第161話:【託された誇り】
【あらすじ】
インターハイ岩手県予選準決勝。城南の前に立ちはだかるのは、昨秋の敗戦から雪辱を期し、前主将の無念を背負って立ち向かう北上高校! 強固な守備堤防と鋭いカウンター、凄絶な気迫で迫る相手に対し、城南はどう活路を開くのか。かつてスタンドから敗者の背中を見つめていた氏真が、因縁渦巻くピッチで「託された想い」に対峙する――!
1.初夏の風と因縁の芝
6月上旬。岩手県営運動公園サッカー場のメインピッチの上には、初夏の澄み切った青空が広がっていた。
5月下旬の集中開催を勝ち抜いた4強が、決勝への2つの切符を争うインターハイ岩手県予選・準決勝。金網の向こうの観覧エリアには、敗退した各校の部員や保護者、地元のサッカーファンが幾重にも人垣を作り、張り詰めた熱気がピッチを包み込んでいた。
盛岡城南高校の濃紺のユニフォーム。その背番号9を身に纏った吉良氏真は、スパイクの紐を締め直し、対戦相手のウォーミングアップを静かに見つめていた。
県立北上高校。
城南にとって、その名は単なる準決勝の相手ではない。
昨秋の全国高校サッカー選手権・岩手県予選。飯岡たち当時の3年生が率いた城南は、北上との激闘を制して準決勝へと駒を進めた。しかし、敗れた北上の前主将・佐々木隼人たちが流した涙と、立ち上がれないほど全てを出し切った執念は、城南イレブンの胸に深く刻み込まれていた。
そして城南もまた、続く準決勝で絶対王者・遠野高校と対峙し、死闘の末にPK戦で敗れて全国への夢を断たれたのだ。
当時、中学3年生だった氏真は公式戦の出場資格を持たず、スタンドの片隅からその光景を見つめていた。
冷たい秋風の中、遠野に敗れて芝の上に崩れ落ちた諸島憲二の背中。ベンチで顔を覆い、声を殺して泣いていた先輩たち。
あの日の光景は、今も氏真の網膜に鮮明に残っている。
そして今、自分はその因縁のピッチに立っている。
「……あのときとは、風の匂いが違うな」
低く引き締まった声で呟きながら歩み寄ってきたのは、主将を務める2年生アンカー、諸島憲二だった。
彼の鋭い視線は、北上の選手たちに向けられている。
「あいつらは昨秋、俺たちに敗れた。前主将の佐々木隼人さんは、動けなくなるまでピッチを走り抜いて散ったんだ」
諸島は一度、唇を強く引き結んだ。
「今の北上の3年生は、その隼人さんたちの無念を晴らそうとしている。俺たち城南にリベンジを果たし、その先で遠野を倒す。そのために、この1年間、泥を啜るような練習を重ねてきたんだ」
「先輩たちの想いを、受け継いでいるのですね」
「ああ。だからこそ厄介だ。盛岡第五みたいに、データと規律で相手を追い込むチームじゃない。中央を徹底して固め、ボールを奪った瞬間に迷わず裏へ蹴る。走力と球際の激しさで、相手が嫌がることを徹底してやり抜いてくる」
諸島は拳を固く握りしめた。
「昨秋勝った相手だからなんて、生易しい気持ちじゃ足をすくわれる。真っ向から叩き潰すぞ、氏真」
「はい、諸島先輩」
氏真は北上の陣形を見つめ、静かに息を吸い込んだ。
「託された想いの重さは、敵であれ味方であれ侮れません。……僕も全力で、この戦いを制してみせます」
諸島は力強く頷き、最終ラインへ声をかけに戻った。
やがて、主審の笛に促されて両チームがピッチ中央へ進み出る。
北上高校の先頭に立つのは、キャプテンマークを巻いた3年生センターバック、小原慎司だった。筋骨隆々とした逞しい体躯と、何者をも恐れぬ真っ直ぐな眼差しが印象的な選手だ。
握手を交わすと、その掌は岩のように硬く、熱を帯びていた。
小原は氏真を正面から射抜くように見据え、低く唸るような声で言った。
「欧州帰りだろうが関係ねえ。俺たちは、隼人さんの涙の上に立ってるんだ。昨秋俺たちを破った城南……今度は、ここで俺たちがお前らを止める」
氏真はその言葉から目をそらすことなく、真っ直ぐに受け止めた。
「受けて立ちます。互いに悔いのない試合を」
主審の長いホイッスルが青空に響き渡る。
2校の誇りを懸けた、35分ハーフの熱戦が幕を開けた。
---
2.北上の堤防
キックオフと同時に、北上高校の守備陣形がピッチ上に姿を現した。
4-4-2の布陣。2列の強固なブロックを自陣深くに敷き、中央のバイタルエリアを物理的な人数で完全に封鎖していた。
前線の2トップだけをハーフウェーライン付近に残し、城南のパス回しを外側へ、外側へと誘導する。そして中央やハーフスペースへ楔のパスが入った瞬間、全員が連動して牙を剥く。ボールを奪えば、迷わず前線の背後へロングボールを送り込むリトリート&ロングカウンター。
守備から攻撃への切り替えに、一切の迷いがなかった。
開始5分。
城南は最終ラインの佐々木拓海から右サイドバックの菅原大輝へとボールをつなぎ、内側の藤原拓真を経由して中央の攻略を図った。
だが、藤原にボールが入った瞬間、北上のボランチが猛然と身体を寄せてきた。
ドカッ!
激しい衝撃音。
藤原はバランスを崩して倒れ込んだが、主審の笛は鳴らない。正当なショルダーチャージの判定。こぼれ球を拾った北上のボランチは、すぐさま前を向いて右足を一閃した。
一直線のロングフィードが、前がかりになった城南の最終ラインの背後へ放たれる。
「カウンターだ! 走れぇっ!」
小原の野太い怒号がピッチに木霊した。
前線に残っていた北上の快速2トップが、背後へ抜けるボールへ向かって弾丸のようにスプリントを開始する。
一瞬の隙を突かれた城南のディフェンスラインだったが、左サイドバックの千葉悠斗が懸命に絞り、センターバックの佐々木拓海が長身を活かして並走する。相手FWが足を振り抜く寸前、佐々木が長い足を伸ばして辛うじてコーナーキックへと逃れた。
危険な一撃だった。
北上はセットプレーでも勢いを緩めない。
跳ね返ったセカンドボールに両チームの選手が殺到し、ペナルティエリア手前で激しい競り合いが起きた。
中盤の底で身体を張ったのは、諸島だった。
相手ボランチとの激突に体勢を崩しかけながらも、泥臭く足を踏み直し、強靭な体幹で身体をねじ込んでボールをキープする。
「諸島、ナイス!」
佐々木の声に、諸島は左の千葉へボールを逃がした。
最前線でその攻防を見つめながら、氏真は北上の戦い方を冷静に観察していた。
盛岡西の泥臭さとも、盛岡第五の計算された規律とも違う。
北上を支えているのは、昨秋に城南に敗れたという消えない記憶だ。
先輩たちの無念を晴らしたい。その想いが、球際で身体を投げ出す一歩の速さになっている。
ならば、こちらも小手先の技術だけで崩すことはできない。
前半20分。
城南は左サイドから崩しにかかった。
千葉が高い位置を取り、中央の氏真へ鋭いグラウンダーのパスを差し込む。
氏真がペナルティエリア手前でボールを収めようとした瞬間、背後から凄まじい圧力が襲いかかった。
ドムッ!
背番号4、主将の小原だった。
「前を向かせるかよ……ッ!」
小原のアプローチには迷いがなかった。ただ力任せにぶつかるのではない。氏真の得意な反転コースを身体の幅で塞ぎ、左足のアウトサイドで持ち出させないよう、腰と肩を密着させて進路を制限してきたのだ。さらに、正面からはもう1枚のセンターバックが挟み込もうと間合いを詰めてくる。
逃げ道を奪う合理的な挟撃。
力任せに押し返せば、小原の体格に弾かれる。無理に反転すれば、正面のDFに引っかかる。
小原は、氏真の特徴を警戒し、考え抜いた上で身体を当ててきていた。
しかし、氏真の肉体は、小原の予想とは全く異なる反応を示した。
---
3.脱力と一閃
(……押し返す必要はない)
背中に触れる相手の肩。腰にかかる圧力。踏み込んでくる足の位置。
氏真は、接触の瞬間に生じるわずかな力学の変化を感じ取っていた。
力には力で対抗する。それは剛の道だ。
だが、相手が前へ押し込もうとするならば、その力に逆らわず、身体の緊張を解いて重心を受け流せばよい。
氏真は小原が接触してきたその刹那、全身の力をふっと抜いた。
胸筋の緊張を解き、背筋を柔らかく緩め、肩甲骨をストンと落とす。
ドスッ、という鈍い衝撃。
だが、氏真の身体は弾かれなかった。衝突のエネルギーを胸と背中で波のように分散させ、クッションのように相手の圧力を自らの内側へと包み込むように吸収したのだ。
「なっ……!?」
小原の表情が驚愕に歪む。
全速力で壁にぶつかったはずが、まるで泥沼に突っ込んだかのように、自らが放ったはずの推進力の手応えが忽然と消え去ったのだ。
前へ押し込もうとしていた小原の重心が、自らの突進の勢いに引っ張られて前方へと前のめりに崩れる。
その瞬間を、氏真は見逃さなかった。
背後の小原の体勢がわずかに傾いた刹那、氏真は右足の足裏で、転がってきたボールの手前を優しく撫でるように自陣方向へと引き寄せた。
わずか10センチのボールの移動。
正面から挟み込もうとしていた北上のもう1枚のCBは、氏真の急激な「引き」に反応できず、足元をすり抜けるように空を切った。
最小限の脱力と、足裏の一掻き。
力づくの包囲網が、音もなく解体された瞬間だった。
完全に前を向いた氏真の視界に、敵陣のペナルティエリアが広がる。
北上の2枚のセンターバックは、氏真を潰すために中央へ引きずり出され、体勢を崩していた。その背後――ペナルティエリアの右側、センターバックと左サイドバックの間に、ぽっかりと広大な空白が生じていた。
氏真は首を大きく振ることなく、左足のアウトサイドでボールを滑らせた。
滑らかなグラウンダーのスルーパスが、芝生の上を滑空し、その空白へと正確無比に送り込まれる。
そこへ、初夏の大気を切り裂くような爆発的なスプリントで侵入してきた影があった。
背番号11、右ウイングの八重樫隆生。
「氏真ぁっ!」
八重樫はトップスピードを落とさず、氏真からの完璧なパスに右足のインステップを合わせた。
放たれたシュートは、凄まじい低弾道を描いてニアサイドのネットへと突き刺さった。
バシュゥッ!
前半31分。
盛岡城南、先制。
1対0。
「よっしゃあぁぁっ!」
八重樫が雄叫びを上げながらコーナーフラッグへ走り、アシストを供給した氏真へ向かって飛びついてきた。諸島が拳を天に突き上げ、城南のベンチが一斉に沸き立つ。
その喧騒の中、ピッチに手をついた小原は、自らの両手を信じられない面持ちで見つめていた。
「……どうなってやがる」
確かに、完璧なタイミングで身体を当てた。
それなのに、相手は無理に押し返してこなかった。力を込めた瞬間に重心をずらされ、自分の力で体勢を崩されたのだ。
だが、立ち上がった小原の瞳から闘志は消えていなかった。膝の土を払うと、悔しさを奥歯で噛み殺し、味方守備陣へ怒号を飛ばした。
「切り替えろ! まだ1点だ! 次は絶対に前を向かせるな!」
主将の檄に、北上イレブンの背筋が再びピンと伸びる。彼らはまだ、一歩も折れてはいなかった。
---
4.執念の猛攻、隙を突く一撃
ハーフタイムを経て、後半に入ると、小原は守備の対応を即座に変えてきた。
氏真に無理に密着せず、半歩の距離を保つ。反転する方向を外側へ限定し、もう1人のセンターバックと連動して進路を塞ぐ。前半のように力で勝とうとはせず、自分が崩されない間合いを保つ。
小原は、敗北の危機から貪欲に学ぼうとしていた。
城南も追加点を狙うが、修正された北上の守備ブロックは簡単には割れない。
1対0のまま時計が進み、後半20分を過ぎた頃、北上のベンチから監督の激しい檄が飛んだ。
「前へ出ろ! ラインを押し上げろ! このまま終わっていいのか!」
同点に追いつくため、北上はセンターバックの小原を前線へ押し上げ、パワープレーを仕掛けてきた。守備の人数を減らす危険を承知で、ロングボールをゴール前へ放り込み、セカンドボールへ全員が泥臭く突進してくる。
負ければ引退という極限状態が、彼らの足を前へ、前へと突き動かしていた。
後半27分。
北上の放ったロングスローが、城南のペナルティエリア中央へ放り込まれる。
前線に上がった長身の小原が競り勝ち、こぼれたボールを相手FWがダイレクトボレーで捉えた。
枠を捉えた決定的な一撃。
スタジアム中が息を呑んだその瞬間、ゴール前に立ちはだかったのは、1年生の超大型センターバック・林皓然だった。
バチィンッ!
190センチを超える巨躯を投げ出し、林が至近距離のシュートを胸板でブロックする。跳ね返ったボールに北上の選手が再び詰め寄るが、城南の正守護神・工藤一が鋭い横跳びで飛び込み、泥まみれになりながらボールをがっちりと抱え込んだ。
「工藤、ナイス!」
諸島が叫び、林の背中を力強く叩く。
最大のピンチをしのいだ。
それでも北上は攻め続けた。小原が前線で身体を張り、セカンドボールへ味方が必死に足を伸ばす。その執念は、城南の最終ラインに確かな圧力を与えていた。
だが、人数をかけて攻めるほど、北上の背後には広大なスペースが残される。
後半33分。
工藤からの正確なパントキックを、中盤で諸島がヘディングで競り勝った。こぼれ球を拾った藤原が、前線の中央へ鋭いスルーパスを送り込む。
北上の最終ラインの背後。
その広大な空間へ、オフサイドラインをぎりぎりで見極めた氏真が抜け出した。
前方にはGK。
後方からは、前線に残っていた小原が必死の形相で自陣へ全速力で戻ってくる。
「行かせるかあぁぁっ!」
小原の咆哮が響く。泥だらけのスパイクをきしませ、背後から猛烈な勢いで氏真の進路へ身体を投げ出してきた。追いつかれた瞬間、ファウル覚悟で足を伸ばしてくる気迫。
だが、氏真は背後の追走する足音とステップの間合いを冷静に測っていた。
小原がスライディングで滑り込んできたその刹那、氏真は右足のアウトサイドでボールをわずかに右前方へ押し出し、自らの身体を相手のタックルの軌道から半歩だけ外側へと滑り込ませた。
滑り抜けた小原の身体が、虚しく芝生の上を滑っていく。
完全にフリーとなった氏真の前に、飛び出してきた北上のGKが立ちふさがった。
GKが両手を広げ、シュートコースを消そうと重心を落とす。
氏真は右足を振り抜く素振りを見せ、GKの意識を足元へと釘付けにした。そして、インパクトの直前に足首の力を抜き、つま先でボールの腹を優しく掬い上げた。
ふわり、と。
初夏の風に乗ったボールは、飛び出しかけたGKの頭上を鮮やかな放物線を描いて越え、無人のゴールネットへ吸い込まれた。
後半34分。
城南、追加点。
2対0。
小原は芝生に手をつき、遠ざかるボールを呆然と見送った。
追いつくために前へ出た。
勝つために、最後まで走り抜いた。
それでも、届かなかった。
北上はキックオフから再び泥臭く攻め込もうとしたが、ほどなくして主審の長いホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
試合終了。
2対0。
盛岡城南高校、決勝進出。
---
5.託された誇り、そして宿敵へ
ホイッスルが鳴り響いた瞬間、北上高校の選手たちは、糸が切れたようにその場へ崩れ落ちた。
芝生に顔を埋めて動かない者。ユニフォームの袖で顔を覆い、しゃくりあげるように号泣する者。
昨秋、城南に敗れたあの日から積み重ねてきた彼らの苦闘の日々が、この笛とともに終わりを告げたのだ。
整列と挨拶を終えた後、主将の小原慎司が、泥だらけの顔を拭いながら歩み寄ってきた。
目は真っ赤に腫れ上がり、悔しさに唇を激しく震わせている。
小原は諸島の前に立つと、溢れ出す涙を堪えきれずに声を絞り出した。
「……負けたよ、諸島」
諸島は何も言わず、引き締まった表情で小原を見つめていた。
「俺たちには……隼人さんの無念を晴らす義務があった。あの人が泣いて引退していったあの日から、俺たちは飯を食う時も、寝る時も、城南を倒すことだけを考えて走ってきたんだ。……それなのに、また届かなかった」
小原は胸元のユニフォームを固く握りしめた。
そして、視線を諸島から、その隣に立つ氏真へと移した。
「吉良氏真……お前、化け物だな」
掠れた、だが偽りのない言葉だった。
「俺の当たりを、全部いなされた。力でねじ伏せるつもりだったのに、気づけば自分の身体が崩れていた。最後も、あと一歩だったのに……」
小原は奥歯を噛みしめ、涙をボロボロと零しながら、深々と頭を下げた。
「頼む、城南……。絶対に、遠野を倒してくれ」
絞り出すような悲痛な叫びだった。
「俺たちの負けを、無駄にするな。俺たちを倒したお前らが岩手の頂点に立たなきゃ……俺たちは、何のために走ってきたのか分からなくなる。頼むから、全国へ行ってくれ……!」
単なる敗者の弁舌ではなかった。
憎きライバルから、自らの夢のすべてを背負わせるべき象徴へ。泥に塗れた主将の頭上から、託された想いの重さがずしりと降り注いでいた。
氏真は、小原の前へ静かに進み出た。
昨秋、スタンドの片隅から見ていた敗者の背中。
あのときの自分は、ただ見届けることしかできない傍観者に過ぎなかった。
しかし今は違う。
自らの判断で相手の守備を崩し、自らの足で勝利を手にした。その勝利によって、北上の3年生たちが積み重ねてきた1年の重みまで引き受けることになったのだ。
勝者になるということは、ただ相手を打ち負かすことではない。
敗れ去った者たちが費やしてきた時間も、流した涙も、勝利に届かなかった悔しさも、そのすべてを受け止めて前へ進むことなのだ。
プロのように契約で次の舞台へ移ることはできない。たった一度の夏が終われば、二度と同じチームでこの大会に挑むことはできない高校サッカー。だからこそ、敗者は勝者に己の魂を託し、勝者はその誇りを背負って次の戦場へ向かう。
(……これこそが、高校サッカーという名の戦か)
氏真は小原の肩に手を置き、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
「小原先輩。皆様の気迫、確かに受け取りました」
氏真の声は、静かに、だがピッチの隅々まで染み渡るように響いた。
「僕たちが、岩手の誇りとして全国へ参ります。皆様が過ごした3年間の価値は、僕たちが決勝のピッチで証明してみせます」
小原は顔を上げ、驚いたように目を見張った。
やがて、泥と擦り傷にまみれた右手を力強く差し出してきた。
「……頼んだぞ、背番号9」
「はい」
氏真は迷わず、その手を両手でしっかりと握り返した。
隣で諸島もまた、小原の肩を抱き、静かに頷き合っていた。
3人の間に、もはや余計な言葉は必要なかった。
クーリングダウンを終え、バスへと向かう通路の脇。タブレットを抱えた早川舞が、駆け寄ってきた。
「ウジ様、お疲れさま! 決勝の相手、決まったよ」
舞が画面を氏真と諸島に示す。
そこには、もう一つの準決勝の結果が表示されていた。
遠野市立高校、4対0で快勝。
「遠野か……」
諸島の声が低く引き締まる。
昨秋の選手権予選準決勝で城南をPK戦の末に破り、そのまま岩手を制した因縁の相手。そして、今春のプリンスリーグ東北第4節でも1対1で引き分けた、岩手高校サッカーの絶対王者。
佐々木も、千葉も、藤原も、表情を一気に引き締めていた。
ついに、すべての因縁が収束する決勝戦の幕が上がろうとしている。
昨秋に失ったものを取り戻すために戦ってきた諸島たち。
今夏にすべてを懸け、想いを託して散っていった北上の3年生たち。
そして、岩手の頂点に君臨し続ける遠野市立。
それぞれの想いが、次の一戦へと集まっていく。
夕暮れの空の下、氏真はグラウンドの向こうにそびえる岩手山を見上げた。
盛岡西、花北、盛岡第五、そして北上。
ここまで戦ってきた者たちの顔が、脳裏をよぎる。
彼らが託してくれた誇りは、重い。
だが、その重さから逃げるつもりは毛頭なかった。
氏真は胸元の背番号9をそっと握りしめた。
(託された想いを力に変え、予は必ずや天下への門を押し開く)
初夏の風が吹き抜ける中、氏真の瞳は、宿敵が待つ決勝の頂を真っ直ぐに見据えていた。




