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桃色の夜に、きみがいた  作者: Noct


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第二部 桃色の約束 第三章 蓮の部屋に初めて行く日

ドアの向こうに、まだ知らないあなたがいる。一歩踏み込んだら、もっと好きになりそうで、怖くて、でも入りたかった。

ドアの向こうに、まだ知らないあなたがいる

「寄ってく?」

帰り道、蓮がさらりと言った。 さらりと、すぎた。

(え。)

(今、なんて言った?)

(寄ってく、って。)

(それってつまり、お家に、ってこと?)

「…いいの?」

「ダメだったら言わない」

それはそう。 でも。

(心の準備が。)

(全然できてない。)

「お母さんとかいる?」

「今日はいない」

「そ、そっか」

(二人きり!!!)

(落ち着け桃花。)

(落ち着けって言っても!!)

蓮はもう歩き出している。 桃花は一拍遅れて、その後を追った。


いつもより少し、心臓の音が近い日

蓮のマンションは、学校から十分くらいのところにあった。

エレベーターに二人で乗る。 狭い。 いつもより距離が近い気がする。 気のせいかな。 気のせいじゃないかな。

(心臓うるさい。)

(聞こえてないよね?)

(聞こえてないよね!?)

三階で扉が開いた。 廊下を歩いて、蓮が鍵を出す。

その横顔を、桃花はこっそり見た。 蓮はいつも通りだ。 緊張してるふうに見えない。

(なんで平気なの。)

(こっちはもう大変なのに。)

カチャ、と鍵が開く音がした。


一歩踏み込むだけで、世界が変わりそうで

「どうぞ」

蓮が先に入って、電気をつけた。

桃花は玄関で少し止まった。 ドアの向こうに、蓮の部屋がある。 蓮が毎日いる場所。 蓮が眠る場所。 まだ知らない、蓮の時間がある場所。

(一歩踏み込んだら、もっと好きになりそう。)

(そしたら、もっと怖くなるかな。)

(それでも、入りたい。)

「桃花、寒い?」

「ち、違う」

慌てて中に入った。

部屋は思ったより片付いていた。 本棚に教科書と文庫本が並んでいて、 机の上には消しかけのノートが一冊。 窓から夕日が差し込んでいる。

(蓮の部屋だ。)

(本物の、蓮の場所だ。)

なんだか、泣きそうになった。 理由はわからない。


近づいた分だけ、距離の測り方がわからなくなる

「飲み物、お茶でいい?」

「うん、ありがとう」

蓮がキッチンに消えた。 桃花はそっとソファに座った。

部屋を見回す。 本棚の端に、小さいサボテンが一個。 カーテンは紺色。 床に脱ぎっぱなしのスニーカーが一足。

(生活してる。)

(当たり前だけど、蓮ってちゃんと生活してるんだ。)

お茶を持って蓮が戻ってきた。 桃花の隣に、自然に座った。

近い。 いつもより近い。 廊下で並ぶのとは違う近さ。

(どのくらいの距離が、正しいんだろう。)

(近すぎる?)

(でも離れたくない。)

「なに見てたの」

「サボテン」

「ああ、枯らしたことないんだよな」

「えらい」

「水やるだけだし」

なんでもない会話。 でもなぜか、胸がいっぱいになった。


知らないあなたに、少しだけ触れた午後

帰り際。

玄関で靴を履いていたら、蓮が言った。

「また来ていいよ」

桃花は顔を上げた。 蓮はドアに寄りかかって、いつも通りの顔をしている。

(また、って言ってくれた。)

(また、来ていいって。)

「……うん」

精一杯の返事をしたら、蓮が少し笑った。

「今日、緊張してたろ」

「してない」

「耳、赤かったよ」

(知ってたの!?)

(ずっと気づいてたの!?)

「蓮だって」

「俺は?」

「サボテンの話してる時、少し声が低かった」

今度は蓮が黙った。 一秒くらい。

「……鋭いな」

「ふふ」

エレベーターが来た。 乗り込んで、振り返ると、蓮がまだドアのところに立っていた。

扉が閉まる直前、 蓮が小さく手を振った。

(知らなかったあなたに、今日少しだけ触れた。)

(また、会いに来よう。)

桃花はエレベーターの中で、ひとりでそっと笑った。

サボテンを枯らしたことがない人。カーテンが紺色の部屋。脱ぎっぱなしのスニーカー。知らなかったあなたに、今日少しだけ触れた。また、会いに行こう。


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