第104話:【分水嶺】
【あらすじ】
ユースCLグループ最終節、前年欧州王者FCパリとの頂上決戦。引き分け以上で首位突破が決まる大一番で、バルシーノは王者の緻密な戦術と流動的な攻撃に苦しめられる。勝利への突破口を求め、氏真と仲間たちは、それぞれの意志を胸に欧州王者へ挑む。
1. 頂上決戦の気配
地中海から吹き込む乾いた秋風が、シウダ・エスポルティバのピッチを吹き抜けていた。
UEFAユースリーグ・グループステージ第6節――最終節。
現在4勝1分、勝ち点13でグループ首位を走るFCバルシーノ・フベニルAがホームに迎えたのは、前年度のユース欧州王者、フランスの絶対王者『FCパリ』のU-19であった。
グループ1位のみが決勝トーナメント(ラウンド16)へストレート進出を果たす。引き分け以上で首位突破が決まるが、敗れれば9位以下へ転落し、他グループの強豪や国内王者ルートとの過酷な一発勝負――プレーオフへ回らざるを得ない。
まさに、今シーズンの命運を分ける分水嶺。
メインスタンドには欧州各国のクラブから集まったスカウト陣がずらりと並び、スタジアムは、試合開始前から異様な熱気に包まれていた。
ベンチには、トップチームで公式戦を経験し、試合感覚を研ぎ澄ますために合流した「王子」エステバン・ロサーノ、そしてフェリペやポージャン・ペレスが控えている。
ロッカールームで、ジョゼップ・カサス監督は戦術ボードの前に立ち、短く言い放った。
「相手は前年王者だ。引き分け狙いの消極的なサッカーなど一切通用せん。最初から牙を剥いて勝ち点3を獲りにいくぞ」
「¡Sí!(はい!)」
最前線のフォワードとして先発する背番号29、吉良氏真は、静かにスパイクの紐を結び直した。
両隣には、鋭い闘志を漲らせるレオン・ラインハルトとイネス・カスティーニャ。
中盤にはダビアン・シヴァ、サビエル・フェルナンデス、テンテ。
最終ラインにはカレス、フェラン、アントニ、キケ、そして主将のGKトニ・ラマジェが並ぶ。
現時点でバルシーノが組める、最高の陣容であった。
ピーーーッ!
主審の甲高いホイッスルが響き、欧州の覇権を懸けた死闘の火蓋が切って落とされた。
――
2. 王者の包囲網
キックオフの瞬間から、FCパリが放つ圧力はこれまでの対戦相手とは次元が違っていた。
基本陣形は[4-3-3]。
だが、ボールが相手GKから動き出した瞬間、右サイドバックのテオが中盤の内側へと滑り込み、流動的な3バックへと姿を変えた。
中盤には斜めの段差が生まれ、前線の3トップ――中央のFWジャン、左右のウイングであるアドリアンとニコラが神出鬼没にポジションを入れ替える。
「Allez!(行け!)」
パリのベンチからフランス語の鋭い指示が飛ぶ。
前半7分。
中央へ降りてきた相手FWジャンがサビエルのマークを引きつけ、空いたバイタルエリアへ左ウイングのアドリアンが斜めに侵入した。
テンテが必死にスライディングで足を伸ばすが、アドリアンはワンタッチでボールを浮かせ、背後へ走り込んだインサイドハーフのルーカスへ通す。
ペナルティエリア右へ抜け出したルーカスが、右足の甲で強烈なシュートをゴール左隅へと突き刺した。
――ドガンッ!
前半8分。0―1。
FCパリ先制。
「¡Maldita sea!(くそっ!)」
トニ・ラマジェがゴールネットからボールを拾い上げ、悔しげに叫ぶ。
だが、王者の本当の恐ろしさは、守備の側にこそ隠されていた。
追いつこうとパスを回し始めたバルシーノ。
氏真がいつものように中盤へスッと降り、相手CBを引き連れて味方のための空間を作ろうとした、まさにその瞬間だった。
パリのCBローランは、氏真の動きに釣られて前へ出なかった。
代わりに、中盤のアンカーであるマキシムが背後へのパスコースを身体で塞ぎ、空いた前線のスペースへレオンが走り出す走路を、もう一枚のCBバティストがあらかじめ先回りして塞いでいたのだ。
(……予個人を止めるのではない。予が動くことで味方が走り出す『連動の型』そのものを読んでいるのか)
氏真は黄金の瞳をすっと細めた。
パリが読んでいたのは、氏真一人の動きではない。
氏真が動いた瞬間、誰が走り、誰が空間を埋めるのか――その連動そのものだった。
そして前半16分。
バルシーノの前進を封じたパリは、今度は意図的に最終ラインへボールを戻した。
釣られるように前へ出たカレスたちの背後へ、自陣深くから一直線のロングフィードを打ち込んできた。
抜け出したのは、右ウイングのニコラ。
ニコラはバウンド際を吸い付くようなトラップで前へ持ち出し、飛び出してきたトニ・ラマジェの頭上を鮮やかなループシュートで破った。
前半17分。0―2。
スタジアムが凍りつくような静寂に包まれた。
開始20分足らずで、2点のビハインド。
欧州王者の冷徹な分析と完成度が、バルシーノのいつもの攻撃パターンを完全に封殺していた。
――
3. エゴの突破口
「おい! 縮こまるな!」
重苦しい沈黙を切り裂いたのは、左インサイドハーフのダビアン・シヴァだった。
「型通りにやって通用しないなら、力づくで壊せばいいんだよ! 綺麗にパスを繋ごうとするな、前へ運べ!」
ダビアンの怒号が、選手たちの強張った身体に熱を注ぎ込む。
最前線で相手の包囲網を感じ取っていた氏真の胸に、前日ダビアンから授かった言葉が鮮やかに蘇っていた。
『プロのピッチは、無数のエゴの死体の上に立つ場所だ。ストライカーの真価は、味方の剥き出しのエゴすらもゴールへのエネルギーに変えて喰らい尽くすことだ』
(そうだ。パリは予たちの『整然とした連携』を読んでいる。ならば――個々が放つ理不尽な欲望まで、彼らが計算し尽くせるはずがない)
氏真は、いつもの偽9番の動きを一度、封印した。
「ならば、自から道を作る必要はない。誰かが力ずくでこじ開けた瞬間、その裂け目へ飛び込めばいい。」
前半24分。
自陣深くでサビエルが激しいタックルでボールを奪い返すと、前方のダビアンへ預けた。
ダビアンはパスコースを探すことなく、目の前の相手ボランチ二枚の間へ自ら強引にドリブルで突進した。
相手DFが二人で挟み込みに来る。
普段なら無謀に見える突破。だが、前線のレオンが、その強引な突進に呼応して相手CBの背後へ猛然とスプリントを開始した。
「ダビアン、出せぇッ!」
レオンの咆哮。
ダビアンは倒れ込みながらも、相手の股下を通す泥臭いスルーパスを前線へねじ込んだ。
ペナルティエリア左へ侵入したレオン。
相手CBローランが身体を寄せてくるが、レオンは強靭なフィジカルで相手を弾き飛ばし、角度のない位置から左足を力任せに振り抜いた。
ドガァァンッ!
強烈なシュートを相手GKが辛うじて弾く。
不規則なスピンを描いてファーサイドへ高く舞い上がったボール。
パリの守備陣の誰もがボールの行方を追いきれずにいたその刹那、すでに落下地点へと滑り込んでいた影があった。
左ウイングのイネス・カスティーニャである。
氏真が中央で相手のもう一枚のCBバティストを背中で抑え込み、視界と進路を完全に遮断していたからこそ、イネスの前に広大な空間が生まれていたのだ。
イネスは落ちてきたボールを、右足のダイレクトボレーで無人のゴールネットへ叩き込んだ!
――ザシュッ!
前半25分。1―2!
「¡Golazo!(よし、1点返したぞ!)」
反撃の狼煙。
ベンチ前でエステバンが立ち上がり、拳を力強く握りしめた。
――
4. 王者の意地と見えざるタクト
だが、前年王者パリFCの攻撃力は、1点を返された程度で揺らぐことはなかった。
前半33分。
今度はパリのエースFWアドリアンが、左サイドの密集地帯を鋭いステップで切り裂いてペナルティエリア内へ侵入。カレスが必死にコースを塞ぐが、アドリアンは軸足を滑らせるような鋭い切り返しから、右足のインサイドでゴール右サイドネットの極限の隙間を射抜いた。
1―3。
再び突き放されるバルシーノ。
圧倒的な個の質と、変幻自在の流動性。
一瞬でも隙を見せれば、瞬く間に息の根を止められるような極限の撃ち合い。
だが、バルシーノのイレブンの瞳から、光は消えていなかった。
失点を重ねるごとに、チーム全体が放つ闘争心はより純粋に、より獰猛に研ぎ澄まされていく。
「まだだ! 取り返すぞ!」
カレスが手を叩いて吠える。
そして前半44分、氏真がピッチ上で振るい続けた「見えざるタクト」が、決定的な果実を実らせた。
自陣でテンテが身体を投げ出して相手のパスをカットし、こぼれ球をサビエルがダイレクトで前線へ送る。
中央へ降りてきた氏真。
パリのCBローランとボランチのマキシムが、氏真のパスコースを先読みして一斉に外側への警戒を強め、挟み込みにかかる。
だが――氏真はボールに触れなかった。
転がってくるボールの軌道から、すっと半歩だけ身体を右へ引く。
ボールのスルー。
氏真がボールを受けると確信して前傾姿勢をとっていたローランの眼前を、ボールがそのまま通り抜けていく。
ローランの重心が、氏真を追うのかボールを追うのか、一瞬だけ揺れた。
氏真はボールに一度も触れていない。
氏真が作ったのは、ほんの一歩分の隙間。
その真空地帯へ、獲物を狙う肉食獣のように走り込んでいたのは、レオンだった。
「もらったぁッ!」
レオンが矢のような加速でそのスペースへ突進する。
完全に裏を取ったレオンは、飛び出してきた相手GKの位置を見極め、右足の甲でボールの芯を粉砕するように叩き込んだ!
ドガァァァンッ!!!!!
火の出るような弾丸シュートが、ゴール中央のクロスバーを叩き、そのままネットを揺らした。
――バシィィンッ!
前半45分。2―3!
一点差!
「¡Gol!(決まったぁぁッ!!)」
スタジアムが爆発的な歓喜に揺れた。
レオンは雄叫びを上げながら氏真の元へ駆け寄り、その身体を抱きしめた。
「氏真! お前のあのスルー、最高だったぞ!」
「君が迷わず走ってくれたからだよ、レオン」
氏真は息を整えながら、微笑みを返した。
レオンは「自分のスピードで抜き去った」と確信している。
イネスも「自分の技術で叩き込んだ」と誇らしげに胸を張っている。
だが――自陣へ戻る途中、ダビアンだけが氏真の隣に並び、ニヤリと口元を歪めた。
「……計算通りか、ウジザネ」
「まさか。みんなのエゴが、相手の隙をこじ開けてくれただけだよ」
氏真が静かに返すと、ダビアンは楽しそうに鼻を鳴らした。
全体を指示して操るのではない。
味方が持つ強烈なエゴと野性を信じ、自らの最小限の動きで相手の守備をほんのわずかに歪ませ、味方が最も輝く瞬間を創り出す。
ダビアンの教えを昇華させた「見えざるタクト」が、前年王者の包囲網を内側から撃ち破った瞬間だった。
ピーーーッ! ピーーーッ!
壮絶な撃ち合いの末、前半終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。
2―3。
バルシーノが一点を追う展開で、試合は運命の後半戦へと折り返す。
――
5. 逆襲の予感と王者の適応
汗と熱気が立ち込めるハーフタイムのロッカールーム。
2-3というビハインドにもかかわらず、選手たちの表情に絶望の色はなかった。
荒い息を吐きながらスパイクの泥を落とすカレスやサビエルの瞳には、欧州王者を射程圏内に捉えた者だけが持つ、獰猛な闘志が宿っていた。
ジョゼップ・カサス監督が戦術ボードの前に立ち、力強く手を叩いた。
「よく食らいついた。相手の攻撃は強烈だが、お前達の攻め手も確実に通用している。後半、頭からフェリペを右インサイドハーフに入れる」
監督の視線が、ベンチで静かに集中を高めていたフェリペ、そして最前線で戦い抜いた氏真へと向けられた。
「後半、フェリペを入れる。氏真、中央をさらに揺さぶれ。エステバンも準備しておけ」」
「はい!」
フェリペとエステバンが力強く応じる。
だがその時、分析担当のコーチがジョゼップ監督の元へ歩み寄り、低い声で耳打ちした。
「監督、パリのベンチが動いています。……失点後、相手監督は氏真への受け渡しを変えています。誰か一人が追うのではなく、中央に入った瞬間、全員で空間を閉じる形です」
ジョゼップ監督の眼光が、鋭く研ぎ澄まされる。
一度通用した手は、王者には二度と通用しない。
後半、パリFCは氏真の「見えざるタクト」すらも警戒し、さらに緻密な防壁を築いてくるはずだった。
自席で水分を補給していた氏真は、ゆっくりと立ち上がり、自らの掌を見つめた。
激闘の中で研ぎ澄まされていく感覚。
相手が修正してくるなら、こちらもそのさらに先を行くだけだ。
味方のエゴを束ね、チームの力を極限まで引き出したその先で――最後は、自分自身の足で決定的な答えを叩き込む。
黄金の瞳の奥で、静かなる逆転への炎が、青く熱く燃え上がっていた。
【次回予告】
1点を追うバルシーノ。しかし、王者パリFCはさらなる一手を繰り出す。絶体絶命の後半戦――それでも、勝利を諦める者はいない。欧州王者の牙城を崩す最後の一手とは――!?
第105話:【白鳥の飛翔】次なる天下へのパスを回せ!




