第三話 最後の敵を殺さなかった
暗闇の底へ、さらに沈むような感覚。
次に目を開けたとき――そこは、夕暮れの校舎だった。
ガシャン。
窓ガラスが割れる音が響き、思わず視線を向ける。
教室の中で、異形たちが殺し合っていた。
色とりどりの、歪んだ体。
机の脚を折って突き刺す者。
黒板を倒して押し潰す者。
机を振り回し、椅子を投げる者。
暴力だけが、この空間を支配している。
(……ここも、戦場か)
背後から、ギャアギャアと、耳障りな叫びが近づいてくる。
いつの間にか、私は中庭に立っていた。
下駄箱の方向から、異形が押し寄せてきている。
いつの間にか囲まれていた。
(なら――)
壁際に立てかけてあったビニール傘を掴み、構える。
異形の一体が、跳びかかってくる。
私はそいつに鋭い突きを見舞った。
傘の先端が、異形の単眼に突き刺さる。
青緑の液体が返り血となり、私の顔にかかる。
続いて足元に迫りくる次の一体に向けて、傘を全力で振り抜く。
骨が砕けるような感触がして、また一体が倒れる。
息を整える暇もない。
「かかってこい!」
喉が震えるが、それでも声が出せた。
「異形ども――私は、生き残る!」
初めての咆哮だった。
理由は分からないが、言葉が戻ってきている。
そのときだ。
「それでこそメアだ。いい啖呵だな、戦友」
二階の窓が砕け、人影が落ちる。
私の隣に、軽やかに着地した。
黒い患者服。
ブラウン管テレビの頭部。
間違いなくエニグマだった。
「眼を潰せ!こいつらの弱点だ!」
「脚を止めるな。鈍足に付き合う必要はない、機動で振り切れ!」
エニグマの指示は短く、速く、的確だ。
生還率が――目に見えて上がっていくのを感じる。
「大型をやる。合わせろ!」
前方にひときわ大きい個体がそびえ立つが、エニグマの投げたナイフが単眼に命中すると、その巨体がよろめく。
「今だ!」
私は迷わず近場の異形を踏み台にして跳ぶ。
傘の骨を剥き出しにした先端を、巨大な異形の頭部へ勢いよく突き込む。
絶叫が上がった。
間髪入れず、エニグマの刃が走る。
首が裂け、多量の黒い血液を垂れ流しながら、ズシン、と巨体が崩れ落ちた。
残りの異形は悲鳴を上げつつ散っていく。
黄昏の校舎に静寂が戻り、私は振り返る。
「……また会えた」
「だな、戦友」
互いの腕を打ち合わせて、短い祝福とする。
だが、エニグマの声はすぐに緊張を帯びた。
「しかし喜んでる場合でもない。この領域に――敵部隊が入ってる」
「敵部隊って……相手もメア、ってこと?」
「そうだ。敵としてアサインされた以上、終わらせる方法は一つ」
「殺すしかない」
胸の奥が、わずかに冷えるのを感じた。
「相手は単独。レーダーでも動きは鈍い。初心者だろう」
「行くぞ、戦友」
私は、拭いきれない違和感を抱えたまま後に続く。
辿り着いたのは体育館へ続く通路。
そこに――いた。
「やめろぉ!来るなぁぁ!」
一人の少年が逃げている。
その背後から、刃物を持った異形が迫る。
(助けないと)
踏み出しかけた足を、エニグマの腕が止めた。
「待て」
「異形がこのまま削ってくれる。……手間が省けたな」
一瞬、言っている意味が解らなかった。
「エニグマ、あの子を――」
「何を言っている。敵部隊は異形なんかよりよほど危険だ」
エニグマは一歩、顔を寄せてくる。
「奴らを人間だと思うな。狡猾で、致命的な罠だ」
「でも――」
言い終わる前に、鈍い音がした。
少年が、崩れる。異形の刃が抜かれ、血が床に広がった。
その瞬間。
背後から、別の声が囁かれる。
「なーんだ。助けねぇのかよ。薄情だなぁ、おい」
弾かれたように振り向く。
「……って思ったけど、片方はそこそこやれそうだな。じゃあこの手は効かねぇか」
いつの間にか、私たちの退路に男が立っていた。
全身を木の葉の擬装で覆った男。ギリースーツというのだろうか。
両手にバタフライナイフを構え、刃が鈍く光っている。
顔は見えない。代わりにナイトビジョンのバイザーが、こちらを油断なく捉えている。
「……敵か」
「正解」
軽い返事。
だが、空気が完全に張り詰めている。
今までの異形とは圧が違う。
エニグマが一歩前に出る。
「戦友。あれは私より上位のメアだ」
短く、はっきりと告げる。
「防御は私が受け持つ。君は攻撃に専念しろ」
「――でないと、全部持っていかれる」
「――【隠形】」
そう唱えた瞬間、男の姿が消えた。
気配が断ち切られ、完全に男を見失った私の背筋は冷える。
だが、エニグマは動じない。
「――【オラクル・アイ】」
ブラウン管テレビの画面が、薄緑に灯る。
直後――火花が散る。
不可視の刃とエニグマの太刀が、空間を裂いて打ち合う。
衝撃が空気を押し潰す。
二人は速く、手数が多い、その全てが鋭い。
エニグマは宣言通り攻撃を的確に受け続ける。
しかし受けきれなかった分だけ、身体に赤い線が刻まれる。
身体から血が滴り落ちる。
(時間を与えすぎたら、終わる)
彼女が崩れれば、次は私が殺されるだけ。
ならば――絶対の好機を待ち、そこに全てを賭ける。
呼吸を整える。足は止めず、視界も切らさない。
(来る)
エニグマも、分かっている。
チャンスは一度きり。
見えない敵を、見せる一瞬。
そこだけで完全に致命傷を負わせてみせる。
やがて――金属が、鋭く鳴る。
エニグマの太刀が、二本のナイフを同時に受け止め、弾いた。
その一瞬の隙に、異能が差し込まれる。
「――【リビーリング・ライト】」
閃光がほとばしった。
ブラウン管テレビ頭の画面から放たれた光が、空間を剥ぐ。
男の輪郭が、如実に浮き上がる。
「ぬぁっ――」
不意に視界を奪われ、男がわずかに動きを止める。
(今だ)
考えるより先に、私は大きく一直線に踏み込む。
手にしていたのは、先端を尖らせた鋼鉄製の机の脚。
全体重を乗せた突きを見舞う。
その手応えは、胸を貫いていた。
「なっ……ごぼっ……この俺が……雑兵に――」
言い切る前に、―閃。
エニグマの太刀が、男の首を断つ。
ボトリ、と落ちて転がる音。
しばしの沈黙。
荒い呼吸だけが残る。
「……やった」
遅れて、実感が追いつく。
「勝ったよ、エニグマ」
「……ああ、勝った」
返事は、意外にも静かだった。
私は顔を上げる。
「どうしたの?あんまり、嬉しくない?」
エニグマが、わずかに視線を落とす。
「打ち明けよう、戦友」
声は、いつも通り軽い。
だが、どこか遠くもあった。
「この夢は――このままでは、終わらない」
「え?」
「この領域の勝利条件が、まだ満たされていない」
言葉が、胸に落ちる。
「人はな、勝ち続けないと先へ進めない生き物なんだよ」
そしてエニグマが、私に向き直る。
太刀を持ち上げる。
一瞬、そのまま構えるかと思った――が。
くるりと反転させ、柄をこちらへ向けて差し出す。
「この領域で――最後の敵は、私だ」
思わず呼吸を忘れた。
「私を殺せ、戦友」
「……そうか、エニグマ」
私は、ゆっくりと息を吐く。
「最初から、そのつもりだったんだね」
一歩、距離を詰める。
「でも――」
言葉を慎重に選ぶ。
「私にも、いくつもの悪夢を乗り越えて、ここまで来た意志がある」
視線を上げる。
「だからこの直感に、賭けてみたい」
受け取った太刀。
重さを確かめたのは一瞬。
そして――自らの胸部に突き立てる。
躊躇はない。
深く、確実に、胸の奥を貫くまで。
「っ……!」
遅れて痛みが走り、視界が揺れる。
「戦友!」
エニグマが飛び込んでくる。
腕を掴まれた。彼女の手は震えていた。
「何を……やっている……!」
声が、わずかに崩れている。
血が、床にボタボタと落ちて止まない。
私はかすれた声で言う。
「エニグマ……」
息が、もうすでに浅い。
「生きて……」
「……生き残って」
エニグマの手の震えが止まる。
そして――
「……ああ」
低く、はっきりと告げた。
「君の存在に賭けて、誓う」
「私は、勝ち続ける」
その言葉を聞いて――意識が、落ちた。
なんか勢い余って3話連続投稿してしまった.......後悔はねぇぜ、この“選択”によぉ。
追記:もうちょっと読み易く加筆修正しました。エニグマの宣言に心が引っ張られます。




