第32話:【古(いにしえ)の決着】
【あらすじ】
鹿児島・白波スタジアム。全日本U-12サッカー選手権大会、決勝戦。前半を2-0で折り返したインパルス清水FC・ジュニア。しかしハーフタイム直後、南国の空は急変する。スタジアム上空を分厚い黒雲が覆い尽くし、ゲリラ豪雨が降り注ぎ始めた。後半開始1分で氏真がハットトリックとなる3点目を決めるも、水を含んだ天然芝が戦況を狂わせる中、ついに魔王・織田凱人が牙を剥く。後半わずか15分で凱人に4ゴールを奪われ、スコアは3-4。残すところあと2分、インパルスは最後の切札をピッチへ送り出す。
1. 桶狭間の残影
ザーーーッ……!!
雨粒が、スタジアムのカクテル光線を乱反射させている。
氏真は、息を乱しながらピッチの中央で前を見据えていた。
その視線の先には、真っ白なユニフォームを雨に濡らし、圧倒的な威圧感を放つ名古屋グレイスFCの背番号10、織田凱人の背中がある。
(……前半、予たちは3点のリードを奪い、完全にピッチを支配していた。勝利は揺るぎないものだと、誰もが確信していたはずだ)
氏真は、ずぶ濡れになった自分の両手を見つめた。
(だが、後半に入り、空を覆い尽くすほどの雷雨が降り注いだ。そしてその嵐に乗じて、魔王が牙を剥いた。……圧倒的な優位にあった軍勢が、天候の急変と、たった一人の苛烈な奇襲によって一気に総崩れとなる)
それはまるで、彼がかつて耳にした歴史のうねりそのものだった。
五百年前の『桶狭間の戦い』。絶対的な優位を誇った今川の大軍が、豪雨という天の悪戯と、織田信長の乾坤一擲の奇襲によって、一瞬にして首を獲られ、天下の覇道がひっくり返ったあの日の残影。
(……あはは。歴史というものは、本当に残酷で、そして風流な韻を踏むものだね)
だが、氏真の黄金の瞳から、闘志の炎が消えることはなかった。
(……けれど、予はまだピッチに立っている。ここで膝を折るわけにはいかない!)
2. 最後の切札と、無拍子の歩
「……ボールを奪えッ! まだ時間は残っているぞ!」
司令塔の松平基哉が、前髪から雨の滴を滴らせながら、枯れそうな声でチームを鼓舞する。
朝比奈兄弟が限界を超えたスプリント(短距離ダッシュ)でサイドからプレスをかけ、リベロの井原光がパスカットを狙う。
後半19分。
激しい雨でボールがスリップし、タッチラインを割った。残り時間はアディショナルタイムを含めても1分強。
その瞬間、インパルス清水のベンチが動いた。
「審判、交代だ!」
吉良コーチの声がスタジアムに響く。
「大原! お前の出番だ。この泥濘のピッチで、地上戦のパスワークはもはや機能しない。お前の頭脳で、空中から名古屋の包囲網をスキップしろ!」
「……はいッ!」
ピッチサイドに立ったのは、10歳の作戦参謀・大原由紀夫。
体力的な出場制限を持つ彼が、チームの命運を託される最後の「切札」として、この極限の土壇場で投入されたのだ。
「……由紀夫くん!」
基哉が安堵の表情を見せる。インパルスの【2-4-1】の陣形が、由紀夫の投入によって息を吹き返した。
ピーッ!
スローインからの再開。ボールを受けた由紀夫は、瞬時にピッチ全体を俯瞰した。
(……雨で各選手のスピードが15%低下している。だが、織田凱人だけは規格外だ。彼を避けてパスを回す時間はない。ならば……!)
「基哉さん、大和さん! デコイ(囮)に!」
由紀夫の甲高い声が響く。基哉と葛城大和が、凱人の視線を引くようにダミーの動きでニアサイドへ走る。
凱人の意識がほんのコンマ数秒、そちらへ向いた隙を、由紀夫は見逃さなかった。
ドンッ!
由紀夫の小さな足から放たれたのは、雨を切り裂くような正確無比なロングフィード。
ボールは、名古屋のディフェンスラインと凱人の頭上をふわりと越え、前線の氏真の足元へとピタリと収まった。
「……見事なタクトだ、由紀夫くん!」
氏真が前を向く。ゴールまでの距離は約25メートル。
だが、その立ち塞がるように、凄まじい反射神経でリカバリーした織田凱人が、鬼神のような形相で立ちはだかった。
「……ここで終わりだ、吉良氏真! お前の天下は、俺が叩き潰す!」
凱人の圧倒的な威圧感。普通にフェイント(シザースなど)をかけても、彼の規格外のフィジカルの前には通用しない。
氏真は、深く、静かに息を吐いた。
(……現代のサッカーのリズムでは、彼を抜けはしない。ならば)
氏真は、助走や予備動作を一切消し去った。
日本の古武術や伝統芸能に伝わる、重心移動のみで滑るように前進する究極の歩法。
>> 雅技発動:【無拍子の歩】
「なっ……!?」
凱人の目から見て、氏真の身体が「コマ送り」のように一瞬でブレたように見えた。
右へ行くのか、左へ行くのか。予備動作がないため、天才的な反射神経をもってしても予測ができない。
凱人は本能で氏真の動きに喰らいつこうと、急激に重心を反転させた。
しかし、そこは雨をたっぷりと含んだ天然芝。凱人の強靭すぎる脚力(キック力)が、滑りやすいピッチの許容量を超えて空回りした。
ズルッ!
「……しまッ!」
凱人のスパイクが芝を捉えきれず、彼は大きくバランスを崩してピッチに激しく転倒した。
魔王のマークを完全に振り切った氏真の前に、広大なシュートコースが開けた。
3. 幻の『サンセット・ストライク』
(……いける!)
氏真は、ペナルティエリア外から右足を大きく振りかぶった。
スタジアムを照らす照明が雨粒に反射し、まるで夕焼けのような黄金色の光の帯をピッチに作り出している。
>> 新シュートスキル覚醒:【極・雅技:サンセット・ストライク】
氏真の右足から放たれたボールは、弾丸のような初速で飛び出し、空中で雨粒を散らしながら、黄金の軌道を描いてゴール右上隅へと向かった。
名古屋のキーパーが一歩も動けない。
ズバァァァン!!
ボールが、激しくゴールネットを揺らした。
4 - 4!!
土壇場での、作戦参謀・由紀夫のパスから生まれた値千金の同点弾。
インパルスのベンチが総立ちになり、由紀夫や四天王たちが歓喜の叫びを上げて氏真に駆け寄ろうとした。
「ピィィィィィィィッ!!!」
だが、スタジアムの歓声を切り裂くように、主審の鋭く長い笛が鳴り響いた。
主審の右手は、センターマークではなく、氏真と凱人が交錯したポイントを指し示していた。
「……え?」
氏真が足を止める。
主審のジェスチャーは、「インパルスのファウル」。
氏真が【無拍子の歩】で凱人を抜き去った際、転倒した凱人との間にわずかな接触があった。
雨のピッチでの激しい交錯の中で、主審は氏真のアクションが凱人を意図的に転倒させた(チャージング)と判断したのだ。
「……ファウル! ノーゴール! 名古屋グレイスFCのフリーキックで再開します!」
「嘘だろッ! 今のは正当なプレイだ!」
「あいつが勝手に滑って転んだだけじゃないか!」
司令塔の基哉たちが血相を変えて主審に詰め寄る。吉良コーチもベンチから抗議の声を上げる。
だが、判定は覆らない。
「……みんな、やめるんだ」
少年の声で、氏真が静かに仲間たちを制止した。
「ピッチでは、審判の笛が絶対のルールだ。……それに、雨の芝に足を取られるリスクまで計算できなかった、僕の未熟さだよ」
氏真の言葉に、選手たちは悔し涙を浮かべながらも引き下がった。
転倒から立ち上がった凱人が、信じられないものを見るような目で氏真を見つめていた。
4. 劇的なる終焉
名古屋のフリーキックで、試合が再開される。
時計の針は、すでにアディショナルタイムを使い切っていた。
前線へ大きく蹴り出されたボールを、守護神・八重洲ジョンがキャッチした、まさにその瞬間だった。
ピーッ! ピーッ! ピィィィィィィィィィィィッ!!!
試合終了を告げる、無情のロングホイッスルが白波スタジアムの空に鳴り響いた。
3 - 4。
インパルス清水FCの、全日本U-12サッカー選手権大会決勝での敗戦が決まった瞬間だった。
ピッチのあちこちで、オレンジ色のユニフォームを着た選手たちが泣き崩れる。
葛城が芝を叩き、基哉が天を仰ぎ、由紀夫も悔しさに唇を噛む。ベンチでは、マネージャーの愛とアナリストの舞も、大粒の涙を流していた。
氏真は、降りしきる雨の中、ゆっくりとピッチの上に大の字に寝転がった。
冷たい雨が、火照った頬を叩く。
(……あはは。負けてしまったか)
氏真は、自分の両手を目の前にかざした。
傷だらけで、マメが潰れ、雨に濡れた12歳の少年の手。
その手を胸に当てると、トクン、トクンと、力強く脈打つ心臓の鼓動が伝わってきた。
(……五百年前の戦なら、負けはすなわち『死』を意味した。首を刎ねられ、一族は滅び、すべてが灰燼に帰す。それが敗者の運命だった)
だが、今は違う。
(息をしている。心臓が動いている。首もちゃんと肩の上に乗っている。……周りを見渡せば、泣きじゃくる仲間たちも、皆しっかりと生きているではないか)
氏真の顔に、いつもの雅で、けれど今までで一番晴れやかな笑顔が浮かんだ。
(……戦国時代とは違う。負けたけれど、終わりじゃない。命がある限り、何度でも立ち上がれる。次があるんだ。……スポーツって、本当にいいもんだな)
「……おい、吉良氏真」
頭上から声が降り注いだ。
見上げると、魔王・織田凱人が、複雑な表情で氏真を見下ろしていた。
「最後のシュート。……審判の笛に救われたのは、俺の方だ。完全に抜かれてた」
凱人が、珍しく素直に負けを認めるような言葉を吐いた。
氏真はゆっくりと立ち上がり、少年の無邪気さで雨水を払ってから、凱人に向かって優雅に右手を差し出した。
「勝者は君だよ、織田くん。君の嵐のような力強さには、心底痺れたよ。……おめでとう、日本一のストライカー」
凱人は舌打ちをしながらも、その手を強く握り返した。
「……次に会う時は、こんなモヤモヤする勝ち方はしねえ。お前の『雅』ごと、完全にへし折ってやるからな」
「あはは。楽しみにしているよ。僕も、次はもっと美しい舞を用意しておくからね」
雨のピッチで交わされた、ライバルたちの固い握手。
スタンドからは、死闘を演じた両チームの少年たちへ、惜しみない拍手が送られていた。
敗れはしたものの、インパルス清水FC・ジュニアがこの鹿児島に刻んだ「雅」な軌跡は、誰の記憶にも深く刻み込まれた。
12歳の冬。
彼らの小学生としてのサッカーは、ここに終わりを告げた。
だがそれは、世界へと羽ばたく、新たなる伝説の始まりに過ぎなかった。
(第2章:全日本U-12サッカー選手権大会編 ~完~)
【次回予告】
季節は巡り、インパルス清水の面々は小学校を卒業、そして中学への進学を迎える。
ユースへの昇格を果たす仲間たち。しかし、氏真の元に、スペイン名門クラブからのスカウト・セレクションの報せが届く!
中学1年生の夏の終わり、舞台は情熱の国へ。新たなる章『第3章スペイン編』が、いよいよ開幕!
第3章/第33話:【新たなる舞台、情熱の国へ】。次なる天下へのパスを回せ!




