第103話:【シヴァの教え】
【あらすじ】
スペイン・ユース国王杯1回戦。堅守を誇るFCセニョールを前に、攻め手を欠くバルシーノ。前日にダビアン・シヴァから授かった「味方のエゴすら力に変えろ」という言葉を胸に、氏真は新たな戦い方を見出していく。果たして、チームに眠る個性を勝利へと繋げることができるのか――。
1. 銀月の告白
決戦前日の夕暮れ。
茜色に染まるシウダ・エスポルティバのクラブハウス、そのオープンテラスで、吉良氏真はハーブティーの湯気を見つめていた。
向かい側の席でアイスエスプレッソのグラスを傾けているのは、「銀月の魔術師」ダビアン・シヴァである。
「ウジザネ」
グラスの中の氷を小さく鳴らし、ダビアンが低く言った。
「お前のフットボールは美しい。パスの軌道も、相手の死角を突くステップも、カンテラの中で群を抜いている。……だがな、それだけじゃいずれ食い殺されるぞ」
氏真はカップをソーサーに戻し、ダビアンを見据えた。
「食い殺される……?」
「そうだ」
ダビアンは身を乗り出し、視線を鋭く据えた。
「プロのピッチは、お行儀のいいパス回しだけで勝てるほど甘くない。世界中から集まった連中が、己の価値を証明するために他人の首を獲り合う場所だ。無数のエゴの死体の上に立つ場所なんだよ」
その言葉には、すでにトップチームの練習やベンチ入りを経験し、プロの世界を肌で感じ始めているダビアンならではの重みがあった。
トップチームで途中出場から結果を出し、昇格への足がかりをつかみつつある「王子」エステバン・ロサーノ。彼が放つ強烈な自負もまた、過酷な生存競争の中で研ぎ澄まされたものだった。
「お前は周りを活かそうとする。空間を作り、味方に最適な選択肢を与えようとする。それは得難い才能だ。だが――ストライカーである以上、味方がいつもお前の思い通りに動くと思うな。全員が『俺が主役だ』とボールを欲しがり、強引にシュートを撃ちたがる局面が必ず来る」
ダビアンの口元に、冷徹な笑みが浮かぶ。
「その時、お前はどうする? チームのリズムが崩れたと嘆くか? 違うだろ。ストライカーの真価はな――味方の剥き出しのエゴすらも、ゴールを奪うためのエネルギーに変えて喰らい尽くすことだ」
氏真の胸の奥で、本能が小さく疼いた。
(……そうか。余が戦国で敗れた理由も、これだったのかもしれぬ。人の欲を抑え、争いを鎮め、皆が同じ理を共有することばかりを求めた。だが――人は、理だけでは動かぬ。己が天下を獲りたい。己の名を上げたい。己の家を守りたい。その欲こそが、人を動かす力なのだ。ならば、それを消すのではない。すべてを勝利へ向けて束ねる。それができていれば……)
理合を整えるだけが勝利への道ではない。個々が放つ強烈な欲望を呑み込み、自らの勝利の薪としてくべる。
「……味方のエゴすらも、か」
氏真は少年の素直な笑みを浮かべ、頷いた。
「胸に刻んでおくよ、ダビアン」
――
2. 鋼のローブロック
翌日。秋晴れのシウダ・エスポルティバ。
スペイン・ユース国王杯1回戦。
FCバルシーノ・フベニルAがホームに迎えたのは、マドリード州の堅守速攻の雄、FCセニョールであった。
一発勝負のトーナメント。
ジョゼップ・カサス監督は、前線にレオン・ラインハルトと氏真、左にイネス・カスティーニャを並べ、中盤にダビアンとフェリペ、アンカーにサビエル・フェルナンデスを配する攻撃的な布陣で臨んだ。
だが、キックオフの笛とともにピッチを覆ったのは、セニョールが敷く緻密な防壁だった。
相手を率いるロドリゲス監督の指示のもと、セニョールは無理な前線からのプレスを仕掛けず、自陣深くにコンパクトな[4-4-2]のローブロックを形成してきた。
最終ラインと中盤の距離はわずか十メートルほど。
中央のスペースと縦パスのコースを完全に消し、バルシーノのパス回しを徹底して外側のサイドへ誘導してくる。
「¡Paciencia!(焦るな! 回せ!)」
キャプテンのトニ・ラマジェが声を張り上げる。
サビエルとフェリペ、ダビアンが短いパスを刻み、右サイドのアントニや左サイドのキケが高い位置を取って揺さぶりをかける。
だが、サイドからクロスを放り込んでも、セニョールの屈強なCBギジェルモとセルヒオが跳ね返す。中央へ差し込もうとする楔のパスも、二枚のボランチが泥臭くコースを塞ぎ、最前線のレオンや氏真に前を向く隙を与えない。
バルシーノが圧倒的にボールを握りながらも、決定的なシュートを打てない。
(中央へ入る道が……ない)
時計の針だけが、重く進んでいった。
ピーーーッ!
前半終了の笛。
0―0。
堅牢な守備網の前に、バルシーノは攻め手を欠いたままハーフタイムを迎えた。
――
3. 破綻の一撃と魔術師のエゴ
後半に入っても、試合の均衡は崩れなかった。
そして後半8分、張り詰めた糸が切れる。
自陣深くでセニョールがボールを奪うと、サイドバックが中央へ絞り、瞬時にスリーバックの形を作ってバルシーノの前線プレスを外した。
可変ビルドアップからの素早い攻め替え。
左サイドのオープンスペースへ、一気にロングフィードが打ち込まれる。
俊足の相手ウイングがタッチライン際を駆け上がり、ペナルティエリア内へ鋭く曲がる高速クロスを放り込んできた。
中央へ飛び込んできたのは、長身FWロドリゴ。
カレスが身体を寄せるよりもわずかに早く、ロドリゴが頭ひとつ抜け出して額で叩きつけた。
バシィッ!
強烈なヘディングシュートが、トニ・ラマジェの手の先をすり抜け、ゴール右隅へと突き刺さる。
後半8分。0―1。
FCセニョール先制。
「¡Gol!(ゴール!)」
歓喜に沸くアウェイチーム。
ブロックを固めて守り倒し、たった一度の鋭いカウンターで先制点を奪う――トーナメント特有の重苦しい空気が、バルシーノの選手たちにのしかかった。
だが、その空気を切り裂いたのは、背番号8の男だった。
「おい、何を縮こまってんだ!」
怒声を上げたのは、ダビアン・シヴァだった。
「パスで崩せないなら――」
ダビアンがボールを受けた。
「俺がこじ開ける」
後半16分。
中盤の底でサビエルからパスを受けたダビアンは、外へ展開する選択肢を捨てた。
立ちはだかるセニョールのボランチ二枚、その密集地帯へ自らドリブルで突進する。
右足のアウトサイドでボールを突き出し、相手ボランチの間を強引にすり抜ける。
「¡Páralo!(止めろ!)」
相手CBギジェルモが慌てて前へ潰しに出てくる。
だが、ダビアンは相手が踏み込んでくる軸足の先へ自らの身体をねじ込み、強引に前を向いた。
ファールすれすれの突破。
ペナルティエリア手前、右足を一閃させる。
ドガンッ!
放たれた強烈なミドルシュートは、相手DFの背中に当たってわずかに軌道を変え、GKの頭上を破ってゴール中央へ突き刺さった。
――ザシュッ!
後半16分。1―1。同点。
「ウオォッ!」
ダビアンは雄叫びを上げ、胸のエンブレムを力強く叩いた。
綺麗に崩したゴールではない。
己の技術とフィジカル、そして「俺が決める」という強烈なエゴで奪い取った一撃。
最前線からその姿を見つめていた氏真の瞳の奥に、確かな火が灯った。
(……なるほど。これが、ダビアンの言っていたことか)
――
4. エゴを喰らう一撃
ダビアンのゴールが、バルシーノの前線に眠る野性を呼び覚ました。
「次は俺だ」
センターフォワードのレオン・ラインハルトの眼差しが、獲物を狙う肉食獣のように鋭くなる。
後半28分。
中盤でテンテが激しいデュエルの末にボールを奪い取り、右サイドのフェリペへ預ける。
フェリペが鋭い縦パスを中央へ打ち込んだ瞬間、レオンが相手CBセルヒオを背負いながら前を向こうとした。
普段のレオンなら、斜め後ろでフリーになりかけていた氏真へ落としのパスを選択してもおかしくない場面。
だが、ストライカーとしての欲に火がついたレオンの身体の向き、視線、足の踏み込み――そのすべてが「自分で振り抜く」選択を物語っていた。
(レオンは撃つ。……ならば、その先は)
氏真はパスを呼ぶのをやめた。
レオンが強引に振り抜けば、相手CBはブロックに飛び込んでくるはずだ。
ならば――その瞬間に生まれる空間へ。
氏真はレオンの背後から離れ、相手DFの視野から消えるように、ペナルティエリア左斜め前の空間へと音もなく身体を滑り込ませた。
「打たせるか!」
ギジェルモが決死のスライディングで足を伸ばす。
レオンの放ったシュートはギジェルモのスパイクに当たり、不規則なスピンを描いて左斜め前へと弾き飛ばされた。
ピッチ上の誰もが弾かれたボールの行方を追いきれずにいた、その刹那。
すでにボールの落下地点へ足を踏み入れていた影があった。
吉良氏真である。
落ちてくるボール。慌てて体勢を立て直そうとする相手GK。
氏真は力むことなく右足のインサイドを開き、落ちてくるボールの勢いをそのままゴール右隅へと流し込んだ。
――ザシュッ。
静かなインパクト音とともに、ボールがサイドネットを揺らす。
後半28分。2―1。
バルシーノ、逆転。
「¡Golazo!(決まったぁッ!!)」
レオンが目を丸くして氏真を見つめ、それから破顔して飛びついてきた。
「氏真! お前、なんであそこにいたんだ!?」
「君のシュートの勢いが、相手を弾き飛ばしてくれると思ったからだよ」
氏真は少年の柔らかな笑顔でレオンの背中を叩いた。
味方のエゴを否定せず、その強引さによって生じる歪みを読み切って仕留める。ダビアンの言葉が、鮮やかに形となった瞬間だった。
――
5. 必然の崩し
逆転を許し、前に出ざるを得なくなったFCセニョール。
堅牢だった4-4-2のブロックは間延びし、ピッチ上に明確な隙間が生まれ始めていた。
そして後半39分。
自陣深くでカレスが相手のロングボールを跳ね返し、こぼれ球を拾ったサビエルが前を向く。
セニョールの守備陣が慌てて帰陣する中、氏真は中央から相手CBを引き連れるように右斜め前へスプリントを開始した。
相手DF二人が釣られて氏真を追う。
中央に広大な空間が生まれた。
右サイドでボールを持ったフェリペは、氏真が引き開けた中央のスペースを見逃さず、左ウイングのイネスへ極上の斜めのパスを通す。
イネスもまた、自らのドリブルで局面を切り裂く欲求を解き放っていた。
スピードに乗ったままペナルティエリア左深くまで侵入したイネスは、飛び出してきた相手GKの重心を見極め、左足のインサイドでファーサイドへ鮮やかに流し込んだ。
――ザシュッ!
後半39分。3―1。
勝負を決する、決定的な3点目。
誰かが全体を操ったわけではない。
それぞれが、自分の欲望のままに動いた。
それでも――すべてが一本の線に繋がっていた。
ピーーーッ! ピーーーッ! ピーーーーーッ!
試合終了の長い笛が鳴り響き、バルシーノのユース国王杯2回戦進出が決まった。
ダビアンが歩み寄り、氏真の肩を叩いた。
「……上出来だ、ウジザネ。味方のエゴを利用する感覚、掴めたか?」
「ああ。チームが生き物のように動く感覚が、少し分かった気がするよ」
二人は静かに笑みを交わした。
――
6. 分水嶺の影
試合後のロッカールーム。
勝利に沸く選手たちの前で、ジョゼップ・カサス監督が手を叩き、全員を整列させた。
「よく勝ち切った。だが、ここからが本番だ」
監督がホワイトボードの中央に貼り付けたのは、青と赤の誇り高きエンブレム――前年のユースCL王者『FCパリ』のロゴであった。
「次戦はユースCLグループステージ最終節、アウェイでのFCパリ戦だ」
ジョゼップ監督が選手たちを見渡す。
「引き分け以上なら、上位8チームによる決勝トーナメントへ直行できる。だが――負ければプレーオフだ」
一瞬で、室内の空気が変わった。
「まさに、分水嶺だ」
室内に張り詰めた空気が満ちる。
ミーティングが終わり、選手たちが荷物をまとめる中、分析担当コーチがジョゼップ監督の元へタブレット端末を差し出した。
「監督、FCパリの最新のスカウティング映像ですが……少し気になる動きがあります」
「何だ?」
コーチは画面を指差した。
「氏真がピッチに立つことで変化する『バルシーノ全体の意思決定の癖』を、徹底的に分析しています」
「……つまり?」
「氏真個人を止めるのではありません。氏真がいることで変わる我々の判断、そのものを潰すつもりです」
ジョゼップ監督の眉根が鋭く寄る。
氏真という存在によって回り始めたチームの生態系。それを、欧州王者が冷徹に解剖し、罠を仕掛けようとしている。
クラブハウスを出て、夜風の中を歩き出す吉良氏真。
その背中に、欧州の頂点に君臨する絶対王者からの、冷たく巨大な影が静かに忍び寄っていた。
【次回予告】
ユースCLグループ最終節、前年王者FCパリとの頂上決戦! 氏真を中心とするバルシーノの生態系を解剖しにかかる王者の包囲網を、いかにして打ち破るのか――!?
第104話:【ユースCLグループ最終節:分水嶺】次なる天下へのパスを回せ!




