第111話:【北ロンドンの黒い稲妻】
【あらすじ】
国内リーグ4連勝と勢いに乗るバルシーノは、ユースCL決勝T初戦でイングランドの強豪ノースロンドンFCと激突! 新3TOPの連動で主導権を狙う氏真たちの前に立ちはだかるのは、規格外の身体能力を誇る怪童クリスチャン。欧州の頂を懸けた激闘の中、北ロンドンの黒い稲妻が牙を剥く――。
1. 黄金の助走と冬の連勝街道
1月中旬のナバーラFC戦から約1か月、FCバルシーノ・フベニルAは国内リーグ戦において破竹の快進撃を続けていた。
過密日程の中、ジョゼップ・カサス監督が打ち出した新布陣――左のレオン・ラインハルト、右の吉良氏真、そして中央下がり目のエステバン・ロサーノによる「新3TOP」は、対戦相手ごとにその機能美を研ぎ澄ませていった。
第19節、敵地でのFCバジェ戦を2―0で完封。
続く第20節のモンソンFC戦では、相手のタイトな守備を流動的なポジションチェンジで切り裂き3―1と快勝。
第21節のFCエスカ戦は、引いて守る相手を焦ることなく揺さぶり続け、1―0の辛勝。
そして第22節のバデルFC戦では攻撃陣が完全に爆発し、4―1の大勝を収めた。
4戦全勝。
レオンが野性的な嗅覚でゴールを量産し、氏真が緻密な空間操作で相手ディフェンスラインに歪みを生み出し、エステバンがその間隙を突いて決定打を配給する。中盤ではサビエルやダビアンが落ち着いたゲームメイクを見せ、チームは揺るぎない自信と安定感を手にしていた。
だが――ジョゼップ監督の眼差しには、連勝の熱狂に流されない冷静な光が宿っていた。
国内リーグで危なげなく下した相手は、いずれも中位から下位に位置するクラブ。相手のプレスの強度は限定的であり、バルシーノのパス回しに「考える時間」と「足元の余白」が許されていたからこその完勝であった。
国内で掴んだ手応えは、果たして欧州最高峰の理不尽な強度を前にしても通用するのか。
冬が終わり春を迎える3月上旬、バルシーノの真価を問う本当の嵐が、北の空から吹き寄せようとしていた。
――
2. 霧の都の可変巨塔
地中海の陽光を遠く離れ、FCバルシーノ・フベニルAの遠征部隊が降り立ったのは、冷涼な大気に包まれたロンドン北部のスタジアムだった。
UEFAユースリーグ・決勝トーナメント、ラウンド16第1戦。
対戦相手は、イングランド屈指の育成組織を誇るノースロンドンFC。
彼らは、グループステージのリーグフェイズでバルシーノが唯一ドローに持ち込まれた東欧の雄、FCザグレブを、プレーオフの2連戦で合計スコア5―1と完膚なきまでに粉砕して勝ち上がってきた怪物集団であった。
ウォーミングアップのためピッチに足を踏み入れた氏真は、スパイクの足裏から伝わる硬質な感触を確かめた。
(……芝が極限まで短く刈り込まれ、ピッチが硬い。ボールの球速とバウンドの反発が、カタルーニャのそれより一段速い)
スタンドを埋め尽くした地元サポーターによる重低音のチャントが、アウェイの冷たい空気とともに肌を刺す。
ビリー・ニール監督率いるノースロンドンFCの基本布陣は[4-3-3]。
だが、キックオフ前のシートを見つめるジョゼップ監督の表情は極めて険しかった。
ノースロンドンFCの真骨頂は、プレミアリーグの最先端を行く可変システムにある。
ボール保持時、左サイドバックのアッシュ・ゴールがインサイドハーフのように中央へ絞り、最終ラインを3枚に変形。中盤の数的優位を確保しながら、前線の3枚へボールを供給する[3-4-3]へと姿を変えるのだ。
中盤の中央には、フランス出身の屈強な潰し屋パトリック・オリベラ、そして無尽蔵のスタミナと推進力を兼ね備えた日系人ボランチ、ジュン・ハシモト・クレイトンが君臨する。
そして――最前線の中央に立つ背番号9の姿に、誰もが息を呑んだ。
クリスチャン・モーゼス。
身長197センチ。
天を突くような巨躯でありながら、黒豹のような柔軟性と爆発的なスプリント力を併せ持つ、イングランド・ユース世代の至宝。
彼はバルシーノのレオンと、U19イングランド代表で強力な2トップを組む盟友にして、最大のライバルであった。
「"Let's show them our football, Leon!"(俺たちのフットボールを見せてやろうぜ、レオン!)」
クリスチャンが白い歯を見せて不敵に笑いかける。
レオンは表情を崩さず、引き締まった瞳で短く頷いた。
「ああ。だが、このピッチで勝つのは僕たちだ」
ピーーーッ!
冷徹なロンドンの空気を切り裂くように、運命のキックオフの笛が鳴り響いた。
――
3. 聖騎士の先制弾
試合開始直後から、ノースロンドンFCの可変ビルドアップがバルシーノに襲いかかった。
左SBのアッシュ・ゴールが中盤へ絞ることで、中央のパスコースが幾重にも張り巡らされる。中盤の数的不利を強いられたバルシーノは、前線からのプレスが空転し、自陣深くへと押し込まれる時間が続いた。
右サイドで守備に奔走する氏真の視界。
ボールを持ったクリスチャン・モーゼスが、カレスの寄せを長いリーチと独特の滑らかなステップでいなし、涼しい顔で味方へボールを散らしていく。
(……大きい。だが、あの巨体に重さを感じさせない脱力がある)
驚異的な相手のクオリティに圧迫されながらも、バルシーノの集中力は途切れなかった。
国内リーグで培った新3TOPの「共鳴」が、敵地の一瞬の隙を捉えたのは前半22分のことだった。
自陣深くでダビアン・シヴァが相手の縦パスを身体を張ってインターセプト。
ボールが中央のサビエルへ渡った瞬間、右サイドの氏真が動いた。
氏真はタッチライン際から、あえて斜め後ろ――相手中盤のハーフスペースへと音もなくポジションを下げた。
偽サイドバックとして中盤の内側に立っていたアッシュ・ゴール、そしてボランチのオリベラの視線が、氏真の「引きの動き」に強く引きつけられる。
氏真はボールを要求しない。
ただ、上半身を前方のスペースへと開き、背後へターンする予備動作を一瞬だけ見せた。
その刹那。
アッシュ・ゴールが釣られて前へ踏み出した背後に、ぽっかりと広大な空間の回廊が生まれた。
「エステバン!」
サビエルから中央のエステバンへ、鋭い楔のパスが入る。
エステバンは背後から迫るジュン・ハシモトの強烈なチャージを受け止めながら、腰の回転だけで前を向いた。
エステバンの視界。
右には相手守備陣の意識を引き連れた氏真。
そして左サイドの大外には、完全にフリーとなったレオンが、獲物を狙う猛獣のようにトップスピードでスプリントを開始していた。
完全なアイソレーション。
エステバンの左足から放たれたのは、右に偏った相手ディフェンスラインの頭上を越え、逆サイドの奥深くへとピンポイントで落ちるアーリークロス。
「¡Mío!(俺のボールだ!)」
走り込んだレオンが胸トラップでボールを前方に落とし、ペナルティエリア左へ侵入。
カバーに入ったノースロンドンの主将CBトニー・スミスが足を伸ばすより一瞬早く、レオンの右足が一閃された。
ドバァッ!!
鋭い弾丸ライナーが、相手GKの伸ばした手をかすめ、ゴールネットの天井を激しく揺らした。
――バシィィンッ!
前半22分。1―0!
バルシーノ、敵地で鮮やかな先制点!
「"Yeees!"(よっしゃあ!)」
レオンが咆哮し、コーナーフラッグへと疾走する。
駆け寄ってきたエステバン、そして起点を作った氏真と力強く拳を突き合わせた。
言葉を交わさずとも成立する、完全なる空間の連動。
イングランドの覇者の隙を、バルシーノの切先が見事に穿った瞬間であった。
――
4. 激突と暗雲
先制を許したノースロンドンFCは、失点に動揺するどころか、プレミアリーグ特有の激しいフィジカルコンタクトでさらに圧力を強めてきた。
球際の強度はさらに一段跳ね上がり、審判の笛が鳴らないギリギリの肉弾戦がピッチの至る所で繰り返される。
中盤のパトリック・オリベラとジュン・ハシモトが、激しいスライディングと体幹のぶつかり合いでセカンドボールをことごとく回収しにかかる。
そして前半41分。
バルシーノに、突如として暗雲が立ち込めた。
追加点を狙うバルシーノが右サイドから攻め込み、アントニが高い弾道のクロスをゴール前へ放り込んだ。
ペナルティエリア中央。
ボールの落下軌道を見極め、氏真が無拍子の歩法で相手ディフェンスラインの死角へと滑り込む。
相手GKの重心がわずかに前へ傾く、その一瞬の隙。
氏真がふわりと宙へ跳躍した、まさにその刹那であった。
背後から、ノースロンドンの主将トニー・スミスが、猛烈な助走をつけて空中戦の迎撃に飛び込んできた。
190センチを超える強靭な巨躯が、氏真の視界を覆った。
ドカッ……!!
鈍く重い衝撃音が、スタジアムに響き渡った。
空中で、トニー・スミスの側頭部と氏真の前頭部が激しく衝突したのだ。
視界が白く弾け、激しい火花が散る。
重力の感覚が完全に消失し、氏真の身体は受け身も取れないまま、硬いピッチの上へと叩きつけられた。
ザザッ……。
「ウジッ!」
「氏真!」
エステバンとレオンが血相を変えて駆け寄る。
ピッチ上に倒れ込んだ氏真は、ゆっくりと上半身を起こそうとしたが、世界が激しく回転し、平衡感覚が狂っていた。
即座に主審が笛を吹いて試合を止め、両チームのドクター陣がピッチへと雪崩れ込んでくる。
「"How many fingers?"(指は何本に見える?)」
ドクターが氏真の目の前に指を立てる。
焦点が定まらない。耳の奥で、キーンという甲高い耳鳴りが鳴り響いていた。
「……大丈夫です、僕は……まだ走れます……」
氏真は立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかず、ドクターの手によって強く制止された。
脳震盪の疑いによる、医学的判断に基づくドクターストップ。
前半43分。
交代ボードに背番号29が赤く点灯した。
氏真に代わり、背番号25のフェリペが急遽ピッチへ送り出される。
スタッフに肩を借り、悔しさに唇を噛み締めながらピッチを後にする氏真。
攻撃の設計図を描いていた基準点を失ったバルシーノの陣形に、目に見えない亀裂が走り始めていた。
――
5. 黒い稲妻の蹂躙
後半開始。
1点をリードして折り返したバルシーノであったが、さらなるアクシデントがチームを襲う。
中盤の底で相手の猛攻を防ぎ続けていたピボーテ、ダビアン・シヴァが、前半のジュン・ハシモトとの激しい接触の影響により、右足首の痛みを訴えて後半10分にテンテとの交代を余儀なくされたのだ。
前線の起点である氏真と、中盤の要であるダビアン。
攻守の二大巨頭を失ったことで、バルシーノの組織は急速にバランスを崩していった。
中盤の主導権を完全に握ったノースロンドンFCは、パトリックとジュンが広大なエリアを制圧し、前線へ容赦なくボールを送り込む。
背番号9、クリスチャン・モーゼス。
後半18分。
中盤でボールを奪ったジュン・ハシモトが、素早い切り替えから前線へ鋭い縦パスを通す。
ペナルティエリア手前の中央でボールを受けたクリスチャン。
CBカレスが背後から密着し、力づくで潰しにかかる。
だが――クリスチャンは197センチの巨躯からすっと力を抜き、右足のインサイド一本でカレスの突進力をふわりといなした。
「なっ……!?」
カレスの身体が横へ流れる。
クリスチャンはボールを足元に吸い付かせたまま、独特の滑らかなステップで反転。カバーに入ったフェランのタックルを、長いストライドのダブルタッチで軽々と抜き去った。
ペナルティエリア手前、左45度の位置。
クリスチャンの左足が一閃される。
ドシュッ!!
放たれたのは、重力を嘲笑うかのような鋭い弾道だった。
GKトニ・ラマジェの伸ばした指先をかすめ、ボールはゴール右上のサイドネットへと突き刺さった。
――バシィィンッ!
後半18分。1―1!
ノースロンドン同点!
「"Yeees!"(よっしゃあ!)」
スタジアムが地鳴りのような咆哮に包まれる。
だが、クリスチャンだけは咆哮することもなく、長い手足を優雅に揺らしながらセンターサークルへと戻っていった。
追いつかれたバルシーノは、エステバンが孤軍奮闘でボールをキープしようとするが、オリベラとジュン・ハシモトの二重包囲網に阻まれ、前線のレオンは完全に孤立。
そして後半36分。
悪夢の逆転弾が生まれる。
左サイド深くへ攻め上がったアッシュ・ゴールが、高精度のクロスをファーサイドへ供給する。
空中へ飛び上がったのは、背番号9クリスチャン・モーゼス。
カレスとフェランの頭上、完全に別次元の最高到達点。
滞空時間の長い豪快なヘディングシュートが、ゴール左隅へと叩き込まれた。
――ドガンッ!
後半36分。1―2!
ノースロンドンFC、逆転!
ピーーーッ! ピーーーッ! ピーーーーーッ!
試合終了のホイッスルが、冷たい夜空に響き渡った。
1―2。
バルシーノ・フベニルA、敵地での第1戦を落とし、手痛い敗戦を喫した。
――
6. 浪速のサムライと第2戦への狼煙
試合後のスタジアム通路。
医務室前のベンチで、氏真は額に分厚い氷嚢を当てながら、冷たい壁に背中を預けていた。
めまいは落ち着きつつあったが、ピッチを離れざるを得なかった無念さと、チームの敗戦の重みが、胸の奥で黒い澱のように沈んでいた。
アウェイで1点奪ったとはいえ、ホームでの第2戦で勝たなければ、欧州の頂点への道はここで閉ざされる。
そこへ――。
「おいおい、兄ちゃん。えらい災難やったなァ」
場違いなほど陽気で、聞き覚えのあるイントネーションの声が響いた。
顔を上げると、汗で濡れたノースロンドンの背番号8のユニフォームを着た少年が、スポーツドリンクのボトルを片手に立っていた。
ジュン・ハシモト・クレイトンである。
「……ジュン・ハシモト選手」
氏真が呟くと、ジュンは人懐っこい笑みを浮かべ、氏真の隣のベンチへドカッと腰を下ろした。
「ジュンでええよ、ウジザネ君。……いやあ、自分、噂通りホンマにエグい動きするなぁ! 前半の先制点のとこ、ウチのアッシュとオリベラが完全に釣られてもうて、裏のスペース丸裸やったわ」
コテコテの大阪弁。
試合中の狂犬のような激しいプレッシングとは真逆の、底抜けに明るい語り口。
「日系……なんですよね?」
氏真が尋ねると、ジュンはカハハと快活に笑った。
「オカンが大阪の天神橋筋商店街の生まれでな! 家の中じゃずっと関西弁や。……せやけど、ウジザネ君。トニーとの衝突でピッチを退いたのは痛かったな。自分がおらんくなってから、ウチのクリスチャンが完全に息吹き返してもうたわ」
ジュンの瞳の奥に、猛烈な勝負師の光がギラリと宿る。
「カタルーニャでの第2戦、自分、もちろん出るんやろ?」
「……ええ。必ず、万全の状態でピッチに戻ります」
氏真が即答すると、ジュンは不敵に口角を吊り上げた。
「ほな、楽しみにしてるわ。ウチのクリスチャンはな、乗せたら手がつけられへん『黒い稲妻』や。……せやけど、自分らの『雅』とやらも、あんなもんやないやろ? ホームでひっくり返してみせぇや!」
ジュンは氏真の肩をポンと叩き、ロッカールームへと歩み去っていった。
一人残された通路で、氏真は氷嚢を外し、静かに目を閉じた。
脳裏に再生されるのは、クリスチャン・モーゼスのプレー。
197センチの巨躯をまるで重力から解き放たれたかのように操り、接触の衝撃を推進力へと変えていたあの身のこなし。
(……力に逆らわないだけではない。あの男は、己の巨大な質量そのものを消したかのように動いている)
失意の霧は晴れていた。
相手の規格外の高さと質量を無力化するための戦術的直感が、氏真の思考の深淵で静かに脈打ち始めていた。
欧州の頂を目指す白鳥たちの真の戦いは、ここからが始まりであった。
【次回予告】
敵地で手痛い敗戦を喫したバルシーノは、立て直しを期して国内リーグ第23節へ!
相手は今季絶好調のリーグ3位モンテFC! ノースロンドン戦を見据え、新たな戦術的実験に挑むバルシーノ。しかし、ピッチ上では思わぬ混乱が巻き起こる――!?
第112話:【新戦術の胎動】次なる天下へのパスを回せ!




