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第七話 選んだ悪夢


目が覚める。

見慣れた病室の光景。

窓から、黄昏の光が差し込んでいた。


あまりに静かだった。


ここが、私の居るべき場所。

本当の現実。


ゆっくりと、自分の身体を確かめる。

指が動く。脚の感覚もある。耳も、聞こえる。

失っていたものの大半が、戻っていた。


もう、異形に追われることもない。

奇妙な景色に怯えることも。

血塗れの水場を目指すことも。

大男と刃を交えることも。


サイファーの初心な反応に、密かに笑うことも。

ゾーヤンの技に見惚れることも。

そして――


「……エニグマ」


思わず、名が零れる。

ブラウン管テレビ頭の、奇妙な少女。

軽口ばかり叩いて。

どこか狂っていて。

それでも。

あの悪夢の中で、確かに私を支えてくれていた。


もう、会えない。


そう思った瞬間。

涙が、頬を伝っていた。

熱い雫だった。


しばらくして、私は両親の顔を思い出す。

名前も。声も。


失われていた日常が、ゆっくりと戻ってくる。


夢は終わった。

悪夢は、終わったのだ。


そして、不治の病に侵されていたはずの私の身体は――

驚くほど、回復していた。



ある日の、学校帰りだった。

友人たちと別れ、一人で帰路につく。


夕暮れ時。

人通りの多い商店街。

その時だった。


「――エニグマ、こっちへ」


耳元で響く低い声。

すれ違った見知らぬ男が、こちらを見ずに耳打ちするように囁いた。

そして、そのまま足早に去っていく。


心臓が跳ねた。


脳裏にあの悪夢が、一瞬で蘇る。


森林。煙幕。血。水辺。

そして戦友たちの顔ぶれ。


私は弾かれたように振り返る。

男は、路地裏へ消えていくところだった。


気づけば。

身体が、走っていた。

商店街の裏路地を駆ける。


息が上がる。

視界の端で、夕焼けが揺れる。


行き止まりに辿り着く。

男は、そこに立っていた。

背を向けたままで。


そして、気配に気づいたように振り返る。


二十代後半ほど。背が高い。

精悍な顔立ちに、どこか鋭い目。


「……あー」


男が頭を掻く。


「こういう時って、何て言えばいいんだろうな」


困ったような。

でも、少し嬉しそうな声。

私は、間髪入れず問い詰めた。


「どうしてエニグマの名前を知ってるの?」


息が乱れる。


「貴方、誰?」


冷静に考えれば。

かなりおかしな状況だった。

だが聞かずにはいられない。

男は慌てたように両手を上げる。


「待て待て。ちゃんと信じてもらえる説明は考えてきた」

「えーっと……」


記憶を探るように目を泳がせる。


「奇妙な色の草木林。小型クロスボウの狙撃。二人死んで、一人は脚をやられた」


呼吸が、止まる。


「俺が肩貸して引きずってたけど、結局そいつも死んだ」


胸が、熱くなる。

男は続ける。


「エニグマが突っ込んでって、ゾーヤン爺とルモが仲間になって――」


そこまでで。

私は、もう限界だった。


涙が、溢れる。

止まらない。

声も出ない。


だって、この男だけが。

この世界で唯一。

“サイファー”という偽名を名乗った。


「俺だよ」


男が、少し照れくさそうに笑う。


「サイファーだ」


一瞬、間を置く。


「……何か月前の話だよって感じかもしれねぇけど――」


最後まで聞かなかった。


私は、そのまま彼の胸へ飛び込んでいた。


「――おぐふっ」



「そんでさー」


サイファーが、気楽そうに笑う。


「俺もあの悪夢以降、重度の夢遊病がケロッと治ってさ」


肩を竦める。


「今じゃ立派に社会の歯車ってわけ」


「ふふ」


私は小さく笑った。


「なんか平凡すぎて、サイファーらしいね」


「おい待て」


サイファーが即座に抗議する。


「そういうこと言うな。俺のコンプレックスが増えるだろうが」


他愛ない会話。

だけど、どこか懐かしかった。


私が泣き止むまで。

私たちは互いの近況を語り合った。

悪夢の後の人生を。


「でも、お前は本当に凄かったよな」


サイファーが、不意に真面目な声になる。


「光の剣で、大男ぶった斬っちまうんだからさ」


「……あ」


その瞬間。

視界の端に、スマホ画面が映った。

いつの間にか十九時を過ぎている。

母からのメッセージと着信履歴。

心配の言葉の断片が垣間見える。


現実が、戻ってきた。

私は、光の刃を振るう果断なる戦士じゃない。

何の取り柄もない、普通の高校生――■■だ。


そして、悪夢を知った今なら分かる。

“普通”という言葉が、どれほど残酷か。


あの異常な領域で。

私は確かに、生きていた。戦っていた。

必要とされていた。

非凡でいられた。


その事実に気づいた瞬間。

手から、スマホが滑り落ちる。


カツーン。


乾いた音が、路地裏に響いた。

暫しの沈黙。

そして。


「……本題に入ろうか、戦友」


サイファーの声が変わる。

さっきまでの、気安い青年じゃない。

悪夢を共に潜り抜けた、生存者の顔。

戦士の声だった。




「やぁ!ようこそいらっしゃいこんばんは!ご機嫌いかが?グフフフ」


古びたブラウン管テレビ。

その画面の奥から、低音質な声が響く。


間違いない。

エニグマだ。


ここは、廃ホテルの地下階。

湿った空気が滞留している、薄暗い一室。

いつから放置されているのかも分からない古いテレビだけが、妙に存在感を放っていた。


最初は悪戯かとも思った。

だが、この胡散臭いテンション。

妙に馴れ馴れしい喋り方。

間違いなく、エニグマだった。


私は戦友を疑わない。


「実は私から二人に折り入って依頼がありましてぇ」


テレビの向こうで、わざとらしく咳払い。


「どうにか――」


間が少し空く。


「あー敬語めんどくせぇ」


急に素へ戻る。


「さっさと私の依頼受けろ雑兵ども。感涙に咽び泣け」


「受けます!」


私は即答した。


「はっや!?」


サイファーが素で引く。


「いや待て待て待て、まだ内容聞いてないんだが!?」


私は振り返る。


「何言ってるの?」


「え?」


「エニグマだよ?」


「いや、それ説明になってねぇんだわ」


サイファーが頭を抱える。

だが彼は知らない。

あの悪夢の中で。

どれだけ、あの軽口に救われたかを。


「ちなみに拒否権はありません」


エニグマが追撃する。


「もう君たち現地集合済みだからな」


「おい待て、既に巻き込まれてるタイプの依頼かこれ!?」




「それでは全軍ッ!」


ブラウン管テレビの奥から、エニグマの声が響く。


「机の上の錠剤を飲み干したまえ!」


テンションが高い。

やはり異様に高い。


「そしてボロボロのマットレスへ横になり――」


妙に楽しそうな間。


「心ゆくまで悪夢にうなされるがよい~♪」


ブツン。


そこで映像が途切れた。

密かに流れていた軽快なBGMも止まる。


静寂が降りる。

古いホテルの一室に、二人だけが残された。


私は、すぐに理解する。

エニグマは。あの少女は。

最後の一線だけは越えない。

無理矢理、悪夢に引きずり込んだりはしない。


その証拠に、部屋の鍵は開いている。

逃げようと思えば逃げられる。

机の上に散らばった錠剤も、拒否すれば飲まずに済む。


つまりこれは“選択”なのだ。


現実へ戻るか。

再び、悪夢へ潜るか。


私は迷わなかった。


机へ歩み寄る。

錠剤を十粒、掴む。

そのまま、一気に飲み干した。

サイファーが青ざめる。


「お、お前マジで飲むのかよ……!?」


ついでに、残りも掴む。


「いや待っ――」


私はサイファーの顎を掴んだ。


「おまっ、もげげ――!?」


無理矢理、口へ突っ込む。


「んぐっ、んぐっ、げほっ!?」


「よし」


「よし、じゃねぇんだわ!!」


サイファーの悲鳴を聞き流しながら。

私は、ボロボロのマットレスへ横になる。


埃っぽくて湿っている。

最悪の寝心地だった。


それでも目を閉じる。

胸の奥で、妙な高揚感が脈打っていた。



最近よく「夢から覚めたと思ったら、そこもまだ夢の中でした~♪」っていう多重夢を見ます。酷いときには三重の夢も。そういう夢って大抵ホラーテイストなのもパンチが効いてて香ばしい。

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