第160話:【規律の壁】
【あらすじ】
インターハイ岩手県予選準々決勝。ベスト4進出を懸け、第一シード盛岡城南が激突するのは公立進学校・盛岡第五高校! 徹底した映像分析と精緻なゾーン守備で中央を完全に封鎖する「知性の城壁」を前に、城南の攻撃がことごとく阻まれる。力押しもスピードも通じない膠着状態の中、沈黙するストライカー・吉良氏真が見出した突破口とは――!?
1.知性の城壁
5月下旬の陽射しが、岩手県営運動公園サッカー場の芝を照りつけていた。
ピッチを囲む金網の外には、控え部員や保護者、他校の偵察部員たちが人垣を作っている。初夏の風が砂埃を巻き上げ、刈り込まれた芝の青い匂いが熱気に混じっていた。
全国高校総合体育大会――インターハイ岩手県予選、準々決勝。
第2回戦で盛岡西、第3回戦で花北を退けた第1シードの盛岡城南高校は、ベスト4進出を懸けて県立盛岡第五高校と対峙していた。
背番号9のユニフォームを整えながら、吉良氏真は相手陣営のウォーミングアップを見つめていた。
盛岡第五は、スポーツ推薦枠を持たない公立の進学校だ。部員のほぼ全員が一般受験を控え、平日の練習時間は2時間にも満たない。
充実した施設と特待制度を誇る私立強豪校や、Jクラブのアカデミーとは、置かれた環境が根本から異なっている。
だが、彼らの姿に弛緩した空気はなかった。
ピッチの白線を基準に等間隔を保ち、主将の号令に合わせて一糸乱れぬステップを踏んでいる。1人の動きが終わる前に、次の選手が動き出す。その連携には、繰り返し磨き上げてきた規律が表れていた。
「氏真、油断するなよ」
中盤の底から、2年生アンカーの諸島憲二が歩み寄ってきた。
「盛岡第五は、県内屈指の戦術集団だ。個々のフィジカルや足元の技術じゃ俺たちに劣るが、スカウティングの深さと守備の規律は徹底している。過去の対戦でも、力押ししようとしたチームが何校も搦め手から沈められてる」
「はい。諸島先輩」
(力を持たぬ者が知恵を絞り、大軍の進路を塞ぐ……戦国の世においても、最も侮れぬのは、そうした知将の手勢)
氏真が穏やかに応じると、諸島は短く頷いた。
「頼もしいが、気を引き締めていこう」
主審の笛に促され、両チームがピッチ中央へ進み出る。
盛岡第五の先頭に立つのは、キャプテンマークを巻いた3年生GK、小野寺健人だった。
その目には、深い集中が宿っていた。
受験勉強の合間を縫い、夜更けまで城南のプリンスリーグや今大会の試合映像を分析してきた男の目だ。
氏真が前を向くときの身体の角度。左足のアウトサイドでボールを受ける際の置き所。諸島から縦パスが入る直前のステップ。
その1つひとつを頭に刻み込んできた者の気迫が、佇まいから伝わってくる。
(……良き眼だ。己が持てるすべてを盤上に注ぎ込み、理をもって予を封じにくる気概に満ちておる)
氏真の胸の奥に、確かな熱が灯った。
主審のホイッスルが青空に響き渡る。
キックオフ。
盛岡第五は、4―4―2の守備ブロックを敷いた。
最終ラインと中盤の間隔は狭く、横幅も中央を優先して絞り込まれている。前線の2人も自陣中盤近くまで下がり、城南のアンカーである諸島へのパスコースを遮断していた。
開始3分。
城南はセンターバックの佐々木拓海からビルドアップを始めた。
佐々木が前線を窺い、インサイドハーフの藤原拓真、そして中央に構える氏真へ縦パスを狙う。
だが、ボールが動いた瞬間、盛岡第五の守備ブロックが連動した。
「スライド! 間を締めろ!」
最後尾から小野寺の声が飛ぶ。
佐々木の足を離れたボールが転がるわずかな間に、相手ボランチとセンターバックが氏真へのパスコースを塞いでいた。
ボールが動いてから追いかけるのではない。
パサーの身体の向きから配球先を予測し、全員が次に必要となる位置へ移動しているのだ。
佐々木の縦パスは、待ち構えていた相手ボランチの足先に引っかかった。こぼれ球を相手サイドハーフが回収する。
「ちっ……コースを塞ぐのが早い」
佐々木が苦い顔をした。
もっとも、城南も簡単にはボールを渡さない。
諸島とジャック・ミラーが素早く挟み込み、相手の前進を阻んで奪い返す。
再び城南がボールを保持した。
左サイドでは千葉悠斗がオーバーラップし、大外のグエン・ミン・クアンへ展開する。
しかし、相手の右サイドハーフが素早く戻り、右サイドバックとともに2重の網を敷いていた。
クアンが初速を生かして縦へ仕掛けても、相手SBは安易に飛び込まない。低く構え、中央のカバーが間に合うまで時間を稼ぐ。
最後はタッチライン際へ追い込まれ、ボールを外へ弾き出された。
前半20分。
スコアは、0対0。
城南のシュートは、遠藤響が強引に放ったミドルシュートの1本だけだった。それも相手ボランチにコースを限定され、小野寺の正面へ飛んでいる。
「クソッ、どこに出しても相手が先に立ってやがる!」
左サイドで阻まれたクアンが苛立ちを露わにした。
テクニカルエリアの端では、吉良剛監督が腕を組んでピッチを見つめている。大声で指示を飛ばす様子はない。
この組織の壁を、選手たちがどう解体するのか。
指揮官は、それを見届けようとしていた。
氏真は額の汗を拭い、相手の守備陣形を観察した。
(昨日までの相手とは、守備の哲学そのものが異なるな)
盛岡西は、氏真という個を潰すためにマンマークとダブルチームを仕掛け、自らの陣形を崩した。
花北は中央を固めて外を捨てたが、氏真の動きに守備の意識を引き寄せられ、スライドの遅れを突かれた。
だが、盛岡第五は違う。
氏真がサイドへ流れようと、中盤へ下りようと、特定の選手が追い回すことはない。
ゾーンの中でマークを受け渡し、ボールの移動に合わせて全員がスライドする。
個人の動きに釣られず、組織として最善の位置を保ち続ける。
城南の攻撃は、緻密に編まれた網の目に絡め取られていた。
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2.膠着と観測
前半30分を過ぎても、重苦しい空気は晴れなかった。
金網越しの観客席から、ざわめきが広がる。
「城南が完全に攻めあぐねてるぞ」
「第五のディフェンス、隙がないな」
「公立の進学校が、第1シード相手に互角以上にやり合ってるぞ」
盛岡第五の選手たちの表情には、確かな手応えが宿り始めていた。
放課後の短い練習時間。教室にプロジェクターを持ち込み、全員で映像を確認した日々。帰宅後も各自のスマートフォンで城南の試合を見返し、気づいたことを共有してきた。
その積み重ねが、いまピッチ上で形になっていた。
佐々木がボールを持ったときの配球ルート。
諸島がターンするときの身体の向き。
クアンが仕掛ける際のステップ。
八重樫が裏を狙う初動。
そして、氏真がボールを受ける直前に見せる、微細な視線の誘導。
彼らは、相手の動きを知っているからこそ迷わずに走れた。
知性による先回りが、フィジカルと技術の差を埋めていた。
前半34分。
城南に、決定的なピンチが訪れた。
焦れた中盤の藤原から横パスが出る。わずかに甘くなったそのボールを、盛岡第五のボランチが鋭い出足でインターセプトした。
「カウンター! 押し上げろ!」
小野寺の声が響く。
2人のFWと両サイドハーフが一斉に走り出した。
奪ったボールは、素早く右サイドのオープンスペースへ展開される。
城南の左サイドバック、千葉が懸命に戻る。しかし、相手の右サイドハーフは迷わずアーリークロスをゴール前へ送った。
中央へ走り込んだFWが、長身の佐々木と激しく競り合う。
鈍い衝突音。
跳ね返ったボールが、ペナルティアーク付近へ転がった。
そこへ走り込んだのは、盛岡第五のもう1人のボランチだった。
フリー。
迷わず右足を振り抜く。
強烈なミドルシュートが、城南ゴールの右隅へ飛んだ。
城南ベンチの誰もが息を呑む。
その瞬間、GK工藤一が鋭い横跳びを見せた。
バチィィンッ!
工藤の右手がボールを弾き、辛うじてコーナーキックへ逃れる。
「ナイスキーパー、工藤!」
諸島が叫び、佐々木が胸を叩いて守護神を称えた。
失点こそ免れたものの、城南イレブンの表情には緊張が走っていた。
盛岡第五の守備は、攻撃を封じるだけではない。
こちらが焦れて前へ出た瞬間、その隙を見逃さず、一気にゴールを脅かしてくる。
続くコーナーキックを凌いだ城南は、再びボールを保持した。
しかし、決定的な崩しを見いだせないまま、時計の針が進んでいく。
ピッチ中央で、氏真は呼吸を整えていた。
(……見事な陣だ。だが、完璧な組織など、この世には存在せぬ)
バックラインでボールを左右に動かすたび、盛岡第五の守備ブロックは規則正しく横へ動く。
4人のDFと4人のMFが、互いの距離を保ちながらスライドを繰り返していた。
力で押しても崩れない。
スピードで振り切ろうとしても、先回りされる。
ならば、どこを突くべきか。
氏真は、相手の足元に目を向けた。
ボールが城南の右から左へ動くと、自陣ゴールを背にした守備陣は、一斉に右方向――城南の左サイド側へ移動する。
そして、逆方向へボールが戻されたとき。
全員が即座に反応できるわけではない。
身体を横へ運び、足を踏み替え、再び逆方向へ動き出す。そのわずかな時間に、選手ごとの反応の差が生まれる。
普段は互いの距離と連携によって埋められている差だ。
だが、ボールの動きに合わせて全員が同じ方向へ動くからこそ、次の変化に対応するまでの一瞬には、共通の遅れが生じる可能性がある。
(……あったぞ。ここだ)
氏真の思考の中で、1つの仮説が形を結んだ。
守備陣が動いてから、さらに動かすのではない。
彼らが次の動作へ移る、その瞬間を突く。
完璧な組織を崩すのに必要なのは、圧倒的な速さではない。
相手が動く時間と、自分が動く時間をずらすこと。
ピーッ、ピピーッ!
前半終了の笛が鳴り響いた。
0対0。
盛岡第五の選手たちは、肩で息をしながらも互いに声を掛け合い、胸を張ってベンチへ引き揚げていく。
「プラン通りだ」
そんな空気が、彼らの陣営を満たしていた。
一方、城南のベンチには、重い空気が漂い始めていた。
「クソッ、あいつら、パスコースを全部読んでやがる」
クアンが腰を下ろし、悔しげにタオルで顔を拭う。
「焦るな」
諸島が低い声でチームを落ち着かせようとしたが、その表情にも焦燥が滲んでいた。
そのとき、スポーツドリンクを口にしていた氏真が、顔を上げた。
「諸島先輩。後半、右から左へ大きく展開する際、千葉先輩のところで、ほんの半拍だけタメを作っていただけませんか」
諸島が眉をひそめる。
「半拍……? 速く回すんじゃなくて、遅らせるのか?」
「はい。相手は、ボールの移動に合わせて守備陣形を整えています。ですが、ボールが届いた瞬間に必ず次の動作へ移れるわけではありません」
氏真は、ピッチの配置を思い描きながら続けた。
「千葉先輩が一瞬だけクロスを遅らせれば、相手は寄せるべきか、中央を埋めるべきか、判断を迫られます。その判断の間に、僕が次の場所へ動く。全員の連携が乱れるのを待つのではなく、連携が次の形へ移る、その瞬間を突くのです」
「なるほど……」
諸島が腕を組み、考え込む。
「ボールを速く動かすんじゃなくて、相手の判断を一瞬だけ先へ進ませるわけか」
「その通りです。ただし、1度で決まるとは限りません。相手が対応してきたら、別の選択肢へ切り替えます」
端で腕を組んでいた剛監督が、微かに口元を緩めた。
「氏真の言う通りにやってみろ。知性を誇る相手には、それを上回る知性で答えを出す。それがフットボールだ」
指揮官の言葉に、城南イレブンの瞳へ再び闘志が灯った。
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3.継ぎ目を突く
後半開始のホイッスルが鳴った。
盛岡第五の守備意識は、前半にも増して研ぎ澄まされていた。
「後半も同じだ! 焦れて強引に来るぞ、絶対に間を空けるな!」
最後尾から小野寺の声が響く。
彼らの狙いは明確だった。
このまま0対0で時間を進め、焦る城南の背後をカウンターで仕留める。
後半8分。
城南が自陣でボールを回し始めた。
佐々木から右サイドの菅原大輝へ。そこから中央の諸島へ。
盛岡第五の守備ブロックは、パスに合わせて右へ左へと移動する。
そして、後半12分。
その瞬間が訪れた。
中盤の底で前を向いた諸島が、左サイドの高い位置を取った千葉へ、低く鋭いフィードを放つ。
盛岡第五の守備陣が、ボールの移動に合わせて一斉に自陣右側へ寄った。
相手の右サイドハーフと右サイドバックが千葉へ向かい、右センターバックも連動して内側のスペースを埋める。
千葉がボールを足元に収めた。
通常なら、ここですぐにクロスを上げるか、内側へパスを返す場面だ。
だが、千葉は氏真の指示通り、足裏でボールを引き、顔を上げた。
クロスを上げるまでの、ほんのわずかな間。
それだけで、相手の守備陣に判断の時間が生まれた。
右サイドバックが千葉への寄せを続ける一方、右センターバックは中央を警戒して立ち位置を調整する。
互いの役割を守ろうとするからこそ、次の動作に移る瞬間、2人の間合いにわずかなずれが生まれた。
(……今だ)
氏真が動いた。
力任せのスプリントではない。
膝の力を抜き、予備動作を最小限に抑えた一歩。
中央で相手の左センターバックと駆け引きしていた氏真は、スライドを終えて足元が固まった相手右センターバックの視野の死角を突くように、斜め前方へ滑り出した。
狙いは、右センターバックと右サイドバックの間。
ペナルティエリア左側のポケットへ続く、わずかな空間だった。
そこへ、顔を上げた千葉から、鋭いグラウンダーのパスが通る。
「しまっ――!」
相手右センターバックが、内側へ潜り込んできた氏真とパスの軌道に気づいて目を見開いた。
慌てて身体を逆方向へ切り返そうとする。しかし、スライドの勢いが残る軸足を踏み直す動作に、一瞬の遅れが生じた。
右センターバックは咄嗟に身を投げ出し、長い足を伸ばしてスライディングタックルで走路を塞ぎにかかる。
だが、氏真はその反応を完全に読んでいた。
トップスピードのまま歩幅を乱さず、身体の軸を保ったまま、滑り込んできた相手DFの足の真上を、羽毛のようにかすめてすり抜けた。
接触はない。最小限の動作による、完全な突破だった。
タックルをかわした氏真の目の前へ、千葉からのグラウンダーのパスがぴたりと滑り込んでくる。
「打たせるかあっ!」
盛岡第五の主将、小野寺が咆哮とともにゴールマウスを飛び出してくる。
両手を広げ、身体を大きく見せてシュートコースを塞ぐ。至近距離のシュートに対する、教科書通りのブロッキングだった。
だが、氏真は小野寺の動きを見ていた。
GKはシュートに備えて重心を落とし、下半身に力を込めている。
それは、至近距離の強烈なシュートに反応するための構えだ。だからこそ、瞬時に横へステップを踏み直すことは難しい。
氏真は転がってくるボールへ右足を鋭く振り上げた。
強烈なダイレクトシュートを放つようなモーション。
小野寺の身体が、ブロックに備えて一瞬固まる。
その刹那。
氏真はキックの力を完全に抜き、転がってきたボールへ右足のアウトサイドを優しく当てた。
極上のファーストタッチ。
小野寺の伸ばした右手の先をふわりと抜け、角度を変えたボールが無人のゴール前へ転がる。
氏真は流れるように左足のインサイドで、それを静かにゴールへ流し込んだ。
トン、と。
芝の上を滑ったボールが、サイドネットを揺らした。
後半12分。
盛岡城南、先制。
1対0。
静まり返っていたスタンドが、次の瞬間、地鳴りのような歓声に包まれた。
「決まったあぁぁっ!」
「なんだ今の抜け出し……! 触ることすらできなかったぞ!」
ピッチに倒れ込んだ小野寺は、脇を抜けてネットを揺らしたボールを呆然と見つめていた。
「……嘘だろ」
完璧だったはずだ。
映像を分析し、ポジショニングも、スライドも、飛び出しのタイミングも、練習で繰り返してきた。
そのすべてに、意味があった。
それなのに、目の前の背番号9は、守備陣が次の動作へ移る一瞬を見逃さなかった。
自分たちが築いた組織の中に、わずかな時間差が生まれた。
氏真は、その時間差をゴールに変えたのだ。
駆け寄ってきた遠藤や八重樫が氏真の肩を抱き、諸島が力強く拳を突き上げる。
氏真は、歓喜の輪の中で息を整えた。
(個の力に頼らず、組織の理を極めんとしたその志……見事であった。だが、理に忠実な組織であっても、動かすのは人の身。そこに生じる一瞬を、見逃すわけにはいかぬ)
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4.瓦解と連動
1点を失ったことで、盛岡第五の陣形に変化が生じた。
トーナメントの一発勝負で先制された以上、守備を固めて耐えるだけでは勝てない。
追いつくためには、ブロックを押し上げ、リスクを冒して前へ出る必要があった。
「ラインを上げろ! 1点取りに行くぞ!」
小野寺が最後尾から声を張り上げる。
盛岡第五は前線からプレッシングを仕掛け始めた。
しかし、自陣深くに構えることで保たれていた選手間の距離は、前進するにつれて広がっていく。
その背後に、空間が生まれた。
後半21分。
盛岡第五が前がかりになって奪いにきたボールを、アンカーの諸島が身体を張って受け止めた。
相手のプレッシャーをいなし、前を向く。
その視線が、右サイドの広大なスペースを捉えた。
諸島の右足から、正確なロングフィードが放たれる。
盛岡第五の最終ラインを越えたボールへ、右ウイングの八重樫隆生が走り込んだ。
相手の左サイドバックをスピードで振り切り、胸トラップでボールを前へ落とす。
ペナルティエリア右へ侵入。
飛び出してきた小野寺の動きを見極め、右足のインステップでファーサイドへ鋭く蹴り込んだ。
ボールがネットを揺らす。
2対0。
「八重樫ナイス!」
「完璧なカウンターだ!」
ベンチの控え部員たちが沸き立つ。
盛岡第五の選手たちの肩が、重く落ちた。
それでも、彼らは足を止めなかった。
3年生たちにとって、負ければこれが高校生活最後の公式戦になる。
1人ひとりが歯を食いしばり、泥にまみれながらセカンドボールへ身体を投げ出し続けた。
だが、城南の攻撃陣は、生まれた隙間を見逃さなかった。
後半29分。
中盤でボールを受けた氏真が、相手ボランチ2人を引きつけながら足裏でボールをコントロールする。
相手守備陣の意識が中央の氏真へ集まった瞬間、氏真は大きく首を振ることなく、左足のアウトサイドで斜め前方へ柔らかなスルーパスを流し込んだ。
そこへ逆サイドから斜めに走り込んできたのは、左ウイングのクアンだった。
「クアン、行けぇっ!」
最終ラインの裏へ抜け出したクアンは、追走する相手センターバックを加速で振り切り、ペナルティエリア左から左足を一閃。
強烈な弾道がゴールへ突き刺さった。
3対0。
勝負の趨勢は決した。
だが、残り時間が少なくなっても、盛岡第五は誰1人として下を向かなかった。
「まだ終わってねえぞ! 1点返すぞ!」
小野寺の怒号がピッチに響く。
盛岡第五は前線へロングボールを送り、泥臭くセカンドボールへ殺到した。
ペナルティエリア手前では激しいルーズボールの奪い合いが起きる。
城南も集中力を切らさない。
諸島が身体を張ってボールを掻き出し、交代出場の阿部航平が中盤のスペースを埋め、相手の侵入を阻んだ。
後半35分。
アディショナルタイム2分を終えた瞬間、主審の長いホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
3対0。
盛岡城南高校、ベスト4進出。
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5.託された矜持
試合終了の瞬間、盛岡第五の選手たちは、糸が切れたようにその場へ膝をついた。
芝に額を押し当てて肩を震わせる者。
ユニフォームの袖で顔を覆う者。
スポーツ推薦もなく、限られた時間の中でサッカーに打ち込んできた彼らの夏が、静かに幕を下ろした。
整列を終えた後、主将の小野寺健人が、泥だらけの顔を拭いながら氏真のもとへ歩み寄ってきた。
目は充血していたが、その眼差しには、すべてを出し切った者特有の光が宿っていた。
「……完敗だ」
掠れた声だった。
「俺たちには推薦枠もないし、練習時間も私立の半分以下だ。だから、データと組織で勝つしかなかった。お前たちの試合映像を何十時間も見て、お前が前を向く癖も、チームの崩しのパターンも、全部ノートに叩き込んで臨んだんだ」
小野寺は拳を固く握りしめた。
「完璧な対策を立てたつもりだった。ラインのスライドも、受け渡しも、俺たちがやってきたことには狂いがなかったはずだ。……それなのに、お前はその先を走っていた」
悔しさと、自分たちのサッカーをやり切った納得が、その言葉から滲み出ていた。
「1点目のあの動き……スライディングの足の上を抜けて、触ることすらできなかった。あんなの、どんなデータにも載ってねえよ」
氏真は、小野寺の目をまっすぐに見つめ返した。
そして、深々と一礼した。
「第五高校の組織、そして知性……真に見事でした」
氏真は落ち着いた声で続けた。
「僕が抜け出せたのは、皆様が築き上げた組織を観察できたからです。全員が連動して動くからこそ、次の動作へ移る瞬間に、わずかな時間差が生まれる。その可能性を考え、実際のプレーの中で狙うことができました」
氏真は、静かに頭を下げた。
「制約の多い環境の中で知恵を絞り、ここまでの規律を創り上げた皆様のフットボールから、僕も心から学ばせていただきました」
小野寺は一瞬目を見張り、それから、くしゃりと笑った。
「……そうかよ。相手を褒めるなんて、つくづく手強いエースだな」
泥と擦り傷にまみれた右手が差し出された。
「握手してくれ。……頼むから、俺たちの分まで勝ってくれよ。お前たちなら全国へ行ける。行かなきゃ、俺たちが浮かばれねえよ」
「はい。必ず」
氏真は迷わず、その手を両手でしっかりと握り返した。
掌から伝わってくる、冷めやらぬ熱量と3年間の重み。
それは、欧州のアカデミーでは味わうことのなかった、高校サッカーという舞台が持つ魂の重みだった。
勝者だけが努力してきたわけではない。
敗れた者にも、譲れない誇りがある。
そのことを、氏真は改めて胸に刻んだ。
クーリングダウンを終え、グラウンドの片隅で荷物をまとめていると、タブレットを抱えた早川舞が歩み寄ってきた。
「ウジ様、お疲れさま! 映像と照合できたよ」
舞が画面を氏真に示す。
そこには、フォーメーションの移動軌跡が表示されていた。
「1点目の場面、千葉先輩がボールを収めてからクロスを上げるまでのタメで、盛岡第五の守備陣は立ち位置を調整していたの。ウジ様が動き出した瞬間、相手CBとSBの間に一瞬だけずれができていた。相手CBが対応に移ったときには、もう追いつけない位置まで入っていたよ」
「舞の事前のスカウティングがあったからこそ、あの瞬間を待つことができたんだよ。ありがとう」
氏真が穏やかに微笑むと、舞は誇らしげに目を細めた。
そこへ、吉良剛監督と諸島が近づいてきた。
剛は西の空を見上げながら、静かに口を開いた。
「公立校がデータと戦術分析を駆使して、私立の名門を本気で脅かす時代だ。個の能力に胡座をかいているチームは、今日のような相手に足をすくわれる。現代の高校サッカーは、お前が思っている以上に進化しているぞ」
「はい、叔父さん。痛感いたしました」
氏真は胸の奥で深く頷いた。
恵まれない練習環境、限られた時間。
その中でも知恵を絞り、規律を磨き上げ、強者に立ち向かってくる高校生たちがいる。
彼らのような存在がいるからこそ、このトーナメントの一発勝負には、何物にも代えがたい熱量と尊厳が宿るのだ。
「さて……次は準決勝だ」
諸島の声が、低く引き締まった。
「相手が決まったぞ」
舞がタブレットの画面を切り替える。
そこに映し出された校名を見た瞬間、城南の選手たちの空気が一変した。
――北上高校。
昨秋の全国高校サッカー選手権・岩手県予選。
スコアは1-0(後半1-0)。
後半に奪った虎の子の1点を全員で守り抜き、城南が辛くも競り勝った激闘の相手だった。
紙一重の差で涙を呑んだ北上にとって、城南は雪辱を果たすべき最大の標的であり、城南にとっても、その凄まじい粘りと執念を知るだけに決して侮れない難敵だった。
「北上か……」
諸島が固く拳を握りしめる。
「去年の選手権は1-0で凌ぎきったが……向こうは死に物狂いで借りを返しにくるぞ」
「ああ。迎え撃つこちらに、一瞬の油断も許されんぞ」
剛監督の眼光が鋭く光り、城南イレブンの闘志が静かに燃え上がった。
帰りのバスの車窓から、夕陽に染まる岩手山を眺めながら、氏真は背番号9のユニフォームにそっと手を触れた。
知性によって破った盛岡第五の誇りと、託された想い。
そして、次なる戦場に待つチームの因縁。
(敗れ去りし者たちの想いを背負い、予はさらなる高みへ進むのみ)
初夏の風が吹き抜ける中、氏真の瞳は、次なる決戦のピッチを見据えていた。
【次回予告】
決勝進出を懸けた準決勝! 立ちはだかるのは、昨秋城南に敗れた雪辱を期し、前主将の無念を背負って牙を剥く北上高校! 強固な堤防と鋭いカウンターの前に城南は!?
第161話:【託された誇り】次なる天下へのパスを回せ!




