第八話 剣を選びし者
目が覚める。
見慣れた病室ではない。
自宅の寝室でもない。
地面が揺れている。
重い振動と耳障りな軋み。
私は、鉄格子の内側にいた。薄汚れた檻。
その中へ、何人もの人間が押し込められている。
全員、拘束具付き。
私の両手にも、冷たい手枷が嵌められていた。
外へ目を向ける。
砂塵に乾いた風。
そして、檻を牽引している巨大生物。
黄土色の甲殻を持つ、巨大な亀だった。
それは異様に大きく、家ほどある。
その怪物が、何台もの檻車を引きずっている。
まるで家畜でも運ぶように。
(……奴隷?)
嫌な予感が脳裏を過る。
やがて砂煙の向こうに、街が見えてきた。
高い外壁。見張り塔。鈍色の旗。
目的地へ到着したらしい。
ほどなくして、檻が開かれる。
「出ろ!」
一喝する怒声。
奴隷たちが、列を作らされる。
手枷を鎖で繋がれたまま街中を引き回され。
そして、巨大な牢獄へ押し込められた。
鉄臭く、湿っている。
牢内には、既に多くの奴隷がいた。
誰も騒がず、暴れもしない。
ただ心の底から怯えている。
それがなんとも不気味だった。
その怯えの理由を、私はすぐ知ることになる。
やがて私たち奴隷は、再び鎖で一列に繋がれた。
巨大な円形闘技場へ連れて行かれる。
入場した瞬間。
熱気と音圧が、押し寄せた。
「パンか剣か!!」
「パンか剣か!!」
「選べ!選べ!選べぇッ!!」
観客席を埋め尽くす群衆が、狂ったように叫んでいる。
足踏みと振動。轟音。
音が、腹の奥へ響く。
まるで地面そのものが脈打っているみたいだった。
正気とは思えない。
だが悪夢では、よくある光景だ。
奴隷たちは縮こまっていた。
泣き出す者。祈る者。
失禁している者までいる。
そして唐突に静寂が降りた。
一瞬で群衆が黙る。
視線が、一点へ集中する。
玉座。観客席最上段。
そこに、“巨人”がいた。
大きい。異常なほどに。
人間というより、城壁に近い。
筋肉の塊みたいな体躯をしている。
その巨体が、片手を掲げていた。
それだけで。数万の観衆が沈黙している。
(……支配者)
直感する。
こいつが、この悪夢の王だ。
巨人が口を開く。低い声。
闘技場全体へ響き渡る。
「――只今より、“選別の儀”を執り行う」
空気が、張り詰める。
「偉大なる我らが血脈へ畏敬を」
わずかな間。
「さもなくば、代償を」
巨人の視線が、奴隷たちへ落ちる。
「汝」
ゆっくりと。
巨大な指が向けられる。
「パンを取るか」
反対の手が開かれる。
「それとも――剣を取るか」
「選ぶがよい」
やがて。
一人目の奴隷が、台座へ引き出された。
広く白い、闘技場中央の祭壇。
そこへ立たされた男は――まるで。
料理されるのを待つ食材にしか見えなかった。
男は震えていた。
歯を鳴らし、涙を流し、祈るように。
台座の上へ置かれた“パン”へ手を伸ばす。
掴む。
その瞬間だった。
玉座の巨人が笑った。
醜悪に。心の底から嬉しそうに。
「――パンを選びし者へ」
巨人が、両腕を広げる。
「我らが血脈の末席に仕える栄誉を与えよう」
次の瞬間。
観客席周囲の柱。
そこで待機していた弩兵たちが、一斉に弦を引いた。
そして放たれる無数の弩矢。
男の全身へ、太い矢が突き刺さる。
血が噴き出すが、男は死なない。
代わりに肉体が変異し始めた。
骨格が膨張し皮膚が裂ける。
腕が増える。口が、縦に割れる。
苦悶の絶叫。その数秒後。
そこに立っていたのは。
人間だった“何か”だった。
逸脱した異形。
生命への冒涜みたいな怪物。
それを見た瞬間。
群衆が、狂喜した。
「パンか剣か!!」
「堕落へ制裁を!!」
「誘惑に屈した弱者へ罰を!!」
「血脈に栄光を!!」
大地が揺れる。
歓声だけで闘技場そのものが震撼していた。
二人目の奴隷は、女だった。
痩せ細っている。同様に怯え切っていた。
彼女は、台座の上で立ち尽くしている。
パンを見る。剣を見る。
またパンを見る。
決められない。
観客席から、徐々に苛立ちが漏れ始める。
「選べ!!」
「早くしろ!!」
「どっちだァ!!」
女は震えていた。
パンへ手を伸ばしかけて。
引っ込める。剣へ近づいて。また離れる。
そうして三分ほどが過ぎた。
その時だった。
「――我らが血脈に」
巨人の王が、静かに口を開く。
「選択を拒む臆病者は必要ない」
闘技場の奥で。
巨大な鉄格子が、跳ね上がった。
聞こえてくる低い咆哮。地鳴り。
現れたのは――巨獣。四足が翻る。
異様に太い筋肉。
岩みたいな顎。
そして左右合わせて八つにもなる眼。
それがぎょろぎょろと蠢いている。
女が悲鳴を上げる暇すらなかった。
巨獣が跳ぶ。轟音。肉が裂ける微かな音。
次の瞬間には、女は消えていた。
血痕だけが、小さく残る。
暫しの沈黙、そして。
群衆が、一斉にブーイングを始めた。
「臆病者に死を!!」
「選択を拒むな!!」
「糧を与える価値なし!!」
歓声ではない。
明確な失望だった。
私は、それを見て理解する。
この世界では“選ばない”ことこそが、最大の罪なのだと。
そして鎖が、引かれる。
「――次」
衛兵の無機質な声。
視線が、私へ集まる。
次は。私の番だった。
鎖が外される。
その瞬間。私は迷わなかった。
一直線に台座の中央へ歩く。
パンには、一瞥もくれない。
剣を掴み、鞘から勢いよく引き抜く。
十秒も掛からない選択だった。
観客席が、どよめく。
玉座の巨人が、獰猛に笑った。
「――よかろう」
巨声が、闘技場を震わせる。
「我ら冷酷なる戦士の血脈」
両腕が広げられる。
「挑戦を選びし者へ、真なる畏敬を与えん」
台座の向こう側で。
巨大な鉄格子が跳ね上がる。
重い足音が、にじり寄るように迫る。
一歩、また一歩。
現れたのは――黒い重騎士だった。
巨大だ、異様なほどに。
闘技場の王に匹敵する巨躯。
筋肉の上から、更に鋼鉄を着込んでいるみたいだった。
漆黒の全身鎧。分厚い装甲。
今、私の手にある粗末な剣では。
傷一つ付けるのが精一杯だろう。
(……出来レース)
そう思った瞬間。
言葉が、口を突いて出ていた。
「下品なゲームね」
静寂。
観客席が、一瞬ざわつく。
私は構わず続けた。
「何が“戦士の血脈”よ」
怒りが、熱を帯びる。
「こんな恥知らずな集団リンチを賛美する連中に――」
剣を向ける。
「戦士を名乗る資格なんてない!」
観客席が騒然となる。
怒号。罵声。殺意。
だが、重騎士だけは笑っていた。
低く、愉快そうに。
「……笑止」
長大な両手剣を抜き放つ。
鈍い金属音が耳に響く。白銀の刀身が煌めく。
「確固たる矜持なき者ほど、よく吠える」
そして、踏み込んでくる。
空気が潰れた。ただ近づいてくるだけでこの圧力。
空間そのものが圧殺されそうだった。
そういえば食べ物とか美食系の夢って見たことないなぁ。どぎつい紫色の本当に不味いゲルを、全身拘束された状態で延々と口に流し込まれる悪夢はノーカウントで!.......あれは本当にきつかった。




