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「あ……ここは……?」
衝撃的な展開から目を覚ました保の目にまず飛び込んで来たのは、藁と大木で作られた藁葺き屋根だった。幼い頃に、修学旅行で古墳跡地に行った時に入った縄文時代の家を思い出させた。
体を起こしてみれば思ったよりも痛くはない、それどころか、あの男に殴られた時よりも体が軽くなっているような気もする。
木の板で張り付けられて作られた壁に、家を支えるようにして等間隔で並ぶ柱代わりの大木。保は自分が体を起こしたところも最初はベットの類いかと考えていたが、網の上に空気でも入れたように膨らんだ葉っぱが敷き詰められているハンモックのようなものだった。
足元に落ちた毛布だと思い込んでいたものをつまんでみる。
ハンモックの網の上にあったものとは違う葉っぱだが、紅色の葉っぱを蔦を通して結び、自然の物でハンモックの上から体に掛ける為にシーツを作っているのだと察することができた。
どうやら、自分を助けた人はそれほど悪い人ではなさそうだった。同時に、現代人でもなさそうだ
「――よお、目が覚めたか?」
次の行動を考えていると、背後から陽気な男性の声が聞こえてきた。その声に聞き覚えのあった保は、さして驚くこともなく恩人の顔を見る為に首を捻らせた。
「あ、えと……おかげさまで」
考えた通り、そこには意識を失う直前にある意味では劇的な会話を交わした男性がいた。やはり、頭の上には犬を連想させる犬耳がぴくぴくと動いていた。
保の視線に気づいた犬耳男は豪快に笑う。
「なんだ、もしかして別の大陸から来たのか? 俺達、ウルフェス族がそんなに珍しいのか」
聞きなれない単語に、保は眉間にしわを寄せながら問いかけた。
「ウルフェス族?」
「おう、俺達みたいに人間の体に狼の耳が生えている種族のことだよ。確か、他の大陸には存在しないんだよな?」
「ええ、きっと、いえ、おそらく……」
「なんだよ、男のくせに歯切れの悪い返事しやがって!」
がはははは、と耳を塞ぎたくなるような大きな声で笑う犬耳、いや、狼耳の男。
まだ頭の中で整理できるほどの情報は少ない。どうやら、今の状況を確認するために、もう少し情報を集めないといけなさそうだった。
おもむろに狼耳男が保に興味を含んだ目線を送る。
「俺の名前は、トオガ。お前は何て言うんだ?」
「俺の名前は……タモツ」
「タモツ? 変な名前だな!」
むかっ腹が立たないわけではないが、確かにトオガとタモツという名前を比べてみれば、あっちがかっこいい気がした。それに、名前を笑われた程度で恩人に怒っている場合ではない。何より、怒るような余裕は保にはなかった。
保は顔をつねってみて、軽く叩いてみるがひりひりと痛みを感じる。シンプルながら、これが夢ではないという証明になった。何より、例え夢だとしても、この状況で死を選んで夢から覚醒なんて安易な発想を選ぶ勇気はない。嗅いだことのない香りが強さを増し、見たことのない葉が、触れたことのない感覚全てが真実味を保の五感に感じさせる。
しばらく考えた上で、保はある決心をする。
「実は、名前以外の記憶が思い出せないみたいなんです……。もし良かったら、いろいろ教えていただけませんか?」
はつらつとしていたトオガの表情が突然、目の前で雷でも落っこちてきたように口を半開きにしたままで固まっている。
あまりに淡々と喋っていることに気付いた保は、すぐにそれが失態であることに気付く。もう少し演技してみせた方が良かっただろうか、いや、大根役者がどれだけ無理をしても、大根は大根なのだ。むしろ、こういう無機質な雰囲気がプラスになることだってある。
頭の中でぐるりぐるりと後悔と期待を入り混じった考えでいると、
「記憶喪失ってことだろ!!!」
本当に雷が落ちたのかと思うほど大きな声でトオガが叫んだ。鼓膜な一枚や二枚破れたのではないかと心配して耳を触っていると突然、保の腕をトオガが掴み、記憶喪失と言い当てられたことが嬉しいのかその表情は喜色に滲んでいた。
「あいたたた! 痛いですよ、トオガさん!」
「おっと、すまねえな。ちょうどこの村に医者が来てるんだ。年寄り連中よりも先に診てもらわねえと、順番が回ってくるのはいつになるか分からない、今から行くぞ!」
「え、本当に今から!? 医者に!?」
「当ったり前だ! 俺はな友達を作るのが大好きなんだよ、もしお前が記憶を取り戻したら、初めてできた人間の友達になる。さあ、行くぞ! タモツ!」
見た目は保よりも十歳以上は年上に見える狼男のトオガだったが、その発言は子供のようだった。ただし、トオガ言うと大人が無理して夢物語を語るのを聞くような耳に痛くなるような感覚ではなく、すっと胸の奥の方に飛び込んでくるような温かな熱意を感じさせた。
その時の保がトオガに感じた第一印象は、燦々と照りつける太陽のようなイメージだった。
※
一面が緑一色だった。
木材で固められた家から飛び出した保の目の前には、確かに住居らしきものが点々と確認できる。だがしかし、それは保の知る世間一般の住居からかけ離れたものだった。
一体、樹齢何百年かもわからないほどの巨大な木の地上から十数メートルほどの高さに民家に思わしき建物が視認できる。そこに住んでいる住人達は、家の前から下がる梯子で地上まで行き来しているようだ。今もまさに、トオガと同じウルフェス族の女性が洗濯物の入った篭を背負い、梯子に手をかけてあっさり滑り降りる。
ふと疑問が浮かぶ。
狼の耳とトオガが言っていたが、本来の狼なら木の上で生活することはない。それに、木の上で生活している生き物というのは、地上の敵性動物から逃げる為に進化した形だ。もしかしたら、トオガ達にも何らかの敵がいるのだろうか。
手前を見れば、地上から十メートル近く離れているのは、自分も同じであることを認識する。保つが寝ていた家も、点々と並んだ民家と同じように木の上に作られているものだった。ドタドタといい大人が二人して木の板で作られた道を走るが、全く壊れる様子もない。よほど頑丈に作られているのだろう。
それはさておき、トオガが手を引いてくれるのはいいが、ここ数年まともに運動なんてしてこなかった保には、一緒に走るのはなかなかに骨が折れた。もっとこちらに合わせてくれるかと思えば、トオガは自分のスピードで突っ走るものだから、ほんの十数メートル走っただけでも驚くほど保の呼吸を圧迫させた。
「ト、トオガ……もう少しゆっくり走れないか……!」
強引にでもブレーキをかけるしかないと保が覚悟したところで、トオガが逆に足を止めてしまい、巻き込んでこけそうになった。
「おい、タモツ。ここだここっ」
手を引かれて到着したところは、三角形の小さなテントだった。小さいとは言っても、四人家族がキャンプなんかで使うものに比べたらずっと大きい。テントの前には、複雑な記号が踊る魔方陣が書かれた看板が立てかけられていた。「ここが、病院だ」と嬉々として指差すトオガを見ると、やはりここが自分の知らない別世界に来たのだと保は実感せざるをえなかった。
「俺、入っちゃって大丈夫なの?」
「だぁいじょうぶだ! 心配すんなよ! タモツらしくないぞ!」
「自己紹介して数分も経ってないんだが……」
テントを潜れば、さっきのハンモックのベッドとは違い、簡単な木製の四本の足で支えられたベッドが置かれていた。
テントの角には薬品を入れているのだろうと考えられる木箱が何段も積まれ、何か薬でも配合しているのか、小学生程度ならちょうどよく大人が使えば少々窮屈な机の上に色とりどりのガラス瓶に入れられた液体が並ぶ。
「アキホ先生、緊急事態だ。患者を連れて来たぞ!」
「アキホ?」
視線を動かせば、中央奥の椅子には白衣姿の女性が座っていた。綺麗な顔立ちをした女性は二十代後半に見えるが、保が常日頃から妄想で考えるような大人の女性のイメージにぴったりな女性だった。セミロングの黒髪にクールな横顔、彼女の美しさを際立たせるメガネがよく機能している。まじまじと顔を見つめた保は、あることに気づく。気づいてしまった。
「その頭のやつて、○ッキーマウスですよね?」
保の疑問を込めて向けられた指の先にいるアキホ先生と呼ばれた女性の表情は凍りついた。正確に言うなら、アキホ先生の頭の上の明らかに○ィズニー・ランドで販売している○ッキーマウスの耳を模した玩具を指差しているのだが。
「なんだ、○ッキーマウスて?」
トオガのある意味当然の疑問に、ああやはり異世界には夢の国もなければ、彼らは異世界の住人ではなく完全にフィクションなのかとパンくず程度に残された童心に胸の痛みを覚える。だが、完全にクールビューティーだったはずのアキホ先生に狼狽の表情が浮かぶ。そもそも、アキホという名前からして怪しい。
大げさにアキホが咳き込む。
「ト、トオガ君。どうやら彼は相当酷く頭を打ったみたい。緊急の治療が必要になるの。少し席を外してもらっても構わないかしら?」
「タモツそんなに悪いのか!? うーん……先生の頼みなら……しょうがねえけど、外で待っているよ。……そんじゃ、タモツ、後でその○ィズニーランドの話を聞かせてくれよなー!」
バンバンと豪快に保の背中を叩くトオガはどう考えても病人の扱いになれてなさそうだ。たぶん、病気になったことはないのだろう。主に風邪とか。
言われた通り外に出て行ったトオガ。一応、テントの内側にはチャックがあるようで、アキホはそのチャックを閉めれば、ベッドに上に腰掛けた。
「そこ、どうぞ」
嫌いな食べ物を無理して食べたような顔をしながら、アキホは先程まで自分が座っていた椅子に保を座るように促した。
さて、今からどんな話をするのだろうかという疑問だが、まずこの反応からしてみれ、アキホの正体が一つだけはっきりとしていた。
保は躊躇なく、事実だけを口にする。
「アキホさんて、俺と同じ世界の人間ですよね」
露骨に顔をしかめるアキホだが、深いため息を吐くと頭の○ッキーマウスの耳の玩具を外した。ベッドの枕元に置かれた耳から哀愁を感じさせる。
「えと、タモツ君だったね。……きみの言う通り、私は同じ世界の住人でしょうね。それとも、パラレルワールドかしら?」
「そのおかしな耳が、どこもかしこも平行世界にあるわけないでしょう。……いや、ありそうだな」
「これ以上の夢の国談義はいいのよ。とりあえず、平行世界だとしても、限りなく同じ世界の住人で間違いはなさそうね」
「言い方から察するに、ここはやっぱり異世界なんですよね。ここに来て、俺はまだ数十分だけしか経っていない。今分かっている情報だけでも教えていただけませんか?」
アキホの知る限りの情報はこうだ。
今、保が居る大陸の名前はティファナ。今の時期は春になるそうで、世話になっているウルフェス族は温かくなってくると出てくるある厄介な存在に悩まされる時期だそうだ。詳しくは聞いていないが、農作物に被害を与えるような害虫とかだろうか。
自分がいた世界と大きく違うのは人種だ。この世界には人間以外にも、狼耳のウルフェス族、長寿のエルフ族、頭に角を持つオウガ族、頭から花を生やした妖精族、猫耳のギララ族、それから人間。未開拓の土地も多く、種族によって大陸の地図も異なるため、他にも種族がいるのだろうというのがアキホの言い分だ。
やはりこの世界には、魔法というものが存在している。この世界の魔法は大気に浮遊する視認不可の魔障というものを消費して使用するそうだ。知識の無い人間が魔法の話を聞いてもろくに理解もできないそうなので、直接見てみるのが一番だと言う。ちなみに、妊娠中に魔法で赤ん坊を育むエルフや妖精族は特にこの魔法に近い存在とされているため、魔法絡みの道具や薬などはアキホは彼らに協力を求めることが多いらしい。
かいつまんだ説明を聞き終わり、(風俗の部分ははぐらかして)簡単に保の説明をした。保はアキホという人間について聞いてみることにする。
「そういえば、アキホさんはどうやってこの世界に来たんですか?」
「まあ……うん……。タモツ君と似たような感じだよ。二年ぐらい前に、偶然この世界に転がってきた感じ」
「二年も帰れてないってことですよね……」
目の前のあらかじめ用意されたような生き証人の発言を聞き、気持ちは自然と落ち込んでいく。しかし、もう一つ気になることができた。
保の疑問に答えようとした時の歯切れの悪いアキホの返事に違和感を覚えて、視線を動かせば、保はもう一度まじまじと美人女医の頭につい先程まであった耳に目がいく。
「……でも、どうしてこんな耳を? 偶然持っていたなんてことはないですよね」
「やっぱり、○ニーの方が良かった?」
「誰がそんなことを言ったんですか」
うっ、とアキホは喉に物を詰まらせたような小さな奇声を漏らす。どうやら、無理して突かなくていい部分を刺激してしまったようだ。
ぐらりと前のめりに体を傾けたアキホは、どんよりと開口する。
「……五年付き合った彼氏に浮気されて泥仕合のような喧嘩の後に別れた私は、暴走気味のテンションで二人で行くはずだった○ィズニーランドへ向かったわ、会社まで休んでね、あーあ、二人で結婚するためにあんなに貯金してたのに」
ちらっと保の顔を見るが、途中まで聞いた他人の不幸話をスルーするほどの寛容さは持っていない。むしろ、どうぞ続けてください、とアイコンタクトを送る。あっちから話し出したというのに恨みがましく保を一度を見たアキホは、再び話を続けた。
「……もうアホみたいに大騒ぎしたわ。一人で馬鹿高いランチとデザートを食べて、いい歳して置き場に困りそうなぬいぐるみを抱えて、一人でアトラクションに乗って写真を貰ったりもした。ほら分かるでしょ、あのアトラクションの山場で撮影されることの多いアレ」
「存じております。続けてください」
「大人しそうな顔して鬼畜ね。もうパレードも終わって、そろそろ閉館時間になった頃、お酒も入っていたこともあり、何なら夢の国で一晩過ごしてやろうと意気込んでいた時の話だわ」
最初にクールビューティーなんて大げさなこと言っていたが、今のアキホにそんな要素は一ミクロンとも残っていないのは確かだった。だが、もしかしたら、アキホの異世界に向かった具体的な話を聞けば、元の世界に戻る糸口を掴めるかもしれない。
「目の前に見たことのない建物が現れたの。今考えてみると、ピンクの明かりに表に立つバニーガールは夢の国には似つかわしくないしガイドブックなんて広げる発想はなかったけど、何となく落ち着けそうなところだなぁと思ってそこに入った。……そこでおしまいよ。目が覚めたら、魔法薬師をしている人間に二日酔いを介抱されていたわ。急に家の蔵から、泥酔した私が転がってきたんだって」
「……まともな神経では異世界には行けないルールでもあるのかよ。そっからの話は大体読めました。その魔法薬師にお世話になって、この世界の薬学を勉強したアキホさんは今や魔法薬師を生業としてこの世界で生活していると?」
「そう、お察しの通りよ。いい人に救われたから良かったものの、人間を差別する種族もいるから、もしもそういう種族の集落にでも転移させられたら、今頃命は無かったと思うわ。まあ妖精族みたいに温厚な種族なら別の道もあるでしょうけどね」
油断してしまえば聞き流しそうな言葉に気づいた。
保はとっさに、気になる一言を追及する。
「……ちなみに、その差別する種族てのは? まさか頭に変てこな耳の飾りを付けていないとまともに入れないような種族てことはないですよね?」
アキホはにんまりと笑う。
「お、意外に頭の回転早いね。私の耳とうまく関連付けたか……。その通り、人間を差別する種族。その一つが……――ウルフェス族さ」
絶句する保をよそに、他人事のようにアキホは、防寒服を着るような気軽さで自分の頭の上に○ッキーの耳の玩具を被った。




