メープルシロップと”炎帝”の魔法使い
長いですが、最終話です。
シリウスが転移したのは森の中だった。
あたり一面に木々が生い茂り、青い若葉が風に吹かれていた。
「これって」
私はその木々の青葉を凝視していた。
特徴あるその葉はベルベルと言われるサトウカエデの木だった。
「やっと思い出したんだよ、前にベルベルの木について俺が言いかけてただろう?ようやく思い出したんで譲ってもらったんだ」
「え?」
「ここテナバート公爵家の領地の一角にある森なんだ。ベルベルの森って言われてるくらい、かなりたくさんあってさ、正直使い勝手がないから放置されているに等しいんだけど、エレンなら有効活用してくれるだろうって思って」
確かに、この辺り一体の木から樹液が採取できたら、かなりのメープルシロップが作れそう。
そう考えていたら、いつの間にかシリウスが私の前で片膝をついていた。
ちょっとびっくりして見ていると、シリウスが真剣な眼差しで私を見上げた。
「エレン、どうか俺と結婚して欲しい。平穏な生活はできないかもしれないけど、できる限り穏やかに暮らせるようにどんな盾にでもなって守るから、どうかこの手をとって欲しい」
差し出された右手を凝視して、私はゆっくり震える両手を動かした。
本当は嬉しいとか言いたかったけど、それより早くその手を両手で包みたかった。
そっと両手で右手を包むように握ると、シリウスが満面の笑みで立ち上がり、あいていた左手で私を強く抱きしめた。
「ありがとう」
「うん」
シリウスの肩に顔をうずめて、恥ずかしさと嬉しさの交わる変な顔を見られないように強く押し付けた。
「じゃあ決まりだ!この森はエレン名義にするよ!」
「え!?」
名案だとばかりに言い切ったシリウスを、私は驚いて見た。
「兄上からテナバート家に残るなら問題ないだろうと、一足早い結婚祝いとしてもらったんだ。だからこの森はエレンのものでもある。まだ手続きが済んでないから、いっそのことエレン名義にしようかと」
「いらない!これ以上責任負いたくないの!!」
ぶんぶんと大きく首を横に振り、必死に訴えた。
「え、でも……」
「シリウスが持ってればいいんでしょ!?私はいらないから!もし勝手に私の名義にしてたら、婚約期間延ばすからね!!」
「えぇ!?そんなに嫌なの?」
「嫌!」
どうして?と不思議そうな顔をするシリウスには、口で言っても私の気持ちはわかるまい。平民の村娘が貴族の養女になり、隣国の”炎帝”に嫁ぐというだけでも私の中の何かはすでにいっぱいいっぱいなのだ。これ以上何もいらない。
確かにこの森は素敵だし、私の夢に繋がりそうだけど、シリウスが持っててそれを使わせてくれるならそれがいい。私はノータッチでお願いします。
「わかった、とりあえず俺の持ち物にしとく」
変なの、とでも言いたそうな顔をしているが、私は反対にほっとしていた。
とりあえず少し歩いてみようと散策する。
「ここはファラムでも北になるんだ。近くの村は冬になると男が働きに外に出ることもある。これといった産業もないから、男での少ない村には公爵家が治安維持の名目で私兵を置いているんだ。で、考えたんだけど、エレンの作るシロップは冬に作るんだろう?村の人手を使えないかと思って」
「でも、作っても販売できないとお金が払えないわ」
「とりあえず公爵家か俺が買うよ。あの甘さはクセになるからね」
どうやら甘党らしい。
にんまりとした笑顔に、私はふふっと笑い、早速どの程度の規模で作ろうかと考えた。
まずは今年の冬にどのくらいの樹液の採取が可能なのかを確認し、いくらか村の人達を雇う形で実験的に作ってみようとシリウスは言った。その資金は全部彼が出すという。
「この先に少し何もない土地があるんだ。家を建てよう。冬に過ごす作業場を兼ねてさ」
「薪小屋もね。メープルシロップ作りは結構手間がかかるの」
私がそういうと、シリウスはおやっという顔をした。
「薪?いらないよ。俺”炎帝”だよ?火の使い魔くらいいるし、彼らにいてもらえばいいわけだし」
「でも、それって動けないでしょ?かわいそうじゃない」
ははっとシリウスは笑い「エレンらしいね」と言った。
「じゃあ、交代で作業場にいてもらおう。彼らも時々魔力を発散させないと暴走するんだ。今までは俺が相手してたけど、毎日使っていれば暴走もしなくなるんじゃないかな」
こうして森での散策を終え、次に連れて行かれたのはシリウスの家だった。
ジーアさんとアトスさんが驚きながらも、温かく迎えてくれた。日帰りのつもりでいたのだが、シリウスは夜になっても何も言わなかった。さすがにマズイと思い聞くと、シリウスは大丈夫だよと笑っていた。
そして翌日の午後、テナバート家の実質的当主であり、近々バチェスト公爵の名を継ぐマウリスさんが突撃訪問してきた。もちろん今回は歩きでも、馬車でもなく、馬でお供も連れずにやってきた。
仰天するジーアさんとアトスさんを下がらせ、バツの悪そうなシリウスを引きずるように客間の1室に連れ込み、バタンと乱暴にドアを閉めた。
1人玄関先に残された私は、どうしたものかと立ち尽くしていた。
やがて客間からマウリスさんの怒声が響いた。
どうしよう、と動けない私は何となくだがマウリスさんが怒っている理由が分かった。多分私のことだろう。さっきここで出迎えた時、まるで驚いた様子がなかったから。
「ただいま、エレン」
おろおろしていた私に、外から戻ったリーンが声をかけた。
「あら、マウリスが来てるの?」
「うん、さっき……」
「あたしの言ったとおりになったわね」
ふんっと胸を張ったリーンに、私はこくっとうなずいた。
昨日ここに来た時にリーンはシリウスに詰め寄っていた。それでも私を帰そうとしないので、リーンは眉を吊り上げて、みんなから怒られたらいいわと言っていた。コーランさんから怒られるかな、とは思っていたが、まさかいきなりシリウスの頭が上がらない人ナンバー1であろうマウリスさんがやってくるとは……。
「ちょっと、どういうことだよ!」
「うるさい、自分で撒いたタネだ!我慢しろっ!」
ばんっとドアが開き、まさに兄弟げんか真っ最中の2人が客間から出てきた。
「お前は毎度毎度浚ってきて、犯罪者かお前は!」
「息抜きに帰ってきてもらっただけだ。明日には帰す予定だった!」
「予定は相手に告げてこそ意味がある。お前は誰にも言ってないだろう!」
「だからって2ヶ月の訪問禁止はあんまりだ!」
「何がだ!ゼヴァローダ殿からの抗議文が使い魔を飛ばして送られてきたんだぞ!下手すれば婚約破棄だ!それを2ヶ月ですませようというのだから、感謝するんだ!ついでにゼヴァローダ殿の邸の周りにはお前用の防御結界を張るそうだ!」
あ、やっぱり原因は私みたいだ。
しかも怒っているのがゼヴァローダ様らしい。結界まで張るって、しかもシリウス撃退用って、すっごく器用なんだな感心してしまう。
ぎゃあぎゃあもめている兄弟を無視し、リーンがちょんちょんと指先で私の肩をつついた。
「あのね、あのベルベルの若木、お咎めなしだから安心して」
「え、本当?良かった!」
「でも、あの子達は親木の分まで頑張らなきゃならないわ。まぁしばらく監視がつくだろうけど、エレンが心配する事はないわ」
ふふっと笑ってまだ騒いでいる兄弟を見る。
「マウリスも本腰入れて当主交代迫ってるみたいだから、エレンももうちょっとだけ頑張ってね」
「うん、こうやってついつい流されるから、母にもしっかりしなさいって言われるのね」
はぁっとため息をつく。
「だったら淑女教育として教わっている女性に相談するといいわ。ジャクスターいわくいい先生らしいから」
「そうするわ」
なんて、軽く答えた私だったが、ロレンヌ夫人の熱意はすごかった。
エレン様は甘いのです、と何度言われたことか。
あの日ゼヴァローダ様の邸に戻った私はロレンヌ夫人から叱られ、否応なしにシリウスを教育するのはあなたですと諭された。ちなみに送ってくれたシリウスは、出迎えたゼヴァローダ様に「では、またな」との一言で強制的に転移させられ、挨拶するまもなく消えた。笑顔のゼヴァローダ様がこんなに怖いとは思わなかった。
それからしばらくして、ゼヴァローダ様がやたらとプレゼントやらをくれるのに疑問を持った。
ロレンヌ夫人いわく、ゼヴァローダ様には妹がいるが、魔玉を3つ持ったせいで離れて暮らしていた為、おそらく「かまいたい」という父性のようなものが爆発しているのだろう、とのことだった。その後これが恋愛感情に向けばいいのに、お相手をお探ししなくてはとぶつぶつ呟いていて頭を抱えていた。
シリウスはコーランさんとマウリスさんを援護に、教会から全ての承認を貰った。ちなみに王様からはすんなり貰えたと言っていたが、あの夜の話を思い出す限りそうじゃないだろうと思っている。
難関は全て突破したぞと、意気揚々としていたシリウスだったが、私との面会禁止がとけた後、すぐにスベルタ伯爵家に縁談の話を出したが、その返事がこないのに気がついたのは1ヵ月後だった。
「なぜだ」
眉間にしわを寄せゼヴァローダ様に詰め寄っていたが、ゼヴァローダ様も「さぁ」とあきらかにしらばっくれていた。すでに結婚承認までもらっているシリウスだったが、直接スベルタ伯爵家に抗議することはできず、マウリスさんも「黙って待て」の一言だったらしい。
そしてじらされること2ヶ月。ようやくスベルタ伯爵家から了承の返事が届き、ようやくシリウスは安堵した。
「で、式はファラムのテナバート家の領地の北部の村でひっそり行う、か。こちらからは私とスベルタ伯爵、ロレンヌ夫人とエレンの母君、その家族が参加する」
「こっちはコーランと兄上、母に妹も参加する。ジーアとアトスもだ」
ふっとゼヴァローダ様が笑った。
「”炎帝”の結婚式が村の教会で行われるとはな。中央はびっくりしているだろう」
「あぁ、まだ知らせてないし、終ってから聞かれたら話す」
「村の教会の改装は間に合いそうか?」
「冬の間は人手が余ってるらしいから大丈夫だ」
「司祭様もわざわざ来てくれるそうで嬉しいです」
そう、実は結婚式にわざわざ神聖教会の中央神殿の司祭様が来てくれるのだ。王族や上位貴族の冠婚葬祭しか姿をみせないと言われる方が、まさか田舎の村に来てくれるとは驚きだった。
シリウスが司祭の話をしに中央神殿に行くと、神聖教会側はすぐに手配してくれたそうだ。多分この結婚に一番意欲的なのが神聖教会だ、とゼヴァローダ様が笑っていた。
冬になると、簡素な村は大忙しだった。男達は教会の改装作業や新しい領主の家と作業場を作ったり、女や子ども達はベルベルの森の樹液の採取と、メープルシロップ作りを覚えた。できあがったメープルシロップを初めて口にした村の人たちの表情は忘れられない。みんな目を見開いて驚き、子ども達は遠慮なしに笑顔とおかわりを要求した。
シリウスは出来上がったメープルシロップを食べ、首を傾げた。
「やっぱりエレンが作ったほうが魔力がある。なんでだろう?」
そんなの知らないわよ、と聞かれた私が困った。
私が作ったものが他の魔法使いに食べられると、妙な勘繰りをされるからと、私が作ったものはシリウスや公爵家、そしてゼヴァローダ様へ送る分に限定された。村の人々が作った分は村の特産として売り出すことにした。
春、私とシリウスは村の人々と家族達に見守られて式を挙げた。
本当にここが大聖堂だったら、シリウスに司祭様、ゼヴァローダ様達にマウリスさん達はさぞかしすばらしい絵になったに違いない。そこだけ申し訳なく思ったが、堅苦しくなくていいと好き勝手に宴会を楽しむ輪の中に、大貴族の人達は笑顔で参加していた。母もウィルさんもその子ども達も喜んでいて、特にメープルシロップはお気に入りだった。
「店の片隅に雑貨コーナーがあるの。そこに置けるわね」
母の特権で優先的にまわすことが決定した瞬間だった。すでに母は商魂の片鱗を見せていた。
式を挙げ、メープルシロップを作る為、冬に私がこもるこの村はティサカと言った。
ティサカ村のシロップがファラム王都とエラダーナの一部で有名になるには、約3年の月日がかかった。まだまだ広く一般には出回ることはないけど、高級品としてのイメージを植えつけず、あくまで特産品としてこれからも広めていきたい。
”炎帝”が結婚したという話はすぐ広まってしまい、私に関する様々な噂が流れた。あまり良くない噂も多かったが、エラダーナの伯爵家と”雷帝”と、公爵家を敵にまわそうと言う方はいなかったようで、一時の流行物のようにあっという間に鎮火した。それでも私があまりに公にでないので、実はデマではないかという話もでて、3年経った今でもシリウスに縁談が持ち込まれることもあった。
ティサカ村に冬に私が滞在することが漏れても、まさか作業場で村人にまぎれてメープルシロップを作っているなんて思わないらしく、村の人も黙っているので、突然貴族達が訪問してきても素知らぬ顔で通していた。
「はぁ」と、ティサカ村の別邸のリビングで、私はため息を付いた。
「どうしたんです?」
ジーナさんがお茶を持って来てくれた。
「シリウスにまた縁談がきたの。私がもっと表に出ればいいのかなぁ。でも、やっぱり子どもがいないからかなぁ」
メープルシロップを特産にするべく奔走していた3年の間、私は子どもができないことを不安に思ったことはなかった。でも、軌道に乗った今、余裕ができた分不安がこみ上げてきたのだ。
「縁談だなんて、片っ端から蹴ってますよ。気にする事はないですよ」
まだ若いんだから、とジーナさんは笑った。
その夜、シリウスに悩みを言ってみた。
シリウスはきょとんとしていたけど、やがてふっと表情を和らげた。
「エレンは子どもができないからって悩んでたの?俺はエレンといるだけでいいから、そんなに気にしたことがなかった。気がつかなくてごめんね」
「だって、魔法使いだからって子どもができにくいとかないらしいし」
「……俺に問題がある、かも?」
ずーんと落ち込んだシリウスに、私はあわてて首を振った。
「違うの!そういう意味じゃないから」
「そう、だといいけど」
逆に落ち込ませてしまった私が、必死で彼を慰めたのはいうまでもない。
それから私は段々食欲が落ちていった。
気にしすぎと悩んでいたせいかと思ったが、どうしても体調が悪い日が続いた。
医者をというシリウスに、私は別に寝込むほどではないから平気と作業場に繰り出していたが、段々それもできなくなり、1日数回の転寝をするようになった。頭痛もするから風邪かもしれない、と思いながらそれくらい薬を使わず過ごしてきたので、この時も飲まずに寝て治すという方法をとっていた。
ある日、なぜか不機嫌な顔でシリウスが早く帰ってきた。
そのまま無言で抱き上げられると、どこかへ転移させられた。
(気持ち悪い!)
着いた先の絨毯の上で、私は嘔吐した。
すでに吐くものがなかったが、汚してしまった。
あわてたシリウスが運んだ部屋に、すでに医者がいて私を診てくれた。
医者はテナバート家の主治医で、ここは王都の別邸だという。つまりシリウスのお母様と妹が住んでいるところだ。
「おめでとうございます。ご懐妊ですね。3ヶ月くらいでしょう。これから悪阻がひどくなりますから、安静に」
医者の笑顔に、私とシリウスは目が点になった。
「あ、あの、お医者様、私、先週、その、生理があったんです。短くて量も少なかったんですが……」
おそるおそる言い出した私に、医者は笑顔を消し、かわりに眉間にしわを寄せた。
「それはいけません。流産をおこしかけているんです。しばらく絶対安静ですよ」
「えぇ!?大丈夫なんですか!?」
驚いた声を出したのはシリウスだ。
「今はまだ。ですが寝てお過ごし下さい。叶うなら安定期に入るまではこちらにいらしたほうがいいでしょう。転移魔法も母体の負担になります」
「そうします」
シリウスは真顔で即答した。
突然の妊娠、そして流産危機に呆然とする私に寝るよう言い、シリウスは滞在の許可を歓喜するお母様からもらうと、一人ばたばたと連絡しなきゃ、準備しなきゃと大急ぎでどこかへ行った。
翌日、王様、魔法教会には私の懐妊が知れ渡った。
どうして安定期まで待てないの!と私がわめいたので、シリウスが土下座する勢いで謝ってきた。
そして周りの期待というプレッシャーを感じながら、翌年夏に長男を産んだ。
彼は魔玉を持つこともなく、私の体質も受け継いでいなかった。
それから数年の間に長女と次男が誕生したが、誰一人魔玉を持つことも、体質も受け継ぐ事もなかった。
テナバート家はそのことに喜んだが、一部の貴族や教会からは残念がられた。
そして父親がどういう地位にいるのかを理解した子ども達は、そろって魔法使いになりたかったと言って私達を困らせた。
「普通がいいのよ」
「魔法を使いたい!」
「いろいろ大変なことがあるし、なりたいものにもなれないんだぞ?」
「嫌だ!」
親の心子知らず、とはこのことかとため息をつく。
そこへタイミングよくゼヴァローダ様から子ども達へのプレゼントが届くと、子ども達はわっとその場を離れてプレゼントを手にして喜んでいた。
「普通がいいんだけどなぁ」
「そうね、でも、あなたに似たこの子達をきっと周りはほっとかないでしょうね」
ここまでテナバート家の美形遺伝子が強いとは思わなかった、と私は年頃になった子ども達の周りを想像してため息をついた。
こんな時は甘いものでも食べてリラックスしよう。
私はメープルシロップをお湯で溶かしただけのお茶をシリウスに渡し、カチンとカップのふちを重ねると笑顔でそれを飲んだ。
(あぁ、やっぱり甘い物はおいしいわ)
END
ここまで誤字脱字だらけでも、読んでいただいて本当にありがとうございました。ここでエレンとシリウスの話は終ります。本当にありがとうございました。 最終話ですが、誤字脱字のご報告お待ちしてますw!!