第138話:【伝説のダイレクト・ボレー】
【あらすじ】
欧州ユースCL準決勝、終盤までもつれ込むバルシーノとビートルズFCの激闘。勝敗を分ける最後の一瞬、氏真が選んだのは「止める」ことではなかった。仲間から託されたボールを、今度は自らの足で――。一瞬の判断が、試合の運命を変える。
1. 均衡の亀裂
エステバンの同点弾がもたらした熱狂が、コロブレイ・スタジアムの芝生の上にまだ重く立ち込めていた。
後半三十五分、スコアは1―1。
両ベンチが相次いで動いた。
「[3-4-3]にシフトするぞ! 幅を取れ!」
ジョゼップ監督の鋭い指示が飛ぶ。
消耗したダビアン、アントニ、キケを下げ、ピッチへ送り込まれたのはボランチのテンテ、インサイドハーフのフェリペ、そしてセンターバックのアレハンドロ。
最終ラインをカレス、フェラン、アレハンドロの三枚に再編し、中盤の底にサビエルとテンテを並べる。
ビートルズFCの中央圧縮を左右へ広げさせ、セカンドボールの回収力を高める攻撃的な布陣だった。
対するビートルズFCの知将ロバート・リーもまた、迷わず手札を切った。
「ワンダー、行け。裏のスペースを狙い続けろ」
投入されたのは背番号19、ワンダー。
氏真と同じ十四歳。爆発的なスプリント能力と卓越した嗅覚を備えた、イングランド屈指のストライカーだった。
リスタートの笛が鳴る。
引き分けでの延長戦など、どちらの指揮官の頭にもない。
互いの刃が、真っ向から交錯した。
後半四十分。
ビートルズFCの主将ジェラドが、中盤でこぼれ球を拾うや否や前線へ鋭いスルーパスを放り込む。
カレスとアレハンドロの隙間を、ワンダーが鋭い初速で突き抜けた。
「行かせるか!」
背後を取られかけたカレスが、身体を投げ出すようにスライディングを敢行する。
芝を削りながら伸ばした爪先が、ボールの軌道をわずかに外側へ逸らした。
体勢を崩しながらもワンダーが右足を振り抜くが、コースを狭めて間合いを詰めたGKラマジェが、分厚い胸元でがっちりとボールを抑え込んだ。
「まだだ! ラインを押し上げろ!」
ラマジェが起き上がりざまに吼える。
死力を尽くした攻防が続いていた。
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2. 左右の揺さぶり
第四審判が掲げた掲示板に、『+3』の赤い数字が灯る。
アディショナルタイム三分。
決勝への切符を懸けた、最後の攻防。
ラマジェのスローイングを受けたサビエルが、前を向いた。
ビートルズFCの前線が猛然と間合いを詰めてくるが、バルシーノのパス回しに焦りはなかった。
サビエルから、中盤の底に下りてきたテンテへ。
テンテはワンタッチで、中央に顔を出した氏真へ預ける。
氏真がボールを迎えた瞬間、ボランチのヘンダーソンが背後から突進してきた。
だが、氏真は前を向こうとしない。
ヘンダーソンの身体の向きを察知し、接触の寸前に右足のアウトサイドでボールの角度を変え、右サイドへ開いていたフェリペへ逃がした。
フェリペから、タッチライン際を駆け上がるレオンへ。
右サイド深くへボールが運ばれると、ビートルズFCの守備ブロック全体が、外側を塞ぐために一斉にスライドした。
だが、レオンは無理にクロスを上げない。
寄せてきた左サイドバックのケネディの間合いを外し、斜め後方のサビエルへ戻した。
右から、中央へ。
そしてサビエルは、視線を右に残したまま、逆サイドの大外へ大きくボールを振り分けた。
右から左への、大きな横の揺さぶり。
左右に振られ続けた相手ディフェンスラインのマーク受け渡しに、わずかなズレが生じていた。
ボールは、左サイド深くで完全に前を向いたエステバンの足元へ収まった。
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3. 死角への侵入
エステバンの前に、右サイドバックのニールが立ちふさがる。
ニールは縦の突破を警戒し、腰を落としてコースを限定にかかった。
ペナルティエリアの中央。
ビートルズFCの二枚のセンターバック――カラガとヒュースは、ゴール前へ飛び込んでくる味方のケアと、ニアサイドを消す立ち位置に意識を張り詰めていた。
氏真は、歩いていた。
走らない。
加速もしない。
相手の視界から自らの存在を消すように、静かに歩幅を合わせる。
ヒュースの身体の向きが、ボールを持つエステバンの方へとわずかに傾いた。
ボールホルダーと、ゴール前の中央。守備者が最も注意を払うべき二つの点に、ヒュースの意識が引きつけられた瞬間。
氏真は、音もなく身体の向きを変えた。
足を大きく踏み込む予備動作を消し、重心の移動だけで、ヒュースの背中側――右斜め後方の空間へと身を滑り込ませた。
そこは、誰もいない広大なスペースではない。
守備者が一瞬だけ見失った、背後の死角だった。
左サイド深くでボールを持つエステバンと、氏真の視線が交錯した。
言葉はいらなかった。
後半、ボールを預け合い、相手を動かし続けてきた時間のすべてが、二人の呼吸を寸分の狂いもなく重ね合わせていた。
エステバンの右足が、滑らかに振り抜かれた。
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4. 落下点の一閃
放たれたボールは、綺麗なバックスピンを帯びて夜空へと舞い上がった。
ペナルティエリアを斜めに横断する、対角線のクロス。
高さを保ちながら、ファーサイド――角度のほとんどないエリアへと、ゆっくりと落ちてくる。
「ヒュース、後ろだ!」
GKスコットの叫びが響いた。
ハッと我に返ったヒュースが、背後を振り返る。
自らの死角に入り込んでいた背番号29の姿を捉え、巨躯を翻して決死のブロックへ飛び込んできた。
ボールの落下点。
角度はない。
迫り来る巨漢センターバックの影。
トラップして足元に収める時間など、どこにも残されていなかった。
だが、氏真に迷いはなかった。
(止めるのではない。……ゴールへ送る)
シュートの基本は、トラップからゴールへのパス。
前半はボールを足元に止めようとして時間を失った。
同点弾では、ボールを止めずに仲間へ預けた。
ならば、この最後の一手も同じだ。
落ちてくるボールを殺す必要はない。来た軌道をそのまま、あるべき場所へと送り返せばいい。
氏真は、助走を踏み込まなかった。
タメを作らず、ふわりと身体を宙へ浮かせる。
空中で全身の余分な力が抜けていた。
胸を開き、背骨をしならせ、身体の軸をボールの落下線へ滑らかに合わせる。
飛び込んできたヒュースの足先が、氏真の影をかすめて空を切った。
視界の端に、ファーサイドのネットが映る。
GKスコットがニアサイドを警戒し、腰を落として構えたのが見える。
脱力の中、落ちてきたボールを、氏真の右足インステップが吸い付くように捉えた。
大きく振り抜くのではない。
足首を固め、面の角度をゴール隅へと正確に合わせる。
バシュッ。
澄んだ、鋭いインパクトの音が夜気に響いた。
ボールの勢いを殺さず放たれた一撃は、鋭い放物線を描いてGKスコットの頭上を越えた。
伸ばされたスコットの指先の上をすり抜け、吸い込まれるようにして、逆サイドのネットの内側を激しく揺らした。
白い網が、波打つように跳ね上がる。
アディショナルタイム三分。
2―1。
バルシーノ、逆転。
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5. 終幕の笛、そして決勝へ
スタジアムが、割れんばかりの歓声に包まれた。
着地した氏真の足元へ、駆け込んできたエステバンが猛然と飛びつき、芝生の上へ二人まとめて転がった。
レオンが、サビエルが、ベンチから飛び出してきた仲間たちが、折り重なるようにして歓喜の輪を作る。
「決めた……決めやがった! なんだよあのシュート、ふざけんな氏真!」
エステバンが氏真の胸元を拳で小突きながら、破顔して叫ぶ。
泥だらけの仲間たちの手が、次々と氏真の頭を、背中を叩いた。
その直後だった。
ピィッ! ピィッ! ピィィィィィィッ!!
主審が両腕を天へ突き上げ、試合終了の笛を長く吹き鳴らした。
試合終了。
欧州ユースチャンピオンズリーグ準決勝。
FCバルシーノ 2―1 ビートルズFC。
バルシーノ、決勝進出。
ピッチの中央、ビートルズFCの選手たちが次々とその場に崩れ落ちていく。
主将のジェラドが膝をつき、呆然と空を見上げていた。
テクニカルエリアの白線際、知将ロバート・リーは腕を組んだまま、静かに息を吐き出した。
「……トラップとシュートが、完全に一つの呼吸になっていたな」
知将の呟きは、誰に届くこともなく夜風に消えていった。
仲間たちの輪から身体を起こした氏真は、ユニフォームの胸元を握り締め、夜空を見上げた。
セビリアの空よりも、少し冷たいニヨンの星空。
遠くカタルーニャの病室で、治療に耐えている母の顔が浮かぶ。
(母さん、勝ったよ)
母のために勝ったのではない。
母の覚悟を受け止め、自分自身の足元で、仲間たちと共に最後まで戦い抜いた。
胸の奥に、静かで確かな熱が満ちていく。
ふと、氏真はメインスタンドの中段へと視線を向けた。
関係者席の最前列で、腕を組み、静かにピッチを見下ろす少年の姿があった。
FCパリのマルク・ティエリー。
もうひとつの準決勝を勝ち上がり、決勝の舞台で待ち受ける同世代のストライカー。
視線が、空間を越えて交錯する。
ティエリーは微動だにせず、ただ底知れない静けさを湛えた瞳で、氏真の姿を見つめていた。
欧州の頂点を懸けた、最後の戦いが待っている。
十四歳のストライカーは、仲間たちの歓喜の声を背に受けながら、静かに、次なる決戦の舞台を見据えていた。
【次回予告】
伝説のボレーで、欧州決勝への切符を掴んだ氏真たち。だが、その直後に待っていたのは国内リーグ最終節。すでに優勝を決めたバルシーノに対し、相手は残留を懸けて必死に挑んでくる。勝利の熱狂から一転、氏真が挑むのは――
第139話:【国内リーグ最終節】次なる天下へのパスを回せ!
ーーーーお願いーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし今日、ほんの少しでもこの物語に心を動かされたなら――、ちょと面白いと思ったら――
投げ銭はいりません。
その代わり、せめて、評価☆☆☆☆☆を一つ、何卒、そこをなんとか置いていってくださいませ(笑)。
今後も氏真の物語を、温かく一緒に見届けてください。




