第二十四話 ナメクジ、話を終わらせる
「グゥッ……」
おやっさんが泡を吹きながら呻いた。
耳を覆う激しい雨音の上にも、喉を押しつぶされた呼気がはっきり聞こえてくる。
「教団を匿えば正教騎士団が来る。必ず戦闘になるよ」
お嬢は世間話をするような明るい声で言った。
右手一本で男性を持ち上げているとは思えない。
おやっさんはお嬢の腕を掴んで、足をばたつかせている。
「そいつら相手に勝ちを収めたとしても、ここに邪教があることは向こうに伝わるよ。また追っ手が追加でやってくる」
空いた方の手で指を立てて講釈するお嬢。
ナメクジは粘液を分泌しながら何度も頷いた。
それ自体は問題じゃない、ただの想定される未来だ。
だがその想定をナメクジに言わなかったことが、お嬢の逆鱗に触れた。
「わかったからもうやめろ!」
おやっさんの顔色が赤から黒に変わっている。
死んじまうよ。
「むぅ……」
ナメクジの叫びに、レナちゃんが眉を顰めて寝返りを打った。
「おっと」
お嬢はレナちゃんの寝顔を見て肩をすくめた。
首元が緩んだのか、おやっさんの顔面に赤みが戻る。
ナメクジはやっと一息ついて、震える胸を撫で下ろした。
やっぱ子どもは天使だな。
「どっ、こい――しょおっ!」
重い衝撃が走り、ナメクジの体が一瞬地面から浮いた。
お嬢が首元を掴んだまま、思い切りおやっさんを地面に叩きつけていた。
「……な、なにしてんだお前」
唖然とするナメクジの触覚に、何かが焼けるような鼻につく匂いがまとわりついた。
「頭のいい先生ならわかるだろ。匿うってことは正教と全面戦争するってことだよ」
おやっさんの後頭部が焚き火に押しつけられて、チリチリと音を立てている。
急いで『溶解液』を焚き火にぶっかけた。
黒い煙を上げて火が弱まっていく。
「ここは安全地帯じゃなくなるってこと」
「衛生兵を呼べ!」
「……」
「呼べぇっ!」
娘ちゃんは『大教導』を受けて、やっと洞窟の奥へ走り出した。
レナちゃんが鼻をひくつかせて目を覚ました。
起き上がって、不思議そうに周りを見渡している。
そばかすちゃんが被さるようにレナちゃんを抱きしめた。
「騒がしくしてごめんよ。オトシマエの時間なんだ」
お嬢が手のひらを立てて謝ると、レナちゃんは頷いて、そのまま眠りだした。
お嬢は右手を軋ませたまま吹き出した。
「いい根性してるね。ウチで匿ってあげようか?」
「ふっ、ふざけんな野蛮人!」
そばかすちゃんが震えながらも、お嬢を睨みつけている。
「おっ、あんたも悪くないね!」
お嬢が指を鳴らして、そばかすちゃんにウインクした。
ふざけたヤロウだ。
「――シャッ!」
「うグォッ!?」
お嬢はその下手くそなウインクをしたまま、腹を抱えて地面に崩れ落ちた。
解放されたおやっさんは、白目を剥いてダラリと転がっている。
ナメクジが振り返ると、ラグナが片足立ちで立っていた。
浮いたつま先が硬く握られている。
「おやっさんへの殺意を確認しました。
リマキシアンの兄弟への敵対行動は原則死刑ですが、どうします?」
ナメクジは黙って首を振った。
自分はそんな怖いルールは知らない。
「おえぇ……またつよくなってるよお」
お嬢が胃液を吐きながら涙を流している。
「みんなうるさい!」
目を擦りながらレナちゃんが足をバタつかせた。
カオス! カオス!
「もう、とりあえず半殺しで!」
「はい」
そばかすちゃんがレナちゃんの耳を塞いだ。
「まっ、待ってよ先生、ラ、ラグナさ、あ゙あ゙あ゙ッ!」
なにかが折れる生々しい音に、軟体がギュッと縮こまった。
まったく、俗世は血生臭いぜ!
ナメクジは目を回しながら、おやっさんの後頭部に肉ジュースを送り始めた。
※
翌朝寝床から降りたナメクジは、朝飯コウモリもそこそこに医務室に向かった。
タクシーは新入生の白い小鬼ちゃんだった。
首にワークショップで作ったタリスマンを下げている。
彼女は聖職者コースに進んだようだ。
「つきました!」
「ありがとね」
医務室は煮締めた草の匂いで充満している。
洞窟は換気が終わってるなあ。
今度入り口近くに移すか。
見回すと、ラグナと小鬼君たちが壁際に集まっていた。
二分の一を足すやら掛けるやら、算数のお話をしている。
「おはよー! 朝からお勉強とは感心だね」
「あっ、ナメクジ様おはようございます」
ナメクジは小鬼たちの挨拶に気持ちよく頷いた。
もう三角マークは無視するようにしている。
だが足元に転がる友人は無視できない。
「せ、先生、助けてくれ」
お嬢が助けを求めてくる。
右手右足に添木をしていた。
昨夜のラグナ流の半殺しの結果だ。
こいつ、またなにかやったのか?
白い目のナメクジに、小鬼君が手をピンと上げて質問した。
「ナメクジ様、半殺しを二回やるとどうなるんですか?」
「ええっ?」
想定外の質問に固まった。
なんだ? トンチか?
全員の視線が集まっている。
ナメクジは触覚を組んで頭を揺らした。
適当に答えて舐められたくない、でも答えはわからない。
そういう時は両方言ってお茶を濁すのだ。
「全殺しか、四分の三殺しだよ」
「ええっ、こたえが二つあるの?」
小鬼ちゃんは両手を頬にやって目を瞬かせた。
「そうだよ。そういう時は問題を確認しなさい。答えが二つある時は問題が悪いんだ」
そうさ、わからない俺は悪くない。
ラグナと小鬼たちは納得したようにしきりに頷いた。
なんかわからんがチャレンジに成功したらしいな。
体を膨らませていると、向こうの寝わらから拍手が聞こえてきた。
「さすがナメクジ様です」
「お、おやっさん! 体はいいのかい?」
「はい、大丈夫です。ナメクジ様とアコライトのみなさんのおかげです」
おやっさんは鼻血を流しながら三角を掲げた。
目を開けないほどほっぺが膨れ上がっている。
ぜんぜん大丈夫じゃない。
なるほど、半殺しの二回目ね。
ナメクジは髪をガシガシかきながら軟体を揺らした。
白い小鬼ちゃんから滑り降りて、這いつくばるお嬢に向かった。
このクソガキ、いい加減ムカついてきたぞ。
「お前いい加減にしろよ。
気遣いはありがたいけど、この件これ以上おやっさんに手出しすんじゃないよ」
「て、手出ししたら、殺すって?」
お嬢の目線がナメクジの後ろの誰かを見上げている。
ちょけてはいるが、口端が震えていた。
ナメクジはため息をついて、触覚でお嬢の頭を叩いた。
「友達を殺すわけないだろ。
今のお前をまた半殺しにするだけだよ。
お嬢がおやっさんを諦めるまで、俺は何回でもやるよ」
お嬢はこちらを見て、困り眉で口をむにむにさせた。
どういう感情なんだよ。
「ありがとう先生。
でも不義理を許すわけにはいかないんだ。
森の民の神は『義理』なんだよ」
お嬢は岩壁に背を預けて、クマの人形のように座った。
分かりやすいほど肩を落としてうなだれている。
「正直言って、連中を殺さずにこの洞窟に入れた時点で大問題なんだ。拠点探しで追跡していた斥候部隊がいたはずだ。今頃聖都に早馬を飛ばしてるよ」
目に掛かった前髪の隙間から、おやっさんを睨みつけた。
それくらいコイツにわからないはずがない、ってことか。
「おやっさん、なにか言いたいことある? 俺にでも、お嬢にでも」
「特にありません」
「このっ――」
お嬢はよろめきながら立とうとしたが、ラグナに頭を押さえつけられて、尻餅をついた。
ナメクジは大きく息を吐いた。
おやっさんは、やっぱりいつも通り笑っていた。
じゃあ、そうじゃんか。
よくよく考えたら、単純な話だった。
この人はナメクジより賢いんだ。
ナメクジは『大教導』を込めておやっさんに命令した。
「おやっさん、『やりたいようにやれ!』」
なりたいものになる、やりたいことをやる。
生徒も教師も同じだぜ。
おやっさんの細目のポーカーフェイスが崩れた。
鋭い一重の目がナメクジを見た。
珍しく動揺しているな。
ナメクジは笑った。
「『一緒に頑張るぞ!』」
おやっさんはいつも俺たちのことを考えている。
そんな人がなにも言うことがないなら、それは俺の知る必要がないことなんだ。
「わっ、我が神! 神よ! ああっ!」
おやっさんが三角を掲げて天井に叫んでいる。
とても気持ち悪いが、人の信仰には口を出さないのがエチケットだ。
ナメクジはお嬢に視線を戻した。
「そういうことだ、お嬢。正教と揉めたって、俺にとって大したことじゃない」
「……どういう意味?」
二本の触覚を掲げてパンパン叩いた。
「大したことじゃないから不義理もクソもねえ!
これで森の神様も出る幕はねえ!
この話は終わり!」
あースッキリした。
やっぱり問題が悪かったんだ!
みんなで飯食おうぜ!
号令をかけると、全員食堂に飛び出して行った。
ナメクジは白い小鬼ちゃんに、お嬢はラグナに担がれている。
「いい乗り心地だろ!」
お嬢はナメクジを見て、困り眉で口をむにむにさせた。
だからどういう感情なんだよ。
顔に当たる風が少し乾いている気がする。
雨季が開けようとしているのかもしれない。
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