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桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


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第二部 桃色の約束 第五章 蓮のやさしさに揺れる日

大きなことは何もなかった。プレゼントも、特別な場所も、何もなかった。それでも今日が、すごく好きだった。

何気ない一言が、こんなにも残るなんて

その日は、何でもない火曜日だった。

テストが返ってきて、桃花は少しだけ落ち込んでいた。 悪い点ではない。 でも思ったより取れなかった。 それだけのことなのに、なんとなく気持ちが沈む。

廊下で蓮と合流した時、桃花はうまく笑えなかった。

 「どうした」

 「別に」

 「テスト?」

 「…なんで分かるの」

 「顔に書いてある」

(書いてないし。)

(たぶん。)

 「大したことないよ、次がんばれば」

蓮はそれだけ言って、また歩き出した。 励ますわけでもなく、慰めるわけでもなく。 ただ、そう言った。

(なんか。)

(すごく楽になった。)

どうしてだろう。 大したことないよ、って。 その八文字が、なぜかずっと残った。


不意に触れたやさしさに、心が追いつかない

放課後、購買の前で桃花は財布を開けた。 小銭が足りない。 あと三十円。

(やばい。)

(今日おやつ買えない。)

じっと財布を見ていたら、隣から手が伸びてきた。 百円玉が一枚、桃花の手のひらに乗った。

 「え」

 「後で返さなくていい」

 「いや返す」

 「別にいい」

蓮はもう自分の買い物をしている。 なんでもない顔で。

(急すぎる。)

(心の準備をさせてください。)

(って言うか、気づいてたの?)

(ずっと見てたの?)

お釣りをもらって、桃花は手の中の百円玉を見た。 さっきまで蓮のポケットの中にあったやつ。

(返す。)

(絶対返す。)

(でも今日はありがとう。)

顔が熱い。 購買のパンより、この百円玉の方がずっと重かった。


どうして今、それを言うの

帰り道。

いつもの道を、いつもみたいに並んで歩いていた。 特に話すことも、話さなくていいことも、なんとなく混ざってる時間。

 「桃花」

 「うん」

 「笑ってる時の顔、好き」

(は?)

(今、なんて言った?)

(笑ってる時の顔が、好き?)

(どういうこと?)

(って言うか今笑ってないけど!)

(これって褒めてるの?!)

(どうして今それを言うの!!)

 「…急に何」

 「急じゃない。ずっと思ってた」

 「ずっと!?」

 「おかしい?」

おかしくない。 おかしくないけど。

(なんでそんなにさらっと言えるの。)

(こっちは今すごいことになってるのに。)

 「…ありがとう」

それしか言えなかった。 蓮は少し笑って、また前を向いた。

桃花はしばらく、自分の顔が笑っているかどうか確認できなかった。


優しさって、こんなにずるい

その夜、ベッドの上で桃花は天井を見ていた。

今日一日のことを、順番に思い出す。

「大したことないよ、次がんばれば」 百円玉。 「笑ってる時の顔、好き」

(ずるい。)

(全部、ずるい。)

大きなことは何もなかった。 プレゼントをもらったわけでも、 どこかに連れて行ってもらったわけでも、 ない。

なのに。

(今日が、すごく好きだった。)

(蓮と過ごした今日が。)

好きな人と過ごす普通の一日が、こんなに重いなんて。 誰も教えてくれなかった。

スマホを手に取って、蓮にメッセージを送った。

桃花:今日の百円、明日返すね

桃花:それと、ありがとう

少しして、既読がついた。

蓮:どっちに

(どっちに、って。)

(全部に、に決まってるじゃん。)

桃花はスマホを置いて、布団に顔を埋めた。 声を出さずに笑った。


平気なふりが、どんどん下手になる

次の日の朝。

教室に入ると、蓮がいた。 目が合った。 桃花は普通にしようと思った。 いつも通りにしようと思った。

 「おはよう」

 「おはよ」

普通に言えた。 よかった。

席に着いて、鞄から教科書を出す。 普通、普通。

でも隣の席の咲が桃花の顔を見て、にやっとした。

 「なに」

 「なんか今日、顔がやばい」

 「やばいって何」

  「幸せそうってこと」

(ばれた。)

 「そんなことない」

 「あるよ。耳、赤いもん」

(また耳!!)

(なんで私の耳は!!)

前を向いたら、蓮がこっちを見ていた。 桃花と目が合うと、少しだけ口の端が上がった。

(見てたの?!)

(聞こえてたの?!)

桃花は教科書で顔を隠した。

平気なふりが、どんどん下手になっていく。 でも不思議と、それが嫌じゃなかった。

「どっちに」って返ってきた時、桃花は布団に顔を埋めた。ずるいよ、そういうの。全部に、に決まってるじゃん。平気なふりが、どんどん下手になっていく。でも不思議と、それが嫌じゃなかった。

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