第106話:【地中海の火花】
【あらすじ】
激闘のユースCLを終え、束の間の冬季休暇を迎えた氏真。戦いから離れ、穏やかな日々を過ごすはずだった――。しかし、思いがけない来訪者によって、その休暇は一転する。
そして迎えるクリスマス・イブ。バルセロナの聖夜で、氏真を待っていたものとは――?
1. 到着ロビーの会戦
12月下旬。
UEFAユースリーグ・グループステージを劇的な首位通過で締めくくり、国内リーグの前半戦全日程を終えたFCバルシーノ・フベニルAは、束の間の冬季休暇に入っていた。
地中海からの冷たく澄んだ風が吹き抜ける、バルセロナ・エル・プラット国際空港。
国際線到着ロビーの自動ドアが開き、人波の中から現れた二人の少女の姿に、迎えに来ていた吉良氏真は目を丸くした。
「氏真様!」
柔らかな淡いベージュのコートに身を包み、ふわりと駆け寄ってきたのは早川愛だった。
長旅の疲れを感じさせない佇まいと、澄んだ瞳。その視線が重なった瞬間、氏真の肩から日々の張り詰めた緊張がすっと抜けていく。
「愛さん、舞……本当に連絡もなしに来るなんて驚いたよ」
氏真が苦笑いを浮かべると、愛の背後からスーツケースを引いて歩み出てきた妹の舞が、得意げに胸を張った。
「ふふん、ウジ君! これぞサプライズってやつよ! 冬休みを丸々使って、ウジ君の骨格データ更新と、後半戦に向けたフィジカルプログラムを叩き込みに来たんだから!」
「相変わらず、熱心だね」
氏真が柔らかな笑みを返した、その刹那だった。
「ウジザネーッ!」
ロビーの反対側から、よく通る声が響いた。
首から一眼レフカメラを提げたルナが小走りで駆け寄ってくる。その隣には、洗練されたダークトーンのジャケットを着こなした女子チームの司令塔、エレナの姿もあった。
「約束通り迎えに来たわよ、ウジザネ!
今日のオフ、街を案内して……って、ちょっと。その人たち、誰?」
ルナが足を止め、愛と舞をまじまじと見つめた。
エレナもまた、切れ長の瞳をわずかに細め、愛の立ち姿を静かに観察している。
到着ロビーの空気が、ふっと張り詰めた。
「あ、二人は日本から――」
氏真が口を開きかけた瞬間、愛が一歩前へ進み出た。
愛はふわりと首を傾げ、丁寧なお辞儀とともに柔らかな微笑みを浮かべた。
「オンラインでは何度もお目にかかっておりますが、こうして直接お会いするのは初めてですね。日本で氏真様の生活と健康管理をお預かりしております、早川愛と申します。こちらは妹の舞です。お二人には、いつも画面越しに氏真様を支えていただいていると伺っております」
滑らかなスペイン語と、落ち着いた声音。
ルナは思わず気圧され、一瞬言葉を詰まらせた。
「あ、あたしはルナ!
ウジザネの……地元紙の記者見習いよ。ウジザネを一番近くで撮ってるの!」
「私はエレナ・アルノー。カンテラ女子チームの選手よ」
エレナが腕を組み、愛を見据えた。
「健康管理? 随分と過保護なのね。ウジザネのフットボールに必要なのは、日本式のケアだけじゃないわ。欧州の激しいプレッシャーをかいくぐるための、戦術的な理解と身体づくりよ」
エレナの鋭い眼差しを受けても、愛の表情は微塵も揺れなかった。
「ご助言ありがとうございます、エレナさん。ですが、氏真様の呼吸の乱れや、日々の重心のわずかな変化まで見てまいりましたのは、幼い頃よりお側で支えてきた私ですわ」
怒らない。声も荒げない。
それでも、自分の立つ場所だけは一歩も譲らない。
その静かな眼差しに、エレナは微かに息を呑んだ。
その横で、舞がタブレットを操作しながら唇の端を吊り上げる。
「ちなみにエレナさん、女子チームの試合映像も分析したわ。あなたのパス精度は素晴らしいけれど、試合終盤のプレッシャー下で視線の移動がわずかに遅れる傾向があるわね。集中力を維持するためのアミノ酸配合、私が組んであげましょうか?」
「なっ……なによ、この生意気な子は!」
「データに基づいた客観的事実を提示しただけよ」
火花を散らす少女たち。
欧州屈指の強豪と対峙してきた氏真も、この予期せぬ空気には苦笑いを浮かべるしかなかった。
その時、少し離れた柱の陰から、母・有理が歩み寄ってきた。
「みんな、揃ったようね。愛ちゃん、舞ちゃん、遠いところよく来てくれたわ」
有理は穏やかな笑みを浮かべ、二人に手を振った。
だが――愛の視線が、有理の足元へすっと落ちた。
踏み出した右足に、ほんの一瞬だけ不自然な間があった。そして、いつもよりわずかに遅い歩調。
愛は何かを言いかけ、わずかに唇を引き結んだ。
だが、その翳りを誰にも悟らせることなく、いつもの柔らかな笑顔で有理の手をそっと包み込んだ。
「有理お母様、お迎えありがとうございます。お会いできて嬉しいですわ」
地中海の冬風の中、波乱のオフシーズンが静かに幕を開けた。
――
2. 聖夜のサグラダ・ファミリア
12月24日、クリスマス・イブ。
バルセロナの街は、煌びやかなイルミネーションに彩られ、祝祭の喜びに包まれていた。
夜空にそびえ立つのは、アントニ・ガウディの未完の傑作、サグラダ・ファミリア。
幾重にも重なる石の塔が、冬の夜空へ突き上げるように聳え、黄金の光をまとっていた。
この夜、大聖堂では特別な真夜中のミサが執り行われることになっていた。
「すごい……! 写真で見るより、ずっと迫力があるわね!」
広場に立ち、見上げるサグラダ・ファミリアの偉容に感嘆の声を上げたのは舞だった。
隣に立つ愛は、白のウールコートに身を包み、静かに手を合わせてその光景を見つめている。
「美しい建物ですね、氏真様。何世代もの人々の祈りと意志が積み重なって、ひとつの形を成している……まるで、氏真様が目指されるフットボールのようです」
「そうだね。
一人じゃ、ここまでは来られない。
……たくさんの人の想いが積み重なって、こんな場所まで届くんだ。
なんだか、僕のフットボールにも似ている気がする」
氏真が穏やかに微笑みかけた、その時だった。
「ちょっと! ウジザネ、待たせるんじゃないわよ!」
人混みをかき分けて現れたのは、赤いベレー帽を被り、首にカメラを提げたルナだった。
そしてその後ろには、洗練された黒のロングコートをまとったエレナが、どこか不機嫌そうに息を吐きながら歩いてくる。
「……別に、あんたたちとミサに行きたかったわけじゃないわよ。ルナがどうしてもって言うから、付き添いで来ただけ」
エレナがそっぽを向いて言い訳をする。
「エレナさんもルナさんも、ご一緒できて嬉しいですわ」
愛は一切の動揺を見せず、穏やかな笑みで二人を迎え入れた。
「今夜は聖なる夜ですもの。皆様とご一緒に、この夜を過ごせることを嬉しく思いますわ」
その落ち着いた振る舞いに、ルナとエレナはぐっと言葉を詰まらせる。
「くっ……! なんなのよ、このお姉さんの余裕は……!」
ルナが小声で悔しそうに唸り、舞が横で誇らしげに胸を張った。
――
3. ステンドグラスの静寂と四つの流儀
大聖堂の内部へと足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のような、荘厳な静寂が広がっていた。
天高く伸びる樹木のような石柱。
青、赤、緑、黄――計算し尽くされたステンドグラスから差し込む光が、礼拝堂の床を幻想的な光の絨毯へと染め上げている。
パイプオルガンの重厚な調べが響き渡り、司教による祈りの言葉が始まった。
氏真は長椅子に腰掛け、静かに目を閉じて手を組んだ。
前世での波乱に満ちた生涯。今世で手にした新たな命と、欧州の地で出逢った仲間たち。すべてへの感謝と、これから掴み取るべき未来への決意を、心の中で静かに紡ぎ出していく。
だが――静かな祈りの中で、氏真の周囲には、それぞれの想いが集まり始めていた。
右隣に座る愛が、そっと肩を氏真の腕に触れさせてくる。
ふわりと漂う、白檀と柑橘を合わせたような奥ゆかしい香り。
愛は何も言わない。
ただ、氏真の隣に静かに寄り添っていた。
その様子を見ていた左隣のルナが、カメラを膝に置き、氏真の耳元へ顔を寄せて囁いた。
「ねえ、ウジザネ……。ミサが終わったら、あたしが知ってる秘密の夜景スポット、連れてってあげる。ピッチの外のあんたを、もっと撮りたいの」
「え、あ、いや……」
氏真が戸惑った瞬間、愛が静かに目を開け、ルナへ向けて柔らかな声で語りかけた。
「ルナさん。聖なるミサの最中に、氏真様のお耳元で囁くのはお控えになって。お祈りの集中が乱れてしまいますわ」
「なっ……! 別に減るもんじゃないでしょ!」
「減りはしませんが、氏真様の明日の休息に影響いたします」
穏やかな笑顔のまま、言葉の芯を崩さない愛。
さらに後ろの席から、エレナが身を乗り出してきた。
「ウジザネ。パリ戦の映像、見直したわ。決勝トーナメントでまた当たる可能性がある。……明日、私の家で戦術のディスカッションをしない? 欧州の守備ブロックの崩し方、もっと深く議論できるはずよ」
「ちょっとエレナ! あんたまで抜け駆けする気!?」
ルナが振り返って抗議し、舞がすかさずタブレットを掲げて割り込む。
「却下よ! 明日は私がウジ君の筋力バランス測定を朝からスケジュールしてるんだから! 身体の最適化が最優先です!」
聖堂の片隅で繰り広げられる、四者四様の主張。
ピッチ上で前年王者の猛攻を捌き切った氏真も、それぞれの想いが交錯するこの場ばかりは、どう対応してよいのか見当もつかなかった。
(……やれやれ。ピッチの上とはまったく違う難しさだな)
氏真は困惑の苦笑を漏らしながらも、胸の奥に灯る確かな温もりを感じていた。
前世の孤独な城中での祈りには、決して存在しなかったもの。
愛は、安らぎをくれる。
舞は、次の進化を突きつけてくる。
ルナは、ピッチの外へ連れ出そうとする。
エレナは、選手としての誇りを刺激する。
四人とも、向いている方向は違う。
それでも――その想いは、まっすぐ氏真へ届いていた。
氏真は静かに目を閉じた。
光降るステンドグラスの下で、今世で巡り逢えたすべての縁を、胸の奥へそっと刻むように。
――
4. 聖夜の誓いと第6章の終幕
真夜中のミサが終わり、大聖堂の外へ出ると、日付はすでに12月25日へと変わっていた。
ゴーーーーン……ゴーーーーン……。
バルセロナの夜空に、祝福の鐘の音が厳かに響き渡る。
舞とルナ、エレナが明日の予定を巡って議論を交わす中、氏真と愛は少しだけ歩調を緩め、広場の片隅に佇んでいた。
白く染まる吐息。
愛はマフラーに顔を少し埋め、隣に立つ氏真をじっと見上げた。
「氏真様」
「ん?」
「欧州での戦い、本当に素晴らしいですわ。画面越しに、氏真様がどんどん高く、遠くへ進んでいかれるのが分かります」
その声には、誇らしさと、ほんの少しの寂しさが混ざり合っていた。
氏真は足を止め、愛の澄んだ瞳を見つめ返した。
「高く飛べるのは、愛さんが僕の帰る場所を守ってくれているからだよ。どれほど遠くへ行っても、そのことだけは変わらない」
愛の瞳が驚きにわずかに見開かれ、それから潤んだように揺れた。
愛は嬉しそうに微笑み、両手で氏真の手をそっと包み込んだ。
手袋越しに伝わってくる、確かな温もり。
「はい……。私はいつまでも、氏真様がお帰りになれる場所であり続けます」
二人の間に、言葉よりも確かな静けさが降りた。
その光景を遠巻きに見ていたルナとエレナは、どこか見惚れたように立ち尽くしていた。
澄み渡る冬の夜空に、サグラダ・ファミリアの尖塔が凛としてそびえ立っていた。
未だ完成を見ないその巨躯は、幾重もの祈りと意志を受け継ぎながら、今も天を目指して伸び続けている。
その姿を見上げ、氏真は静かに前を向いた。
欧州の荒波を越えてきた少年の胸には、もう一つの決意が灯っている。
――まだ、ここからだ。
白鳥の翼は今、より高く、果てなき空へと羽ばたいていく。
【次回予告】第7章 破 ~ユースCL覇道編~
正月を迎えたバルセロナの街で、さらなる大波乱が勃発! 観光に訪れていた織田凱斗と妹の美月との予期せぬ遭遇で、場外乱闘は最高潮へ!?
第107話:【バルセロナの邂逅】次なる天下へのパスを回せ!




