第29話:【決戦前夜】
【あらすじ】
鹿児島・白波スタジアムでの激闘を制し、ついに決勝へと駒を進めたインパルス清水FC・ジュニア。しかし、彼らの前に立ちはだかるのは、圧倒的な「個の力」で他を蹂躙してきた絶対王者、名古屋グレイスFCのエース「魔王」織田凱人だった。決戦を翌日に控えた夜、司令塔の松平基哉は凱人の絶望的なデータに苦悩し、キャプテンの吉良氏真は凱人の妹・美月と月下で言葉を交わす。インパルスは、理不尽な「魔王」を封じ込めることができるのか。
1. 絶望のデータと、司令塔の苦悩
鹿児島市内に夜の静寂が降りていた。
全日本U-12サッカー選手権大会、いよいよ明日に控えた決勝戦。
日本一の座を懸けた「桶狭間の決戦」を前に、インパルスの宿舎には、ただならぬ緊張感が漂っていた。
ホテルのミーティングルーム。消灯時間が近づく中、部屋にはタブレットの青白い光だけが浮かび上がっていた。
画面を食い入るように見つめているのは、司令塔・松平基哉と、アナリストの舞だ。
「……ねえ、基哉くん。何度シミュレーションを回しても、エラーが出るの」
舞の声は、微かに震えていた。
「エラーだと? 君の組んだ予測モデルに計算違いがあるはずがないだろう」
「計算違いじゃないよ。……この数値が、バグみたいに高すぎるんだよ」
舞が画面に映し出したのは、決勝の相手・名古屋グレイスFCのエース、織田凱人の今大会のスタッツ(個人成績)だった。
デュエル(1対1の球際)勝率、驚異の98%。
スプリント(短距離のダッシュ)のトップスピード、シュートの初速、すべてが小学生年代の平均値をダブルスコアで凌駕している。
基哉は、冷たい汗を拭った。
「……なるほど。これが『魔王』の真の実力か」
8人制サッカーにおいて、ピッチ上の人数が少ない分、個人の1対1の勝敗は戦況に直結する。
インパルス清水が誇る【2-4-1】のゾーンディフェンスは、キャプテンである氏真の圧倒的な「個」の強さを最大限に引き出すための戦術だ。
だが、織田凱人という存在は、その氏真を輝かせるための論理的な網の目を、純粋な「暴力的なまでの身体能力」で理不尽に引きちぎってしまうのだ。
「どんなに緻密な戦術を組んでも、最後の最後、ペナルティエリア内での物理的な競り合いで吹き飛ばされる。……まるで、木造の城壁に巨大な大砲を撃ち込まれるようなものだ」
基哉はギリッと奥歯を噛み締めた。
「だが、諦めるわけにはいかない。どんな理不尽な魔王にも、必ずアキレス腱はあるはずだ。……朝までかかっても、奴を封じ込める『檻』を設計してやる」
2. 静かなる月との邂逅
同じ頃、エースの氏真は、火照った身体を冷ますため、ホテルのバルコニーから夜空を見上げていた。
雲一つない冬の夜空には、冷たくも美しい満月が輝いている。
(……明日は、あの月すらも熱く燃えるような、最高の舞を披露せねばな。なぁに、予に任せておけ)
氏真が心中で不敵に笑った時だった。
「……本当に、あなたはいついかなる時も『雅』を忘れませんのね、吉良様」
バルコニーの隣の区画――偶然にも同じフロアに宿泊していた名古屋グレイスFCのテラスから、透き通るような声が聞こえた。
夜風に黒髪を揺らし、パジャマの上に上品なカーディガンを羽織った10歳の少女、織田美月が立っていた。
「……おや、美月姫。こんな夜更けに、月待ちの宴かい?」
氏真は少年の声で驚くことなく、優雅に微笑んでバルコニーの手すりに寄りかかった。
「……少し眠れないのです」
美月は小さくため息をついた。
「今日の夕方、吉良様がPK戦で勝利された姿を見てから、兄は……『あいつのスカした顔を、俺のシュートで歪ませてやる』と」
「あはは。それは随分と好戦的だ。君のお兄様は、本当に熱い心を持っているんだね」
「笑い事ではありませんわ、吉良様」
美月は、凛とした瞳で氏真を真っ直ぐに見つめた。
「お兄様の力は、すべてを破壊します。戦術も、絆も、誇りすらも。……私は妹として、相手チームの選手たちが絶望し、涙を流してピッチに倒れ込む姿を何度も見てまいりました」
美月は、胸元をきゅっと握りしめる。
「……ですが、不思議なのです。吉良様が絶望する姿だけは、どうしても想像できない。……お願いです。明日の決勝戦、お兄様の『力』に、あなたの『雅』が屈しないことを、どうか私に証明してくださいませ」
それは、魔王の妹からの、あまりにも切実で純粋な願いだった。
氏真は、夜空の月を見上げ、そして美月へと視線を戻した。
「……心配いらないよ、美月姫。僕らは、魔王の炎ごときで燃え尽きるような脆い羽は持っていない。……明日は、君に最高の試合を見せるよ」
「……はい。楽しみにしておりますわ」
美月がふわりと微笑み、深く一礼して部屋へ戻ろうとした時だった。
「ちょっと! そこの泥棒猫ちゃん!!」
氏真の背後、部屋の奥から愛(16歳)が鬼の形相で飛び出してきた。
「夜更けにわたくしの氏真様に何を吹き込んでおりますの! 睡眠時間の確保はコンディショニングの基本! 氏真様、早くベッドへ入りますわよ! そしてそこの妹君、明日泣くのはあなたのお兄様の方ですからね!」
愛が扇子を振り回して氏真を部屋へ引きずり込む。
美月はクスッと上品に笑い、「おやすみなさいませ、吉良様。そして、賑やかなお姉様」と小さく手を振った。
3. 指揮官の策:ディレイと狩り場
翌朝。
鹿児島・鴨池の白波スタジアムは、小学生年代の日本一を決めるにふさわしい、異様な熱気に包まれていた。
スタジアムには多くの観客が詰めかけ、テレビカメラのレンズがピッチを狙っている。
キックオフを直前に控えたインパルス清水のロッカールーム。
選手たちは、新しいオレンジ色のユニフォームに身を包み、吉良コーチの言葉を待っていた。
「……よくここまで来た。お前たちの努力と絆は、俺が一番よく知っている」
吉良コーチは、静かに、だが全員の心に響く声で口を開いた。
「相手の名古屋グレイスFCは、今までの相手とは次元が違う。特にエースの織田凱人。あいつのフィジカルとスピードに、まともに突っ込めば、一発で置き去りにされる」
コーチは、戦術ボードにペンを走らせた。
「だから、今日は『奪いに行く』守備を捨てる。お前たちが徹底するのは『ディレイ(遅らせる)』だ」
基哉と四天王たちが息を呑む。
「ディレイ……相手にアプローチしつつも、足を出さずに距離を保ち、攻撃のスピードを落とさせる戦術ですね」と基哉。
「その通りだ」コーチは頷いた。「相手がボールを持ったら、絶対に飛び込むな(チャレンジしない)。じわじわと後退しながらパスコースを限定し、サイドライン際へと追い込んでいくんだ」
コーチはボードのタッチライン際をトントンと叩く。
「サイドラインは、抜かれることのない最強の『ディフェンダー』だ。相手の攻撃を遅らせ、サイドの狭いエリアへ誘導する。……そこが、俺たちの『狩り場』だ。そこで初めて、複数人で挟み込んでボールを奪い取れ」
論理的で、極めて実践的なサッカーの基本戦術。だが、極限のプレッシャーの中でこれを実行するには、強靭な忍耐力とチーム全員の連動が必要不可欠となる。作戦参謀の大原由紀夫も、基哉の隣で真剣な面持ちでボードを見つめている。
「……そして、お前たちに一つ、伝えておくことがある」
吉良コーチは、ふと口元に笑みを浮かべた。
「今日、織田凱人はスタメンじゃない。奴はベンチスタートだ」
「「「えっ!?」」」
選手たちにどよめきが走る。魔王が、決勝の舞台で最初から出てこない?
「名古屋の監督の意図は分からない。後半勝負の温存か、それともただの慢心か。……だが、俺たちにとっては関係ない」
コーチは氏真を見た。
「奴がピッチにいない前半。ここで一気に畳み掛け、絶対に先制点を奪うぞ。いいな!」
「「「おおおおおッ!!」」」
4. 覇道への入場
アンセムが鳴り響く中、両チームの選手たちがピッチへと入場する。
澄み切った青空の下、美しい天然芝の匂いが少年たちの鼻腔をくすぐった。
氏真は、ピッチの中央へ向かって歩きながら、ふと視線を横へ向けた。
名古屋グレイスFCのベンチ。そこには、腕を組み、不機嫌そうにピッチを睨みつける織田凱人の姿があった。
視線が交錯する。
(……待っておれ、織田凱人。お主が自らピッチに飛び出してこざるを得ないような、極上の舞台を予が用意してやるゆえにな)
氏真は、不敵で雅な笑みを浮かべた。
「……さあ、みんな。これが最後の舞だ」
氏真が円陣の中心で、少年の笑顔とともに黄金の瞳を輝かせる。
「最高の『狩り』の時間にしようじゃないか!」
日本一の座を懸けた「決戦」のホイッスルが、今、高らかに鳴り響こうとしていた。
【次回予告】
ついにキックオフ! 吉良コーチの完璧な対策「ディレイ」と「狩り場への誘導」を忠実に実行するインパルス。ベンチスタートの魔王・織田凱人が苛立ちを見せる中、氏真と仲間たちの猛攻が名古屋のゴールをこじ開け、悲願の先制点を掴み取る!
第30話:【革命の魔王】。次なる天下へのパスを回せ!




