第131話:【咆哮する魔王】
【あらすじ】
後半、マフリットが繰り出した一手によって、試合の均衡が大きく揺らぐ。織田凱斗――白き魔王が見せる圧倒的な個の力。その姿を目の当たりにした氏真の胸にも、これまでとは異なる熱が宿り始める。二人のストライカーが、いま新たな領域へ踏み出す。
1.歪む最終ライン
後半開始を告げるホイッスルの直前、第四審判が掲げた交代ボードに、赤い『10』と緑の『9』が灯った。
マフリットは前半で同点弾を決めたホセ・エルナンデスを下げ、背番号9を最前線へ送り込む。システムは[4-2-3-1]から[4-4-2]へと変化した。クリストファーがセカンドトップ気味に一歩下がり、その縦関係の頂点に織田凱斗が立つ。
凱斗がピッチへ足を踏み入れた瞬間、スタジアムの空気が目に見えて一段低く沈んだ。
威嚇の声はない。
だが、センターサークル付近に陣取るその立ち姿だけで、周囲の緊張が変わる。
肩甲骨が自然に下がり、骨盤が垂直に据わった姿勢。無駄な力みを削ぎ落とした分厚い肉体から、凝縮された熱気が放たれていた。
ピィィィッ!
後半開始の笛が鳴る。
バルシーノボールで試合が再開されると同時に、凱斗が動いた。
かつてのように、闇雲にボールホルダーへ突っ込む暴走ではない。
凱斗はバルシーノの二枚のセンターバック、カレスとフェランのちょうど中間、その視野の境目にどっしりと立ち止まった。
「カレス、ラインを保て! 下がりすぎるな!」
GKのトニ・ラマジェが最後方から声を張り上げる。
だが、意識せずにはいられない。
背番号9が中央に腰を据えているだけで、カレスとフェランの足が二歩、三歩と、自陣ゴール方向へ無意識に押し下げられる。
最終ラインが後退したことで、中盤の底に構えるサビエルとの間に、不自然な空白が生じた。
その歪みを、クリストファーが見逃すはずもなかった。
凱斗が相手CBを背中でピン留めし、空いたライン間でクリストファーが悠然と前を向いてボールを受ける。
「サビエル、絞れ! 前を向かせるな!」
ダビアンがカバーに入ろうとするが、前を向いたクリストファーは顔を上げたまま、両サイドのヴィエラとロバート・ジョゼッフへテンポよくボールを散らしていく。
前線の凱斗が基準点として構えることで、マフリットの攻撃全体のギアが一段階上がっていた。
「……くそっ、重いな」
カレスが顎の汗を拭いながら奥歯を噛む。
直接ボールに触れられていなくとも、常に背後を脅かされ続ける圧迫感。
前半に見せていたバルシーノの整然とした守備組織が、凱斗という基準点の存在によって、内側から押し込まれ始めていた。
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2.理を破る突進
後半十五分。
耐えていたバルシーノの守備に、決定的な綻びが生じる。
右サイド深くでバルシーノのパスワークを寸断したマフリットの左SBローシャが、迷いなく前線へ大きくクリアボールを蹴り上げた。
滞空時間の長いロングフィード。
ボールの落下地点は、ハーフウェイラインをわずかに越えた中央。
そこへ、落下軌道を見極めた凱斗が、わずかに下がりながら入り込む。
「行かせるかよ!」
バルシーノの守備の要、カレスが気迫とともに背後から激しく間合いを詰めた。
百八十五センチを超える体躯をぶつけ、空中へ飛び上がる前に相手の体勢を崩し、ボールを跳ね返そうとする強烈なアプローチ。
並のFWであれば、体勢を崩してピッチに倒れ込む場面。
だが――。
ドスッ!
鈍い衝撃音が響いた。
体勢を崩したのは、突進したカレスの方だった。
凱斗は跳ばなかった。
両足の母指球でしっかりと芝を捉え、骨盤を沈めて身体の軸を固めていた。
そして、背中にカレスの突進を受け止めた刹那、上半身の力をふっと抜いて衝撃を受け流し、真下へ落ちてくるボールへ視線を据え続けたのだ。
バランスを崩したカレスが、芝生に膝をつく。
ボールは凱斗の厚い胸板に当たり、足元へポトリと落ちた。
(クリストファーへ落とす――!)
カバーに入ったフェランの脳裏に、昨夜確認したスカウティング映像がよぎる。
カレスを背中で抑え、前向きに走り込んでくるクリストファーへワンタッチでレイオフを落とす。
それが、今の凱斗が身につけた合理的なポストプレーのはずだった。
フェランは反射的に、後方から上がってくるクリストファーへのコースを消すため、重心をわずかに中央へ傾けた。
だが、次の瞬間。
「甘えんだよ、理屈野郎が!」
低く鋭い怒号がピッチを裂いた。
凱斗は落とさなかった。
味方の上がりを待つことすらしなかった。
こぼれたボールを右足のアウトサイドで前方へ押し出すと同時に、自ら前へ踏み出した。
「なっ……!?」
フェランの息が止まる。
味方を使う選択肢を見せ球にし、最短距離でゴールへ突進してくる黒い影。
フェランは慌てて逆足を継ぎ、身体を投げ出して前進を阻もうとする。
だが、凱斗の踏み込みの速度がフェランの制動を上回っていた。
その巨躯からは信じられないほどシャープなステップ。
右肩をわずかに引いてタックルをすり抜けると、そのままペナルティエリア手前の中央へ強引に侵入していった。
ゴールまで約二十メートル。
パスコースを探す素振りはない。
その瞳には、ゴール枠と、立ちはだかるキーパーの姿しか映っていなかった。
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3.理不尽の一閃
「打たせるな! 寄せろ!」
戻ってきたサビエルが必死に足を伸ばす。
ゴールマウスの前では、トニ・ラマジェが重心を低く沈め、両手を広げてコースを消しにかかっていた。
正面からわずかに左へズレた位置。
ディフェンスも完全に振り切られたわけではない。
確率から言えば、無理に狙う場面ではなかった。
だが、凱斗にとって、確率など関係なかった。
左足を強く踏み込む。
芝生がめくれ上がり、右足が鋭く振り抜かれた。
ドガァンッ!
スタジアムの喧騒を切り裂くような、硬く重い破裂音。
放たれたボールは、回転の少ないまま低空を一直線に飛翔した。
「くっ……!」
ラマジェが鋭く反応して右手を伸ばす。
タイミングは合っていた。
指先がボールの軌道に届いた――その瞬間。
バチンッ!
強烈な球威が、キーパーの指先を容赦なく弾いた。
軌道を逸らすことすら許されず、ボールはサイドネットの内側を激しく揺らした。
後半十六分。
マフリット勝ち越し。
1―2。
地鳴りのような大歓声が、スタジアムの北側スタンドから爆発した。
純白のサポーターたちが総立ちになり、アンダルシアの空を揺るがす。
ネットを揺らしたボールを確認することもなく、凱斗はコーナーフラッグへ向かって走った。
ユニフォームの胸元を乱暴に掴み、メインスタンドを見上げながら、咆哮を上げる。
「小綺麗なパス回しで、この俺が止まるかよ!」
剥き出しの飢餓感。
高度な戦術組織を内側から食い破り、個の力でねじ伏せてみせた、ストライカーの意志だった。
駆け寄ってきたクリストファーが、静かに凱斗の肩を叩いた。
凱斗はそれを払いのけることもせず、ただギラついた目でバルシーノの陣内を睨みつけていた。
その視線が、センターサークル付近に立つ背番号29――氏真を真っ直ぐに射抜く。
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4.胎動する笑み
ピッチが、静まり返っていた。
バルシーノの選手たちは、言葉を失っていた。
カレスは芝生に手をついたまま、自らの掌を見つめている。
力負けした感触が、守備の柱としての自負を深く削り取っていた。
フェランも、ラマジェも、ゴールネットに落ちたボールを見つめたまま動けない。
戦術で崩されたのではない。
ただ純粋に、理屈を超えた力によってねじ伏せられたのだ。
「……なんてシュートだ」
エステバンが悔しそうに顔を歪め、芝生を蹴った。
重い沈黙がチームを包み込もうとしていた。
どれほど丁寧にパスを繋ごうと、あの一撃ですべてを壊されてしまうのではないかという動揺。
だが――。
その沈黙の中を、ただ一人、静かに歩き出す少年がいた。
背番号29、吉良氏真。
氏真はゴールネットの奥へ向かい、転がっていたボールを拾い上げた。
そして、小脇に抱えながら、ゆっくりとセンターサークルへと歩き始める。
下を向いていた仲間たちの視線が、氏真の背中へと向いた。
氏真の首筋から、微かな熱気が立ち上っていた。
皮膚の表面がチリチリと粟立つような感覚。
耳の奥で、ドクン、ドクンと、心臓が力強く脈打っている。
恐怖ではない。
落胆でもない。
胸の奥深くで、かつて戦乱の世を生き抜いた記憶――極限の勝負の中で命を削り合っていた感覚が、静かに熱を帯び始めていた。
(……すごいな、凱斗君)
氏真の口元が、ふっと持ち上がった。
普段の柔らかな笑みではない。
目の前に立ちはだかる巨大な壁を見上げたストライカーが浮かべる、純粋で、獰猛な笑みだった。
戦術の正解を選び、美しく整えるだけのフットボールでは、あいつは止まらない。
相手はすべてを力尽くで奪い取る覚悟で突進してきたのだ。
ならば、こちらもすべてをぶつけなければ届かない。
母の病に怯えて足元を見失っていた自分は、もういない。
仲間にボールを預ける勇気を知り、足元を踏みしめた今、自分の持てるすべてを解き放つ時が来た。
あいつがいるから、面白い。
この怪物が立ちはだかっているからこそ、自分はもっと先へ行ける。
センターマークに、トンとボールを置いた。
立ち上がった氏真の瞳の奥に、かつてないほど静かで熱い炎が灯っていた。
「……さあ、行こう」
誰にともなく零した呟きとともに、氏真は前を見据えた。
優雅に舞うだけの白鳥の殻が、静かに剥がれ落ちていく。
その内側で、燃え上がる炎を宿した鳳凰が、確かな熱を抱き始めていた。
【次回予告】
最適解を選び続けてきた氏真が、ついに「自分から試合を動かす」領域へ踏み込む。
だが、その前に立ちはだかるのは――あの「白き魔王」。
氏真と凱斗、二人のストライカーが激突する!
第話:【白鳥から鳳凰へ】次なる天下へのパスを回せ!
ーーーーお願いーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし今日、ほんの少しでもこの物語に心を動かされたなら――、ちょと面白いと思ったら――
投げ銭はいりません。
その代わり、せめて、評価☆☆☆☆☆を一つ、何卒、そこをなんとか置いていってくださいませ(笑)。
今後も氏真の物語を、温かく一緒に見届けてください。




