第二十一話 ナメクジ、父になる
「それではみなさん、これから先生の言うことをよく聞いて頑張ってください」
みんなが頭を下げるのを見て、ナメクジは小高い岩から滑り降りた。
これにて朝礼終了。
波打つように体をうねらせて、露が結ばれた岩肌を這っていく。
生徒諸君、また座学の時に会おうぜ。
ここからの授業は専門的すぎて、軟体生物にできることなんてない。
寝床に帰ってこの人間味のある長髪の手入れでもしよう。
「あっ、ナメクジ様、お待ちになってください」
娘ちゃんの呼びかけに、ナメクジは頭に勢いをつけて振り返った。
遠心力で黒い長髪がパララッと広がる。
半神でこの調子なら、全神になれば人型も夢じゃないね。
「聖職者コースの小鬼ちゃんたちに洗礼をお願いします」
ニコニコの娘ちゃんが、手を合わせて小さく頭を下げた。
「ああ、せんれいね。どうしようかな」
洗礼? なあにそれ。
俺は記憶も学もないが、プライドは人一倍ある。
生徒の前で恥はかきたくない。
どう思われてもいい、そうは言ったが最低限の箔ってのは必要だろ!
デミゴッドスラッグは触手をうねらせて、娘ちゃんに念を送った。
みょんみょんみょん!
我が使徒よ、小鬼たちにバレないように教えるのだ。
娘ちゃんは下層の川の水が轟々と流れる中、ナメクジをさっきの岩に置き直した。
そのまま小鬼たちの元に向かい、ナメクジの前に一列に並ぶように促す。
服装を正してナメクジの横に立ち、お腹の前で手を組んで頭を下げた。
「それではよろしくお願いしますね」
彼女に神の啓示を受け取った様子はない。
娘ちゃんの言葉を合図に、先頭の小鬼が口元を引き締めてナメクジの前に立った。
天井から落ちた水滴がナメクジのおでこに当たって、地面まで伝っていく。
心配そうにこちらを見ているラグナと目があった。
もう、だめだ。
娘ちゃんごめんなさいして、やり方を聞こう。
クラクラしながら視線を漂わせていると、目の前の小鬼君の頭に血の滲んだ擦り傷があった。
この子にも謝らないといけない。
とんだ水差し野郎でごめんね。
とりあえず治療だ。
触覚を伸ばして傷口に触れる。
小鬼君は顔の前で手を合わせて、ナメクジに体を預けるように身を傾けた。
おっ? どうした、痛いの?
ナメクジがもう片方の触覚で小鬼君を撫でると、彼は小さな声で囁いた。
覚えてきた言葉を発表するような、辿々しさだった。
「ぼくはきょうから、あなたのむすこになります」
と、突然何を言い出すのよ。
ナメクジの心臓が、大きく跳ね上がった。
動揺を現すように全身を伝って波打つ。
ふと軟体の中に漂う金箔の一枚が、ひときわ強く輝いた。
そのまま意思を持ったように震えると、淡く気泡が立つ軟体の中を伝い、伸ばした触覚の管を通っていく。
やがてその金箔は、治療の肉ジュースと共に、小鬼君の頭の中に入っていった。
やべえ変なもん入った、大丈夫か!?
慌てたナメクジは腰ごと引いて触覚を剥がした。
小鬼君の額には他の使徒と同様に、ナメクジ印が刻まれていた。
小鬼君は顔を上げて畏まると、こちらに向かって三角マークを掲げた。
パニックで目を回すナメクジに、『論理』君からお知らせが届く。
なんだよこんな時によお。
『祭礼執行』を完了しました。
ゴブリンがアポストル・ゴブリンに変化しました。
職業『リマキシアン・アコライト』を獲得しました。
獲得スキル『スライムヒール』『ピュリファイ』『蛞蝓信仰』
あっこれって洗礼できたってこと?
ナメクジは顔を上げてラグナを見ると、友人は何度も頷いて拍手を送ってくれた。
ラグナに続くように周りの小鬼たちも拍手を送った。
お嬢は白い目でナメクジを見ている。
なんだこのやろう、うまくいったからいいじゃないの。
洞窟上層の低い天井に拍手の破裂音が反響している。
数匹の蝙蝠が逃げるように奥へ飛んでいった。
拍手が静まるのを見計らって娘ちゃんが咳を払った。
「今、リマキシアン教団に新たな兄弟が生まれました。
ナメクジ様の教えを世に広めるため、よりいっそう自らを導き、励みなさい」
娘ちゃんが白く細い腕で三角を掲げると、小鬼君が三角を掲げ返した。
リマキシアン教団?
まーたなんか俺の知らないところでお遊びやってんなあ。
まあ好きにやったらいいよ。
肩を落としてため息をついた。
あと何人いるのだろうか。
確か十匹くらいかな?
顔を上げたナメクジは、すぐさま首を傾げた。
「次の方どうぞ!」
目の前には一本の長い列が続いている。
向こうの壁で並びきれず、折り返して行儀よく整列している。
他の教師の前には誰もいない。
ナメクジは目の前の光景に口をもつれさせた。
「えっ? み、みんな聖職者になるの?」
ほとんどの小鬼たちは首を振った。
よくよく聞くと聖職者にはならないが、洗礼だけは受けたいらしい。
ナメクジはもはや思考停止状態だった。
ぼんやりした頭のまま、自分の半透明な軟体ボディに浮かぶ金箔を見る。
生徒全員合わせて五十匹、俺の金箔は足りるのか?
シグルが居たら数えてくれるのに。
ナメクジはスタンプを押すように小鬼の頭に触覚を置く。
列は少しずつ短くなっていった。
ふと目端に、最後尾に並ぶ教師たちが見えた。
お嬢だけは、ただ一人離れたところに立っている。
片肘を抱いて顎を撫でて、感心したようにこちらを見ている。
俺の普通の友達はお前だけかもしれないね。
一人ぼっちを恐れていたナメクジはその日、五十匹の子供を持つビッグダディになった。
※
『校長の忘備録』
リマキシアン神学校
校長 ナメクジ一匹
在校生 ゴブリン五十匹
教師 ナメクジ一匹 ホブゴブリン一匹 人間二名
雨季臨時教師 人間一名
育成中の兵科について
後衛
リマキシアン・アコライト 十匹
リマキシアン・シャーマン 十匹
前衛
リマキシアン・モンク 十五匹
リマキシアン・レンジャー 十五匹
卒業生
魔王軍第八デーモン大隊遊撃隊班長 一名
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