第133話:【国王杯を制する者】
【あらすじ】
国王杯決勝、マフリットとの激闘は最終局面へ。追い詰められたバルシーノを救うため、氏真は仲間を信じる選択を迫られる。そして最後にピッチへ刻むのは、自らの足で掴み取る一撃。宿敵・凱斗との再会が、次なる戦いの幕を開ける。
1. 無拍子の調律
後半四十分、エスタディオ・ラ・カルトゥハのスタンドから降り注ぐチャントが、ピッチの芝生を微かに揺らしていた。
スコアは1―2。
残り時間は五分を切っている。
バルシーノが敢行した[3-4-3]へのシフトは、マフリットの守備ブロックを確実に外へと引き延ばしていた。
中盤に入ったフェリペとテンテがテンポよくボールを動かし、左右に開いたエステバンとレオンが相手サイドバックを外へ吊り出す。
そしてその中央、相手の最終ライン手前――最も神経を尖らせる急所に、背番号29が立ち続けていた。
「寄せろ! 前を向かせるな!」
マフリットのアンカー、ラファエルが前へ踏み込んでくる。
中盤の底でボールを持ったサビエルは、相手の出足を半歩のステップで外すと、ペナルティエリア手前の中央へ鋭いグラウンダーの縦パスを差し込んだ。
そこへ、氏真がわずかに下がりながら入り込む。
「行かせねえ!」
CBリカルドが、氏真の背中へ間合いを詰めた。
百八十センチを超える頑強な体躯。
トラップの瞬間に背後から身体を当て、反転の自由を奪い取ろうとする。
足元へボールが届く、その瞬間。
氏真の身体から、踏み込みのタメが消えた。
脱力した右足のインサイドでボールの勢いを吸い取るように殺すと同時に、左股関節を軸に身体を反転させる。
予備動作のない、無拍子の切り返し。
「なっ――」
リカルドの重心が前へ流れた。
突っ込んだ身体が空を切り、氏真の横をすり抜けていく。
ペナルティエリア正面、ゴールまで約十七メートル。
氏真の前に、シュートコースが開いた。
右足をコンパクトに振り上げる。
GKマヌエルが中央からわずかに身体を寄せ、低く構えた。
相手DFの視線も、すべて氏真の右足へ集中する。
だが、振り下ろされた右足は、ボールを撃ち抜かなかった。
インパクトの直前、足首を外側へわずかに傾ける。
氏真はゴールを見据えたまま、右足のヒールでボールを左斜め後ろへそっと押し流した。
ノールックのヒールパス。
氏真のシュートモーションに釣られた相手守備陣の死角から、鋭い初速で切れ込んできた影があった。
背番号10、エステバン。
マークについていた右SBロバート・ジョゼフを一歩目で置き去りにし、ペナルティエリア左角へ侵入する。
氏真が残したボールは、エステバンの利き足である右足の前へ転がっていた。
「もらったァッ!」
エステバンの声とともに、右足が一閃された。
腰の回転を乗せた鋭いシュート。
氏真のシュートを警戒して中央へ寄っていたマヌエルが必死に右手を伸ばすが、届かない。
ボールはファーサイドのネットを激しく揺らした。
後半四十一分、バルシーノ同点。
2―2。
エステバンが歓喜の声を上げ、駆け寄ってきた氏真の胸元へ飛びついた。
その頭を抱え込む。
「見たかコラァ! 完璧な落としだ、ウジザネ!」
「エステバン、苦しいよ」
駆けつけたレオンやフェリペ、イネスたちが次々と折り重なり、歓喜の輪が弾けた。
スタンド南側を埋め尽くすサポーターのチャントが、カルトゥハの夜空へ轟く。
2. アディショナルタイムの激流
ピィィィッ!
リスタートの笛が鳴る。
試合時間は後半四十四分を回り、第四審判が掲げた掲示板に『+4』の数字が灯った。
アディショナルタイム四分。
両チームのベンチ、そしてピッチ上の全員が、延長戦など考えていなかった。
引き分けを狙って陣形を引く選択肢はない。
互いが相手の息の根を止めるためだけに前へ踏み出す、オープンゲーム。
「前へ運べ! 凱斗へ当てろ!」
クリストファーが声を張り上げ、配球のテンポを一気に引き上げる。
ボールを奪うや否や、最前線の凱斗へ鋭い縦パスが打ち込まれた。
後半四十七分。
ペナルティエリア内で浮き球を受けた凱斗が、カレスを背負いながら強引に反転シュートを放つ。
カレスが身を挺してブロックし、こぼれたボールにヴィエラが突っ込むが、新しく入ったアレハンドロが身体を投げ出してクリアした。
「まだだ! 拾え!」
ルーズボールの落下点へ、サビエルとアルバロが飛び込む。
鈍い衝突音。
空中に跳ね上がったボールを、サビエルが意地で前へヘディングで押し出した。
ボールが、ハーフウェイライン付近にいた氏真の足元へと届く。
「前へ走れ!」
主将トニ・ラマジェの叫びが響いた。
前線のエステバンとレオンが一斉にスプリントを開始する。
だが、氏真がボールを胸で収めた瞬間――。
背後から、激しく芝生を削る足音が迫っていた。
3. 理合と反転の一撃
自陣から誰よりも早く反転し、猛然と追ってきたその足音だけで、誰か分かった。
織田凱斗。
追いつきざま、氏真の左肩へ、全体重を乗せたショルダーチャージを叩き込もうとしていた。
ボールごとピッチの外へ弾き飛ばすような、直線的な突進。
だが、氏真は正面から受け止めなかった。
凱斗が踏み込んできた瞬間、氏真は左の骨盤をストンと落とし、上半身の力を抜いてわずかに身体を開いた。
ドッ、と鈍い接触音が響く。
受け止める壁を失った凱斗の身体が、そのまま前へ流れた。
氏真は、その脇をくるりと身を翻してすり抜ける。
入れ替わった。
凱斗を背後に置き去りにした氏真の前には、広大なピッチが広がっていた。
マフリットの選手たちは全員が攻撃のために前がかりになっており、追える位置にはいない。
ペナルティエリア正面へ向け、氏真のドリブルが始まった。
歩幅は一定。
ボールは右足のアウトフロントに吸い付くように転がっていく。
スタンドの喧騒が遠ざかり、自らの規則正しい呼吸音だけが耳の奥に響いていた。
立ちふさがるのは、マフリットの最後の砦、GKマヌエルのみ。
マヌエルはゴールマウスを飛び出し、間合いを一気に詰めてきた。
両手を広げ、シュートコースを狭めながら、ペナルティマークの手前で重心を深く沈める。
低い弾道のシュートを足元で弾き返すための構え。
氏真の視線が、マヌエルの両足が芝生を踏みしめた瞬間を捉えた。
右足を大きく振りかぶらない。
シュートの予備動作を消したまま、右足のインサイドで、ボールの底をすくい上げる。
ポフッ、と柔らかな音が落ちた。
解き放たれたボールは、飛び出したマヌエルの頭上を越え、ふわりと弧を描いて宙を舞った。
マヌエルが咄嗟に顔を上げ、伸ばした右手の上を、ボールが静かに通り過ぎていく。
重力に従い、ゆっくりと落ちていく放物線。
ボールはゴールラインを越え、サイドネットの内側へ吸い込まれた。
後半四十八分。
3―2。
その直後だった。
ピィッ! ピィッ! ピィィィィィィッ!!
主審が両手を空へ突き上げ、試合終了を告げる笛を長く吹き鳴らした。
4. 宿敵との誓い
エスタディオ・ラ・カルトゥハが、割れんばかりの歓声に包まれた。
ベンチからジョゼップ監督、控え選手たち、スタッフが一斉にピッチへと雪崩れ込んでくる。
カレスが、サビエルが、トニ・ラマジェがピッチに倒れ込み、肩を震わせて歓喜を分かち合っている。
氏真の元へエステバンとレオンが突進してきて、三人まとめて芝生の上へ倒れ込んだ。
「勝った……勝ったぞウジザネ! 俺たちの勝ちだ!」
エステバンが氏真の肩を揺さぶる。
仲間たちの腕が、泥だらけの身体を包み込んでいた。
バルシーノ、スペイン国王杯制覇。
もみくちゃにされながらも、氏真はふと視線をピッチの中央へ向けた。
数メートル先、一人で立ち尽くす影があった。
織田凱斗。
膝をつき、両拳を芝生に叩きつけていた凱斗が、声をかけようとしたクリストファーを片手で制し、ゆっくりと立ち上がった。
そして、迷いのない足取りで氏真の方へと歩み寄ってくる。
エステバンたちが動きを止め、凱斗を見据えた。
だが、氏真は仲間を手で制し、自らの足で凱斗の正面へと歩み出た。
二人の距離が、一歩の間合いで止まる。
凱斗の黒い瞳には、まだ消えない炎が灯っていた。
唇を噛み締め、息を吐き出す。
「……最後の反転、あのループ……気に食わねえな、氏真」
低く、押し殺した声だった。
持てるすべてを出し尽くし、届かなかった結果を受け止めている顔だった。
凱斗は太い右手を突き出した。
「国内はお前にくれてやる。……次は欧州の頂点で殺す」
氏真の口元に、穏やかな笑みが浮かんだ。
「うん。待っているよ、凱斗君」
氏真は差し出された手を、迷わず握り返した。
泥にまみれた二人の掌が合わさり、互いに強く力を込める。
5. 戴冠と病室への光
表彰台に、夜空へ向けて黄金の紙吹雪が舞い散っていた。
主将トニ・ラマジェが、銀色に輝く国王杯のトロフィーを高々と掲げ上げる。
スタンドを埋めたサポーターから大歓声が降り注ぎ、メダルを首にかけた選手たちが飛び跳ねて喜びを爆発させた。
「ウジザネ、持てよ!」
ラマジェから重厚なトロフィーを手渡される。
金属の冷たさと重みが、両腕を通じて伝わってきた。
氏真はトロフィーを抱き、夜空を見上げた。
セビリアの澄んだ夜空の向こう。
遠くカタルーニャの病室で、過酷な治療に耐えている母の顔が浮かぶ。
――私の病気を、あなたのサッカーの言い訳にしないで。
――あなたが立っているその場所で、あなたのフットボールをしなさい。
母の病気を背負って戦ったのではない。
母の覚悟を受け止め、自分自身の足元で、仲間たちと共に最後まで戦い抜いた。
(母さん……勝ったよ)
氏真の瞳から、一筋の涙が静かに頬を伝い、芝生の香りが残るユニフォームへ落ちた。
母の戦いはまだ続いている。
何も終わってはいない。
だが、このピッチで掴み取った勝利は、確かに自分たちの足元を照らしていた。
「氏真! 前向け、写真撮るぞ!」
エステバンが氏真の肩を乱暴に抱き寄せ、レオンやサビエル、フェリペたちがカメラへ向かって笑った。
フラッシュの光が、泥だらけの少年たちを白く照らし出す。
スペイン国内の頂点を獲った。
だが、その視線の先には、すでに次なる舞台が広がっていた。
欧州ユースチャンピオンズリーグ準決勝、フランスのFCパリ戦。
そこには、欧州を震撼させる超新星、マルク・ティエリーが待ち受けている。
胸に抱いたトロフィーの冷たさを確かめながら、氏真は静かに息を吸い込んだ。
ピッチに残る芝の青い匂いとともに、ストライカーの血が、再び静かに沸き立ち始めていた。
【次回予告】
母との約束を胸に、氏真はスイスへ向かう。待ち受けるのは、イングランドの強豪ビートルズFC。マフリットとは、まるで違うサッカー。「二人のストライカー」を経て、氏真たちはこの難敵にどう挑むのか――。
第134話:【病室の笑顔】次なる天下へのパスを回せ!
ーーーーお願いーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし今日、ほんの少しでもこの物語に心を動かされたなら――、ちょと面白いと思ったら――
投げ銭はいりません。
その代わり、せめて、評価☆☆☆☆☆を一つ、何卒、そこをなんとか置いていってくださいませ(笑)。
今後も氏真の物語を、温かく一緒に見届けてください。




