第110話:【共鳴する切先】
【あらすじ】
国王杯を突破し、国内リーグ戦へ。過密日程の中で挑むナバーラFC戦。バルシーノは前線に新布陣を敷く。トップチームの強度を体現するエステバン、野性の決定力を持つレオン、そして空間を操る氏真。「お前が広げた場所に、俺が叩き込む」――三者の個性が共鳴し、堅固なブロックを切り裂く。
1. 快晴のカタルーニャと新布陣
地中海からの乾いた爽やかな風が、シウダ・エスポルティバのピッチを吹き抜けていた。
1月中旬。
鉛色の重い雲と冷たい雨に覆われていたバスクの地とは対照的に、カタルーニャの空には一点の曇りもない冬晴れの陽光が降り注いでいた。
国内フベニルリーグ第18節。
国王杯2回戦の死闘を制したFCバルシーノ・フベニルAがホームに迎えたのは、堅守速攻を掲げる難敵、ナバーラFCであった。
過密日程の中、ジョゼップ・カサス監督はこの試合で思い切ったターンオーバーを敢行していた。
中盤の要であるピボーテのサビエル・フェルナンデス、そして左サイドの切り込み隊長イネス・カスティーニャをベンチ外とし、完全休養を与える。
そして、戦術ボードに提示された前線の並びは、これまでにない新たな形であった。
左ウイングに、前節を休養に充て、気力に満ちたレオン・ラインハルト。
右ウイングには、バスクで「脱力と理合」を実戦へ昇華させた吉良氏真。
そして中央の最前線から半列下がった、トップ下とも偽9番とも呼べる位置に、背番号10、エステバン・ロサーノが陣取っていた。
「ナバーラFCは[4-4-2]の極めてコンパクトな低ブロックを敷いてくる。中央のスペースは最初から消されていると思え」
試合前のミーティングで、ジョゼップ監督は淡々と告げた。
「無理に中央をこじ開けようとすれば、相手の思う壺だ。外を使って相手の陣形を横に広げ、生まれた僅かな隙間を突く。エステバン、お前が攻撃の配給とフィニッシュの結節点になれ。氏真、レオン、それぞれの武器で相手の守備ラインを揺さぶり続けろ」
「はい!」
力強い返事がロッカールームに響いた。
ピッチへ足を踏み入れた氏真は、スパイクの裏で芝生の感触を確かめた。
短く均一に刈り込まれた美しい緑。
バスクの重い泥濘とは違い、ボールが足元で滑らかに転がり、ステップを踏むたびに確かな反発力が返ってくる。
対峙するナバーラFCの選手たちは、すでに自陣深くに強固な二重の防壁を築き、鋭い視線でバルシーノの前線を睨み据えていた。
ピーーーッ!
主審の澄んだ笛が鳴り響き、前半の火ぶたが切られた。
――
2. 歪みを穿つ刃
立ち上がりから、試合はジョゼップ監督の予測通りの展開となった。
ナバーラFCは前線からの深追いプレッシングを一切行わず、ハーフウェイラインの手前に[4-4-2]のコンパクトなブロックを形成。
最終ラインと中盤の距離を狭め、中央のバイタルエリアに立ち入る隙を完全に封鎖していた。
前半15分。
中盤の底でアンカーのテンテがボールを回収し、左インサイドハーフのダビアン・シヴァへ繋ぐ。
ダビアンが前を向こうとした瞬間、ナバーラのボランチが素早く間合いを詰め、激しいショルダーチャージで身体を寄せてきた。
ダビアンは巧みなターンでかわして右サイドの氏真へ展開するが、氏真がボールを受けると同時に、ナバーラの左サイドバックと左サイドハーフが二人掛かりで外側の縦コースを遮断してくる。
「くそっ……! 完全に自陣に引きこもってやがる!」
左サイドでパスを要求していたレオンが、苛立ち混じりに吐き捨てた。
引いて守る相手に対し、力任せに突っ込めば引っかけられ、鋭いロングカウンターを浴びる。
だが、右サイドでボールを保持した氏真の瞳は、静まり返った水面のように澄んでいた。
(……中央が堅いのではない。中央を堅くするために、外側の意識が張り詰めているのだ)
相手の守備ブロックが崩れないのは、全員が「正しい位置」に立っているからだ。
ならば、その「正しさ」を利用して、相手自身に陣形を動かさせればいい。
前半38分。
均衡を破る一手が放たれた。
中盤右寄りの位置でマルクからパスを受けた氏真。
右サイドの大外へボールを運ぶと見せかけ、氏真はすっと内側――右のハーフスペースへと斜めに降りるようにドリブルを開始した。
ナバーラの左センターバックが、自らの守備エリアに侵入してきた氏真を警戒し、釣り出されるように二歩前へ踏み出す。
その瞬間、相手のディフェンスラインに、ほんのわずかな「段差」が生まれた。
氏真は相手CBが足を踏み込んだ刹那、右足のアウトサイドでボールを中央へ流した。
そこへ、背後から音もなく侵入してきたのがエステバンだった。
氏真が相手CBを引き連れて生み出した、バイタルエリアの空間。
エステバンは無駄のないファーストタッチでボールを収めると、前を向いた。
ナバーラの守備陣に動揺が走る。
最も危険な男が、最も危険なエリアで前を向いたのだ。
残された右CBとボランチが、エステバンのシュートを阻止しようと慌てて中央へ身体を寄せる。
ナバーラの守備の重心が、中央へと偏った。
その刹那。
エステバンはゴールマウスを見ることなく、左足のインサイドで、逆サイドの広大なスペースへと鋭いパスを一閃させた。
アイソレーション。
そこへ、左サイドの大外から猛烈なスプリントで飛び込んできたのは、飢えた獣の如き瞳をしたレオン・ラインハルトだった。
「もらったぁッ!」
フリーでペナルティエリア左へ侵入したレオンは、バウンドするボールの芯を右足のインステップで粉砕するように振り抜いた。
ドガァァァンッ!
火の出るような弾丸ライナーが、相手GKの伸ばした右手をかすめ、ゴール左上のサイドネットを豪快に揺らした。
――バシィィンッ!
前半38分。1―0!
バルシーノ先制!
「¡Golazo! ¡Goooool!(決まったぁぁッ!!)」
シウダ・エスポルティバのスタンドから、一斉に大歓声が沸き起こった。
レオンは雄叫びを上げながらコーナーフラッグへ疾走し、追いかけてきたエステバンを抱き上げた。
「エステバン! 最高のパスだったぞ!」
「当たり前だ! お前が突っ込んでくるのが見えていたからな!」
エステバンが不敵に笑い、それから自陣へ戻る途中で、起点となった氏真へ視線を向けた。
氏真が内側へ降りて相手CBを釣り出さなければ、エステバンの前にはスペースが生まれず、レオンへのパスコースも存在しなかった。
氏真は少年らしい柔らかな笑顔を浮かべ、エステバンへ向けて軽く右手を掲げた。
言葉はなくとも、二人の間には確かな確信が共有されていた。
――
3. 王子の強度と理合の眼
ハーフタイム。
ロッカールームで、ジョゼップ監督は戦術ボードのマグネットを動かしながら指示を出した。
「1点リードしたが、ナバーラは後半、必ず前からの圧力を強めてくる。ダビアン、前半よく走ったな。後半の頭からフェリペを入れる。中盤の配球テンポをさらに一段引き上げろ」
「はい!」
フェリペが鋭い表情で応じる。
1点を追うナバーラFCは、後半開始と同時に守備ブロックをハーフウェイライン付近まで押し上げてきた。
激しいフィジカルコンタクトと、素早い切り替えによるプレッシング。
だが、バルシーノの攻撃の軸は揺らがなかった。
後半12分。
ナバーラの激しいプレスに対し、中央でパスを受けたエステバン。
相手の屈強なボランチが背後から激しいチャージを見舞うが、エステバンは強い体幹で微動だにせず、ボールを足元に隠してキープした。
相手選手が二人、三人とエステバンを囲い込みに来る。
しかし、エステバンは強引な単独突破に固執しない。
寄せてくる相手の逆を突き、右サイドへ開いたフェリペへワンタッチで叩く。
フェリペからマルク、そして再び中央へと、流麗なダイレクトパスがリズミカルに繋がれていく。
後半20分、中盤でハードワークを続けていたテンテの足が止まりかけると、ジョゼップ監督は即座にポージャン・ペレスをアンカーの位置へ投入。
ポージャンは落ち着いた配球でナバーラのカウンターの芽を摘み、試合のテンポを落ち着かせていった。
ナバーラの守備陣は、走らされ、揺さぶられ、徐々に足が止まり始めていた。
――
4. 共鳴する切先
後半28分。
歓声に包まれたピッチの上で、3人の連携が、次の段階へと踏み込んだ。
先制点を奪ったレオンへの警戒を強めたナバーラ守備陣は、左サイドへのカバーリングを厚くし、全体がわずかに左へとスライドしていた。
自陣深くでボールを奪ったカレスから、中央のフェリペへと縦パスが通る。
前を向いたフェリペの視界に、右サイドから斜め前方のバイタルエリアへ向けて、音もなく加速を開始した氏真の姿が捉えられた。
フェリペの右足から、鋭いグラウンダーの楔が打ち込まれる。
ペナルティエリア手前の中央。
氏真はボールを迎える瞬間、相手CBが背後から身体を寄せてくるのを背中で感じ取っていた。
だが、氏真はボールを止めない。
右足のアウトサイドでボールの軌道をわずかに変え、中央へ飛び込んできたエステバンの足元へダイレクトで落とした。
相手CBがエステバンへ対応しようと重心を前に傾けた、その刹那。
エステバンはボールを見ることなく、右足のヒールで、相手CBの股下を通すノールックのラストパスを前方のスペースへ流し込んだ。
「行け、ウジザネ!」
エステバンの声が響く。
第1得点では氏真が囮となってエステバンへ渡し、レオンが決めた。
だが今度は、レオンに引きつけられた守備の隙間を氏真が突き、エステバンが通す。
「お前が広げた場所に、俺が叩き込む」――その言葉通り、エステバンの判断と氏真の理合が、一つの意志となって重なり合った瞬間だった。
相手DF二人が置き去りにされ、ペナルティエリア右へ抜け出した氏真の前に、氏真の前には、ゴールへの道が開けていた。
GKとの一対一。
飛び出してきた相手GKが、身体を広げてシュートコースを塞ぎにかかる。
GKの右足に体重が乗り、踏み替えが利かなくなった、その一瞬。
氏真は右肩の力をふっと抜き、右足のインサイドでボールの底を優雅に撫で上げた。
ふわりと浮き上がったボール。
GKの伸ばした手先のわずか上を通過したボールは、弧を描き、ゴール右隅のサイドネットへと吸い込まれていった。
――ザシュッ。
後半28分。2-0!
決定的な追加点!
「¡Golazo! ¡Golazo! ¡Gooooool!(決まったぁぁぁッ!!)」
スタジアムが爆発的な歓声で揺れ動いた。
ネットを揺らした氏真のもとへ、アシストを送ったエステバンが満面の笑みで突進し、その身体を抱き上げた。
「ウジザネ! 完璧だったぞ!」
「エステバン、最高のパスだったよ。君のリターン・パスが寸分違わず足元に来たからだ」
氏真が穏やかに微笑み返すと、エステバンは誇らしげに胸を張った。
「当たり前だ! お前の動き出しを見逃すわけがないだろ!」
そこへレオンも駆け寄り、三人が固く肩を組み合う。
左の野性、右の理合、そして中央の強度。
三者三様の個性が共鳴し、難攻不落の堅守を解体した瞬間であった。
――
5. 盤石のクローズと次なる視線
2―0となった直後の後半30分。
ベンチ前で腕を組んでいたジョゼップ・カサス監督が、満足げな表情で交代の手を挙げた。
「アクセル、アレハンドロ、行くぞ!」
過密日程を見据え、監督は氏真とフェランの交代を決断した。
背番号29が交代ボードに赤く点灯する。
ピッチを後にする氏真へ向けて、シウダ・エスポルティバのスタンドから、惜しみないスタンディングオベーションが送られた。
ベンチへ戻った氏真の頭を、ジョゼップ監督が優しく叩いた。
「見事な崩しだったぞ、氏真。しっかり休め」
「ありがとうございます、監督」
氏真はベンチコートを羽織り、ベンチから残りの戦況を見守った。
アレハンドロが加わった最終ラインは安定した守りを維持し、前線に入ったアクセルが快足を生かして相手守備を牽制し続ける。
ナバーラFCのロングボール攻撃も、トニ・ラマジェとカレスが危なげなく跳ね返し続けた。
ピーーーッ! ピーーーッ! ピーーーーーッ!
試合終了を告げる主審の長いホイッスル。
2―0。
FCバルシーノ・フベニルA、主力の一部を休養させながらも、難敵ナバーラFCを相手に完封勝利を収めた。
ロッカールームへと引き揚げる通路。
モニターの前を通りかかった選手たちの足が、ふと止まった。
画面に映し出されていたのは、UEFAユースリーグ・決勝トーナメント(ラウンド16)の組み合わせ抽選結果であった。
『FCバルシーノ(スペイン) vs ロンドン・シティFC』
その文字を見た瞬間、室内を静かな緊張感が包み込んだ。
プレミアリーグ屈指の育成力を誇り、爆発的なフィジカルと近代的な高速ゲーゲンプレスを併せ持つ、イングランドの黒き巨塔。
氏真の黄金の瞳の奥で、静かに闘志の火が揺らめいた。
国内で研ぎ澄まされた切先は、いよいよ欧州最高峰の舞台へと向けられようとしていた。
【次回予告】
UEFAユースリーグ・決勝トーナメント開幕! 立ち塞がるはイングランドの黒き巨塔、ノースロンドンFC! 爆発的な身体能力と高速ハイブリッド戦術の前に、バルシーノはいかにして立ち向かうのか――!?
第111話:【CLベスト16:北ロンドンの黒い稲妻】次なる天下へのパスを回せ!




