第137話:【不屈の不死鳥】
【あらすじ】
0―1。後半に入っても、ビートルズFCの猛プレスは止まらない。氏真を封じ、バルセロシーノの攻撃を寸断する鉄壁の守備。だが、同じ圧力を受け続ける氏真の中で、少しずつ変化が生まれていた。前を向くことだけが、答えではない――。
1. 継続する重圧
ピィィィッ!
後半開始を告げる主審の笛が、アルプスの冷涼な空気を切り裂いて鳴り響いた。
スコアは0―1。
リードするビートルズFCの出足に、緩みなど微塵もなかった。
むしろ、そのプレッシングは前半よりも一段と鋭く、迷いなく統率されていた。
「前からハメろ! 前半と同じだ、息の根を止めるぞ!」
主将ジェラドの野太い号令が飛ぶ。
前半三十八分、バイタルエリアに入った氏真を挟み込み、そこからの電撃的なショートカウンターで先制点を奪った。
「あの背番号29を中央で潰せば、バルシーノのパスワークは確実に窒息する」
その明確な成功体験が、ビートルズFCの選手たちの足を迷いなく前へと駆り立てていた。
ボールを保持するバルシーノの最終ラインに対し、最前線のジェームズとハミッドが猛然とコースを切りながら寄せてくる。
サビエルが受けるや否や、キャラガンが背後から距離を詰め、右サイドバックのニールがボランチの位置へ絞って中央のパスコースを塞ぎにかかる。
ピッチの中央を圧縮し、時間を削り、判断の余地を奪い去る。
難攻不落と謳われるイングランドの要塞は、何一つその強度を落としていなかった。
2. 受け流す身体
後半八分。
自陣深くで相手のプレスを掻い潜ったカレスが、中盤の底にいるサビエルへ預ける。
サビエルは寄せてくるキャラガンを背中で制しながら、ハーフウェイラインを越えた位置で下がりながら受ける氏真へ、低く鋭い縦パスを打ち込んだ。
その瞬間、前半と全く同じ光景が立ち現れる。
氏真の背後から、CBカラガが巨体を揺らして突進してくる。
斜め前方からは、ボランチのヘンダーソンが挟み込みに間合いを詰めていた。
「また潰すぞ!」
カラガが全体重を乗せ、氏真の背中へ強烈なショルダーチャージを叩き込もうとした。
ボールに触れる刹那に身体を当て、反転の自由を根こそぎ奪い取る肉弾戦。
だが、激突の寸前――。
氏真の足元から、踏ん張るためのタメが消えた。
相手の突進を受け止めようと足を踏ん張るのではなく、左の骨盤をわずかに落とし、上半身の力を抜いて自らの軸を半歩横へ滑り込ませる。
カラガが踏み込んできた推進力の向きへ、自らの身体をそのまま沿わせた。
ドッ、と鈍い接触音が落ちる。
だが、カラガの分厚い胸板が捉えたはずの感触は、手応えのない空気のように前方へ抜けていった。
ぶつかる壁を失ったカラガの巨躯が、自らの勢いを抑えきれずに前へのめり込む。
そのよろめく身体の横を、氏真はくるりと身を翻してすり抜けた。
無理に前を向いたのではない。
身体の向きを変えながら、右足のインサイドでボールの勢いをわずかに殺し、突進してきたヘンダーソンの足先が届かない外側のスペースへ、ボールを優しく押し流した。
ヘンダーソンが足を空振りさせ、カラガが膝をつく。
二人を同時にいなした氏真は、フリーになったサビエルへ、ダイレクトでボールをリターンした。
「回せ!」
サビエルの正確な配球が、がら空きになった右サイドのレオンへと展開される。
力比べに応じることなく、相手の突進する力そのものを利用して重心を崩す。
踏ん張らない。争わない。
ただ衝撃を受け流し、ボールを次の味方へと預ける。
ベンチ前で腕を組んでいたビートルズFCの知将ロバート・リーが、微かに眉を動かした。
3. 要塞の軋み
何かが変わり始めていた。
ビートルズFCの選手たちは、前半と変わらぬインテンシティでプレスをかけ続けていた。
息をつかせぬ即時奪回。激しいボディコンタクト。
だが、前半のようにボールを奪い取ることができない。
氏真の佇まいが、前半とはまるで違っていた。
ボールが足元へ届く前、氏真の首は常に左右へと振られていた。
相手守備陣の重心、間合い、味方の走路。
受ける前に周囲の配置を捉え、ボールを迎える瞬間にはすでに半身の構えを作っている。
相手が時間を奪いに来るなら、ボールを足元に止めてから考える時間をゼロにすればいい。
寄せてくる相手の足先が見えた瞬間に、ワンタッチで味方へ叩く。
背後から圧力がかかれば、ボールの芯を直接争わず、身体の向きだけでコースを変えて外側のスペースへ逃がす。
氏真が中央でボールに触れるたび、ビートルズFCの選手たちは「奪える」と錯覚して食いつき、そのたびに空振りを繰り返させられた。
中央へ寄せる。
だが奪えず、外へボールが逃げる。
広がった相手を追って全体が外へスライドする。
すると今度は、中央のライン間に再び氏真が顔を出す。
「絞れ! 中央を空けるな!」
主将のジェラドが声を枯らしてラインを統制しようとする。
だが、空振りと方向転換を強いられ続けた強靭な脚に、微かな疲労の重みが蓄積し始めていた。
力でこじ開けられたのではない。
自分たちがボールを奪おうと前へ踏み出す力そのものを利用され、内側から守備ブロックに歪みが生み出されていた。
時計の針は、後半三十分を指そうとしていた。
4. 鏡の反転
そして、その瞬間が訪れた。
自陣の中盤でセカンドボールを拾ったサビエルが、素早く前を向く。
相手のハイラインの背後、そしてボランチの背中。
バイタルエリアの中央へ、鋭いグラウンダーの縦パスが一直線に差し込まれた。
前半三十八分と、寸分違わぬ局面。
前線から下がってきた氏真が、そのパスの軌道上へと入り込む。
「行かせるかァッ!」
背後から、CBカラガが猛然と突進してきた。
前半、氏真からボールを奪い取ったあの瞬間と全く同じ角度、同じ勢い。
そして斜め前方からは、ボランチのヘンダーソンが退路を断つように長い脚を伸ばして挟み込みに来る。
二人による完全な挟撃。
前半の氏真であれば、ここで「自分が前を向いて決めなければ」という焦りに囚われ、強引にボールを持ち出して潰されていただろう。
だが、今の氏真の視界に、曇りはなかった。
背後の足音。
芝を削る振動。
ヘンダーソンとの間合い。
そして何より――左サイドの大外を、猛烈なスプリントで駆け上がってくる背番号10。
氏真には、その走路が見えていた。
(前を向く必要はない)
サビエルのパスが足元に届く。
カラガの分厚い体躯が背中に接触する、まさにその刹那。
氏真は軸足をわずかに外側へずらし、上半身の力を抜いた。
ドッ、と鈍い衝撃が走る。
だが、氏真はその力を正面から受け止めず、背中をしならせるようにして衝撃を前方へと受け流した。
体勢を崩したのは、勢い余って突っ込んできたカラガの方だった。
手応えを失った巨漢が前のめりによろめき、同時に飛び込んできたヘンダーソンとわずかに進路が交錯する。
二人の守備者が中央へ引きずり込まれ、固まった。
その一瞬の空白の中で、氏真は右足のアウトサイドを、滑り込んできたボールへそっと添えた。
蹴るのではない。
ボールの軌道を、左斜め前方のスペースへ押し流す。
ワンタッチのフリック。
カラガとヘンダーソンが中央へ吸い寄せられたことで、ビートルズFCの右サイドの裏には、ぽっかりと広大な空白が生まれていた。
そこへ、全速力で突進してきた影があった。
背番号10、エステバン。
マークについていた右サイドバックのニールは、中央のカバーに気を取られ、一歩目の反応が遅れていた。
氏真が残したボールは、エステバンの走路の前方へ、滑らかに転がっていた。
5. 結実の一閃
「ウジザネェッ!」
咆哮とともに、エステバンがペナルティエリア左角へ侵入した。
カバーに飛び出してきたGKニールが、両手を広げてコースを塞ぎにかかる。
だが、完全にフリーで前を向いたバルシーノのポイントゲッターに、迷いなどなかった。
右足が一閃される。
乾いた打球音が、スタジアムに響き渡った。
インステップで正確に捉えられたボールは、GKニールの伸ばした右手の先を鋭い弾道ですり抜け、ファーサイドのサイドネットの内側へ突き刺さった。
バシュッ!
後半三十分。
1―1。
バルシーノ、同点。
「うおおおおおおおおおおおおっっ!!」
ネットを揺らしたエステバンが雄叫びを上げ、コーナーフラッグへ向かって疾走する。
ベンチの控え選手たちが一斉に飛び出し、ピッチの仲間たちが次々とエステバンの背中へ折り重なった。
エステバンは駆け寄ってきた氏真の首に腕を巻きつけ、その頭を激しく揺さぶった。
「見たかコラァ! 完璧だ、氏真! 完璧な落としだったぞ!」
「エステバン……苦しいよ」
もみくちゃにされながらも、氏真の口元には、静かで穏やかな笑みが浮かんでいた。
自分でこじ開けたのではない。
仲間へ預け、相手を動かした。
その先に、ゴールが生まれた。
歓喜の輪の向こう。
膝に手をつき、荒い息を吐くカラガとヘンダーソンの姿があった。
そしてテクニカルエリアの白線際、ビートルズFCの監督ロバート・リーが、険しい視線を背番号29へと注いでいた。
前半と同じ形。
同じように氏真へ人を寄せた。
それなのに、今度は中央が空いた。
ロバート・リーの視線が、氏真からエステバンへ、そして空いた右サイドへと移る。
「……なるほど」
小さく呟いた。
同点に追いつかれたことへの動揺ではない。
背番号29への寄せ方、そのものを変えなければならない。
だが、変えれば中央を空ける。
寄せなければ、氏真に前を向かれる。
ロバート・リーは、初めてその二択を突きつけられていた。
ピィィィッ!
試合再開を告げる笛が鳴る。
残り時間は十五分。
要塞の扉は、いまや完全にこじ開けられていた。
【次回予告】
止めない。待たない。
最後の一瞬、氏真が選んだのは「ゴールへ送る」という答えだった。
一撃に懸けた、決勝へのラストプレー。その結末は――。
第138話:【伝説のダイレクト・ボレー】次なる天下へのパスを回せ!
ーーーーお願いーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし今日、ほんの少しでもこの物語に心を動かされたなら――、ちょと面白いと思ったら――
投げ銭はいりません。
その代わり、せめて、評価☆☆☆☆☆を一つ、何卒、そこをなんとか置いていってくださいませ(笑)。
今後も氏真の物語を、温かく一緒に見届けてください。




