第三十一話 ナメクジ、プレゼントされる
夜が明けて空は白んでいるが、まだ太陽は見えない。
調印式翌日。
グランヴァルのそびえ立つ防壁が朝日を遮っている。
ラグナの肩に乗ったナメクジは、白い息を吐いて縮み上がった。
早くあの季節があるのかないのかわからない、我が密林に帰りたい。
広場に集まった生徒を見渡す。
綺麗に整列した各兵科のリーダーが、こちらに向かって敬礼した。
準備完了! とっとと帰ろうぜ。
「市長さん、なんかあったら森に来てね。
大声出してくれたらわかるから」
ナメクジの隣には、昨日円卓を囲んだお歴々が並んでいる。
騎士団の姿はない。
昨日のうちに出発したのだろう。
声をかけられた市長は頷いて三角マークを掲げた。
「はいナメクジ様。
市民一同、リマキシアンの兄弟として心強く思います」
「ハハッ!」
ナメクジは思わず吹き出してしまった。
うーん、生存戦略!
でもいいよね、誰だって守りたいものがあるんだから。
「ヤバい時は三角じゃなくて、胸に手を当てていいからね」
「いえっそんな罰当たりな!」
「君たちがなにを拝もうが、森の民と本校はグランヴァルの独立を支持する」
「……」
「神様は頑張ってるやつにバチなんか当てないよ」
半分神様のナメクジが言ってんだ。
せめて半分は信じてくれていい。
触覚で作った人間の手っぽいものを差し出すと、市長は口元を引き締めて、グチャリと力強く握った。
種族の壁はぶ厚いけど、素晴らしい取引の前には門を開けざるを得ないね。
守備隊長が手を掲げた。
「開門!」
門番の兵士が巻き上げ機のハンドルを回す。
出入り口を塞ぐ巨大な鉄格子が上に上がっていく。
「じゃあまたね」
ラグナがクマに跨って先頭を切って歩き出した。
各兵科がその後ろに続く。
鉄格子が上がりきる。
観音開きの大扉のかんぬきが抜かれた。
重い扉に繋がったロープを数人がかりで引っ張ると、音を立ててゆっくり開いていく。
ナメクジを肩に乗せたラグナが門を出た。
触覚でつぶらな瞳を覆う。
丘陵から真正面に朝日が差し込んでくる。
もう少し前に出てからクマ君を止めて、振り返る。
モンク兵たち門をくぐっているところだ。
「ん?」
ナメクジは触覚で耳を作って頭上に掲げた。
なにかが弾むような音がする。
体の芯に、低く響く。
「ラグナなんか聞こえない? 変な音がする」
「ナメクジ様」
ラグナが丘陵の方を向いて指差した。
小高い丘からなにか転がってきている。
地面に跳ねるたびにボヨンボヨン汚い音を出している。
「なんだあれ……太鼓か?」
触覚で手をかざして睨むと、輝く稜線に影が浮かんだ。
騎獣に乗った魔物が現れ、次々に丘を駆け降りてくる。
先頭の槍持ちが、転がる太鼓を追い越しながら、何事かを叫んだ。
「――ぁぁぁいず!」
「ナメクジ様」
後ろを見ると、洞門の中は混雑している。
モンク兵の半分も出ていない。
その他兵科もまだ街の中。
はるか丘の後方から、突撃を指示する太鼓の乱打が聞こえる。
昨日俺がやったやつだ!
「敵襲です」
鳥の騎獣に乗った大柄な紫色の体。
背中には蝙蝠のような羽が生えていた。
デーモンだ。
「さぷらあああいず!」
槍の先端がこちらに迫ってくる。
乾いた口で、なんとか唾を飲み込む。
「復唱! 戦闘開始!
モンク兵、出た子から並んで!
弓と弾は奇数番の子は城壁の上!
残りはクマで西門と東門から突撃!」
小鬼たちが伝言ゲームのように作戦を共有していく。
これで中の子にも伝わるだろう。
だが指示を出している間にも、太鼓の音と共に、丘から魔物たちが駆け降りてくる。
見えてるだけでも百匹はいそうだ。
迫り来る連中の足音が、地響きになってナメクジを震わせる。
「『解体光線』!」
七色の光線がデーモンに当たった。
右手から槍がこぼれて地面に置き去りになる。
「とーっつげーき!」
だが振り返らない。
デーモンが腕を振ると長剣ほどの爪が生えてきた。
速度を落とさずに突っ込んでくる。
「ラグナ、ちょっと集中させてくれ」
「はい!」
頼もしい相方は自然に立つように半身に構え、左手だけを前に出した。
デーモンの視線がラグナに釘付けになる。
口笛が鋭く鳴った。
「ひゃあ! ゴブリンキング様じゃねえーか!
一手指南願いまーす!」
ナメクジは顔を触覚でパンパン叩いた。
俺がビビってたら生徒に示しがつかねえ。
おら! 唸れ触覚!
「『ドクトリン・コラプス』!」
触覚から見えない音の波を飛ばす。
標的は未だ丘の中程にいる騎獣乗り。
周りに太鼓兵と旗兵がいる。
指揮官に違いない。
つーか当たってんのかこれ。
粘液を垂らしながら音波を送る視線の先で、太鼓兵の動きが止まった。
突撃指示の音が消える。
魔物たちは振り返って指揮官の方を見た。
指揮官らしき魔物は耳を抑えて辺りを見回している。
旗兵は所在なく立ち尽くしていた。
どーだこのヤロウ! なにも聞こえないだろ!
騎獣兵の突撃の勢いが弱まり、その場で止まるものまで出ている。
「モンク兵出ました!」
「奇数番、城壁に上がりました」
「よーし、槍衾作って!
奇数番、撃ち方準備!」
デーモンは上がってこない左右の騎獣兵を見て、太ももをバンバン叩いた。
「なーにやってんだよお! 突撃しろよお!」
「でも大隊長! 指揮が!」
デーモンは騎獣の毛を掴んで後ろにのけぞった。
顔を逆さにして、部下に唾を飛ばしながら叫ぶ。
「テメーそれでも魔物か! テメーの指揮はテメーで取れ!」
「――ッ! はい! 先に行きます!」
「数が足りん! 敵さん準備万端じゃねえか!」
モンク兵の槍衾は完成していた。
数騎の突撃では崩せない。
デーモンは槍衾の前でドリフトするように騎獣の進路を変えた。
他の騎獣兵も円を描くように散開する。
ナメクジは後ろを向いて叫んだ。
「先頭狙い撃ち方始めーっ!」
城壁の上から矢とスライムスネアが放たれる。
デーモンを狙った矢は剣で切り払われた。
だが一本の矢が騎獣の腿を掠めて身を捩った。
デーモンの体勢が一瞬崩れる。
粘弾は進行先にばら撒かれている。
「うおおお!?」
「ぐっ!?」
粘液の沼を踏んだ騎獣は盛大に転倒した。
騎兵たちが中空に放り出されて、地面に叩きつけられた。
ナメクジは触覚を太鼓のように乱打した。
「撃て撃て撃て!」
すぐに立ち上がったのはデーモンだけだった。
降り注ぐ矢と粘弾を、死にかけの騎獣を担いで凌いでいる。
「デーモンだけ狙え! 大隊長さまだぞ、大金星!」
「はーい!」
粘液を飛び散らせながら叫ぶナメクジに、小鬼たちが元気よく答える。
「うぐぐ、これ死ぬやつか! 俺ここで死ぬんか!」
デーモンの嘆きが聞こえてきた。
死ぬかと思ったのはこっちの方だ。
別に死にたくなければやめようよ。
「降伏する?」
「うーん、俺のせいで負けたみたいで嫌だな」
口をへの字にするデーモンの脚に、パスパス音を立てて矢が増えていく。
傷口から血が流れ始める。
「大隊長のくせに突撃するから悪いんじゃないの?」
「要塞の門が開いてる時に突撃しない奴は、魔王軍では出世できないぞ」
ラグナが深く頷いた。
「ナメクジ様は出世できますね!」
やかましわ!
「えっ、今なんて、いでぇ!」
デーモンが片膝をついて、騎獣を取り落とした。
スライムスネアが膝に直撃したらしい。
上半身にも矢が刺さり出す。
「お、お前変な犬じゃないの? ナメクジなの?」
ナメクジが髪を靡かせて頷くと、デーモンは腕を組んでため息をついた。
頭に矢が貫通したが、気にした様子はない。
こいつ全然死なねーな。
「第八デーモン大隊、降伏します」
ナメクジが触覚を振ると、矢と粘弾の雨が止んだ。
やっぱり魔王軍か、疲れたわ。
息を吐いたそのとき。
丘の方から低い音が一つ、遅れて届く。
「これなんの指示なの? 降伏?」
デーモンは体に刺さった矢を抜きながら、ニコニコ笑った。
「これは敵襲だな! ゾワゾワしていいよな!」
丘の稜線から狼が、いや、狼の毛皮を被った人間の大群が四つ足で駆け降りてくる。
振り返った第八大隊の兵士が、顔色を変えてこちらに駆け出してきた。
カオス! カオス!
「み、みんな撤収!」
ナメクジは拘束したデーモンを連れて城門をくぐった。
早く我が森に帰りたい。




