第159話:【一発勝負】
【あらすじ】
インターハイ岩手県予選が開幕! 通年リーグとは異なる「負ければ即終了」のトーナメント。三年生の覚悟と高校生活のすべてを懸けた相手校の泥臭い気迫、そして徹底した氏真包囲網が立ちはだかる。欧州仕込みの合理的な戦術が揺らぐ極限状態の中、完全に封殺されたストライカーが見出す新たな盤面とは――!?
1.初夏の張り詰めた風
5月下旬。初夏の陽射しが照りつける、岩手県営運動公園サッカー場。
ピッチを囲む金網の向こうでは、各校の横断幕が風にはためいていた。控え部員の声援やメガホンの音が響き、刈り込まれた芝の匂いが熱気に混じる。
全国高校総合体育大会――インターハイ岩手県予選。
プリンスリーグ東北の前期を単独2位で折り返した盛岡城南高校は、第2シードとして2回戦からの登場だった。
ウォーミングアップを終えた吉良氏真は、背番号9のユニフォームを整え、対戦相手の盛岡西高校を見つめていた。
選手たちの表情が硬い。
特に、主将の小田島を中心とする守備陣は、試合前から互いに声を掛け合い、何度も配置を確認している。城南の偵察映像を見てきたのだろう。彼らの視線は、ときおり氏真へ向けられていた。
(……予を止めることに、すべてを懸けておるのか)
欧州のユース年代やプリンスリーグで戦ってきた氏真にとって、通年リーグ戦は馴染み深いものだった。
1試合で失敗しても、次がある。課題を見つけ、修正し、積み重ねた勝点で順位を競う。長い時間をかけて選手とチームを育てる世界だ。
だが、ここは違う。
前後半各35分。70分の試合に敗れれば、その時点で大会から姿を消す。
3年生にとっては、最後の夏になるかもしれない。
「氏真、気をつけろよ」
声をかけてきたのは、主将の諸島憲二だった。
「県予選の一発勝負は、リーグ戦とは別物だ。相手は勝つためなら、こっちが想像していないこともやってくる」
「分かっています、諸島先輩。後のない籠城戦のようなものですね」
「また合戦か。まあ、間違ってはいないが」
諸島は苦笑したあと、真剣な表情に戻った。
「ただし、相手だけじゃない。俺たちも、勝たなきゃ終わるんだ」
その言葉に、氏真は小さくうなずいた。
キックオフを告げる笛が鳴る。
盛岡西は、予想以上に徹底していた。
5バックを基本とする守備陣形。中央には3人のセンターバックが並び、その前を2人のボランチが固めている。
そのうち1人が、氏真の動きに合わせて前後を移動していた。背後には主将の小田島がつき、氏真がボールを受ければ、もう1人の守備者が即座に寄せる。
露骨なまでの包囲網だった。
「欧州帰りだろうが、好き勝手はさせねえ!」
マークにつくボランチが、氏真のユニフォームを掴まないぎりぎりの距離で身体を寄せてくる。
前半12分。
中盤の底から諸島が縦パスを入れた。
氏真は左足のアウトサイドでボールを受け流し、身体を半身にする。背後から当たってきた小田島の力を利用し、最小限の動きで前を向こうとした。
しかし、その先にもう1人のボランチがいた。
氏真が最初の守備者をかわす位置まで、読み切っていたのだ。
身体が激しくぶつかる。
ボールを挟み込まれ、氏真は芝に倒れた。
主審の笛が鳴る。
ファウルだった。
それでも、盛岡西のボランチはすぐに立ち上がり、氏真を睨みつけた。
「前は向かせねえぞ……絶対に!」
城南がボールを保持しても、攻撃は続かなかった。
中央へのパスは遮断され、氏真に入れば2人がかりで潰される。左サイドのクアンが突破を試みても、相手の最終ラインはペナルティエリア付近から動かず、クロスを入れる空間すら狭かった。
前半20分。
スコアは、まだ0対0だった。
「くそっ、中が詰まりすぎだ!」
クアンが悔しげに吐き捨てる。
氏真も、焦りを感じていた。
リーグ戦なら、相手の対策を確認し、次節に向けて修正するという考え方もできる。
しかし、今日負ければ終わりだ。
目の前には、3年生たちの夏が懸かっている。
早く突破口を見つけなければ。
その思いが、知らず知らずのうちに氏真の判断を急がせていた。
ベンチに目を向ける。
吉良剛監督は、腕を組んだままピッチを見つめていた。指示を出す気配はない。
(……自分で解け、ということか)
「焦るな、氏真!」
諸島の声が飛んできた。
「まだ時間はある!」
氏真は片手を上げて応えた。
そして、もう一度、盛岡西の守備陣を見た。
小田島は自分から離れない。ボランチも、氏真が中央にいる限り、その周囲を空けようとしない。
彼らは、自分を止めるために走っている。
その事実を、氏真はようやく真正面から受け止めた。
(予が前を向くこと。そればかりを考えておった)
自分が突破することを前提に考えている限り、相手の望む勝負から抜け出せない。
(ならば、予が前を向く必要のない形を作ればよい)
肩の力が、すっと抜けた。
氏真は、次の攻撃を待った。
---
2.自分が動かす盤面
前半25分。
城南が自陣でボールを回す中、氏真は中央から右サイドへゆっくりと移動した。
小田島がついてくる。
しかし、ボランチは中央に残った。
諸島からの縦パスは、そのボランチに引っかかる。攻撃は不発に終わった。
(ただ外へ動くだけでは、中央の守備は崩れぬか)
氏真は息を整えた。
相手は、こちらが外へ移動したからといって、無条件に追ってくるわけではない。中央を空ければ、そこを使われると分かっている。
ならば、放置できない動きを見せる必要がある。
前半29分。
センターバックの佐々木拓海が、最終ラインでボールを持った。
その瞬間、氏真は走り出した。
狙ったのは、中央のセンターバックと、その隣のストッパーとの間。ペナルティエリア右奥へ向かう、鋭い斜めのランニングだった。
「裏だ! 行かせるな!」
小田島が叫ぶ。
氏真の進路を塞ぐように、ゴール前へ走り込む。
もう1人のボランチも、スルーパスを警戒して自陣へ戻った。
2人の意識が、氏真に集中する。
その瞬間。
氏真は、右足を芝に踏み込んで急停止した。
そのまま身体を反転させず、少しだけ後ろへ下がる。
小田島はゴール前に踏みとどまった。ここで氏真を追って中央を空けるわけにはいかない。
一方、全速力で戻ってきたボランチは、急に前へ動き直そうとしたものの、勢いを殺しきれず、反応が遅れた。
わずかな時間。
だが、十分だった。
佐々木から諸島へ縦パスが通る。
諸島は相手FWの寄せを身体の向きでいなし、前を向いた藤原拓真へワンタッチで落とした。
藤原がボールを受けた瞬間、中央のボランチが前へ飛び出してくる。
シュートコースを消すためだった。
その背後に、空間が生まれる。
氏真を追って戻りきれなかったボランチと、前へ出たボランチ。その間にできた隙間へ、後方から走り込んできた遠藤響が入った。
「遠藤!」
藤原のパスが通る。
遠藤はペナルティエリア手前でボールを前へ運び、得意の左足を振り抜いた。
低いシュートが、ゴール右隅へ突き刺さる。
前半31分。
城南、先制。
「よっしゃああっ!」
遠藤が拳を握り、諸島も声を上げた。
氏真は、静かに息を吐いた。
自分は、ボールに触れていない。
それでも、相手の動きを変えたことで、遠藤が前を向く時間を作れた。
(これでよいのだ)
得点したのは遠藤だ。
その事実が、氏真には嬉しかった。
自分が決めることだけが、ストライカーの仕事ではない。
自分が動くことで、味方の選択肢を増やす。それもまた、攻撃の中心に立つ者の役割なのだ。
盛岡西は、すぐに立て直そうとした。
しかし、先制を許したことで、彼らは前へ出る必要に迫られていた。
前半34分。
氏真は今度、右サイドの大外へ流れた。
小田島がついてくる。さらにもう1枚のDFも、中央から右へと位置をずらした。
その動きを見て、諸島が逆サイドへ浮き球を送る。
左から斜めに走り込んだクアンが、相手の右ウイングバックの背後を取った。
GKが前へ出る。
クアンは慌てず、足元へ流れてきたボールを押し込んだ。
2対0。
盛岡西の選手たちは、悔しげに声を掛け合った。
まだ諦めてはいない。
ハーフタイム、彼らは5バックの1角を前線へ押し上げ、攻撃の人数を増やした。ロングボールを放り込み、こぼれ球へ全員で飛び込んでくる。
後半4分。
盛岡西のFWが空中戦で身体をぶつけ、こぼれたボールがペナルティアーク付近へ転がった。
ボランチが走り込み、ダイレクトで右足を振り抜く。
シュートはクロスバーを直撃した。
跳ね返ったボールへ、さらに相手FWが詰める。
「打たせるか!」
諸島が身体を投げ出し、スライディングでボールをタッチラインの外へ掻き出した。
城南の選手たちが、一斉に息を呑む。
2点差でも、安全ではない。
盛岡西の執念は、本当に城南のゴールを脅かしていた。
だが、攻めに出た相手の背後には、広い空間が残されていた。
後半12分。
城南が自陣でボールを奪い返す。
氏真は中央で受けると、2人のDFを引きつけた。相手が足元への寄せを強めた瞬間、背後へ回すようにヒールでボールを流す。
走り込んだ八重樫隆生が、独走態勢に入った。
GKとの1対1。
八重樫は冷静にシュートを流し込んだ。
3対0。
試合の流れは、決定的になった。
後半25分には、藤原から縦パスを受けた氏真が、右足の裏でボールを止めた。
相手CBが寄せてくる。
味方へのパスを警戒していたその一瞬、氏真は身体を反転させた。相手の重心が前へ傾いたところを抜け出し、右足を振り抜く。
シュートがニア上へ突き刺さった。
4点目。
タイムアップの笛が鳴った。
4対0。
城南は初戦を突破した。
だが、氏真の胸に残っていたのは、4得点の結果だけではなかった。
最初は、相手の包囲網を力ずくで破ろうとしていた。
そこから、自分が相手を動かすことで、味方のために道を作ることを覚えた。
それは、ほんの小さな意識の転換だった。
しかし、試合の見え方は変わっていた。
試合終了後、盛岡西の主将・小田島はピッチにうずくまり、芝に額を押しつけていた。
3年生にとって、この大会が最後の舞台だったのだろう。
氏真は、ゆっくりとその前へ歩み寄った。
「……2人付けて、身体をぶつけて、お前を止めようとした。お前さえ消せば、何とかなると思ってたんだ」
小田島は、顔を上げずに言った。
「それなのに、お前は最後、自分を囮にしてチームを動かしやがった。俺たちが必死に追えば追うほど、後ろが空いていく。分かってたのに、止められなかった」
氏真は、返す言葉を慎重に選んだ。
「皆さんが本気で僕を止めようとしていたからこそ、選べた方法です。最初のように力ずくで突破しようとしていたら、僕の方が先に潰されていたと思います」
小田島が顔を上げた。
しばらく氏真を見つめたあと、悔しさの残る笑みを浮かべる。
「……負け惜しみも言えねえな。握手してくれ」
差し出された手は、泥と擦り傷にまみれていた。
「この悔しさは、次の奴らに伝えておく」
氏真は、その手を両手でしっかりと握り返した。
「はい。次に戦うときは、もっと強くなっていてください」
小田島は一瞬目を見開き、それから短く笑った。
「お前に言われると、そうするしかねえな」
その背中を見送りながら、氏真は思った。
勝敗は、残酷なほど明確だ。
それでも、敗れた者たちが積み重ねた努力まで、消えるわけではない。
一発勝負とは、ただ勝者だけが残る場所ではないのだ。
---
3.花北戦――昨日の答えは、今日の正解か
翌日、県営運動公園。
3回戦の相手は、花巻・北上地域の古豪、花北高校だった。
彼らは前日の盛岡西戦を視察していた。
キックオフ直後、氏真はその理由を理解した。
花北は、盛岡西のような露骨なマンマークを採用していない。
4―4―2の布陣を保ちながら、守備陣全体の距離を縮めている。中央へ人数を集め、相手の縦パスを遮断する組織的なゾーン守備だった。
氏真がサイドへ動いても、センターバックは持ち場を離れない。
手前のサイドハーフが氏真を受け渡し、ボランチが中央を埋める。
中央へ戻れば、2列の間隔がさらに狭まる。
(昨日のように動いても、簡単には崩れぬか)
前半15分。
ジャック・ミラーがペナルティエリア手前からミドルシュートを放ったが、相手CBが身体を張ってブロックした。
こぼれ球を拾おうとしたクアンも、すぐに2人に囲まれる。
花北の守備は、無理にボールを奪いに来ない。
城南の選手が前を向く前に、次のパスコースを消しているのだ。
氏真は、中央でボールを受けようとする動きを一度やめた。
相手の守備陣形を見渡す。
中央には、十分すぎるほど人数がいる。
その一方で、両サイドのタッチライン際には、守備者との距離がある。
中央を締めるために、外側をある程度空けているのだ。
(ならば、外を使う。ただし、外から攻めること自体を目的にはせぬ)
氏真は、2人のセンターバックの間に立った。
ボールを要求するでもなく、走り出すでもない。
ただ、相手の視界に入る位置を保つ。
中央を守る2人は、氏真を完全に無視するわけにはいかなかった。城南の攻撃の起点を自由にさせれば、そこから一気にゴールへ迫られる。
その間に、左サイドバックの千葉悠斗が高い位置へ上がった。
氏真が後方の諸島へ視線を送る。
諸島は中央へのパスを選ばず、左へ大きく展開した。
千葉がフリーでボールを受ける。
花北の右サイドハーフが戻り、サイドバックも外へ寄せようとする。だが、中央から移動するには一歩遅かった。
千葉がクロスを上げる。
その瞬間、氏真がニアサイドへ飛び込んだ。
中央のDFとGKの視線が、一斉に氏真へ向く。
ボールには届かない。
それでよかった。
逆サイドから斜めに走り込んだ八重樫が、空いたスペースへ飛び込み、ヘディングで押し込んだ。
前半20分。
城南、先制。
氏真は、八重樫と目を合わせて軽くうなずいた。
昨日と似ているようで、違う。
盛岡西は、氏真を追うことで守備陣形を崩した。
花北は、氏真を追わずに守備を維持しようとした。
だからこそ、氏真は自分が中央に留まることで相手の注意を引きつけ、外側を使わせた。
相手が何を守り、何を捨てているのか。
それを見極めることが、攻略の出発点だった。
先制後、花北の守備陣は少しずつ外へ意識を向けざるを得なくなった。
サイドへの展開を警戒し、サイドハーフが外へ動く。
すると、中央のボランチとセンターバックの間に、わずかな隙間が生まれた。
前半35分。
阿部航平から縦パスが入る。
氏真は、相手CBが寄せてくるのを見ながら、右足の裏でボールを止めた。
相手の身体が前へ傾く。
その瞬間を逃さず、氏真はボールを足元に置いたまま、わずかに角度を変えた。
GKがシュートコースを消そうと前へ出る。
膝を曲げ、重心を低くする。
氏真は、GKの動きを見ていた。
まだシュートを打つ必要はない。
GKが動いたことで、ゴールの上側が空いた。
右足首の力を抜き、ボールの下へ足先を差し入れる。
ふわり。
ボールはGKの頭上を越え、無人のゴールへ落ちていった。
2対0。
トラップからゴールへのパス。
氏真の一撃に、スタンドから感嘆の声が上がった。
しかし、花北は崩れなかった。
ハーフタイムを挟み、後半は前線からの連動したプレッシングを仕掛けてきた。
守備を固めるだけでは勝てない。
2点を追う彼らは、リスクを取って城南のビルドアップを潰しに来たのだ。
後半3分。
GKからボールを受けた佐々木に、花北のツートップが一気に寄せる。
外側へのパスコースを切られ、佐々木は中盤の底へパスを出した。
そこへ、相手ボランチが飛び込む。
インターセプト。
一気に前へ運び、ペナルティエリア手前からミドルシュートを放った。
城南のGKが指先で触れる。
ボールは右ポストを叩き、外へ弾かれた。
「次は通すな! 立ち位置を修正しろ!」
諸島が声を張り上げる。
花北のプレスは、城南の選手が次のパスを考える時間を奪っていた。
氏真は、すぐに前線へ走り込むのをやめた。
今は、ゴールへ向かうよりも、ボールを前へ運べる状態を作る必要がある。
諸島と目が合う。
氏真は一度、中央へ寄った。
ボールを受けるためではない。相手ボランチの視線を自分へ向けるためだ。
その間に、ジャックが一歩下がり、パスを受ける位置を変える。
諸島からのボールがジャックへ渡った。
花北の選手が寄せる。
ジャックはワンタッチで味方へ落とし、さらに前へ走る。相手のプレスが1人、また1人とボールへ向かうにつれ、背後のスペースが広がっていった。
城南は、第1波を抜けた。
後半10分。
中央でボールを受けた氏真が、前へ走り込むクアンへスルーパスを通した。
クアンは相手DFの背後へ抜け出し、そのままシュートを流し込む。
3対0。
後半22分には、前線からのプレスをかわしたジャックが、ペナルティエリア手前から強烈なミドルシュートを決めた。
4対0。
花北の選手たちは、なおも声を掛け合っていた。
最後まで、自分たちの戦い方を捨てようとはしなかった。
後半31分。
交代出場した3年生の照井勇気が、相手の寄せを緩急のあるドリブルでかわし、ゴール前へ侵入した。
最後は落ち着いてシュートを流し込む。
5対0。
試合終了の笛が鳴った。
城南は準々決勝へ進出した。
整列を終えたあと、花北の主将・佐藤が氏真のもとへ歩み寄ってきた。
大柄なセンターバックだった。
「……完敗だ。中央を締めて、外へ出たら受け渡す。それを徹底すれば、そう簡単には崩されないと思ってた」
悔しさを隠してはいない。
それでも、目を逸らすこともなかった。
「でも、お前が中央に残ったまま外を使わせたせいで、俺たちは横に広がらざるを得なかった。最後まで中央を締めれば、今度は外からやられる。……守る側としては、嫌な選手だよ」
氏真は首を横に振った。
「皆さんの守備が崩れなかったからこそ、外を使う必要がありました。中央だけを見ていたら、僕たちは最後まで苦しんでいたと思います」
佐藤は意外そうな顔をした。
「そう言ってもらえると、少し救われるな」
そして、差し出した手を氏真が握ると、静かに笑った。
「城南、強いよ。このまま勝ち進んでくれ」
「ありがとうございます。佐藤さんたちの守備から、僕も学ばせてもらいました」
2人は手を離した。
氏真は、花北の選手たちが肩を落としながらも、互いに声を掛け合っている姿を見つめた。
昨日は、相手の執念に押されて判断を誤った。
今日は、相手が何を守ろうとしているのかを考え、違う方法を選べた。
だが、2試合を勝ち抜いたからといって、すべての相手に同じやり方が通用するわけではない。
そのことを、氏真はすでに感じ始めていた。
---
4.数字の向こう側
試合後の夕暮れ。
クーリングダウンを終えた城南の選手たちが荷物をまとめていると、早川舞がタブレットを抱えて氏真のもとへやってきた。
「ウジ様、お疲れさま。2試合分の映像、トラッキングデータとの照合が終わったよ」
画面には、選手の移動軌跡とフォーメーションの変化が表示されていた。
「盛岡西戦では、ウジ様が裏へ走って急停止したあと、相手ボランチが前へ動き直すまでに時間がかかっていた。そこを遠藤先輩が使ったから、フリーでシュートを打てたんだね」
「なるほど。映像で見ると、はっきり分かるものだね」
「うん。でも、花北戦は少し違うよ」
舞が画面を切り替えた。
「花北は、ウジ様が動いても守備の形を崩さないようにしていた。だから、盛岡西みたいに1人を引き連れて空間を作るんじゃなくて、中央に相手を留めながら、外の選手に時間を作った」
氏真は、画面に表示された自分の移動軌跡を見つめた。
「相手によって、同じ動きの意味が変わるということだね」
「そう。昨日うまくいったからって、今日も同じことをすればいいわけじゃない」
舞は、そこで少し表情を引き締めた。
「それで……次の相手なんだけど」
表示されたのは、盛岡第五高校の試合映像だった。
「ここは、県内でも守備の連動がかなり徹底してる。ボールが動く前から、次のパスコースを消す位置に動いているの。誰かが引き出されても、別の選手がすぐに穴を埋める。単純に横へ動かしたり、裏へ走ったりするだけでは、空間を作れないかもしれない」
氏真は、映像を見つめた。
相手FWがパスコースを限定し、ボランチが中央を消す。サイドへボールが出ると、サイドハーフとサイドバックが連動して寄せる。
そこまでは、よくある組織守備だ。
だが、盛岡第五の選手たちは、ボールが出たあとに慌てて動いているのではなかった。
パスが出る前から、次の展開を予測していた。
「……守備の網を、あらかじめ張り直しておるのか」
「そう。ウジ様が動いたあとにできる空間まで、先回りして埋めてくる可能性がある」
氏真は画面を見つめたまま、しばらく黙っていた。
2試合で手応えを得た。
自分の動きで相手を動かし、味方が使える空間を作る。
だが、相手がその意図を読み、先回りして空間を閉じてくるなら、どうすればいいのか。
自分が動けば動くほど、味方のために道を作れるとは限らない。
「舞さん。映像を、もう少し見せてもらえるかな」
「もちろん」
氏真は、盛岡第五の守備陣形を目で追った。
答えは、まだ見つからない。
それでも、次の試合までに考えるべきことは、はっきりしていた。
---
5.覚悟の重み、そして準々決勝へ
「ずいぶん熱心だな」
声をかけてきたのは、吉良剛監督だった。
剛はタブレットを一瞥してから、氏真へ視線を向けた。
「昨日の前半、お前は相手を力ずくで突破しようとしていたな」
「……はい。相手の気迫に引っ張られ、勝負を急いでしまいました」
氏真は素直に認めた。
「だが、自分で気づいて修正した。相手の警戒を逆手に取り、味方の攻撃を引き出した。あの判断はよかった」
剛は、グラウンドの向こうを見やった。
「トーナメントでは、勝つために極端な戦術を選ぶチームもある。特定の選手を徹底して潰し、失点を防ぐことだけに全力を注ぐ。長期的な育成という観点では、別の考え方もあるだろう」
氏真は、昨日の盛岡西の選手たちを思い出した。
2人がかりで自分を止め、身体を張ってゴールを守り、最後まで諦めずに走り続けた。
「ですが、彼らは本気でした」
「そうだ」
剛は短くうなずいた。
「負ければ終わりだからこそ、あれだけの覚悟で身体を張れる。戦術として合理的かどうかと、選手が懸けているものの価値は別の話だ」
氏真は、胸元の背番号にそっと触れた。
戦国の世でも、勝敗は領地や家の存続を左右した。
理屈だけでは割り切れない状況で、人は知恵を絞り、時には無謀に見えるほどの執念を見せる。
昨日と今日、ピッチで対峙した選手たちも同じだった。
「……僕は、勝つことばかりを考えていました。ですが、勝とうとしている相手が何を守りたいのか、そこまで考えなければ、本当の意味で相手を理解することはできないのですね」
「そこに気づけたなら、2試合を戦った意味はあった」
剛はそう言って、舞のタブレットに目を向けた。
「ただし、次はそう簡単にはいかないぞ。盛岡第五は、相手の狙いを読んで守備を組み立てる。お前が動いて空間を作ろうとしても、その空間を使わせない準備をしてくるだろう」
「はい」
「自分が何をするかだけでは足りない。相手がこちらの意図を理解したとき、次に何が起こるかまで考えろ」
氏真は、再び映像へ目を向けた。
これまで、自分の動きで相手の判断を揺さぶることを考えてきた。
だが、相手もまた考えている。
こちらの動きを読み、先回りし、狙いを封じようとする。
ならば、相手の読みをさらに利用するのか。
それとも、予想そのものを外す必要があるのか。
答えは、まだ出ていなかった。
「全員、明後日の準々決勝に向けて準備を怠るな。ここから先は、相手も一段と手強くなる」
剛の声に、諸島や佐々木たちが引き締まった表情でうなずいた。
盛岡第五高校。
組織的な守備と高い戦術理解を武器に、相手の長所を消すことに長けた強豪校だ。
2試合を勝ち抜いた城南にとって、次は新たな壁となる。
帰りのバス。
窓の外では、夕陽を浴びた岩手山が静かに暮れていった。
氏真は座席に背を預け、今日の試合を振り返った。
自分が動くことで、味方のために空間を作る。
それは、確かな手応えだった。
だが、相手がその意図を読み、先回りして道を塞いできたら。
自分の動きを囮にすることさえ、相手に利用されるとしたら。
(……そのとき、予は何を選ぶ)
答えを急ぐ必要はない。
ただ、次の試合までに考え続けなければならない。
氏真は窓の外から視線を戻した。
次の相手は、自分の長所を消しにくる。
ならば、その先にあるものを見つけるまでだ。
一発勝負の夏は、まだ始まったばかりだった。
【次回予告】
ベスト4を懸けた準々決勝! 立ちはだかるのは公立進学校・盛岡第五。徹底したデータ分析と完璧な連動守備が、城南の攻撃を封殺する! 力も速度も通じぬ「知性の城壁」を前に、氏真が見出す突破口とは!?
第160話:【規律の壁】。次なる天下へのパスを回せ!




