんまり女の子同士の付き合いに慣れてないだけだと思うけど……」
「そうかもね」
リーゼはそれ以上追及しなかった。けれど、俺の背中から離れるとき、ほんの一瞬だけ──指先が俺の腰を、なぞるように滑った。意図的だったのか無意識だったのか、わからない。腰骨の上を這った指先の軌跡が、離れた後もじんわりと残っている。
「嫌いじゃないけどね、そういうところ」
──嫌いじゃない。リーゼの口癖になりつつある。けれど、その言葉が向けられるたびに、少しずつ温度が上がっている気がするのは、俺の気のせいだろうか。
リーゼは学院で三年間、女性だけの環境で過ごしてきた。その中で芽生えた感情の形が、俺の──男の意識を持つ俺の──存在によって揺さぶられているとしたら。それは友情なのか、それ以上の何かなのか。
わからない。わからないけれど、リーゼと過ごす時間が──嫌じゃない。それだけは、確かだった。




