表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/42

第五部 名前をつけられないまま近づいていく時間 第四章 無意識に選んでしまう隣

考える前に、体が選んでいた。

二月の中頃になった。

大学のキャンパスに、梅の花が咲き始めた。桜よりも小さくて、控えめで、気づいたら咲いていた、という感じの花。桃花はその控えめさが好きだった。主張しないのに、確かにそこにある。

今年は特に、その梅の花が目に入った。

理由は分かっていた。去年は気にならなかったものが、今年は気になる。好きな人ができると、景色の見え方が変わるのかもしれない。

(好きな人。)

その言葉を心の中で使うことに、少しずつ慣れてきた。


その日の朝、桃花はいつもより少し早く教室に着いた。

窓際の席に座って、ノートを開いた。講義が始まるまで、少し時間があった。

しばらくして、蓮が来た。

 「早いな」

 「たまたま」

蓮は隣の席に座った。鞄を置いて、上着を脱いで、ノートを出した。いつもの動作だった。

でも桃花は、その一連の動作を、横目で全部見ていた。

(見てる。)

気づいて、前を向いた。

見ていたのは、観察しようとしていたわけじゃない。ただ、目が行ってしまう。無意識に、蓮の動作を追ってしまう。

それが最近、増えていた。


その日の講義は、グループワークがあった。

四人組を作って、課題について話し合う。桃花と蓮は自然に同じグループになった。他の二人は、同じ講義をよく取っている顔見知りだった。

四人で丸く向き合って座った。

話し合いが始まった。みんなで意見を出し合って、ノートにまとめていく。蓮はよく話した。意見が多くて、整理が上手だった。

桃花は話しながら、蓮の言葉を聞きながら、なんとなく思った。

(この人、頭いいな。)

今さら気づいたことじゃない。ずっと知っていた。でも改めて、そう思った。

グループワークが終わった後、蓮が桃花のノートを覗いた。

 「綺麗にまとめてるな」

 「蓮の意見が整理しやすかった」

 「俺?」

 「うん。話の構造が分かりやすい」

蓮は少し驚いた顔をした。褒められるとは思っていなかった、みたいな顔だった。

 「ありがとう」

 「別に」

桃花は前を向いた。さらっと言えた。でも言いながら、少し心臓がうるさかった。


昼休み、学食に行った。

今日はみんなで、という日だった。羽海も、他の友達も、何人かで同じテーブルに座った。

蓮もいた。

大きなテーブルに、何人かで並んで座った。桃花は自分の席を決める時、特に考えていなかった。

ただ、気づいたら、蓮の隣を選んでいた。

(無意識だった。)

座ってから気づいた。他に空いている席もあったのに、なぜかここを選んでいた。

羽海が向かいに座って、桃花の顔を見て、少しだけ笑った。

(見られた。)

桃花は羽海から視線を逸らして、トレーを置いた。

何でもない。ただの席の選び方の話だ。でも羽海の笑い方が、全部お見通しだよ、という顔だった。

蓮は特に何も言わなかった。ただ、普通にご飯を食べていた。

桃花も普通に食べた。普通にしようとした。

でも右隣から、体温が伝わってきた。テーブルが狭くて、少しだけ肩が近かった。

(近い。)

何回この感覚を経験したら、慣れるんだろう。慣れる気がしなかった。


食事が終わって、みんなで外に出た。

昼休みの残り時間、中庭で少し話した。蓮は別の友達と話していた。桃花は羽海と話していた。

でも話しながら、蓮の声が聞こえた。何を話しているかは聞こえなかった。でも声だけが、雑踏の中から分かった。

(聞こえてる。)

たくさんの声が混ざっているのに、蓮の声だけが分かる。

それって、どういうことだろう。

答えは分かっていた。でも答えを出したくなかった。


放課後、帰り道。

いつも通り、ふたりで歩いた。

坂道を下りながら、他愛ない話をした。今日のグループワークの話。来週の課題の話。学食の新メニューが思ったより美味しかったという話。

どれも大事じゃない話だった。でも続いた。

交差点の手前で、信号が赤になった。

並んで止まって、信号を待った。

桃花はふと気づいた。

信号の前で止まる時、いつも蓮の少し後ろに立っていた。一歩、半歩くらい後ろ。蓮が先で、桃花が少し後ろ。

でも今日は、並んでいた。

(並んでる。)

いつからそうなったんだろう。気づいていなかった。気づいていなかったけど、体は知っていた。

無意識に、距離が変わっていた。

信号が青になった。

ふたりで歩き出した。


その夜、ノートを開いた。

今日あったことを、順番に書いた。

グループワークのこと。学食でいつの間にか隣の席を選んでいたこと。雑踏の中で蓮の声だけが分かったこと。信号の前でいつの間にか並ぶ距離になっていたこと。


無意識に、選んでいる。 席も、距離も、視線も。 考えてから選んでいるわけじゃない。 気づいたら、そこにいる。 それって、もう答えが出てるってことなのかもしれない。


書いてから、その最後の行を読み返した。

もう答えが出てる。

そうだ。答えは出ている。ずっと出ていた。ただ、認めていなかっただけだ。

無意識は正直だ。考える前に動く体が、一番正直に答えを知っている。

席を選ぶ時、無意識に蓮の隣を選んでいた。

信号の前で、無意識に並ぶ距離になっていた。

雑踏の中で、無意識に蓮の声を拾っていた。

全部、無意識だった。だから全部、正直だった。


ノートを閉じる前に、もう一行書いた。


好きな人の隣を、無意識に選んでいる。 それだけのことが、こんなに嬉しい。


書いてから、少し笑った。

嬉しい、か。こんなに気持ちが落ち着かないのに、嬉しいと書いた。でも本当にそうだった。

無意識に選んでしまう隣がある、ということが、嬉しかった。

怖くて、しんどくて、誰にも言えない気持ちを抱えながら、でも嬉しかった。

両方が本当だった。

桃花はノートを閉じて、引き出しにしまった。

窓の外では、灯凪町の夜が静かに広がっていた。街灯の下を、誰かが歩いていくのが見えた。

(明日も、隣に座れる。)

それだけで、今夜は眠れる気がした。

無意識は、正直だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ