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桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


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第三部 桃色のきみへ 第ニ章 やさしい嘘の練習

たらしに見えた蓮の、一番深いところへ。うまくやることが癖になった人の、本当の孤独の話です。

 蓮が最初に誰かと付き合ったのは、高校一年の春だった。

相手は同じクラスの女の子で、名前は光希といった。 明るくて、よく笑う子だった。 告白してきたのは光希の方で、蓮は断る理由を持っていなかった。

 好きかどうか、正直よく分からなかった。 でも一緒にいて楽しかったし、笑顔が可愛いと思った。 それで十分だと思ってた。

 付き合い始めてしばらくは、うまくいってた。 放課後に一緒に帰って、休みの日に出かけて、他愛ない話をして。 光希はよく笑ったし、蓮も笑った。

 楽しかった。 本当に、楽しかったんだよ。

 でも三ヶ月くらい経ったころ、光希が言ったんだ。

 「蓮って、何考えてるか分からない時がある」

笑いながら言ったから、責めてるわけじゃなかったと思う。 でも蓮は、その言葉がしばらく頭から離れなかった。

 何考えてるか分からない。 そうかもしれない、って思った。 自分でも、自分が何を考えてるか、よく分からなかったから。

 なんで分からないんだろう、って考えたこともあった。 でもその答えも、やっぱり分からなかった。 分からないことが積み重なって、蓮はいつの間にかその問いを棚の上に置くのが上手くなっていった。

 考えても仕方ないことは、考えない。 それが蓮なりのやり方だった。


 光希と別れたのは、付き合って五ヶ月目だった。

理由はうまく言えない。 気持ちが冷めたわけじゃなかった。嫌いになったわけでもない。 ただ、なんとなく、このままじゃいけない気がした。

 光希は泣いた。 蓮はその涙を見ながら、自分が泣けないことに気づいた。

 悲しくないわけじゃなかった。 でも涙が出なかった。

 それが、なんか怖かった。

 帰り道、ひとりで歩きながら考えた。 俺って、ちゃんと好きだったのかな。 答えは出なかった。 でも出ないこと自体が、なんか答えな気がした。

それも棚の上に置いた。 そうやって歩き続けた。


 次に付き合ったのは、大学に入ってからだった。

莉明という子で、おしゃれで、話が上手で、一緒にいると退屈しなかった。 今度は蓮の方から声をかけた。

 莉明は蓮のことを「掴みどころがない」って言った。 それを褒め言葉みたいに言うから、蓮は笑って流した。

 掴みどころがない。 そうだね、って思った。 自分でもそう思うから。

 莉明と付き合っている間、蓮はずっとうまくやれてた。 相手が喜ぶ言葉を知ってたし、場の空気を読むのも得意だったし、デートの計画も立てられた。

 「蓮といると安心する」

莉明がそう言った時、蓮は嬉しかった。 でも同時に、どこかで思ってた。

これ、本当の俺じゃないかもしれない。

 安心させてるのは俺じゃなくて、俺が作った「ちゃんとした俺」なんじゃないかって。 本当の俺を見て、それでも安心できる? そう聞けたら良かったけど、聞けなかった。 聞いたら、何かが壊れそうだったから。

だから笑って、また「ちゃんとした俺」を続けた。


 本当の俺って、何だろう。

蓮はその問いを、ずっと棚の上に置いてきた。

答えを探しても仕方ないし、答えが出たところで何かが変わるわけでもない。今うまくやれてるなら、それでいいじゃないかって。

 でも棚の上に置いたはずの問いが、時々ふっと落ちてくる。

 特に夜。 特に、一人でいる時。

俺って、何が好きなんだろう。 何が嫌いで、何が怖くて、何に安心するんだろう。

そういう当たり前のことが、よく分からなかった。

 誰かと一緒にいる時は、その人に合わせることができた。 相手が楽しそうだと、俺も楽しかった。 相手が悲しそうだと、俺も悲しかった。

でもひとりになると、何も分からなくなった。

 俺は今、何を感じてる? 何を食べたい? 何を見たい? どこにいたい?

全部、答えが出てこなかった。


 莉明とも別れた。

別れ話をした日の夜、蓮は一人で歩いた。 行く当てもなく、ただ歩いた。

 悲しかった。 ちゃんと悲しかった。

 でもその悲しさの中に、どこかほっとしてる自分もいた。 それに気づいた時、蓮は立ち止まった。

 ほっとしてる? なんで?

答えは出なかった。 でも、なんとなく分かってた。

莉明といる時、ずっと「うまくやらなきゃ」って思ってた。 傷つけちゃいけない、失望させちゃいけない、ちゃんとした彼氏でいなきゃいけないって。

それが、しんどかったのかもしれない。

 しんどかった、なんて言ったら最低だよな。 付き合ったのは自分なのに。 莉明は何も悪くないのに。

蓮はそのしんどさを、また頭の中の棚に戻した。 そしてまた歩き始めた。

 夜風が少し冷たかった。 それだけが、妙にはっきり感じられた。


 慎吾に

 「またフリーになったの?」

って聞かれたのは、別れた翌週だった。

 「うん」

って答えたら、慎吾は呆れた顔をした。

 「お前さあ、毎回なんで別れるの」

 「んー、なんかうまくいかなくて」

 「うまくいかなくてって、お前が一番うまくやれてるやつじゃん。何が不満なの」

不満とか、そういう話じゃないんだよな。 そう思ったけど、うまく言えなかった。

 「なんか、疲れるんだよな」

 「疲れる?」

 「ちゃんとしてようとするの」

慎吾はしばらく黙ってた。 それから

 「お前、難しいな」

って言った。

 「分かってる」

 「好きな子でもできたら変わるんじゃない?」

蓮は笑った。 笑って、流した。

でも慎吾の言葉が、少し残った。

 好きな子。 好きな子って、どういう感じなんだろう。

今まで付き合ってきた子たちのことは、好きだったと思う。 でもそれが「好きな子」かって聞かれると、よく分からない。

 好きと、好きな子は、違うのかもしれない。

違うとしたら、その差はなんだろう。 蓮にはまだ、その答えが分からなかった。


 そういう蓮が、桃花と親友になったのは、割と自然な流れだった。

 最初から特別だったわけじゃない。 ただ、一緒にいる時間が増えて、気づいたらそうなってた。

 桃花は気が強くて、よく笑って、友達が多くて、何でもそつなくこなす子だった。 眩しいくらい、ちゃんとしてた。

 だから最初は、蓮も「うまくやる」モードで接してた。 気の利いたことを言って、笑わせて、良いやつを演じて。

 でもある日、桃花が言ったんだ。

 「蓮って、なんか無理してる時あるよね」

笑いながらじゃなかった。 真剣な顔でもなかった。 ただ、さらっと。まるで当たり前のことみたいに。

蓮は一瞬、固まった。

 「してないって」

 「そう?」

 桃花はそれ以上追いかけてこなかった。 責めなかった。 ただ「そう?」って言って、また別の話を始めた。

 その「そう?」が、なんか刺さった。

見抜かれた、って思った。 でも責められなかった。 ただ、見えてた。

 それが、怖いような、安心するような、変な感じだった。

 今まで誰かに「無理してる」って言われたことはなかった。 みんな、「うまくやってる蓮」しか見てなかったから。

 桃花だけが、その裏側に気づいた。 しかも、大したことみたいに言わなかった。 ただ、見えてた、ってだけで。

それが、じわじわと蓮の中に残った。


 それから少しずつ、桃花の前では「うまくやる」のをやめていった。

 やめようと決めたわけじゃない。 ただ、桃花の前だとうまくやれなかった。 というか、うまくやろうとすると、桃花にすぐ気づかれた。

 「なんかさっきと顔違う」

とか。

  「それ本音じゃないでしょ」

とか。

 全然悪意なく、ただ気づいてしまうんだよね、桃花は。

 最初はそれが落ち着かなかった。 見透かされてる気がして。

でも慣れてきたら、逆に楽になってきた。

うまくやらなくていいなら、疲れない。 本音を隠さなくていいなら、しんどくない。

 桃花といる時間が、だんだん「帰ってくる」みたいな感じになっていった。

 刺激とか、楽しいとか、そういうんじゃなくて。 ただ、静かだった。 桃花といると、やけに静かだった。

その静けさが、蓮には一番居心地が良かった。


 でも、だからこそ、怖かった。

これ以上踏み込んだら、どうなるんだろう。

光希と付き合った時も、莉明と付き合った時も、蓮はどこかで「逃げ道」を持ってた。本気になりすぎない場所に、自分を置いてた。

でも桃花は、気づいたらもう逃げ道がない場所にいた。

 本気になったら、戻れない気がした。 本気になったら、今みたいにはいられない気がした。 本気になったら、きっと自分が変わってしまう。

変わることが、怖かった。

 今まで「うまくやってきた自分」が崩れることが。 誰かに全部見えてしまうことが。 そして、それでも受け取ってもらえなかった時のことが。

 桃花に全部見えて、それでも「そう?」って流されたら。 そう思ったら、踏み出せなかった。


 「俺そんな良いやつじゃないって」

蓮はよくそう言った。

冗談みたいに、笑いながら。

でも本当は冗談じゃなかった。 期待されたくなかったんだ。

 期待されたら、応えなきゃいけない。 応えようとしたら、また「うまくやる」自分に戻ってしまう。

桃花の前ではそれをしたくなかった。 でも本音を見せたら、失望されるかもしれない。

 どっちに転んでも、怖かった。

だから蓮はずっと、親友のふりをした。 軽口を叩いて、笑って、ちょうど良い距離を保って。

本気ほど、冗談にして。 大事なことほど、短く切り上げて。

そうやって、自分の気持ちに気づかないふりをし続けた。


 やさしい嘘の練習を、ずっとしてきた。

光希にも。 莉明にも。 そして、自分自身にも。

でも桃花の前では、その練習がうまく機能しなかった。

 嘘をついても、すぐ気づかれた。 隠しても、見えてた。 距離を取ろうとしても、気づいたら近くにいた。

それが答えだったのかもしれない。 気づいていたけど、認めたくなかった。

 認めたら、もう戻れないから。

棚の上に置いてきた問いが、全部、桃花の顔をして落ちてくる気がした。 そういう夜が、少しずつ増えていった。


本気になる前に逃げていた。それだけのことだった。でも桃花の前だけ、その練習がうまく機能しなかった。それが答えだったのかもしれない。

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