第20話 国立
夕食の皿が片づくと、父はいつものようにソファに移った。
テレビの前の左の端が、父の場所だった。俺は黙ってその右隣に座った。父は体を左に寄せた。
夏からの習慣だった。七月のあの朝から、父がテレビでサッカーを観ているときは、俺がその隣に座る。父は場所を空ける。話すことはほとんどない。たまに父が「危ねえ」とか「うまいな」とか独り言を言い、俺がそれに「うん」と答える。それ以上は何もない。それでも、座った。
九月の夜に、Jリーグの試合の中継があった。父はソファで缶ビールを片手に観ていて、俺は隣に座った。後半に、きれいなパスが三本つながって点が入った。父は缶を持ったまま「今の、見たか」と言い、俺は「うん」と言った。その夜の会話は、それで終わった。
十月の半ばには、日本代表の親善試合があった。父は日本の選手がシュートを外すたびに膝を叩き、俺はそのたびに父の膝を見た。作業着のズボンの同じところが、白っぽく擦れていた。
母はときどき台所から、俺たち二人の背中を見ていた。一度だけ「並んでると、そっくりね」と笑ったことがあった。父も俺も、答えなかった。
母は台所で洗い物をしていた。洗いおけの水の音が、ちゃぷちゃぷと聞こえる。八月の取水制限は九月の終わりに解けたが、母はまだ洗いおけを使っていた。
十一月二十六日。火曜日の夜だった。
テレビには、夜の競技場が映っていた。スタンドを人が埋めつくしている。照明が芝を白く照らしていた。画面の上のほうに、大きな屋根のない、すり鉢のような観客席。その縁に聖火台が見えた。
国立競技場だった。
ヨーロッパの王者と南米の王者が、一試合だけで世界一を決める大会。イタリアのクラブと、アルゼンチンのクラブ。毎年、冬の初めに東京の国立で開かれる。
一度目の人生で、この試合の映像を何度か観た。イタリアのクラブが後半の終わりに一点を取って勝ち、その一点を押しこむまだ髪の長い選手は、のちに世界でも指折りの点取り屋になる。
父は画面を見ていた。膝の上で、七月の朝と同じように両手を組んでいる。ただ、今夜はソファの背もたれに体を預けていた。日本の試合ではないからだろう。勝ち負けに体が揺れることはない。
それでも、父の目は画面から離れなかった。しばらくして、父が見ているのはスタンドだと気がついた。ボールが外に出て、カメラが観客席を映すたびに、父の目が少しだけ細くなった。
◇
前半が終わって、ハーフタイムになった。画面が競技場の全体を上から映した。照明に照らされた、楕円形のスタジアム。
「国立には」
画面を見たまま、父がぽつりと言った。
「行けなかったな」
俺は父の横顔を見た。父の目は、画面の中の国立の芝に向いていた。
正月の国立は、高校の選手権の決勝の場所だ。
「俺らの学校は、県の予選で負けた。二年のときも、三年のときも」
父は組んでいた手をほどいた。
「三年の最後の試合な。俺、ベンチだった。最後まで」
父は膝の上で、作業着のズボンの擦れたところを親指でなぞった。
「〇対一でな。後半、ずっと押されてて。ベンチで、ずっと、出してくれって思ってた。……思ってただけで、言えなかったけどな」
父は少し黙った。テレビの中で、ハーフタイムの解説者が前半の場面を振り返っていた。
八月の夜に階段で聞いた声を思い出した。俺のときも、倒れたやつがいたんだ。俺も、見てただけだった。
父の声は平らだった。昔のことを、昔のこととして話す声だった。
「出たかったんだけどな。……まあ、うまくなかったから」
父はそう言って笑った。目尻にしわが寄っただけの、短い笑い方だった。それから、また画面を見た。
俺は膝の上で両手を握った。
アルバムの写真の、後ろの列のいちばん端で肩をすくめていた少年が、目に浮かんだ。
あの少年は最後の試合で、ベンチにいたのだ。最後まで。出たかった、と思いながら。写真からは、そこまで分からなかった。
父はソファから立ち上がって、テレビの横の棚のほうへ歩いていった。棚のいちばん下の段に手を伸ばす。そこに、青い表紙のファイルが一冊立ててあった。
心臓が跳ねた。
父はそのファイルを取り出して、ソファに戻ってきた。俺の隣に座り直して、膝の上でファイルを開いた。
「こういうの、集めてんだ」
父は少し照れくさそうに言った。
ファイルの中には、新聞の切り抜きが透明なポケットに一枚ずつ入れてあった。
最初のページは三年前の秋だった。日本代表がワールドカップの予選で最後の最後に追いつかれて、本大会に行けなかった夜の記事。大きな見出しの下に、ピッチに座りこむ選手たちの写真。切り抜きの余白に、父の字で日付が書いてある。角ばった、几帳面な字。
次のページは、今年の春のオリンピック予選の記事。日本が二十八年ぶりにオリンピックへの出場を決めた夜。その次は——
父は説明もせずに、ページを一枚ずつめくっていった。
最後のほうのページに、見覚えのある写真があった。暮れかけた競技場で、青いユニフォームの選手たちが抱き合っている写真。見出しには大きく、ブラジルを破る、とあった。
七月のあの朝の試合だった。余白に、父の字で日付が書いてあった。七月二十二日。その下に小さく、一行だけ。
朔と観た。
息が止まった。画面の中の国立の歓声が、急に遠くなった。父の膝の上の透明なポケットに入った一枚の新聞と、その余白の四文字だけが見えた。
朔と観た。
父は、俺がそれを見たことに気づいているのだろうか。気づいていて、黙っているのだろうか。父の横顔はいつもと同じだった。眉のあいだに小さなしわ。口は閉じたまま。
父はそのページも黙ってめくった。次のページは空だった。透明なポケットが、何も入っていないまま何枚も続いていた。
ファイルは、まだ、薄かった。
◇
俺はこのファイルを知っていた。
一度目の人生で、二〇一八年の春だった。父がいなくなって何週間かたったころ、母と二人で父の部屋を片づけていた。押し入れの奥から古いアルバムが出てきた。本棚の下の段から、ビデオテープが十数本出てきた。
それから、このファイルが出てきた。
三冊になっていた。どれも背が厚く膨らんで、セロハンテープで何度も補強してあった。テープは黄色く変わって、角がめくれていた。
俺は何気なく一冊目を開いた。
最初のページは、日本代表がワールドカップの予選で最後に追いつかれた夜の記事だった。その次はオリンピックの予選。オリンピックでブラジルを破った朝。
ページをめくっていくと、日本代表の記事が二十年あまり分も続いていた。初めてワールドカップに出た年。自分の国で開かれたワールドカップ。何度も、何度も。どの記事の余白にも、父の字で日付が書いてあった。
二〇〇二年の日本の最初の試合の記事で、手が止まった。
余白に、日付と、それから一行。
一人で観た。
俺が、いい、と言った試合だった。父が切符を当てた試合。
三冊目の最後のページは、二〇一八年の春の新聞だった。ワールドカップのロシア大会を前に、日本代表の監督が代わった記事。余白の日付の字は、それまでの字より少しだけ震えていた。その先は、空のポケットが何枚も続いていた。
俺は父の部屋の床に座りこんで、三冊のファイルを最初から最後まで全部めくった。夜が明けるまで、めくった。
それが、俺がサッカーを観はじめた最初の夜だった。
隣で、父がファイルを膝に乗せていた。三十四歳の父の膝にある一冊目のファイルは、まだ薄い。セロハンテープもまだ貼られていない。背はまっすぐで、新しかった。
朔と観た。
一度目のファイルの同じページに、その一行はなかった。たぶん一度目の七月二十二日の余白には、日付だけが書いてあったのだろう。俺は昼まで寝ていたのだから。
このファイルは、これから厚くなっていく。一冊目が埋まって、二冊目になって、三冊目になる。日本代表が初めてワールドカップに出る日が来る。自分の国で開かれる日が来る。
そのどこかのページに、いつか、俺の名前が載る日が来る。
日本代表の青いユニフォームを着て、ボールを蹴っている写真。見出しに、三上、と書いてある記事。その余白に、父の角ばった几帳面な字で日付が書いてある。それから、もしかしたら一行。
大きな見出しでなくていい。地元の少年団の子が県の大会で点を取った、というくらいの、地方面の隅の小さな記事でもいい。それを父がこの几帳面な手ではさみで切り抜いて、透明なポケットに入れる。余白に日付を書く。
その一行が何になるのかは分からなかった。ただ、それが「一人で観た」でなければいいと思った。
画面の中で後半が始まっていた。国立の芝の上を選手たちが走りだした。父はそれを見て、ファイルを閉じた。
大きな、日に焼けた手だった。指の節に、小さな傷の痕があった。その手がファイルの表紙を、ゆっくりと撫でるように閉じた。それから父は立ち上がって、ファイルを棚のいちばん下の段に戻した。背をまっすぐにそろえて、親指で軽く押した。




