第三十話 討魔連合成立十周年 城塞都市ロシュベル 見張り塔
見張り塔の上は風が強い。
「ひゃあ、冷えるのう」
僧衣が胸に張り付いて、音を立てて後ろに流れていく。
石積みの縁に立てば、城塞都市ロシュベルの喧騒は足元に沈み、代わりに遠くの大地がゆるやかに広がっている。
視線の先、地平を横切るように一本の川が走っていた。
陽を受けて鈍く光るその流れは、まるで大地に刻まれた傷のように深く、広い。
その川を挟んで連合軍と魔王軍が向かい合っていた。
東の方を向くと、真っ黒な密林が視界の果ての果てまで続いている。
ロシュベル枢機卿は思わず舌打ちをした。
『祖霊樹海のモズ』、指揮官を狙い撃ちにする特殊個体のホブゴブリン。
今朝も伝令から被害報告が届いた。
小隊長一名死亡、一名重症、中隊長一名重症。
正直なところ一般の兵士はいくらでも生えてくる。
だがまともな小隊長を育てるのには五年はかかる。
「聖女はまだかのう」
冷たい風で固まった顔を、両手で揉んだ。
今はサングノイン教団の残党狩りに駆り出されているらしい。
急進派のグランヴァル枢機卿の差し金だろう。
聖都で邪教の首魁を取り逃がしたお仲間の尻拭いに必死なのだ。
胸に手を当ててため息をついていると、誰かが階段を上がってくる音がした。
赤い短髪に太い眉が見えた。
「ロシュベル枢機卿、よろしいでしょうか?」
鎧を着込んで登ってきた割に、涼しい顔をしている。
良い面構えになったのぉ、あんなに小僧だったのに。
「おお、大隊長殿! じじいはいつでも暇ですぞ」
「暇なら前線においで下さい。指揮官が足りません」
「おっ! いいの? まだ若いもんには負けんぞう!」
槍を突く真似事をして見せると、大隊長は神妙な顔をして頷いた。
「いざという時はお願いします」
「えー、やっぱりやばいんじゃのお。もっと教皇のケツを叩くとするわい」
大隊長はスッと頭を下げると、要件を切り出した。
「伝令が来ました。グランヴァルからです」
「はぁーっ、やっとリュージュちゃんが来てくれるのか。
とっととあの串刺しヤロウを斬ってもらおうや」
節張った手で胸を撫で下ろした。
「待ち人来たる、じゃ!」
あの子の剣の鋭さと言ったら、こう!
空で剣を握るようにして、縦に横に振り回す。
こうこうこう! で、モズはバラバラってわけじゃ!
「グランヴァルがサングノイン教団の手に落ちました」
「ほ?」
「市長は独立とは言っていますが、バックに森の民と静秤派がいます」
目の前でパクパクなにかを言っている青年。
老人は小指を立てて耳の穴に突っ込んだ。
爪を立ててぐりぐり回すと、僧衣の肩に耳くそがパラパラと落ちる。
指を抜いて口元で一息吹くと、大隊長に頭を下げた。
「じじいでごめんね。もう一回頼む」
彼は生真面目に頷いて報告を続けた。
「グランヴァルは独立しました。
第二十八正教騎士団は一個中隊のうち半数が戦闘不能、聖女様も重体。現在ここロシュベルに向かっています」
「……むぅん」
リュージュちゃんは聖神一刀流の免許皆伝。
あの大剣豪がそこいらの特殊個体に負けるはずはない。
おそらく物量に押し込まれたのだろう。
皺の深まった眉間を叩いていると、大隊長がハキハキと報告を続けた。
「均衡派の首魁『グレートママ』レナ、『人殺し』エイダも未だ生存。共に森の奥地に落ち延びた模様です」
「ううんっ! なにをやっとんじゃあ!」
人なんていくらでも生えてくる。
頭を潰せないなら意味なんてないんじゃい。
目を回して、石縁に両手をついて屈み込む。
『グレートママ』レナ。
信者のためなら、歳も知恵も巨人の体も、全て邪神に捧げた半巨人の老婆。
確か自分と年は近かったはず。
そしてレナのためなら、敵味方問わず手にかける狂信者エイダ。
せめてあの暗殺者エイダだけでも、なんとしてでも殺したかった。
エイダさえいなければ、グレートママはホイホイと奇跡を配って、勝手に消えてなくなるのに。
おいおいと泣いていると、大隊長がガントレットのまま、ゴリゴリと背中をさすってくれた。
「ちなみに、それは間違いない?」
「はい、ご丁寧にギルドからも報告の早馬が届きました」
ギルドもか。
グランヴァル枢機卿の尊大な顔つきを思い出して、深くため息をついた。
権威を笠に着て援助を強要したのだろう。
自立心の強い辺境の民と殺生で飯を食っているごろつきには逆効果だ。
老人は風が吹き荒ぶ塔の上で、ゴシゴシ目元を拭った。
「いいニュースはないのかのぉ」
「あっ!」
大隊長は思い出したように老人の肩を抱いた。
「予定通り聖女様は来てくれますよ!」
「重体のな!」
ロシュベル枢機卿は遠く、川の方に目をやった。
今日も今日とて、連合軍と魔王軍は川を挟んで睨み合っている。
この十年、教皇が討魔連合軍を発動してからずっと、この光景が続いている。
「大隊長殿、着任して何年かのう?」
「五年かね、懐かしいです。
昔話が出来るやつはほとんど残っていません」
赤髪の青年は遠くを見つめて胸に手を当てた。
ロシュベルの勇者。
腰抜け盾兵だった大隊長は、腰が抜けて逃げられなかった笑い話が転じて、今では勇者と呼ばれている。
あの笑い話を知っているのは老人だけになった。
「わかるー! わしの友達もみんな死んじゃった」
ロシュベル枢機卿は先日百四十三歳の誕生日を迎えた。
耳がほんの少し尖っている。
世にも珍しいハーフエルフだった。
世にも珍しく前例がないので、老人はあと何年くらいで自分が死ぬのかわからない。
「枢機卿、俺はまだ生きてます」
「おっ! これは失敬」
一本取られた老人はツルツルの頭を叩いた。
目線の先では、川を挟んで弓を撃ち合う両軍がいる。
今日は何人死ぬのかな。
硬い靴底が階段を叩く音が聞こえる。
二人で目をやると、息を切らした伝令が上がってきた。
「ま、魔王軍が、祖霊樹海から、こ、こちら側に侵入、ロシュベルに向かっています!」
「敵は?」
「旗を見るに第八デーモン大隊かと思われます」
その名前を聞くなり勇者は見張り塔から飛び降りた。
「ここの指揮は頼みます!」
縁石の外側に赤い髪が消えていく。
「気をつけてのーっ!」
ここの戦線の停滞は、勇者と馬鹿デーモン、二人の英雄の力の均衡がもたらしている。
モズは危険だ。
これ以上あのホブゴブリンを成長させると均衡が崩れる。
「そうじゃ、伝令さん。今年の死者は出たかの?」
「は、はい、しょ、少々お待ちを」
伝令君は息を整えると、こめかみに手を当てて『整理』を始めた。
現場での雑な指示でも正確に本部に届けてくれる、ありがたい男だ。
「今年も、約一万人です」
憎むべき魔王軍との戦争が始まって、今日が記念すべき十周年。
荷馬車がひっきりなしに街の城門を潜っている。
荷台には布が被せられている。
「そうか……中々減らんもんじゃなあ」
「……はい」
老人が胸に手を当てて背中を丸める。
伝令君の声が、かすかに震えた。
枯れ木のような手が、僧衣の胸元を強く握りしめた。
老人は跳ねるように振り向いて縁石に手をつく。
そのまましゃがみ込むと、しばらく動かなかった。
「くぅ……くっ!……」
引き攣るような哀れな声が風に運ばれていく。
伝令君はひっそり階段を降りて行った。
石を叩く革靴の音が遠くなって、消えた。
老人は一人ぼっちになった。
「くっ、……すっ……す、」
縁石から顔が上がる。
縦長のおでこに皺がいっぱい入っている。
口元を抑えた老人は、紙を丸めたようなぐちゃぐちゃの顔で笑っていた。
手のひらを頬に当てて、川に向かって叫ぶ。
「少ないよお! すっごい少ないよーっ!」
川の中ほどで、殺し合っている連中が見える。
下流に向かって赤い筋が流れていく。
連合軍発足前、今から十年以上前。
人間は宗教で、都市間で、思想で、あらゆる理由で殺し合っていた。
毎年二十万人は死んでいた。
「魔物死すべし! 正教に間違いはなし!」
教皇が打ち出したスローガン。
聖書のどこを読んでもそんなことは書いていない。
初めはあまりの過激さに誰もが閉口した。
だが、魔物を敵にすることで、人はこんなに死ななくなった。
あいつは天才だ。
教皇からの命令は一つ。
祖霊樹海から流れ出るこの雄大なるロシュ川にて、命尽きるまで均衡を保て。
「魔物死すべし! 正教に間違いなし!」
百四十三年。
友達がいろんな死に方をした。
お布団の上で死んだやつは一人もいない。
みんな戦いの中で死んだ。
百四十三年。
いろんな所へ行った。
いろんなヤツと友達になった。
神様とは一度も会えなかった。
魔王軍、グランヴァル、森の民、モズ、静秤派、なんでも来い。
ここから先に行くやつは全員殺してやる。
「魔物死すべし! 正教に間違いなし!」
そういえば静秤派では、神が現実に顕現しているらしい。
地獄か、よりマシな地獄か。
反吐が出るような二択を、この老骨に強いるあのお方。
老人は種を遠くまで飛ばすように、天に向かって唾を吐いた。
「やっと神様に会えるんじゃのお!」
老人は階段に置いてあった槍を拾い上げると、そのまま塔から飛び降りた。
風が僧衣をはためかせ、皺だらけで弛んだ頬が波打っている。
老人の名は『聖槍』ロシュベル。
「この百年、ずーっと殺してやりたかったわ!」
ロシュベルの街は、百年以上人間を守り続けた英雄の名前をそのまま戴いている。
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