第89話
翌日、放課後。
私は病院へ連絡を入れ、面会することが許可されたので急いで下校の準備をする。
「水無月、ちょっといいか?」
担任の先生に呼び止められる。
「はい。なんでしょうか?」
「悪いが今日、図書委員会に代理で出てくれないか?図書委員のやつは今日病欠してるんだ。頼めないか?」
「無理です。私はそれよりも重要な会合があるのでこれで失礼させていただいていいですか?」
「そ、そうか、悪かった。気を付けて帰れよ。」
「はい。それではごきげんよう、先生。」
「お、おう。また明日。」
廊下に出て誰もいない事を確認した廻はすかさず私の耳元へ駆け寄る。
「篝ちゃん、恋愛には超積極的なのね。」
「ち、違うってば!ほ、ほら、時間の約束もあるわけだし!」
「……そういうことにしておいてあげる。」
「覚えてないさいよ廻!」
「今日は重要な会合があるので、無理です。」
「こらぁ!」
「あはは。可愛いわね、篝ちゃんは。」
「うるさいわよ。」
廊下の角を曲がると数人の生徒が戯れていた。
「水無月さん、ごきげんよう。」
一人の女子生徒が声をかける。
「ごきげんよう。お先に失礼します。」
軽く会釈する。
それに続いて廻も軽く会釈して素通りする。
「廻、今の人は?」
「存じ上げません。名家の者のあいさつではないと思います。」
周囲に人がいるので従事モードの廻に瞬時に切り替わる。
それよりも、急いで正門へ向かう。
早くフユトさんに会いたい。
そればかりが頭を支配していて、私は靴を履き替える時に配慮をひとつ忘れていた。
何も気にせず前かがみで靴を揃え履き替えようとすると廻が慌てて私の背後に周り声をかける。
「お譲様。急ぐお気持ちは察しますが、マナーをお忘れ無きように。」
「え?あ!」
いつもは軽く座るような感じで靴を揃えるのだけど、今日ばかりはそのまま前かがみのような体制になっていたので後ろのスカートが結構際どくめくれてしまったようだ。
誰もいない事を確認した廻が再び耳元で声をかける。
「篝ちゃん、下着見えてたって!学園を出るまでは我慢してちゃんとお嬢様をこなしてよね!」
「ご、ごめん。ありがとう。」
見えてたのか、恥ずかしい。
「篝ちゃん。」
「なに?」
「なんでもない。」
「何よ?気になるじゃない?」
「言っていいの?」
物凄くニヤニヤしている廻。
「いや、やっぱり言わなくていい。」
どうせ今日の下着の色でも言おうとしたんだろう。
■■■■■■
しばらくして病院へ到着。
「お待ちしておりました。水無月お嬢様。」
院長先生が自ら挨拶に出向き、周りの患者さんたちも恐縮している。
「あの、目立ちますのでお構いなくお仕事に従事してください。」
「ありがとうございます。では、何かありましたらすぐお声がけください。」
院長先生は大きく一礼すると、階段を登って行った。
私と廻はフユトさんの病室へと向かう。
鼓動が高まってくる。
また会える。
コンコン。
私はゆっくりとノックして扉を開ける。
返事のない部屋には、心拍を図る機械の一定したリズム音が鳴り響く。
「こんにちは、フユトさん。」
「篝ちゃん、私は廊下で待っているわ。」
「え?居てもいいよ?」
「いいえ。せっかく二人きりなんだから、ゆっくりしなさい。」
優しい笑顔で静かに語りかけてくれた。
「ありがとう、廻。」
フユトさんの眠るベッドの脇へと向かい、丸椅子に腰かける。
「ごきげんいかがですか?」
「……。」
酸素マスクをしたフユトさんは依然眠り続けている。
「学園が終わって、そのままこちらに来たので制服のままなんです。ごめんなさい。」
「フユトさん。篝は今日も元気に学業を終えました。フユトさんは今日はいかがでしたか?」
返事はない。
でも、私は会話するように声をかけ続ける。
フユトさんを見ていると、だんだんと心が切なくなってくる。
「フユトさん。もう一度、あなたの声が聞きたいです。」
「あなたの笑顔が見たいです。」
「私の名前を呼ぶ、あなたを見たいです。」
「照れた顔が見たいです。それから、また一緒にいろいろなことをしたいです。」
「付き合い始めの記念日は、どこにデートに行きたいですか?」
「……私は、フユトさんが居てくれれば、どこでも嬉しいです。」
「ユフトさんはどこに連れて行ってくれますか?」
「とても、楽しみです。」
涙があふれてくる。
どうか私の声に応えてほしい。
その本心だけは誤魔化しきれない。
「フユトさん、大好き。」
私はフユトさんのおでこに軽くキスをする。
酸素マスクをしているので口にはできない。
「本当は王子さまがお姫さまにキスするのが道理ですよ?フユトさんったら、逆なんですね。ふふっ。」
ちょっと恥ずかしかったので私はそんな冗談を言う。
「……り。」
「!?」
寝言?
一瞬、本当に小さな声で「り」という一言が聞こえた。
もしかして、私の名前?
私は急いでフユトさんの口元へ耳を向ける。
「……り………ん。」
「え?」
よく耳を澄ます。
「か……が…り……さ。」
「!」
フユトさんが私の名前を呼んでいる。
「フユトさん!私です!!篝です!!私はここです!!!」
思わず大きな声で叫ぶ。
「フユトさん!!!」
それ以降声を発することは無かった。
でも、フユトさんは私を知っている。
その事実だけがすごくうれしくて。
「篝ちゃん!?どうしたの?」
私の大声に驚いた廻が病室へ顔を覗かせた。
「フユトさんが、私の名前を呼んだの。」
「え?」
フユトさん。
私は心の中でもう一度愛おしい人の名前を呼んだ。




