第7話 団子の外
相手の少年団は、緑色のシャツを着てやってきた。
隣町の子たちだった。保護者の車が三台、校門の脇に並び、そこから一年生と二年生がぞろぞろと降りてくる。そろいの緑のシャツは、大きい子にはちょうどよく、小さい子には膝のあたりまであった。胸に白い字でチームの名前が入っている。こちらは、いつもの体操服とTシャツの上に黄色いビブスだった。低学年同士の練習試合だ。
「一年と二年、混ぜて九人な」
大河原監督が相手の監督と短く話してから戻ってきた。向こうの人数が足りないらしく、九人ずつでやることになった。監督は俺たちを前に並べ、一人ずつ指をさして立つ場所を言っていった。前に二人。真ん中に四人。後ろに二人。それからキーパー。
「いいか。ボールに行け。取られたら取り返せ。負けるな」
それだけ言って、監督は笛を首にかけ直した。
俺は真ん中の右だった。隣に北村岳が立っている。真ん中の左には矢島陸がいた。陸は別の小学校の一年生で、一年生の中でいちばん背が高い。走るのも蓮の次くらいに速い。分からないことがあると、自分から監督や園田さんに訊きに行く子だった。
昨日の駐車場を思い出していた。足もとで止まるボール。こぶし一つぶん。つま先は蹴りたいほうへ。父が見せてくれたことは全部覚えていて、今日はそれを試せる。団子の外で待っていれば、ボールは来る。来たボールを止めて、空いているところへ転がせばいい。
一人でやるより、何人かでやったほうがいい。俺は陸と岳のほうを向いた。
「陸くん。岳くん」
二人がこちらを見た。陸は首をかしげ、岳は何を言われるのかと身構えるような顔をした。
「あのね。始まったら、ボールのところに行かないで、団子の外にいて」
「だんご?」
陸が訊き返した。
「みんなが集まるとこ。そこに行かないで、外で待ってて」
「なんで?」
なんで。頭の中には、答えがいくらでもあった。十八人が一つのボールに集まれば、その外側には必ず広い場所が空く。団子からこぼれたボールは、その広い場所に転がる。そこに先に立っていれば、誰とも競らずにボールに触れる。触れたボールを空いている味方に渡せば、相手が一人もいないところで前を向ける。
それを、六歳の言葉にしようとした。
「ボールは、みんなのとこから、こぼれてくるから。外で待ってたら、来るから」
「ふうん」
陸は、分かったのか分からなかったのか、よく分からない返事をした。
「でも、かんとく、ボールにいけっていった」
「……うん。でも、外のほうが、さわれるよ」
「ふうん」
陸はもう一度そう言うと、前を向いた。
岳は黙ってうなずいた。小さく、二回。分かったという意味なのか、話を終わらせたいだけなのかは分からなかった。
笛が鳴った。
◇
キックオフの前は、十八人がみんな言われた場所にきちんと立っていた。緑のシャツと黄色いビブスが、校庭の上に行儀よく散らばっている。
蹴り出された瞬間、それが崩れた。
十八人のうち十六人が、一つのボールに向かって走った。陸も走った。俺の隣にいた岳も、一瞬だけ迷うように足を止め、それから団子のほうへ駆け出していった。
残ったのは、俺と、相手の後ろにいた一番小さな緑のシャツの子だけだった。
団子ができた。校庭の真ん中より少し向こうで、緑と黄色が混ざり合い、一つのかたまりになる。足が何本も伸び、ボールがその中を跳ね回る。砂ぼこりが膝の高さに薄く立ちこめた。かたまりはボールの動きに合わせて、右へ左へ、ずるずると移動していく。
俺は外にいた。団子の右の少し後ろ。来る、と思った。
団子の中で誰かが強く蹴った。ボールが外へ飛び出し、地面を跳ねながら転がってくる。俺のほうへ、正面から。読みどおりだった。誰も追いかけてこない。
足の裏を出した。昨日、駐車場でしたように。
ボールは足の裏の下をくぐった。
団子から蹴り出されたボールは、駐車場のボールとはまるで違った。父の蹴ったボールは、俺の足もとで止まる強さだった。こっちは誰のことも考えていない。速くて、跳ねていて、途中で小石に当たって向きを変える。出した足の裏はボールが来るより一瞬早く地面に着いて、その上をボールがするりと抜けていった。
足の裏に、ボールの表面がかすった感触だけが残った。
振り向くと、一番小さな緑の子がそのボールに追いついていた。その子が大きく蹴り返したボールは、また団子の中に飛びこんでいった。
二度目は、しばらくして来た。今度は団子の中から、こぼれるように転がってきた。足を出した。出した足は、またひと呼吸早かった。けれど、ボールが途中で跳ねて、すねに当たった。すね当ての上で、こつん、と鈍い音がする。ボールは足もとに落ちて止まった。
止まった。止めたのではない。ボールが勝手に当たって、勝手に止まっただけだ。それでも、ボールは今、俺の足もとにある。
顔を上げた。団子はまだ右のほうに固まっていて、左側ががらんと空いている。そこに、黄色いビブスが一人ぽつんと立っていた。陸ではない。団子からはじき出された二年生だ。その前には誰もいない。
左足をボールの横に置いた。つま先を、その二年生のほうへ。右足の内側で押し出した。
弱かった。ボールは二年生のほうへ転がりはじめ、半分も行かないうちに勢いをなくした。土の凸凹に足を取られて、のろのろと進んでいく。それを、団子から飛び出してきた緑のシャツが追いかけた。白いはちまきを巻いた相手の二年生だ。その子は、ほとんど止まりかけていたボールに追いつくと、思い切り前へ蹴った。
ボールは俺の頭の上を越えていった。
「三上!」
監督の声が校庭に響いた。
「ボールに行け! 突っ立ってるな!」
ボールを追いかけた。追いつけなかった。ボールは俺たちの陣地の奥へ転がっていき、後ろにいた黄色いビブスの子がどうにか外へ蹴り出した。
それから、団子が二つに割れた。割ったのは蓮だった。
蓮は団子の真ん中で、ボールを足にくっつけたままくるりと向きを変えた。緑のシャツの足が三本、四本と伸びてくる。蓮はその足のあいだを、何でもないようにすり抜けた。一人目の横を抜けて、二人目の股の下を通す。三人目が肩でぶつかってきても、よろけずに前へ進んだ。団子から抜け出すと、前には相手のゴールしかなかった。
蓮は走りながら蹴った。ボールが、網のない小さいゴールの真ん中を転がっていった。
「よっしゃあっ!」
蓮は両手を挙げて校庭を走り回った。黄色いビブスの子たちが、みんなで蓮を追いかけていく。陸も、岳も追いかけた。
「駒井、それだ! それでいい!」
監督が手を叩いて叫んでいた。
俺はその輪から離れたところで、走り回る蓮を見ていた。
蓮は団子の外がどうとか、こぼれたボールがどこへ行くとか、一つも考えていなかった。ボールが足もとにあるから前へ運ぶ。足が伸びてきたから、よける。ゴールが見えたから蹴る。入ったから笑う。それだけだった。
うらやましい、と思った。うまさなら、いつか追いつける。追いつく道筋も頭の中にある。うらやましかったのは、あの笑い方だった。何も数えず、何も比べず、ボールを蹴ることが楽しくてたまらないという顔。俺は、あんなふうに笑ったことがあっただろうか。一度目の四十年で、一度でも。
後半の終わりに、蓮はもう一点取った。今度は団子の外から内へ、ボールを持ったまま斜めに切りこんで、二人をかわして蹴った。
俺のところには、そのあとボールは一本も来なかった。来るはずの場所に立っていたのに。
団子の外で待つことが正しいかどうか、そんなことを考える人はこの校庭に一人もいなかった。みんなが見ていたのは、突っ立っていた一年生と、団子を割って二点を取った一年生だった。
◇
試合は二対一で勝った。整列して礼をする。相手の子たちが緑のシャツの裾をひらひらさせながら、車のほうへ戻っていく。こちらの子たちは監督の前に集まった。
「駒井、よかったぞ。ああやって行くんだ。みんな、駒井みたいにボールに行け」
監督は蓮の頭を、大きな手でがしがしと撫でた。蓮は照れくさそうに笑って、されるままになっていた。
それから、監督の目がこちらに向いて、俺の前で止まった。
「三上」
「……はい」
「立ってるだけなら、いらん」
低く短い声だった。言い終わると、監督はもう次の子のほうを見ていた。
周りの子たちがちらりと俺を見た。声の大きい二年生が、くすっと笑った。陸はきょとんとした顔で、俺と監督を見比べていた。岳は足もとを見ていた。少し離れたところで、園田さんが腕を組んで何か考えるような顔をしている。目が合いそうになって、俺のほうから先にそらした。
頭の中で反論の言葉が並んだ。立っていたのではない。待っていたのだ。団子の外は空いていた。ボールは二本とも、予想どおりのところに来た。足りなかったのは位置ではなく、技術だ。技術はこれから——
全部、飲みこんだ。
言ったところで、何になるのか。この人の目に映っていたのは、突っ立ってボールを止められず、パスを取られた一年生だ。その一年生が何を考えていたかは、この人には見えない。見えないものを、この人は信じない。
悪い人ではない、と思った。蓮の頭を撫でていた手は、本当にうれしそうだった。子どもたちに勝たせてやりたい、点を取らせてやりたいと思っている人の手だ。俺はその人のやり方に合っていないだけだ。
分かっていても、握ったこぶしがほどけなかった。
校庭のすみの木陰で、母が大きな水筒と紙コップを片づけていた。今日も当番だった。母はこちらを見ていなかった。見ていないふりをしているのだと思った。紙コップを重ねる手が、さっきから同じところで止まっていた。
帰り道は母と二人だった。校門を出て、フェンス沿いの道を歩く。五月の終わりの昼の日差しが、首の後ろに当たっていた。肩から下げた自分の水筒が、歩くたびに腰に当たってちゃぷちゃぷと鳴る。半分以上残っていた。
母は何も訊かなかった。どうだった、とも、残念だったね、とも言わない。監督に何を言われたの、とも。田んぼの一本道に入ったところで、黙って俺の手を取った。
母の手は乾いていて、紙コップの麦茶の匂いが少しだけした。
四十年生きてきた頭が、手を引っこめろ、と言った。六歳の子どもみたいに、手をつながれて歩くのか。慰められるようなことは何もない。自分のやり方が正しいことは、自分がいちばんよく知っている。今日は体が追いつかなかっただけだ。
手を引っこめようとした。母の指に、きゅっと力が入った。痛くはなかった。ここにいる、とだけ伝えるような強さだった。
俺は、その手を振りほどけなかった。
振りほどけないまま、田んぼのあいだの道を母と並んで歩いた。水の入った田んぼに、二人の影が並んで映っていた。




