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第三十一話 終わらせる勇気


歓声は、いつしか途切れていた。


決闘場の中心で、私は膝をついたまま動けずにいる。腕の中にあったはずのエニグマの重みはもうない。

送還の光に包まれ、彼女は悪夢の外側へ帰っていった。残されたのは、血に濡れた地面と、砕けたフェイスマスクの欠片と、まだ熱を帯びている私の掌だけだ。


勝った。その事実だけが、広すぎる決闘場の中で空虚に反響している。


アーモリーの兵士たちは泣いていた。エフもリシムも、言葉にならない声を上げながら互いを抱き締めている。

マニシアの兵士たちは武器を構えたまま、しかし誰一人として引き金を引かなかった。彼らの視線は私ではなく、エニグマが消えた場所へ注がれていた。

敵陣営の代表者として戦い、敗れ、それでも最後まで誇り高く立っていた一人の戦士へ。


その沈黙の中、モノリスが前へ進み出た。

紅い戦術機兵から降りた彼は、傷だらけの戦場をゆっくりと歩き、決闘場を包むエナジーシールドの解除を待ってから、私の傍を通り過ぎる。

その一瞬、彼の手が私の肩に置かれた。


「よくやった、コード」


その言葉は重かった。称賛であり、労いであり、そしてこれから彼自身が引き受けるべき責任への別れでもある。

モノリスは拡声器の前に立つ。惑星全土へ向けられた放送中継機のレンズが、一斉に彼へ向いた。

空を覆う艦艇群も、地上を埋め尽くす兵器群も、その瞬間だけは静かになる。


アーモリーが勝った。

誰もが、次に放たれる言葉を待っている。


勝利宣言。報復の継続。マニシアへの退去要求。あるいは、5thクレイドルの死者へ捧げる戦勝の咆哮。

けれどモノリスは、そのいずれも選ばなかった。


「アーモリーの戦士たちよ」


彼の声は静かだった。


「そして、母なるノクターンを守るために戦い続けてきたマニシアの兵士たちよ」


その呼びかけに、両軍の兵士たちが顔を上げる。


「今、神聖決闘は終わった。アーモリー代表、戦士コードは勝利した。その事実を、全軍が見届けた」


アーモリー側から、再び歓声が上がりかける。

だがモノリスは、片手を上げてそれを制した。


「だが、我々は勝利を求めない」


その一言に、戦場全体が凍りついたようだった。


「我々は、5thクレイドルの死者を忘れない。焼かれた大地を、灰となった都市を、名を呼ばれることもなく消えていった無数の魂を、決して忘れない」


モノリスの声が震えているように聞こえる。

それでも彼は、言葉を紡ぐのを止めない。


「だが、5thクレイドルの死者へ、これ以上の死者を捧げることを拒む」


そうして降りた沈黙は、先程までの熱狂より遥かに強く戦場を支配した。


「アーモリーは今日、この場で戦勝を宣言しない。我らはこの決闘の結果を、マニシアの屈服として扱わない。母なるノクターンを守り抜こうとした兵士たちの誇りを、我々は踏みにじらない」


マニシア側の隊列に、僅かなざわめきが走る。

武器を握る手が緩む。歯を食いしばる者がいる。泣き崩れる者がいる。

それでも彼らは、まだ立っていた。敗者としてではない。故郷を守ろうとした兵士として。


モノリスは続ける。


「我々は、終わらせる。勝者としてではなく、生き残った者として。この戦争を、今日ここで終わらせる」


その時、エピタフがゆっくりと立ち上がった。

マニシア側の指導者である彼は、護衛の制止を片手で退け、モノリスの前へ歩み出る。洗練された司祭服の裾が、焦げた大地を僅かに引きずった。


二人は向き合う。

かつてなら、互いの背後にある全てが殺し合う理由だった。


5thクレイドルとノクターン。

資源惑星。侵略。報復。テロ。核。逆侵攻。勝利宣言。禁忌。

あまりにも多くの死者と、あまりにも長い憎悪。

それら全てが、二人の間に横たわっていた。


エピタフは深く息を吸い、拡声器へ向かって言う。


「マニシアは、アーモリーの言葉を受け取る」


その声もまた、静かで深い響きを湛えている。


「我々はこの決闘を、母なるノクターンへの侮辱とは見なさない。アーモリーが戦勝を宣言しないのであれば、マニシアもまた敗北を認める必要はない」


それは敗北を認めないための言葉だったが、同時に、これ以上戦わないための言葉でもあった。


「マニシア全軍へ命じる。ただちに交戦行為を停止せよ。以後、アーモリーとの恒久的停戦交渉へ移行する」


その瞬間、戦場から音が消えた。

銃声が消える。砲声が消える。怒号が消える。

長すぎる戦争の中で誰もが忘れかけていた静けさが、ゆっくりと大地へ降りてくる。


アーモリーの少女兵たちは、互いに顔を見合わせていた。エフがリシムに抱きつき、リシムもまた泣きながらその背へ腕を回す。

彼女たちは、どう喜べばいいのか分からないようだった。生き残ったことも、もう戦わなくていいかもしれないことも、まだ現実として受け止めきれていない。


マニシア側では、一人の兵士が膝をついた。

彼は武器を地面に置き、震える声で誰かの名を呼んでいた。

家族か、恋人か、あるいはこの戦場で失った戦友か。私には分からない。

ただ、その名を呼ぶ声は、敵ではなく人間のものだった。


モノリスが空を見上げる。

灰色の空。中継機と宇宙戦艦に覆われた、戦争の空。

その空を見上げる彼の横顔には、勝者の表情などなかった。

ただ、ようやく荷を下ろした者の深い疲労と、今後に向けた静かな決意だけがある。


やがて、モノリスとエピタフは再び向き合う。

二人は何も言わず、固く握手を交わした。


今度の握手は、会談のための形式ではない。決闘の開幕を飾る儀礼でもない。

両者がそれぞれの死者を背負ったまま、生者のために未来を築くと誓うためのものだった。


「平和の時代を、共に築こう」


モノリスが言った。


「憎悪に戻ろうとする者が現れたとしても」


エピタフが応じる。


「我々が、今日この場を思い出させる」


二人の手は、長く離れなかった。



その瞬間だった、天上の光が降りる。

最初は、決闘場の中心からだった。淡い、白い光。エニグマが消えた時と同じ送還の光。

それが私の身体を包み、やがて戦場全体へ満ちるように広がっていく。


「あ……」


私は自分の手を見ると、指先が透け始めている。

悪夢が終わろうとしているのだと、直感で理解した。


エフがこちらを見る。


「コード?」


リシムが駆け寄ろうとして、途中で足を止める。

私は二人に笑いかけた。


「大丈夫」


声が少し震える。


「きっと、もう大丈夫だから」


エフは涙を流し、リシムも泣いていた。

それでも、二人は敬礼した。ぎこちなく、でも精一杯に。

私はその姿を、胸に焼き付ける。


「生きて」


ずっとそれだけを伝えたかった。

二人が頷く。モノリスもこちらを見ていた。

彼は何も言わなかったが、ただ深く頷いた。それだけでも私にとっては十分な慰労だ。


憎悪に勝者はいない。

勝者を作れば、敗者の憎悪が残る。敗者を作れば、次の戦争が生まれる。

だから必要だったのは、最初から勝つ勇気ではなかった。


終わらせる勇気だった。


私はそう理解しながら、光の中で目を閉じる。

銃声の消えた戦場。武器を下ろした兵士たち。泣きながら抱き合うエフとリシム。

空を見上げるモノリス。誰かの名を呼びながら膝をつくマニシア兵。固く握手を交わす二人の指導者。


その全てが、遠ざかっていく。

最後に見えたのは、灰色の空の向こうに差し込む、ほんの僅かな朝の光だ。


そして私は、かつて悪夢であった場所から、現実へと帰っていった。



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