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桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


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第三部 桃色のきみへ 第七章 夜明けの約束

長かったふたりの夜が、ようやく明けます。派手じゃない、静かな夜明けを、最後まで見ていてください。

 「好き」

と伝えた夜のことを、桃花はずっと覚えていると思う。

蓮も、ずっと覚えていると思う。

でもふたりが覚えているものは、少しだけ違う気がした。 桃花が覚えているのは、きっと「好き」と言えた瞬間のことだ。 蓮が覚えているのは、その前の、桃花が腕の中に飛び込んできた瞬間のことだった。


告白した日のことを、蓮は何度も思い返した。

静かな場所まで歩いた。 桃花はずっと、これから何の話をされるんだろうという顔をしていた。

 「大事な話があるんでしょう?何かの相談?」

そう言った桃花の顔が、少しおかしかった。 しっかりと聞いてやろう、みたいな顔をしていた。 どこかお姉さん風を吹かせようとしていた。

分かってないよな、と思いながら、蓮は深呼吸した。

がんばれ俺。 ヘマすんなよ。


 「あのさ、俺もうフリーなんだ」

 「うん、友だちに聞いたよ、別れたって」

 「お前は彼氏とかいないの?」

 「へ? いないよ。モテないもん」

 「そう思ってるのは、お前だけだよ」

桃花は

 「ふーん」

と言って、また

 「大事な話があるんでしょう」

と続けた。

全然、気づいていなかった。

蓮は少し、笑いそうになった。 こんな大事な場面で、笑いそうになるなよ、と思いながら。

 「そんなことじゃないから」

ぼそっと言ったら、桃花には聞こえなかったみたいだった。

 「ごめんね、よく聞こえなかったから、もう一回言って」

両手を合わせて、お願いします、という顔をした。

その顔が。 その仕草が。


 「そう言う可愛いところが好きなんだ」

気づいたら、言っていた。

桃花の顔が、止まった。

 「は?」

 「だから、好きなんだ」

今度は、ちゃんと届いた。

桃花の顔が、一気に赤くなった。 両手で顔を覆って、その場で固まった。

蓮は、桃花をじっと見ていた。 視線を逸らさなかった。

逸らしたら、負けな気がした。 逸らしたら、また遠くなる気がした。


桃花はしばらく、顔を覆ったままだった。

その間、蓮は待った。

焦らなかった。 不思議と、焦らなかった。

言えた。 それだけで、もう十分な気がしていた。

桃花が両手を顔から離した。 一歩、前に進んだ。

 「私で良いの?」

その言葉を聞いて、蓮は思った。 お前以外に誰がいるんだ、と。

 「当たり前だろ」

 「当たり前ってさあ」

桃花は、なんとも言えない顔をした。 伝えたい気持ちが、言葉にならない、という顔だった。

蓮には、それが痛いほど分かった。 自分も、ずっとそうだったから。

 「言いたくなったら言って」

そう言ったら、桃花が

 「なにを言いたいのか、分からないくせに」

と言った。

 「分かるさ、俺もおんなじだから」


桃花が、腕の中に飛び込んできた。

蓮は、桃花を抱き止めた。

小さかった。 温かかった。

あの日桃花の部屋で抱きしめた時と、同じ温度だった。 でも全然、違った。

あの時は、触れたら終わる気がしていた。 今は、始まった気がした。

ちゃんと、始まった。


 「焦んなくて良いから。でも待ってる」

そう言ったら、桃花が上を見上げた。

なんか腹立つ、という顔をしていた。 自分だけスッキリしたみたいな顔してさ、と思っているのが分かった。

蓮は笑った。

そういう顔も、全部知っていた。 全部、ずっと見ていたから。

桃花の頭を、そっと撫でた。

桃花の肩から、少し力が抜けた。 また、腕の中に身を委ねてきた。

それから、聞こえた。

 「好き」

小さな声だった。 でも、ちゃんと聞こえた。

蓮は、その言葉を、胸の中にしまった。


好き。

たった二文字だった。 でもその二文字が届くまでに、どれだけの夜があったか。

桃花のノート三冊分の夜があった。 蓮の、言えなかった言葉の分の夜があった。

春の隣席から始まって、詩になって、桃缶になって、抱擁になって、告白になって。

全部、この二文字のための夜だった。


ふたりはしばらく、そのままでいた。

どちらも、動かなかった。 どちらも、何も言わなかった。

それで十分だった。

街の音が、遠くから聞こえていた。 風が、少し吹いた。

桃花の髪が、かすかに揺れた。

蓮はその髪を、そっと押さえた。 それだけのことだった。 でもその、それだけのことが、全部だった。


変わることが怖かった。

本気になったら崩れると思っていた。 踏み込んだら戻れないと思っていた。 全部見えたら、失望されると思っていた。

でも変わった先に、桃花がいた。

崩れた先に、桃花がいた。 戻れなくなった先に、桃花がいた。 全部見えた先で、桃花は「好き」と言った。

怖かった夜は、全部ここに繋がっていた。


桃花も、怖かったと思う。

告白して失うくらいなら、親友として側にいた方が良い。 ずっとそう思っていた。

でも側にいたかったんじゃなくて、逃げていただけだと気づいた。 それをノートに書いて、ノートを渡して、腕の中に飛び込んだ。

強がりな桃花が、全部手放した瞬間だった。

そういう桃花を、蓮はずっと待っていた。 待っているとも思わずに、待っていた。


春の隣席から始まったふたりは、ずいぶん遠くまで来た。

会釈して、名前を覚えて、ノートを貸して、一緒に歩いて、詩を読んで、桃缶を食べて、抱きしめて、告白して。

全部が、ここに繋がっていた。

特別じゃない出会いが、特別になっていた。


夜が、少しずつ明けていく気がした。

桃花の「好き」が、まだ空気の中にある気がした。

蓮は思った。

変わってしまったけど、大丈夫だった。 本気になったけど、崩れなかった。 全部見えたけど、失わなかった。

怖かった夜が、終わっていた。


夜明けは、派手じゃなかった。 誰も見ていない、静かな場所で、ふたりだけだった。

でもそれで良かった。

ふたりの夜明けは、ふたりのものだから。


桃花の「好き」に、蓮はまだ言葉を返していなかった。

言葉にしなくても、伝わっていると思った。 でも、ちゃんと言おうと思った。

腕の中にいる桃花に、静かに言った。

 「俺も、好き」

桃花は、何も言わなかった。 でも、腕の中で、少し笑った気がした。

それで、十分だった。

第一部から読んでくださった方も、第三部から読んでくださった方も、ありがとうございます。桃花と蓮の夜が、あなたの心のどこかに残ってくれたら嬉しいです。三部作「桃色の夜に、君がいた」、完結です。

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