表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/42

第四部 桃色になる前の、静かな違和感 第四章 言葉にできないまま残る感情

言葉にならないまま、確かに積み重なっていく。

八月になると、大学は夏休みに入った。

講義がなくなった。隣の席がなくなった。毎週当たり前にあったあの時間が、突然なくなった。

べつに寂しいとか、そういうことじゃない。夏休みなんだから当たり前だ。蓮と毎週会っていたのは、たまたま同じ講義を取っていたからで、それ以上でも以下でもない。

(そうだよ。)

桃花は自分に言い聞かせながら、夏休みの最初の一週間を過ごした。

課題をやって、友達と出かけて、家の手伝いをして。普通の夏休みだった。何も困らなかった。何も足りなかったわけじゃなかった。

でも夜になると、なんとなく引き出しを開けた。ノートを取り出して、ペンを持った。

書くことは決まっていた。


今週、会わなかった。 それだけのことなのに、なんか変な感じがする。 変な感じがすること自体が、変な感じがする。


書いてから、ペンを置いた。

なんだこれ、と思った。会わなかっただけだ。夏休みなんだから当たり前だ。それをわざわざノートに書くなんて、どうかしている。

でも書いた。書かずにいられなかった。

このノートだけが、正直でいられる場所だから。


夏休みの中頃、羽海から連絡が来た。

 「海行かない? みんなで」

桃花はすぐに

 「行く」

と返した。友達と海に行く夏休み、悪くない。

当日、集合場所に着いたら、知らない顔がいた。

 「あ、桃花、紹介するね。蓮くん。同じサークルの」

羽海が屈託なく言った。

桃花は一瞬、固まった。

蓮は桃花を見て、少し目を細めた。

 「桃花か。奇遇だな」

 「…うん」

それだけしか言えなかった。なんか変な感じがした。大学で会う蓮と、海で会う蓮が、同じ人なのに違って見えた。

白いシャツを着ていた。いつもの講義棟で見る蓮じゃなくて、夏の光の中に立っている蓮だった。

(やばい。)

桃花は心の中でそう思って、すぐに別の友達の方に向き直った。


海は賑やかだった。

みんなで波に入って、砂浜を歩いて、アイスを食べた。楽しかった。本当に楽しかった。

でも何度か、蓮と目が合った。

どちらも、すぐに逸らした。

会話はほとんどしなかった。みんなと話している蓮を、桃花は少し遠くから見ていた。大学の講義室で隣に座っている蓮とは、少し違って見えた。よく笑っていた。みんなと自然に溶け込んでいた。

(この人、どこでもこうなんだ。)

誰とでも仲良くなれる人。どこでも自然でいられる人。

(なのに、なんで私の前だけ、たまに変な顔をするんだろう。)

変な顔、というのはうまく言えない。ただ、講義室で桃花と話している時の蓮は、今みたいに賑やかじゃなかった。もう少し、静かだった。

それが嫌だったわけじゃない。むしろ、その静けさの方が好きだった。

(好き、って何の話だよ。)

桃花はアイスを一口かじって、波の音を聞いた。


帰り道、偶然蓮と並んで歩いた。

みんなと帰る途中で、気づいたら隣にいた。

 「楽しかった?」

蓮が聞いた。

 「うん。蓮は?」

 「まあまあ」

 「まあまあって何」

 「楽しかったけど、なんか落ち着かなかった」

(落ち着かなかった?)

桃花は蓮を見た。蓮は前を向いていた。

 「なんで」

 「さあ」

それだけ言って、蓮はまた黙った。

落ち着かなかった、と言った。その理由を教えてくれなかった。桃花も聞き返せなかった。

でもその「さあ」が、なんか頭に残った。理由を知っているのに言わなかった「さあ」に見えた。でも確信はない。気のせいかもしれない。

(気にしすぎ。)

また同じ言葉で打ち消した。

でも家に帰ってからも、蓮の「落ち着かなかった」という言葉が頭にあった。

その夜、ノートを開いた。


海で会った。 大学で会う蓮と、夏の光の中の蓮が、同じ人なのに違って見えた。 どちらが本当の顔なんだろう。 それとも、どちらも本当の顔なんだろうか。


書いてから、少し考えた。

どちらが本当の顔、なんて、余計なお世話だ。蓮の顔は蓮のものだし、桃花に関係ない話だ。

でも気になった。

大学で隣に座っている時の蓮の顔が、好きだった。静かで、少し油断していて、たまに本音みたいなものが漏れる顔。

あの顔が、好きだった。

(好き。)

その言葉をノートの中で使って、桃花はペンを止めた。

好き、か。

その「好き」が何を意味するのか、まだよく分からなかった。顔が好き、ということかもしれない。雰囲気が好き、ということかもしれない。

でも何かが好き、ということは確かだった。

桃花はその「好き」をそのまま置いて、ノートを閉じた。


夏休みの終わり頃、蓮からメッセージが来た。

蓮:課題終わった?

桃花はスマホを見て、少し固まった。

メッセージが来たのは初めてだった。そういえば、連絡先を交換していたのを忘れていた。いつの間に交換したんだったか。確か、課題のことで必要になって、という流れだったと思う。

桃花:まだ半分くらい

蓮:俺も

蓮:一緒にやる?

桃花は画面を見つめた。一緒にやる、かあ。

(どうしよう。)

断る理由はなかった。でも、なんか変な感じがした。夏休みに、ふたりで、というのが、なんとなく。

(何がなんとなく、なんだよ。)

桃花:いいよ。どこで?

蓮:図書館。明後日の午後

約束が決まった。スマホを置いて、桃花は天井を見た。

別に大したことじゃない。課題をやるだけだ。図書館で、ふたりで課題をやるだけのことだ。

でも約束をした次の日も、その次の日の朝も、なんとなくそのことが頭にあった。

言葉にできない何かが、少しずつ積み重なっていく感じがした。


図書館での午後は、静かだった。

窓際の席に並んで座って、それぞれの課題をやった。会話はほとんどなかった。でも、苦じゃなかった。

二時間くらい経ったころ、蓮がふと言った。

 「なあ」

 「うん」

 「桃花って、何か書いてる?」

桃花は顔を上げた。

 「書いてる?」

 「なんか、そんな感じがして」

(そんな感じ、って何だろう。)

 「なんで?」

 「分からない。なんとなく」

桃花はしばらく蓮を見た。蓮は真剣な顔をしていた。冗談で言っているわけじゃなさそうだった。

 「…書いてる」

そう答えたのは、なぜだか分からなかった。誰にも言うつもりはなかったのに。でも蓮に聞かれたら、なぜか答えてしまった。

 「詩みたいなもの」

 「詩」

 「詩って言うほどのものじゃないけど。ただ、思ったことを書いてるだけ」

蓮はしばらく黙っていた。それから言った。

 「読んでみたい」

桃花の心臓が、少し跳ねた。

 「ダメ」

 「なんで」

 「人に見せるものじゃないから」

 「そっか」

蓮はあっさり引いた。しつこく聞いてこなかった。ただ「そっか」と言って、また課題に戻った。

その「そっか」が、なんか良かった。無理に聞かなかった。残念そうにしたけど、引いてくれた。

桃花はまた課題に向かいながら、胸の中に何かが残るのを感じた。

言葉にできないまま、何かが積み重なっていく。

その何かに、まだ名前はなかった。

置けないものを、ノートだけが受け取ってくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ